平家女護島 / 釣女
2022/02/13
国立劇場(隼町)小劇場で、文楽「平家女護島鬼界が島の段」「釣女」。
鹿ヶ谷の陰謀が露見して鬼界が島に流された俊寛僧都の悲劇は『平家物語』に描かれて有名ですが、これを典拠にした謡曲が「俊寛」(喜多流では「鬼界島」)で、さらにこの謡曲を踏まえつつ近松門左衛門が人形浄瑠璃として物語を膨らませたのが全五段の時代物「平家女護島」です。その後この作品は歌舞伎にも移植されましたが、通し狂言として演じられる機会は少なく(国立劇場2018年10月公演で故・吉右衛門丈により通し上演されたのが23年ぶり)、二段目切「鬼界が島の段」を「俊寛」として単独上演するのが通常です。
今回の観劇は、初めて観る文楽「鬼界が島の段」の歌舞伎「俊寛」との見比べに眼目がありました。
しかし御多分に洩れず、この2月公演も出演者に新型コロナウイルス感染症の陽性が出たために初日が日延べされ、なんとこの日(2月13日)が初日となりました。
その影響かどうかはわからないのですが、客席には閑古鳥が鳴いており、ざっと見渡したところ座席の埋まり具合は三割程度といったところです。悲しい……。
平家女護島鬼界が島の段
語りは今年4月に切場語りへの昇格が決まった豊竹呂太夫、三味線は鶴澤清介師。上記の通り移植の流れは能→文楽→歌舞伎の順で、このうち文楽と歌舞伎はほぼ同じ筋書きに基づく兄弟作品ということになるかと思いますが、当然そこには生身の俳優である歌舞伎役者による工夫の数々がこめられているはず。実際に観てきた舞台は仁左衛門丈・猿之助丈・幸四郎丈・吉右衛門丈・幸四郎丈・吉右衛門丈・幸四郎丈。こんな具合にそこそこの回数を観ているので、歌舞伎と文楽の演出面の違いに着目したいところですが、最後に歌舞伎座で「俊寛」を観たのが12年前(=歌舞伎座建替前)である上に、歌舞伎は演者によってそれぞれの型があるのでそういう訳にもいきません。とりあえずここではストーリーを追うことはせず、将来に向けた備忘として記録にとどめておこうと思うところをいくつかピックアップして記すにとどめることにします。
- 舞台上には杣家なく、下手に蔓草を控えめに這わせた岩山がある以外は基本的にフラット。謡がかりの語りが
この島の鳥、獣も、鳴くは我を問ふやらん
と謡ったところで上手から俊寛僧都(頭は丞相)が登場。歌舞伎ではこの「出」をどこからとするかについていろいろ考え方がある模様。 - 丹波少将成経が千鳥との馴れ初めを語る台詞は海人の生業に喩えて濡れごとを艶っぽく描写しており聞いていて恥ずかしくなりますが、歌舞伎にも同じ語りはあったかな?
- これを聞いた俊寛僧都が語る面白うて哀れで伊達で殊勝で可愛い恋という台詞は、歌舞伎では相好を崩した俊寛がたっぷり間をとりながら語っていたと思いますが、こちらはそこまで情をこめずにさらりと。
- 萌葱の着付、仕事柄裾をからげるので女方の人形には珍しく足が吊られている千鳥が繰り返す「りんによぎやつてくれめせりんにょぎゃってくれめせ」は「可愛がってください」という意味の薩摩弁(蜑訛り)。
- 瀬尾太郎が読み上げる赦免状に自分の名がないことに周章した俊寛は赦免状を受け取って表裏を確認、ついに地面に叩きつけて両手をつき号泣。
- 瀬尾は歌舞伎では憎々しさ100%で「慈悲も情けも身共は知らぬ」と嘯いたため、俊寛に切られたときに丹左衛門基康の助けが得られないと知った瀬尾が狼狽すると客席は溜飲が下がるという損な役回りですが、この日の瀬尾はそこまで性根が曲がった感じではなく、職務に忠実で融通がきかないために思いやりに欠ける人物という感じ(「慈悲も……」の台詞もない)。俊寛の妻・東屋が落命したことを俊寛に告げるのも底意地の悪さのためというより思い通りに仕事が進まないことで苛立ち言わずもがなのことを口にしたという印象です。
武士は、ものの哀れ知ると言ふは偽りよ、嘘言よ。鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや
