塾長の鑑賞記録

川合玉堂-山﨑種二が愛した日本画の巨匠-

2021/02/27

山種美術館で、同館開館55周年記念特別展「川合玉堂-山﨑種二が愛した日本画の巨匠-」。

川合玉堂の名前は東京周辺のボルダラーにはお馴染みで、御岳渓谷でのボルダリングのついでに玉堂美術館に足を向けた人も多いはずです。もちろん自分も御岳ボルダーの後に玉堂美術館を訪問したことがありますが、そのときの経験から自分の中では、玉堂の絵は素朴で穏やかな風景画というイメージを持ち続けていました。

ポスターやフライヤーに採られているこの《山雨一過》(1943年)も一見長閑な題材の絵ですが、じっと見ているうちにちょっと印象が変わってきます。無駄のない構図の中に細かく描きこまれた草木の配置や、ちぎれ雲と峠の向こうの低い位置に連なる山の端の表現などは、緻密に計算されたもののよう。右端の崖の暗さや中央の樹木の緑の濃淡から画面の右の見えないところにある光源の存在を感じさせるところも、いわゆる「日本画」の表現を超えています。

館内で撮影可能だったのは右の《春風春水》(1940年)と左の《春渓遊猿》(1940年頃)の二点で、《山雨一過》のほんの数年前の作品ですが、これらを見ると初期に学んだ狩野派の伝統に近い様式美の山水が特徴的です。

かたやこちらの《石楠花》(1930年)を見ると、はっきりと印象が変わります。崖の岩こそ上の二点のような様式的表現が採用されていますが、手前の石楠花の花や枝振り、そして遠景の残雪の山の姿は、登山者目線で見ても極めて写実的です。面白いのは撮影可能だった上の二点よりもこの絵の方が制作年は古いことで、玉堂が様式と写実との間を自在に行き来しながら画風を発展させていたことがわかります。このあたりの経緯をフライヤーの解説は京都で学んだ円山四条派の基礎の上に、狩野派の様式を取り入れ、伝統的な山水画から近代的な風景画の世界へと画風を展開した、と説明していました。

ほかにもこの《朝晴》(1946年)や《高原入冬》(1948年)《残照》(1952年)、さらに《高原帰駄》(1955年頃)に描かれる山の姿に強く惹きつけられましたが、気がついてみるとこれらの絵には例外なく点景として馬を引く人の姿があります。あたかも画面の手前にいる玉堂自身と絵の中の遠景の山とが、これら働く人馬に対して一緒に温かい眼差しを注いでいるように感じました。

なお、本展覧会のサブタイトルにもあるように山種美術館の創立者である山﨑種二は戦時中に奥多摩に疎開・移住した川合玉堂を経済的にも支援し、その結果として生まれた71点もの玉堂コレクションのほとんどがこの日展示されていましたが、ほかに川合玉堂から山﨑種二に送られた礼状や色紙も展示されており、そこでは玉堂の見事な筆跡の書を見ることができました。

このように、お天気に恵まれた土曜日の半日を充てるにふさわしい、とても充実した内容の展覧会でした。