五条橋 / 伽羅先代萩

2021/02/20

先週の「冥途の飛脚」に引き続き国立劇場小劇場にて文楽「五条橋」「伽羅先代萩」。

真っ青な空の下、太宰府天満宮から寄贈を受けたという梅(紅梅:小田紅 / 白梅:貫山白)が見頃を迎えている前庭をちょっと散策。暦の通り、もう春です。チケットを発券して小劇場に入ると、三番叟の踊りがちょうど終わったところでした。

五条橋

時代物「鬼一法眼三略巻」の五段目、弁慶と牛若丸の出会いを描きます。牛若丸は五条橋で夜毎通行人に切りかかっては相手の強さを試し、家来に相応しい者を探している。そこへ噂を聞いてやってきた武蔵坊弁慶との斬り合いになるが、身軽な牛若丸にかなわず降参した弁慶は、牛若丸の正体を聞いてその家来となる、というよく知られた話。能の「橋弁慶」とよく似ていますが、「橋弁慶」の牛若丸は単に血に飢えた若武者(!)であるのに対しこちらの牛若丸はもちろん平家打倒の大望を持っての辻斬りである点が根本的に違います。

どろどろと太鼓の効果音が鳴る中、定式幕が引かれるとそこは暗い五条橋のたもと。上手側には橋があり、下手側はおそらく鴨川右岸ですが建物はなく、柳らしき木が一本立っているだけで、対岸の東山の遠さからすると鴨川は相当な大河に描かれています(笑)。

そこへ下手から現れた牛若丸の出立は詞章の中に詳述されていますが、紅の小袖の上に薄緑の袖なし、ピンクの薄衣を被き傘をさしています。今宵の相手を待ち伏せしようと橋板とゞろと踏み鳴らして牛若丸が橋の向こうに消えたところに、詞章に合わせて満月が光りだすうちに今度は弁慶登場。以下、弁慶が待ち受けるところへ牛若丸が橋を渡って近づき、相手が女だと思ってこれを避けた弁慶の薙刀の柄をすれ違いざまに牛若丸が蹴上げて挑発したところから、二人の斬り合いが始まります。しかしここはお約束、牛若丸は手にした傘で弁慶の薙刀を翻弄し、欄干の上に立って余裕の扇ひらひら、さらには薙刀の峰に飛び乗って弁慶の動きを止め、扇で弁慶を打擲して降参させてしまいます。

最後は牛若丸の名乗りに弁慶が家来となることを申し出て、仁王立ちした弁慶の左腕の上に軽やかに立つ牛若丸が扇を開いて見得となって幕。

この段だけなら20分ほどの小品で、ストーリーもよく知られたものなので理屈抜きで楽しく観られますが、能楽ファンとしては詞章の中の「橋弁慶」との異同が気になるところ。能「橋弁慶」は16世紀の記録に初見、文楽「鬼一法眼三略巻」は18世紀に初演されていますから後者が前者を引用しているはずで、いくつかの場面をピックアップして比較するとこんな感じです。

