釈迦如来 / 百万

2019/03/28

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の企画公演で、嵯峨大念佛狂言「釈迦如来」と能「百万」。企画タイトルは「能を再発見する / 寺社と能・清凉寺」です。

「釈迦如来」は五台山清凉寺(嵯峨釈迦堂)で行われる嵯峨大念佛狂言の演目の一つであり、「百万」ももとは「嵯峨の大念仏の女物狂の物まね」「嵯峨物狂」などと呼ばれていた作品です。清凉寺は嵯峨嵐山の近くにあり、9世紀末に阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺が建立された後、11世紀になってその境内に「三国伝来の釈迦像」を安置する寺として建てられたものです。初め華厳宗、後に浄土宗。

この日、国立能楽堂の前庭の桜も盛りを迎えていました。それにしても日が長くなったものです。

釈迦如来

最初に、嵯峨大念佛狂言保存会の芳野明氏が舞台上に現れ、おおよそ次のような解説を行いました。

  • 京都には三大念佛狂言(壬生・嵯峨・千本閻魔堂)があり、いずれも面をつけて演じられるが、嵯峨と壬生は無言劇であるほか、演目や面にも共通点が多く、同系統であったと考えられる。
  • 清凉寺の本尊釈迦如来は特殊なスタイルを持ち、中国から日本に渡ってきた後、京都から江戸や北陸にも赴くなど「日本一旅をした仏像」である。
  • 今日演じられる「釈迦如来」は、嵯峨独自の演目であり、わかりやすい。嵯峨大念佛狂言には能楽系のカタモンと狂言仕立てのヤワラカモンがあり、「釈迦如来」は後者。
  • 無言劇なのでマイムが用いられ、たとえば「私」は人差し指を下から上へあげて自分をさす。「おまえ」「行きましょう」なども見ればわかる。やりとりのきっかけには、呼び掛けようとするものが「どん」と踏む足拍子が用いられる。
  • ヤワラカモンのパターンは、旦那と供。ちょっと上の人を笑い飛ばすという筋が多い。

舞台上、囃子方が座る場所には左から後見、笛(九孔のもの)、太鼓(右手)と鉦(左手)がそれぞれの位置を占め、やがて賑やかな囃子に乗って三人の演者が肩を組んで幕から橋掛リに登場しました。一人は裃姿の寺侍、一人は坊主、そして間にはさまって運ばれている様子なのが釈迦の仏像です。いずれも面を掛け、白い頭巾のようなもので面以外の頭部を覆っているのが特徴的。一ノ松で見所に挨拶をした三人(?)は舞台に進み、坊主と寺侍が中央に片腕を上げて直立したポーズの釈迦を立たせて数珠を揉みながら祈り始めました。

すると今度は親子連れが登場。橋掛リの途中でしばらく立ち止まっていましたが、その様子に気付いた寺侍が二人を見に行って大仰に興奮した様子で戻ってくると坊主に「女だ!」。この「女だ」のマイムは、そのものずばり両胸に手を当てる所作で、見所に笑いが広がります。ちょっとしたドタバタがあってまず母親が舞台に進み、柄杓で釈迦に水を掛けてから着座して祈ると、釈迦がガッテンガッテンと大きく頷いてみせたので男二人はびっくり仰天。次にお多福な面の娘が舞台に進みましたが、娘が母と同じようにすると釈迦は首を横に振って体を180度反転させてしまいます。どうしたことかとそちら側に回り込んで同じように拝むと、またしても釈迦は反転。もう一度拝んでそっぽを向かれた(釈迦が見所に背中を見せている状態)ところで頭にきた娘は、柄杓で釈迦をぽかぽか叩き、慌てた男たちに送り返されます。

泣きながら戻ってきた娘を母が慰めている間に、男たちは後ろを向いたままの釈迦を元の向きに戻そうとするものの、釈迦は動いてくれません。ここで坊主が母に頼もう!と思い付き、寺侍が橋掛リの母のところへ助力を求めに行きました。これに応えて舞台にやってきた母が釈迦の向こう側に回って拝むと、釈迦は深くお辞儀をし、母と肩を組んで下がっていこうとします。慌てた男たちが止めようとしても止まらず、釈迦と母は揚幕へと消えてしまいました。釈迦がいなくなって狼狽した坊主は、とっさに腕を上げて釈迦の代わりを勤め始めました。釈迦が去ってしまったことに呆然としていた寺侍はしばらくしてこの偽釈迦に気付いてびっくり。しかしこれでも仕方ないと思ったのか寺侍が偽釈迦を拝むと、偽釈迦はいやいやをして後ろを向いてしまいました。先ほどと同じようにこのそっぽを向くパターンが二度繰り返され、柄杓で叩いても効果がないのでどうしたものかと腕を組んで思案した寺侍は、今度は二ノ松に独り残されている娘を呼びました。ところが、娘が拝むと偽釈迦はお辞儀をし、娘と肩を組んで行ってしまいます。

