東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 パスカル・ロジェ〔モーツァルト〕

2018/12/05

東京文化会館小ホールで、日本モーツァルト協会の第604回演奏会。演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、ピアノ・指揮:パスカル・ロジェ。私の好みからはモーツァルトを積極的に聴くことはないのですが、たまたま見掛けたフライヤーでこの演奏会にパスカル・ロジェが登場することを知り、興味を抱いてチケットをとったのでした。過去に彼の演奏に接したのは1997年のことで、そのときに取り上げられたのはドビュッシー、サティ、吉松隆。以来、CDではずっと彼の手になるドビュッシーを聴き続けてきたのですが、実際に演奏する姿に接する機会はこの20年間なかったので「懐かしい」という思いが先立ちました。また、ドビュッシーやラヴェル、サティ、プーランク、フォーレといった近代フランス作品を得意とする演奏家だと認識していたロジェがモーツァルト(1756-91)を手がけるというところに意外性を感じたことも、この演奏会に足を運んだ動機の一つです。

大ホールには数えきれないほど入っていますが、小ホールに入るのはこれが初めて。扇型に並ぶ客席の要の位置にあるステージの上にはこじんまりとした編成の管弦(見たところではヴァイオリン7 / ビオラ2 / 、チェロ2 / コントラバス1 / 管9 / ティンパニ)が配置され、これらに対して指揮者の位置にピアノ(スタインウェイ)が置かれていました。パスカル・ロジェは、ここで客席に背を向けて指揮をしながらピアノを弾く(弾き振り)ことになります。

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K503
1786年、モーツァルト30歳のときの作品。ザルツブルクの宮廷音楽家としての地位を捨て、フリーの音楽家としてウィーンに移ってから数年がたち、社会情勢の変化とモーツァルト自身の音楽性の変化とがあいまってモーツァルト人気に陰りが見え始めてきた頃の作品です。第1楽章、管弦による力強い主題を踏まえて軽やかなピアノが組み合わされた後に奏された壮麗なピアノのカデンツァが、ロジェの技巧とセンスをたっぷりと聴かせます。牧歌的な情景を描くホルンの響きが印象的な第2楽章から、軽快なロンド主題の繰り返しを伴いつつピアノが躍動する第3楽章へ。ロジェはこういうピアノも弾くのかとちょっと驚き。
モーツァルト:ロンド イ長調 K386
ウィーン移住の翌年(1782年)の作品。モーツァルトの死後にその妻コンスタンツェによって出版社に売却された自筆譜には最終ページが欠けていた上に、その後楽譜が散逸したために作曲家の構想が判然とせず、ピアノ協奏曲第22番 イ長調 K414の当初の終楽章または差替え楽章とみなされていたこともありましたが、1980年に最終ページが偶然発見された結果、計画変更によって独立したロンドとして完成されたものとする説が有力になっています。穏やかな旋律をもつ主題の繰り返しの後に軽やかなピアノの独奏が自在な緩急をもって差し挟まれ、最後に主題を繰り返して終曲。落ち着いた演奏で聴衆に安らぎを与えて、次の「戴冠式」につなぎます。
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第26番 ニ長調 K537「戴冠式」
1788年、モーツァルトの生前最後から二番目に作曲されたピアノ協奏曲。ウィーン移転後、経済的な困窮が始まる中で作曲されたこの曲は、1790年の神聖ローマ皇帝レオポルト2世の戴冠式の際に自身のアピールをもくろんだ作曲家自身によって演奏されたために「戴冠式」と通称されています。初めて聴いたという気がしないほど、いかにもモーツァルト風といった趣のある華やかな第1楽章でのロジェのピアノはやはり軽やかで鮮やかですが、楽章の終盤のカデンツァに出てくる密集和音に意表を突かれました。緩徐楽章である第2楽章は、ピアノと弦とによる可愛らしい主題の繰り返しの中にピアノが細かい装飾音を伴うフレーズをたびたび聴かせ、一方、第3楽章では疾走感に満ちたピアノに寄り添うように管弦が絶妙なダイナミクスの変化を見せてロジェとの緊密な連携を示しました。

「戴冠式」のフィナーレが壮麗に締めくくられると、小ホールは大きな拍手に包まれました。ブラボーの声も上がり、その歓呼の声に応えて最初のアンコールは、この日最初に演奏された「ピアノ協奏曲 第25番」の第3楽章。

その演奏が終わった後に拍手を止めようとしない聴衆を見て、ロジェがコンサートマスターに指で「少しだけ」といったサインを示して弾いたのは、ラヴェル「ソナチネ」の第2楽章。ゆったりしたテンポの中でさらに緩急を揺らせながら繊細な音の響きを積み重ねるこの演奏に、心が溶けそうになりました。このモーツァルトとは対極にあるような演奏はこの日ここに足を運んだモーツァルトファンをも虜にしたようでしたが、鳴り止まない拍手に笑顔を見せていたロジェがコンサートマスターの手を引いて退場したところで、この日の演奏会は終了となりました。

終演後には、ロジェによるサイン会が用意されていました。そこでロビーで販売されていた『CRYSTAL DREAM』(このネーミングはいかがなものか)と題するサティ&吉松隆の作品集を買い求めて、列に並びました。

サインをしてもらうときに「1997年にあなたの弾く吉松を聴きましたよ」と話したところ、ロジェはうれしそうな顔をして「ドコ?」と日本語で会場を尋ねてきました。その声は、柔和な表情の彼らしく、高く優しげなものでした。