塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

太陽の王子 ホルスの大冒険

2020/10/03

丸の内TOEIで『太陽の王子 ホルスの大冒険』を鑑賞。古参のアニメーションフリークならまず知らない者はいない、東映動画の名作です。6月上旬にも渋谷TOEIで上映されていたそうですがそちらは見逃していたので、丸の内での上映に気付けてラッキーでした。

本作が公開されたのは1968年で、私もさすがにこのときリアルタイムでは見ていないのですが、後にこの作品がカルト的な人気を誇るようになってから、『ぴあ』で上映会情報をチェックしては足を運んだものです。今回の上映は東映動画のアニメ作品を4Kデジタルリマスター化するプロジェクト「とーあに!これくしょん」の一環としてのリバイバル上映でしたが、まさかこのように映画館の大画面で『ホルス』を観られる日が来るとは思ってもいませんでした。

『ホルス』は高畑勲氏が監督し、場面設計や原画を宮崎駿氏が担当していることからも分かる通り、後のスタジオジブリの原点とも言える作品で、この2人にとってもとりわけ思い入れの深い作品であった模様です。よっていたるところに「これは後の『コナン』だ」「『ラピュタ』だ」「ここは『もののけ姫』だ」という場面が(『雪の女王』へのオマージュ(市原悦子さんの声も原語でのゲルダの声にそっくり)やアーサー王伝説(石に刺さった剣)・白土三平『ワタリ』(投げ斧)からの引用と共に)出てきますが、その骨太のストーリーはそれまでの東映動画の低学年向け漫画映画とは一線を画し、主題は端的に言ってしまえば「民衆の団結による苦難の克服」。労働運動盛んなりし頃の東映動画の状況が色濃く反映されている感じで、想定された観客層も「若者」までを含めたものだったそうですが、これに見合うプロモーションがなされなかったこともあって作り手の期待に沿った観客動員は実現できなかったようです。

ともあれ、脇役となる村人たちは善悪それぞれに個性的で群像劇の趣きがあり、労働歌と群舞の場面は輝きに満ちていますが、逆に主人公ホルスの人物造形は気の毒なくらい平板です。父親以外の人間と触れ合うことなく育った少年という設定なので無理からぬところではありますが、上記の主題を牽引するには力不足の感が否めません。これに対しヒロイン=ヒルダの陰影に富んだ性格描写は素晴らしく、むしろ、善と悪との間で揺れ動くヒルダの心情をとらえることの方に製作陣の精力の多くが注がれていることは明らか。終盤、ヒルダが雪狼の群に倒される痛切な場面と生き返ってホルスに迎えられたヒルダの泣き笑いの表情はこの作品の究極の見どころで、いっそ映画のタイトルを『悪魔の妹 ヒルダの死と再生』に変えてもいいくらいです。

ラストシーンで画面右下に出てくる「おわり」もノスタルジックな味わいです。本作の16年後に公開された『風の谷のナウシカ』を映画館で観たとき、やはりそのラストシーン(腐海の地下の浄化された砂の上に飛行帽)に「おわり」と描かれていたのを見て、これは東映動画の伝統を引き継いだものだなとうれしくなったものでした。

大画面で観るにふさわしい緻密な動画と明暗の対比が見事な色彩表現、ロシア民謡風の独特の音階に基づく美しい音楽など純粋にアニメーションとしての魅力にも満ちた作品ですが、あいにく丸の内TOEIでの上映は10月8日まで。ただしAmazon プライム・ビデオでも視聴可能なので、ジブリファンでまだ本作を観ていない人にはぜひ観てみていただきたいものです。

ところで、私の手元には以前入手した『ホルス』のスチル写真が数枚あるのですが、その中に本編の中には出てこない場面があるのがずっと気にかかっていました。それが、この丸木舟で湖を渡るヒルダとホルスです。

何らかの理由でカットされたシーンなのだろうということは漠然と想像していたのですが、具体的にそれがどこかということが、今回の鑑賞をきっかけに購入したサントラCD付属の曲目解説ではっきりしました。

このCDには未使用曲を含め「ヒルダの唄」のいくつかのバージョンが収録されているのですが、そのうちホルスがヒルダと初めて出会う場面で歌われる唄(みずうみわたる)の解説に次のように記述されています。

台本では、この後、村へ向かうため湖を丸木舟で渡るホルスたちの#38があり、そこでもヒルダが唄うというト書きがある。そのシーンのために録音されたのが<ヒルダの唄(2)T3>だが、シーン自体が削除されたため、これも未使用となっている。

そうだったのか!と思って手元の台本(第五稿?)を改めて読んでみると確かに、ホルスがヒルダを村へと連れ帰る道行が「#37 林」「#38 湖」「#39 丘」「#40 村の柵」と続いていました。しかし、完成版ではこれらがごっそりカットされて「#36 廃屋」からいきなり「#41 村長家」に切り替わっています。