寺侍が困り切った様子で立つうちに、囃子方がテンポアップ。寺侍は左右を見回してから右手を上げた釈迦のポーズを作って舞台の中央に立ちましたが、もう誰もいないことに気付いて仕方なく橋掛リを下がっていきました。最後に鉦が大きく鳴らされて、ここで終曲です。

大念佛狂言は初めて見ましたが、鉦(カン)と太鼓(デン)がリズミカルで楽しく、ここに笛が加わった囃子に乗った演者のくねくねとデフォルメされた動きも面白いもので、一種人形劇のようなテイストも感じられて不思議な感覚でした。もっとも、今回はコミカルな要素を持つヤワラカモンだったのでこういう感想になるのですが、シリアスなカタモンを見たらまた印象が変わるのかもしれません。嵯峨大念佛狂言は春秋に公園が行われているそうですので、いつか機会を得て本来の場所で観てみたいものです。

百万

この日、ロビーでは16世紀に作られたという貴重な「百万絵巻」「百万絵本」が展示されていました。

次に、能楽研究者・天野文雄氏による「『百万』の原形と現形」と題した解説。そのあらましは次の通りです。

  • 観阿弥の「百万」=原形、世阿弥の「百万」=現形。両者には違いがある。
  • まず観阿弥の頃は「嵯峨の大念仏の女物狂いの物まね」または「嵯峨物狂」と呼ばれていた。このときのシテは女流の曲舞師であり、高名な芸能者であったのに、世阿弥の「百万」では子を探す一人の母親としてとらえられている。
  • 演出面でも、原形ではシテは曲舞車に乗って登場し、地獄之曲舞を舞っていたが、世阿弥は車をなくし、芸能者として芸を本尊に法楽として奉納する地獄之曲舞ではなく我が子との再会を釈迦如来に祈念するクセ舞に変えた。
  • 観阿弥時代を再現する「百万」上演は平成26年(2014年)に行われ、今日の演能はその再演。芸能者としての百万が前面に出てくれば成功である。

観世流「百萬」を観たのは六年前のことで、こちらは「現形・百万」だったわけですが、そのときのシテは今回の「原形・百万」再現を天野文雄氏・福王茂十郎師と共に監修し、今日の地頭でもある梅若実師(当時は玄祥師)でした。そのときと今回との違いを実感できるかどうかという興味を持ちながら、見所に入りました。

〔次第〕の囃子と共に子方(観世和歌さん)、ワキ(福王茂十郎師。里人ではなく僧)、ワキツレ三人が登場し、全員で〈次第〉竹馬にいざや法の道、真の友を尋ねん。ワキの重厚な〈名ノリ〉の中で子方に嵯峨野大念仏を拝ませようとしているところであることが語られ、ついでアイ/門前の者(高澤祐介師)に面白い見せ物はないかと尋ねると、アイは百万という面白い女物狂いがいるので念仏を唱えて呼び出すことにしようと言って、地謡と共に南無釈迦、南無釈迦の応酬を繰り返します。これを聞いて出てきたシテ(観世喜正師)は、烏帽子を戴き萌葱色の地に笹の文様の長絹、下には薄い紫の地に金の扇面文様の縫箔。面は曲見(河内作)。車の作リ物を左手で引いて一ノ松まで進むと、そこに車を置いて舞台に進みさわみささわみさと拍子をとり続けるアイの肩を笹で叩きあら悪の念仏の拍子や候と叱責して自ら音頭を取り始めます。

ここから「車之段」となり、美声朗々の南無阿弥陀仏の地謡との応酬の後に笹を手にしてシテが舞い始めますが、その詞章は、人を雨夜の月にたとえて罪ある身のままでも西方極楽浄土へ行くことを述べると共に、我が子恋しさの思いを車に積んで掛け声と共にその重荷を引く掛け声、そしてこれらのことに阿弥陀仏の加護を共に求めようと人々に呼び掛ける内容です。続く「笹之段」では、アイに命じて車を大小前に運ばせてこれに乗りながら、シテと地謡の掛合いの中に子を思う心の苦しさから笹を手に物狂う自分の姿を物見なり物見なりと群衆に示すシテの芸能者としての存在感が素晴らしいものでしたが、それでも最後に囃子を止めて南無や大聖釈迦如来、わが子に逢はせ狂気をも留め、安穏に守らせ給ひ候へと独りしみいるように祈る震え声には一人の母親の願いがこもるようでした。