という有名な千鳥のクドキは、豊竹呂太夫の見事な聴かせどころ。- 俊寛が隙を見て瀬尾の腰の刀を抜き取り切り付ける場面は、故・吉右衛門丈は島暮らしで衰弱した俊寛には大刀は振り回せないからと小刀を使っており、この日のプログラムの解説でも初代吉田玉男も俊寛は刀扱いに慣れぬはずとやはり脇差を抜いていたと書かれていましたが、ここでは詞章の通り俊寛は瀬尾の大刀を抜いて袈裟掛けに斬り、瀬尾は
差添抜いて
立ち向かっていました。斬り付けられた瀬尾が上衣を脱ぐと着付の肩には血の色が滲み、髪もざんばらにさせられます。 - 丹左衛門の制止を振り切って瀬尾に止めをさす場面、詞章に
三刀四刀、肉しし斬る引き斬る、首押し斬つて
とある通り俊寛は鋸引きに瀬尾の首を斬り、瀬尾の人形が下げられると同時に首だけが下から渡されてこれを掲げると、ぽいと投げ捨てます。このスプラッターな描写には私の後ろの席から「うわー」の声。 - クライマックスの
思ひ切つても凡夫心
のところで艫綱に縋り付く所作はなく(ということは歌舞伎での艫綱は能から持ち込んだもの?)、赦免船が上手に消えると俊寛もその後を追うように上手に入り、入れ替わりに下手からてっぺんに松を生やした「岸の高見」が出てきて中央に据えられます。周囲は浪布に覆われて絶海の孤島感が強調され、岩の上に立った俊寛の姿が岩ごと正面を向いて幕となりますが、この最後の場面で松の枝は折れず、俊寛も抜け殻にはならず、わなわなと震える腕を客席(赦免船)に向けて差し伸ばした姿で幕の向こう側に消えていきます。今回、自分の中の「俊寛」と最も印象が違ったのが、この最後の俊寛の姿でした。
釣女
狂言「釣針」をもとにした常磐津「釣女」(明治16年初演)が典拠とのこと。理屈抜きに楽しい嫁取り物の狂言で、松羽目の舞台には下手に揚幕と橋掛リの勾欄があり、詞章も狂言がかりの自分には馴染みやすいものですが、そのところどころに賑やかな舞踊やくだけた上方言葉が織り込まれて笑いを誘います。ドタバタの最後は、美女を引ったくって揚幕に逃げた太郎冠者を追ってまず大名がここな横着者、やるまいぞやるまいぞ
と下り、一人残された醜女もエエイ腹の立つ腹の立つ、喰ひ裂いてやろ喰ひ裂いてやろ
と恐ろしく物騒なことを喚きながら足遣いに背負われて両足をバタ足のようにしてみせるうちに幕となりました。
配役
平家女護島鬼界が島の段 | : | 豊竹呂太夫 | ||
: | 鶴澤清介 | |||
〈人形役割〉 | ||||
俊寛僧都 | : | 吉田玉男 | ||
平判官康頼 | : | 吉田玉翔 | ||
丹波少将成経 | : | 吉田文哉 | ||
蜑千鳥 | : | 吉田勘彌 | ||
瀬尾太郎兼康 | : | 吉田玉志 | ||
丹左衛門基康 | : | 吉田蓑紫郎 | ||
雑色 | : | 大ぜい | ||
釣女 | 太郎冠者 | : | 豊竹芳穂太夫 | |
大名 | : | 竹本小住太夫 | ||
美女 | : | 竹本碩太夫 | ||
醜女 | : | 竹本南都太夫 | ||
: | 野澤錦糸 | |||
: | 鶴澤清𠀋 | |||
: | 鶴澤寛太郎 | |||
: | 野澤錦吾 | |||
〈人形役割〉 | ||||
大名 | : | 吉田玉勢 | ||
太郎冠者 | : | 吉田玉助 | ||
美女 | : | 桐竹紋吉 | ||
醜女 | : | 吉田清五郎 |
あらすじ
平家女護島鬼界が島の段
→〔こちら〕
釣女
妻を授かりたい大名は太郎冠者を連れて西宮の恵比須神社に参詣する。内陣での夢のお告げに従い西の門の一の階段に行くと一本の釣竿があり、大名が釣り糸を垂らすと一人の美女。大名はこれを娶ることにして祝言を挙げる。太郎冠者も美しい妻を授かろうと竿を借りて同じように女を釣り上げたが、被衣をとって醜女であることに驚く。大名と太郎冠者はそれぞれの妻と共に祝いの舞を舞うが、隙を見て太郎冠者は大名の美しい妻を連れ去り、これに気付いた大名と醜女は怒って太郎冠者を追い掛ける。