場面 橋弁慶(能) 五条橋(文楽)
橋を渡る牛若丸 五条の橋の橋板を、とゞろとゞろと踏み鳴らし、音も静かに更くる夜に、通る人をぞ待ち居たる 傘のしぶきも高足駄、橋板とゞろと踏み鳴らし、行き交ふ人を待ち給ふ、御有り様ぞ、不敵なる
弁慶の出立 着たる鎧は黒革の、をどしにをどせる大鎧、草摺長に着なしつゝ、もとより好む大薙刀 出で立つ鎧は黒革縅、好むところの道具には、熊手、薙鎌、鉄の棒、さい槌、鋸、鉞、さす股、さすまゝに、権現より賜つたる大薙刀【七つ道具】
曲者を待つ弁慶 いかなる天魔鬼神なりとも、面を向くべきやうあらじと、我が身ながらも物頼もしうて、手に立つ敵の恋しさよ いかなる天魔鬼神なりとも、面を向くべきやうあらじと我が身ながらも物頼もしく「手に立つ者のアゝ欲しや」
挑発に怒る弁慶 行き違ひざまに薙刀の、柄元をはつしと蹴上ぐれば「すはしれ者よもの見せんと」 違ひ様に薙刀の、柄をはつしと蹴上ぐれば「スハ痴れ者よ、もの見せん」
翻弄される弁慶 さしもの弁慶合はせ兼ねて、橋桁を二三間しさつて、肝をぞ消したりける……千々に戦ふ大薙刀、打ち落されて力なく、組まんと寄れば切り払ふ、すがらんとするも便なし。せん方なくて弁慶は、希代なる少人かなとて呆れはててぞ立つたりける 弁慶秘術を尽くせども、つひに薙刀打ち落とされ、組まんとすれば切り払う、縋らんとするも便りなく、詮方尽きて橋桁を二三桁飛び退り、呆れ果てゝ立つたりける
主従の誓い 「今は何をか包むべき、我は源牛若」「義朝の御子か」「さて汝は」「西塔の武蔵、弁慶なり……粗忽にや思しめすらんさりながら、これ又三世の奇縁の始。今より後は、主従ぞ」 「ホゝ我こそは、源牛若丸」「したり、道理で大抵の人でないと思うた。今より後はご家来、コレ可愛がつてくださんせ」【妙にくだけた物言い。衆道?】

こんな具合に、引用するところはかなり忠実に引用しつつ、誇張(七つ道具)や口調の変更(主従の誓い)も織り込んで主従三世の縁の綱、約束長き五条の橋、橋弁慶と末の世に、語り伝へて絵にも描き、祇園祭の山鉾にも祝ひ飾るぞめでたけれ

伽羅先代萩

この日の公演は「鶴澤清治文化功労者顕彰記念」とサブタイトルが付されている通り、昭和51年(1976年)から平成元年(1989年)まで竹本越路太夫を弾き平成19年(2007年)には重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定されている鶴澤清治師が三味線弾きとしては初めて文化功労者(令和二年度)として顕彰されたことを記念するもの。この「伽羅先代萩」御殿の段の前で、清治師は呂勢太夫と共に登場します。そのため先週「冥途の飛脚」を観た後でこの公演のチケットを国立劇場のサイトからとったときには売れ残っていた最後の一席だったのですが、実際の場内の入り具合は六分程度。これはどういうことなのか?

「伽羅先代萩」はその名(先代=仙台)からわかる通り、寛文年間(17世紀後半)のいわゆる伊達騒動を題材とした作品。遊蕩の咎めを受けて三代目藩主(伊達政宗の孫)が隠居を命じられ、跡を継いだ幼君の周囲に毒殺未遂事件や刃傷事件が起きて幕府の干渉を招いた御家騒動で、伊達藩取潰しを画策する幕府の陰謀という見方から書かれた山本周五郎の「樅の木は残った」も有名ですが、こちらは先行する歌舞伎作品を改作して天明五年(1785年)に人形浄瑠璃として成立したもので、時代物のお約束の通り設定を史実から変えており、歌舞伎では室町時代、本作では鎌倉時代の話としています。

なお、歌舞伎の方はこれまで玉三郎丈藤十郎丈の政岡で観ていますが、それぞれに味わいが違って面白かった記憶があり、それが人形浄瑠璃ではどうなるのかというのも自分なりの見どころでした。

竹の間の段

舞台上の装置はシンプルな構造の御殿の座敷で、正面奥の襖には竹の襖絵。野澤錦糸師の三味線がダークな声色の豊竹靖太夫を支えます。ほんの数行の詞章で語られる状況説明は、御家横領の企みあって隠居させられた父の跡を継いだ幼君鶴喜代を守るべく、乳人政岡は病気と偽って男の面会を断っているところ。そこへ信夫の庄司の妻・沖の井と渡会銀兵衛(悪い奴)の妻・八汐が今日こそは対面させてもらおうとやってきます。