百万が母であることに気付いた子方とワキとの会話、百万に素性を問うワキとシテとの対話に続いて法楽の舞を舞ふべきなりと語るシテの言葉を引き取って地謡が囃して賜べや人々よと謡うと、シテは笹を手に〔イロエ〕。ついで正先に出て笹を捧げ持ち膝を突くとこれを御幣のように振り、大小前の車に入って笹を扇に変えて、いよいよ「地獄之曲舞」となります。現行曲では、ここからの〈次第〉〈クリ・サシ・クセ〉は、憂き世の年月の中、二世を誓った夫と死別してはかない契りとなった上に西大寺で我が子とも生き別れ、このために奈良を出て足に任せて歩いていると嵯峨野の清凉寺に着いたというここまでの経緯を述べ、清凉寺の美しい景色と釈迦如来の尊像の有り難さをたたえながらも、最後にあらわが子恋しやと泣いて〔立回リ〕を舞うという悲壮な流れになっていて、一人の女性としての不幸がこれでもかというくらいに描写されて狂乱の度を高めていくという作意になっています。しかるに「地獄之曲舞」には、そうした要素は皆無。冒頭と掉尾に月の夕べの浮雲は、後の世の迷ひなるべしを置いて、この世の無常を謡う〈クリ〉では車上で短く舞い、一生はただ夢の如しと諦観を示す〈サシ〉で床几に掛かって地謡との見事な掛合いを聴かせたます。そして、長大な二段グセの前半は逃れがたい死とその先に待つ悪業ゆえの苦しみを述べ、後半では斬槌地獄、剣樹地獄などさまざまな地獄の凄惨な描写がこれでもかというくらいに続きます。ここには我が子を見失った母の悲しみは皆無で、プロの芸能者である百万による気迫のこもった法楽の舞が、シテの安定した中腰の姿勢から繰り出される強靭な足拍子や、はっと驚かされるほどのスピード感を伴う所作によってダイナミックに舞われていきました。これは凄い。まるで修羅能を観ているようです。

「地獄之曲舞」の迫力に圧倒されているうちに場面は進み、一ノ松に立つシテは舞を舞い終えて子を探す母の心を取り戻すと〈クドキ〉。シオリを見せつつこれほど多き人の中に、などやわが子のなきやらん。あらわが子恋しや、わが子賜べなうと母親の心になった百万が合掌すると、地謡を聴きながら二ノ松に子を探し、舞台に戻って常座にべったり座してシオリ。ここでワキがこれこそおことの尋ぬる子よと子方を引き合わせると、シテは「えっ?」といった風に子を見上げ、一度は下を向いて早く引き合わせてくれなかったことへの恨みを述べるものの、キリの詞章のうちに両手を広げて子方へ歩み寄り、左手を子方にかけてシオリ。その後親子で下居して合掌すると、シテは子方を車に乗せ、その右に立って常座で脇正面を向いて留拍子を踏みました。

観終わっての印象は、「なるほどこういうことだったのか」というもの。冒頭の解説にあった通り地獄之曲舞を舞っているときの百万は、子を探して物狂いに沈む母の悲劇性をいったん遠ざけて、清凉寺の境内に集う衆生の前で舞を奉納するプロの芸能者の力強さを漲らせており、そこにこの曲のオリジナル版が持っていた祝祭性のようなものが立ち上がってきたように思います。

一方、こうして見比べることでこの曲から地獄之曲舞を外した世阿弥の作意がよく理解できたことも収穫です。もともと原形「百万」にあった地獄之曲舞が「歌占」に移された話は知っていたのですが、そのことの意味を深く探ることはしていませんでしたので、この点でも今回の観能は良い機会となりました。

配役

嵯峨大念佛狂言 釈迦如来 嵯峨大念佛狂言保存会
観阿弥時代の能 百万 シテ/百万 観世喜正
子方/百万の子 観世和歌
ワキ/僧 福王茂十郎
ワキツレ/従僧 福王和幸
ワキツレ/従僧 福王知登
ワキツレ/従僧 村瀬提
アイ/門前の者 高澤祐介
杉信太朗
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 安福光雄
太鼓 林雄一郎
主後見 観世喜之
地頭 梅若実

あらすじ

釈迦如来

坊主と寺侍はお釈迦様を本堂に運び安置する。そこに母親と娘がお釈迦様を拝みにやってくるが、釈迦は母親がお参りすると喜ぶのに娘が参ると後ろを向いてしまい、とうとう母親と肩を組んで帰ってしまう。驚いた坊主はとっさに自分が釈迦になりすまし、今度は娘と肩を組んで帰ってしまう。残された寺侍は自分も釈迦の代わりとなるが、誰もお参りがないので仕方なく一人で帰る。

百万

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