雷神不動北山櫻

2008/01/25

新橋演舞場で、海老蔵丈が五役を勤める「雷神不動北山櫻」。歌舞伎十八番の「毛抜」「鳴神」「不動」が編み込まれた豪華な通し狂言です。「成田山開基一〇七〇年記念」と銘打って成田山新勝寺の出開帳もある(手を合わせる人も多かった)、初春らしい賑やかな芝居見物となりました。

海老蔵丈が勤める五役とは、登場順に鳴神上人、早雲王子、安倍清行、粂寺弾正、そして不動明王。このために原作の台本に大幅に手を入れ、文屋豊秀、雲の絶間姫、錦の前の三角関係が大胆に省略されてスピーディーな演出になっているほか、安倍清行のキャラクターも変わっています。それでも込み入った話であることに変わりはないので、幕が上がるとまずは海老蔵丈が裃姿で粗筋をひとしきり説明。「殺し、殺され、裁き、裁かれ」の波瀾万丈のストーリーですが、しまいに舞台裏から「まだか、まだか」としびれを切らした間の手が入って、発端の「洛中不動堂の場」へ。ここでまずは鳴神上人が朝廷に怨みを抱くに至った経緯が明らかにされます。

続いて序幕「大内の場」から、帝位を狙う悪の権化、早雲王子のエピソード。引き続く「小原村松原の場」では、女好きの陰陽師安倍清行が登場し、浮世離れした公家言葉風の台詞回しとふわふわと歩き、市女笠を口説くところで「外郎売り」を織り込んだ言い立てを聞かせました。ところが、その市女笠は早雲王子一派の山上官蔵。海老蔵丈は、官蔵との立回りの途中で巧みにダミーと入れ替わると、安倍清行が穴に落とされた直後に早雲王子になって舞台に登場します。そしてこの場では台詞を一言におさえ、花道を下がる途中で暗闇の中にぞっとするような笑みを見せて実悪の本性を剥き出しにしてみせました。ここが、今回海老蔵丈一番の見せ場だったかもしれません。

休憩をはさんで二幕目は、おなじみの「毛抜」。武勇知略ともにすぐれていますが、若衆・腰元に手を出してはふられて面目ないと客席に頭を下げるコミカルな役柄の粂寺弾正。多彩な見得も見どころの楽しい一幕で、特に錦の前の髪が逆立つのを見て仰天しました顔には笑いましたが、さすがに團十郎丈の大らかさが醸し出す自然なおかしみを出すまでには至っていませんでした。それでも、槍を構えての堂々たる見得など、荒事の楽しさは満喫できました。

再び休憩をはさんで、今度は「木の島明神境内の場」で再び安倍清行。原作では、雲の絶間姫が文屋豊秀のために持参したおむすびにひかれて(?)百日も生き埋めにされていた塚の下から出てくるのですが、ここでは巫女の匂いをかぎつけてスッポンからせり上がってくるという、まるで海老蔵丈にあて書きしたかのような設定。その直前、安倍清行の弟子の紀定義と文屋豊秀が舞台から客席へ降りて観客に安倍清行の行方を訪ねつつうろうろ歩き回っていたのですが、海老蔵丈もつられてふらふらと客席に降りる大サービスに観客は大喜び。

そして「鳴神」。この場では何といっても芝雀丈の雲の絶間姫のクドキが素晴らしいものでした。亡き夫との馴れ初め語り、癪を起こしたフリをして鳴神上人に乳を触らせる場面でのうっとりした様子、さらに鳴神上人を言葉で追い詰めて酒を呑ませる一連の手順が実に聞かせ、かつ見せます。雲の絶間姫のお色気攻勢に堕落した鳴神上人は、還俗して名前を変えろと言われて「市川海老蔵」と名乗ると言い出すし、「酒は一滴も呑まん。奈良漬けさえ嫌いじゃ」と言っていながらついに大杯を干す羽目に陥ります。とうとう酔い潰れている間に雲の絶間姫に竜神を解放されてしまうと、所化たちに囲まれてメイクを施し忿怒の形相に変わって、所化たちを蹴散らし投げ捨ての大暴れの末に、六法を踏みつつ花道を下がっていきました。

