ダブル・インパクト

2015/04/18

続いて東京藝術大学大学美術館で「ダブル・インパクト」。このインパクトあるネーミングには「明治ニッポンの美」というサブタイトルがついていますが、つまり明治期の日本美術を蒐集したボストン美術館と東京藝術大学とのコレクションを掛け合わせて、日本と西洋が互いに受けた衝撃(インパクト)を再検討しようという試みです。

プロローグ 黒船が来た!

黒船来航から20年程の疾風怒濤の時代のコレクションがここに展示されていますが、浦賀沖の黒船の図解や攘夷の気風の中で描かれた河鍋暁斎・歌川芳虎によるド派手な蒙古船撃退図の浮世絵などは、それ自体インパクトあり。特に暁斎の浮世絵に見られる大爆発の表現は極めて現代的です。他にも、海上をダイナミックに疾走する蒸気船を和風の守護神や狐が空中から見守っていたり(河鍋暁斎《海上安全万代寿》)、想像だけで描かれたパリのセーヌ川に大型帆船が泊まっていたり(歌川芳虎)と奇想天外。これらはいずれもボストン美術館の所蔵品ですが、最初にこれらの絵を手にしたアメリカ人がどういう感想をもったか、聞いてみたいものです。他にもフェリーチェ・ベアトらによって撮影された当時の習俗の写真や各種肖像写真、そして荒巻鮭の高橋由一による油絵《花魁(美人)》(モデルが完成作を見て泣いて怒ったという容赦ない油彩表現)も置かれて、プロローグと言いながら早くもエンジン全開の展示です。

第1章 不思議の国JAPAN

1876年フィラデルフィアでの万国博覧会に対し明治政府が行った周到な準備と数々の出展品によって、日本の装飾工芸品や絵画は米国市場での名声を獲得することになりました。このコーナーでは、そうした時代背景の下で製作された、いわば輸出向けの作品群が展示されています。とりわけ人目を引いたのは巨大な水晶玉を乗せた銀の台座。水しぶきを上げて昇天する竜の姿がモチーフで、極めてダイナミックな造形です。全長2mに及ぶ竜の自在置物も存在感があり、一方、象牙による人体骨格は妙にユーモラスなポーズ。オーソドックスな蒔絵の盆や箱も美しいものばかりでしたが、面白かったのはブッダの涅槃の様子を描いた蒔絵盆で、漆芸家・柴田是真が岩崎弥之助男爵のために制作したものだそうですが、横たわるブッダは大根、周囲の弟子たちは茄子、ワサビ、かぼちゃなどなど。なんだ、こりゃ?

第2章 文明、開花せよ

このコーナーの見どころは、文明開化の様相を示す貴人の姿や街の情景を描く錦絵の数々でしょう。鮮やかな色彩でやや漫画チックに描かれる明治天皇・皇后を中心とする貴賓の群像姿を見ると、豊原国周《太平有名鑑》(1878年)では和装が目立つ(男性の一部と女性全員)のに対し、楊州周延《チャリネ大曲馬御遊覧之図》(1886年)では全員洋装になっています。男性は明治初期から軍服が正装となっていましたが、女性の洋装化は明治15年(1882年)の皇后の洋服着用から拍車がかかったそう。また、女学校の制服に洋装が導入されたことで、庶民女性の洋服化も意外に速く進んだのだそうです。また、落ち着いた色調と印象的な明暗表現を浮世絵に導入し「光線画」として人気を博した小林清親の作品がいくつか展示されていた点もポイントです。

第3章 西洋美術の手習い

高橋由一に洋画を教えた報道画家チャールズ・ワーグマン、工部美術学校に招聘された画学教師アントニオ・フォンタネージと彫刻教師ヴィンチェンツィオ・ラグーザの3人及び彼らの弟子たちを紹介するのがこの章ですが、圧倒的だったのはラグーザのブロンズ像《日本の大工》《日本婦人》の二つでした。穏やかな微笑み顔で右肩を脱いだ壮年の大工と左胸を露わにした目の細い整った顔立ちの女性のいずれも、庶民でありながら品の良さがあり、作家の日本人に対する眼差しの暖かさを感じさせます。ちなみに、ラグーザは20歳年下の日本人女性・清原玉を妻としてイタリアへ連れて帰り、玉は彼の地で画家として成功した後、夫の死後にその作品と共に帰国すると東京美術学校へ寄贈したのだそうです。