舞台上に鶴喜代君、政岡(吉田和夫師)、その子・千松が並んだところで沖の井が持参した膳を腰元に運ばせ、膳の上の布をとるとそこにはちゃんと塗りのお椀の数々。そんならもう飯を食べても大事ないかとうれしそうな鶴喜代君をきっと睨む政岡の目力が客席から見ても凄く、鶴喜代君は慌ててイヤ欲しうない(かわいそうに……)。それなら医師に見せるべきと詰め寄る八汐が連れてきたのは典薬大場道益の妻・小巻で、女性であるために拒めない政岡が油断なく見守る中、幼君の脈をとった小巻はこれは死脈!しかし一段下(舟)へ降りてもう一度脈を探ると大事なし。ここで八汐が背後の壁に掛けられている長刀をとって鞘を払い天井を突く(この一連の動作が流れるよう)と忍が姿を現しました。ただちに赤紐で縛り上げられた忍は八汐が長刀を後ろ手に差し込んでぐりぐりするのにたまらず、ボヤキ声で政岡の指示により鶴喜代君を狙ったと白状。もちろんこれは八汐が描いた企みですが、この辺りから八汐のある種胸がすくほどの悪女ぶりが際立ってきます。憤って忍びに迫る政岡を押しとどめてさうはさせぬ。アノマア猛々しい顔わいのと靖太夫も吉田玉志師も極悪の表情を見せると、主君調伏を願書を証拠と称して政岡を追い詰めヲホホホホ天命は怖ろしいものぢやなアハハハハと高笑い。しかし、そこへ割って入った幼君が八汐の手を扇で打擲したのには一瞬たじろぎ、猫撫で声で政岡を牢へ入れましょうと言えばヲヲおれも一緒に行かうぞよと思わぬ反撃をくらって、八汐はイライラ、客席からは笑い声。幼いとは言え君主でもある鶴喜代君は、次の「御殿」でも政岡を気遣う気高さを示します(これがあるから政岡の忠義も納得できるのですが、後で支払うことになるその代償はやはり大きい)。

さらに沖の井から政岡殿には科はないと言われた八汐があの曲者が確かな証拠だと言うと忍も縛られたままうんうんとうなずきましたが、天井の板1、2枚の隙から飛び降りるのも不自然だし、願書にわざわざ自分の名前を書くはずもないと沖の井に看破されて口ごもった八汐。沖の井が政岡に声を掛けている間胸元でパタパタさせていた扇をくそっ!とばかりに懐にしまうと、政岡と目で火花を散らせてから八汐は一同諸共にその場から下がりました。

御殿の段

竹の間の屋台が吊り上げられて背後から鶴喜代君の居室のセット(前庭には一本の篠竹)が前へ迫り出し、盆の上には豊竹呂勢太夫と鶴澤清治師。黒衣が「と〜ざ〜い」と御両人を紹介すると大きな拍手が沸き上がりました。

沖の井と八汐との対面を終えて政岡・千松とのいわば水入らずになったところで鶴喜代君の口から出るのは、ひもじいとは言わないがそれでも空腹になつたわやい。これに対し、沖の井が持ってきた膳には疑いはないものの油断のならない時節ゆえ、もし毒(ここではっと扇を開き、口を隠し声を落として)、毒薬の企みもありうるので心は許せないと懇々と説明する政岡。かたや千松は何とも言わずに辛抱するのはえらいと政岡が褒めると、千松も強がりを言いながらも忠義をしてしまうたら早う飯を食はしてやそれまではお腹がすいても、ひもじうないと子供らしい健気さを見せて客席の涙を誘います。

ここからいわゆる「飯まま炊き」の場面です。黒い打掛を脱いで赤い内着姿になった政岡が入った上手の一室には黒塗りの台子。詞章には側に飾る黒棚より取り出す錦の袋物、風炉にかけたる茶飯釜の、湯の試みを千松に飲ます茶碗も楽ならで、お末が業を信楽や、いつ水指を炊き桶、流す涙の水零し、心も清き洗ひ米、釜に移して風炉の炭、直して煽ぐ扇さへ骨も砕くる思ひなりと事細かに描写されていますが、この語りに乗って飯炊きの手順が意外にてきぱきと進むのは歌舞伎の(とりわけ玉三郎丈の)行き方とずいぶん違うものだなと感じました。