大詰へは休憩をはさまず、定式幕の前で巫女たち・百姓たちが雨を喜び神楽を踊ります。続いて編竹塀の前での文屋豊秀と山上官蔵の立回りを経て、幕が落とされて見事な朱色の朱雀門が登場します。セリを上がってきた早雲王子は、「値千金とは小さい喩え」と南禅寺山門になぞらえた台詞。そして捕手の四天たちとの激しい立回りが、これでもかというくらい派手に続きます。左右から走り込んでのとんぼに目を見はらされたかと思うと、花道で斜めに支えられた梯子の途中で海老蔵丈がぶっかえり、四天は先端で両手を離してひっくり返り、そのまま梯子を水平に倒して舞台中央に移動して海老蔵丈は朱雀門の上層へ。そこで凄いスピードの立回りを繰り広げ、最後に四天全員が一斉にとんぼを切る豪勢なアクションが披露されました。そこへ不動明王の大音声が鳴り響き、早雲王子が朱雀門の奥へ背中から落ちていくと、ブルーのライト群とスモークが怪し気な間を作って、いよいよ「不動」。赤暗く燃え上がる背景の前に不動明王が吊りワイヤーもなく浮いていて、最後にそのままふわっと舞台上数mの高さまで浮かび上がったところで終演となりました。いったいどういう仕掛け?ともあれ、不動明王のお姿を目の当たりにできて、眼福この上なしという感じ。

通し狂言にしては全体の時間が短く(休憩抜きで2時間50分)、多少刈り込み過ぎ、かつ粗っぽいところはあっても、とにかく成田屋の荒事の芸を存分に堪能できて、文句なく楽しい芝居でした。今年も海老蔵丈からは、目を離せません。

配役

鳴神上人 市川海老蔵
粂寺弾正
早雲王子
安倍清行
不動明王
雲の絶間姫 中村芝雀
関白基経 市川門之助
文屋豊秀 市川段治郎
腰元巻絹 市川笑三郎
秦秀太郎 市川春猿
小野春風 澤村宗之助
山上官蔵 市川猿弥
八剣玄蕃 片岡市蔵
黒雲坊  
秦民部 市川右之助
白雲坊  
小野春道 大谷友右衛門

あらすじ

洛中不動堂の場 戒壇建立の許可と引き換えに女子として生まれるはずだった陽成天皇を変成男子の法で男子として生まれさせた鳴神上人は、かえって洛中から追放されることとなり、朝廷を深く恨む。
大内の場
小原村松原の場
その後、都では旱魃が続き、困り果てた人々が朝廷に窮状を訴えにくるありさま。陽成帝の腹違いの兄の早雲王子は百姓達を慰撫し、旱魃を鎮めると請け合うが、実は鳴神上人を追放し旱魃を引き起こさせたのは早雲王子。陽成帝の失政を咎めて帝位を簒奪しようとする企みだった。早雲王子の手下の山上官蔵は、文屋豊秀が召し出そうとした陰陽師の安倍清行を捕らえて穴へ落とし、また石原瀬平も小野春道が雨乞いに用いようとしていた小野家の家宝「ことわりや」の短冊を預かっていた腰元小磯を殺し、短冊を奪う。
小野春道館の場 「ことわりや」の短冊紛失で騒動となっている小野家を、文屋豊秀の家臣、粂寺弾正が訪れる。小野家の息女錦の前は文屋豊秀の許嫁だが錦の前の病気のために婚礼が先延ばしになっているので仔細を伺いたいとの口上を述べた粂寺弾正だったが、実は小野家の騒動を収めることが使命。小磯の兄に化けて小野家に入り込んだ石原瀬平を倒して短冊を取り戻し、錦の前の病気のからくりを見破り、さらに小野家横領を企んで一連の陰謀を仕掛けていた執権八剣玄蕃を討つ。
木の島明神境内の場
北山岩屋の場
一方、文屋豊秀は地中から蘇った安倍清行から早雲王子の陰謀と旱魃の仔細を知らされ、雲の絶間姫を鳴神上人の籠る北山の岩屋へ遣わす。雲の絶間姫は言葉巧みに鳴神上人から行法の秘密を聞き出し、大滝の注連縄を切って滝壺に封じ込められていた三千世界の竜神を解き放つと、車軸の雨が降り出す。
大内塀外の場
朱雀門王子最期の場
不動明王降臨の場
全ての陰謀が明らかとなり、朱雀門に立て篭る早雲王子を追手が取り囲む。太刀を振るって追手を退ける早雲王子だったが、そこへ不動明王が出現し、仏法の力により早雲王子を退散させる。