第4章 日本美術の創造

この章が、この展覧会の中での私にとっての白眉となりました。フェノロサ・狩野芳崖・岡倉天心・横山大観と続く系譜の中で伝統様式と西洋画法を融合した「日本画」が誕生した経緯を丹念に追い、無線描法の「朦朧体」が米国で人気を博した事実にも目を向けています。そして、何といっても素晴らしかったのは狩野芳崖《悲母観音》(1888年)。この作品には2008年にやはりここで出会っていますが、7年ぶりでも印象の深さに変わりはありませんでした。隣には岡倉天心の甥である岡倉秋水による模写もありましたが、色使いのきつさが目立ち芳崖の原画の品格を再現し得ていません。また、同じ狩野芳崖の《暁霧山水》(1887年)と再会できたのもうれしい驚きでした。他には、橋本雅邦の素晴らしく奥行きの深い山水図(《雪景山水図》《月夜山水》)や横山大観・菱田春草らのいわゆる「朦朧派」絵画も印象的でしたが、フライヤーの上半分に描かれている強烈な印象の小林永濯《道真天拝山祈祷の図》がこのコーナーにありました。小林永濯は幕末に狩野派に学びながらその後独学で西洋画的な写実表現を身に付けて活躍した画家で、菅原道真が山上で無実を訴え天神と化す場面を描いた本作はまさにインパクト満点です。

第5章 近代国家として

最後は、明治天皇を中心とする近代国家・日本の形成の過程での伝統回帰と西洋志向の二項対立を紹介する章。明治天皇の姿がさまざまに描かれた絵画と共に、フライヤー表面に登場するもう一つの作品である巨大な木像である竹内久一《神武天皇立像》(1890年)が明治天皇の顔を神武天皇に重ねたものであることを知り、当時のナショナリズム高揚のさまを再認識しました。そうした中にあっても上述の小林永濯が古事記に題材をとった《天瓊を以て滄海を探るの図》(1880年代半ば)には日本絵画の伝統である伊奘諾・伊奘冉の2人を描く美しい線と茫とした雲の表現、そして写実的な波の表現とが渾然として一つの神話世界を現出させているようでした。また、日清・日露の両戦争を描く戦争錦絵の臨場感、工芸の世界での伝統回帰、黒田清輝や藤島武二ら留学画家たちの成果を紹介して、展示は締めくくられました。

こうして見ればとてもよく練られた企画展で、とても楽しめましたし、勉強にもなりました。会場の解説も鑑賞のサポートとして必要十分な内容を備えていましたが、図録はさらに記事が充実していて、コンパクトなサイズでありながら、一冊の書籍として読むこともできるほどです。

ただ、「ダブル・インパクト」というネーミングが果たして適切であったかどうかは若干疑問。この展覧会に展示された作品群からも、西洋美術の技法が日本美術に及ぼした影響の大きさ(それはまさしく「インパクト」と呼ぶにふさわしいものです)が見てとれましたが、かたや西洋側の受容の仕方は異なっています。たとえば北斎や広重の浮世絵がフランスの画家たちに与えた影響はジャポニスムという文脈でよく語られますが、ボストン美術館側の作品の中にそうした「影響」を見ることはできず、単に好奇の目をもって蒐集しただけという印象しかありません。もともとボストンやワシントンは美術品を輸入し消費する市場ではあっても(多くの印象派絵画が米国東海岸に渡っていることもそうした状況を物語っています)、そこから新しい美術を生み出す土壌が当時はまだできていなかったということなのでしょうか。ともあれ本展覧会を観る際には、「ダブル・インパクト」とは言いながらその「インパクト」の意味合いが大きく異なるという点には、あらかじめ留意しておく必要があるでしょう。それでも、当時の米国人たちがその頃の日本美術に大きな関心を抱き積極的に蒐集したという歴史的事実が、この充実した作品群を現代まで生き永らえさせてきたことの功績は、異論なく認めるべきことではあると思います。

ミュージアムカフェで、本展覧会期間限定メニューである「ホテルオークラ特製スモークサーモンとカッテージチーズのポップオーバーサンド」をいただきました。名前、長い……。

シュークリームのシューのようにしっとり柔らかい食感のデニッシュの上にサーモンやカッテージチーズを乗せたものですが、まとめて食べようとするのはその大きさから抵抗があり、フォークとナイフで切り分けていただくことになります。確かにインパクトのあるメニューでした。