親雀が来る時分なので籠の小雀を前に出すよう政岡が命じると、空腹の千松はふらふら。黒衣が遣う親雀もやってきて、雀のチュンチュンという声が鳴る中で「忠」に縛られる千松と子供ながらに藩主として振舞わなければならない鶴喜代君は親雀に餌を運んでもらえる小雀を羨み乳母、まだ飯はできぬかや母様、飯はまだかいのと我慢しきれなくなったものの、まずは鶴喜代君のために唄を歌えと叱られた千松は泣き声、かたや鶴喜代君はそこへやってきて沖の井の膳の食事を食べさせてもらう狆を見ておりや、あの狆になりたい、雀や犬を羨まなければならない二人の境遇に政岡も忍び泣き。これでもかと続く三人のやりとりが重くて聴いていてつらい、早いところ食べさせてあげればいいのにと思う客席はもはや太夫の術中ですが、やっと飯が炊き上がって二人の子供が行儀良く箸で握り飯を食べているところへ梶原景時の奥方・栄御前がやってきて、舞台は「後」すなわち「政岡忠義」へと移ります。その前に政岡は千松に対し常々母が言ひしこと、必ず必ず忘れまいぞや

盆が回って竹本錣太夫・鶴澤藤蔵師。正面奥の襖が開いてぱっと奥行きが広がり、下手から朱の袴を履いた栄御前(史実の酒井雅楽頭に通じる名前)登場。栄御前が頼朝公から下された菓子を持ってきたと告げると、八汐がこれを引き取って鶴喜代君に勧めました。うれしそうな鶴喜代君に政岡がご病気の御身なればお毒になつたら何となさると引き止め、このの言葉に栄御前も八汐もギクッ!としていましたが、さすがに頼朝公からの下され物とあって政岡も断りきれず押し込まれそうになったところへ、奥から勢いよく走り込んだ千松が八汐を押しのけその菓子欲しいと一口食べて苦しみ始めます。政岡の常々母が言ひしこととは空腹を我慢していた千松が語った食べる時には毒でも何とも思はず、お主のためには食ふものぢやという教えでした。とっさに八汐は千松を引き倒して懐剣を突き立て、一方の政岡は鶴喜代君を守って上手の部屋に押し込みましたが、ここでの八汐のヤア何をざわざわ騒ぐことはないわいのという台詞がとりわけ憎々しくぞっとします。頼朝公からいただいた菓子を踏み破った千松に手をかけたのは御家のためと強弁し可哀さうに可哀さうに痛いかいなう。他人のわしさへ涙が零れるという言葉とは裏腹にうれしそうに千松を嬲るものの、意外にも政岡が動揺する様子を見せないためにこれでもかとさらにぐりぐり(千松びくびく)、そして懐剣で千松をぺしぺしと叩くとその目先でぐるぐる回し、ついにとどめを刺して懐紙で血を拭いて懐剣をしまうという非道極まりない一連の振舞いに、八汐を遣う吉田玉志師の人間性をつい疑ってしまいました。

政岡は取替え子をしているのだと思い込んだ栄御前が八汐と沖の井を下がらせ、政岡に企みを打ち明けて引き揚げていった後に独り残された政岡は辺りを見回し、近くに誰もいないことを確かめると母の心に戻って千松の遺骸を抱き上げての愁嘆場。コレ千松よう死んでくれた、出かしやつた出かしやつたが胸に刺さります。鶴喜代君を毒害から守り通したことをほめ、非業の嬲り殺しにあったことを嘆き、子供に毒と見たら試みて死ねという自分を責め、そして死ぬるを忠義と言ふことはいつの世からの習はしぞ。この膨大な詞章からなるクドキの場面、太夫の語りはもとより三味線までも本当に泣いているように聞こえましたが、舞台上の政岡の動きも意外に大きく舞台上を右に左にと廻りながら全身で悲しみを表現しており、吉田和夫師と左遣い・足遣いとの息の合い方に文字通り息を呑みました。