上掲のスチル写真はこれらのうち「#38 湖」に対応するものに違いありませんが、ここでのホルスは湖を渡りながら唄うヒルダを見守って笑顔を見せたり、丘の上からヒルダに村を見せてごらん、あれがきみの村になるんだと高揚したりと幸福感満載です。さらにシナリオを遡るとヒルダとの出会いの前の部分にもカットされたシーンがあって、その「#35 廃墟の村」では不気味な廃村の様子に緊張したホルスが物音に驚いて吐息をつく場面があり、怖いもの知らずと思われたホルスも当初はそれほど単純ではなかったことがわかります。

ちなみに絵コンテの方には完成版同様に#37から#40までが含まれていないのに対し#35のおどろおどろしい情景はしっかり描きこまれていますが、そこも手元の台本通りではない(ホルスに緊張している様子が見られない)などのことから、シナリオの簡略化が段階的に進められ、それと共にホルスの性格も徐々に「平板」なものになっていったことが窺われます。可哀そうなホルス……とヒルダが同情するのもむべなるかな。

そしてこれら一連の変更については、サントラと共に入手した高畑勲氏による『「ホルス」の映像表現』にさらに詳細な記述がありました。これによると、スケジュールや予算の都合からいくつもの場面のカットを余儀なくされる中で、ヒルダを村へ連れ帰るシーン(とりわけ#38)もみずうみわたるごと省略されることになったのですが、しかし、

ホルスがヒルダに魅了されるそのシーンこそ、出会いのシーンとともに最後までヒルダを信じ、自分の敵(悪魔の妹)だとは疑ってもみないホルスのヒルダに対する気持ちのみなもとをなすはずでした。

このように重要な意味を持つシーンを無下に削除することはできないため高畑勲氏は、

たとえシーンを捨てても唄だけはのこし、しかもホルスが魅了されてしまう感じを出す方法はないだろうか。

と考えた結果、上記#35のサスペンスめいた扱いをやめてみずうみわたるをこちらに移し、ホルスが(観客と共に)この魅惑の唄に誘われて廃村をさまよいヒルダのもとへと導かれる演出にしたのだそうです。

こんな具合に、今回のリバイバル上映をきっかけに各種資料を読み返したり新たに入手していくつもの気付きが得られるなど、丸の内TOEIに足を運んだことの御利益は極めて大きいものでした。

それにしても思うのは、もしこの作品が各種制約から解き放たれて高畑勲氏の思う通りに制作できていたらどうなっていたかということです。「会社はきみたちにプレハブを作ってくれといっているのに、きみたちがやろうとしているのは頑丈な鉄筋コンクリートだ」と批判され、脚本の内容を十全に盛り込むには足りない80分前後に上映時間を収めなければならず(完成版は82分)、予算と時間の制約から部分的に静止画も使わざるを得なかった本作は、同氏の理想型とはほど遠い形だったはず。しかし、高畑勲氏が描きたくても描けなかったシーンを追加した『完全版ホルス』を作ることは、現代のAIとCGの技術を組み合わせれば必ずしも不可能ではないように思えます。さらに言えば、そうした作品の製作費を募る手段も完成物の収益化のチャネルも現在では多様化しており、商業ベースに乗せることすらあながちできないことではないかもしれません。

ただ、そうして制作した『完全版ホルス』の公開にGOを出せるのは高畑勲氏をおいて他になく、同氏は既に鬼籍に入っているのですから、これは所詮かなわぬ夢でしかありません。よってホルスファンにできることと言えば、残されている台本や絵コンテをもとに、自分の心の中で失われたシーンを再構築することくらいだろうと思われます。

なお『太陽の王子 ホルスの大冒険』はその内容のゆえに子供たちに受け入れられず興行的に失敗に終わった、と巷間に言われてきましたが、この点に関して『東映動画史論経営と創造の底流』の著者・木村智哉氏は、当時の興行成績のデータをもとに次のように分析しています(以下同書p.176-177から)。

  • 『ホルス』を含む1968年夏の「東映まんがパレード」の動員数11日間16万人は、前2年の夏興行14日間19万人・9日間14万6000人と比べて極度に少ないとは言えない。
  • ただし前2年の夏興行は中程度の予算規模で制作された作品中心のプログラムであるので、『ホルス』と同様の本格長編を含む前2年の春興行との比較を行うと「東映まんがパレード」の動員数はそれらの三分の二となり、この見方からすれば不振と考えられる。
  • しかし当時、春休みの動員数は夏休みのそれより多くなることが常態であり、この「不振」は作品内容による結果とは言えない。
  • そもそも、映画館に入場してみなければ分からない長編の内容を、プログラム全体の興行成績と直結させて考えることには無理がある。

とはいえ、長編1本の東映動画の受注額が通常7〜8000万円であるのに対し『ホルス』は製作費1億3000万円を費やしたと言われており、収支という点では大赤字だったことは間違いないようです。