この嘆きを聞いた八汐が政岡を殺そうと現れたところへ沖の井と小巻も登場して八汐の悪巧みの証拠を示し、今はこれまでと切りかかった八汐を政岡が返り討ちにするところへ沖の井が千松の骸に剣を持たせて一緒に突かせ(!)て仇を討ち、最後は長刀を構えた政岡と沖の井に鶴喜代君と小巻を加えた四人での見得となって竹に雀の羽をのして栄うる御代こそめでたけれ(竹に雀は伊達家の常紋「仙台笹」)と終わりました。2時間にわたりひたすら政岡と子供たちの我慢の姿が展開した後の見事なまでのカタストロフィ。それと言うのも「竹の間の段」での八汐の悪女ぶりが際立っていたからで、江戸時代の観客も現代の観客も、これで一気に溜飲を下げて劇場を後にできたことでしょう。

それにしても江戸時代は、庶民も武家も生きにくい。かたや義理、かたや忠義。どこまでがんじがらめなのかと思いますが、そのしがらみの中でもがき苦悩する主人公に感情移入させて観客に涙を絞らせるのが文楽の眼目なので、これは致し方ありません。能楽のように、他者ではなく自分の運命と向き合い、これに勝てずに成仏できず魂魄となって救いを求める運命論的な人のありようの方が自分には素直に受け止められるのですが、江戸時代に負けず劣らず生きにくくなっている今の時代には、文楽もまたマッチしているような気がしてきました。

配役

五条橋 牛若丸 豊竹咲寿太夫
弁慶 竹本津國太夫
  竹本碩太夫
竹本文字栄太夫
鶴澤清志郎
鶴澤寛太郎
鶴澤清公
鶴澤清方
〈人形役割〉
牛若丸 吉田玉勢
弁慶 吉田文哉
伽羅先代萩 竹の間の段 豊竹靖太夫
野澤錦糸
御殿の段 豊竹呂勢太夫
鶴澤清治
竹本錣太夫
鶴澤藤蔵
〈人形役割〉
八汐 吉田玉志
沖の井 吉田一輔
鶴喜代君 桐竹勘次郎
千松 吉田蓑太郎
乳人政岡 吉田和夫
小巻 吉田蓑紫郎
忍び 吉田玉征
栄御前 吉田蓑二郎
腰元 大ぜい
 
囃子 望月太明藏社中

あらすじ

五条橋

牛若丸は平家打倒と源氏再興のため、五条橋で通行人に切りかかっては相手の強さを試し、家来に相応しい者を探している。五条橋に曲者が出るという噂を聞き、武具を揃えて退治にやってきた武蔵坊弁慶も、箸の上を身軽に動き回る牛若丸にはかなわず、ついに降参して牛若丸の家来となる。

伽羅先代萩

傾城に溺れ隠居させられた伊達義綱の跡を継いだ鶴喜代の乳母・政岡は、幼君を家中の逆臣方から守るため、男体を忌む病気と称して男を近づけさせず、食事を自分で作り、鶴喜代と同年代の我が子・千松とともに身辺を守っている。その御殿に渡会銀兵衛の妻・八汐と信夫庄司為村の妻・沖の井が見舞いに訪れる。鶴喜代殺害をもくろむ八汐は、女医者・小巻や忍びの者とはからって政岡に鶴喜代暗殺計画の濡れ衣を着せようとするが、沖の井の抗弁によって退けられる。

一連の騒動で食事ができなかった鶴喜代と千松は腹をすかせ、政岡は茶道具を使って飯焚きを始める。主従三人のやりとりのうちにやがて飯は炊けるが、食事のさなかに逆臣方に加担する梶原平三景時の妻・栄御前が源頼朝公より下されたという菓子を持って現れ、八汐はこれを鶴喜代に勧める。すると駆け込んで来た千松が菓子を手づかみで食べ、毒にあたって苦しむ。毒害の発覚を恐れた八汐は千松を懐剣で刺し殺すが、政岡は表情を変えずに鶴喜代を守護し、その様子を見た栄御前は鶴喜代・千松が取り替え子であると思い込んで政岡に自分たちの陰謀を打ち明け立ち去る。栄御前を見送った後、母親に返った政岡は、常々教えていた毒見の役を果たした千松を褒めつつ、不憫を嘆いてその遺骸を抱きしめる。その様子を窺い政岡の本心を知った八汐の元に沖の井が現れ、御家乗っ取りの企みを白状せよと迫る。追い詰められた八汐は政岡に切りかかるが、ついに政岡が我が子の仇を討つ。