塾長の鑑賞記録
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塾長の鑑賞記録

新・三国志関羽篇

2022/03/06

歌舞伎座で三代猿之助四十八撰の内「新・三国志関羽篇」。主人公の関羽を演じるのは市川猿之助丈、1月の「義経千本桜」に続いてまたしても宙乗り相勤め申し候

本作の前史としては、1999年に先代・猿之助丈(現猿翁丈)の演出により新橋演舞場で上演されたスーパー歌舞伎「新・三国志」(関羽と劉備の出会いから死まで)を皮切りとし、その後2001年に「新・三国志II孔明篇」(劉備ら亡き後の孔明の奮闘)、2003年に「新・三国志III完結篇」(三国時代の終わり)までが三部作として上演されているのですが、今回はパート1を再構築して関羽と劉備(実は玉蘭という女性)の恋と「夢見る力」を主題に桃園の誓いから関羽の死までを扱う「関羽篇」としたものです。


まずはプロローグとして『三国志演義』の作者である羅貫中の子孫だという触れ込みの羅昆中なる人物(中車)が登場しますが、これは中車丈(というより香川照之)が大の昆虫マニアであることに掛けたもの。上手に立つ羅昆中による講談風の語りを軸に、仮面をつけた役者たちにより中車丈が言うところの「立体紙芝居」が幕前で繰り広げられて、黄巾賊の台頭と鎮圧から董卓の暴政、貂蟬の色仕掛け(とてもセクシー)による呂布の籠絡までがコミカルな味わいで手際よく紹介された後、羅昆中はすっぽんに消えると共に幕が上がって《桃園》の場となります。

第一幕

舞台上には上手に根を張り下手に向かって幹が雄大な弧を描く桃の巨木が満開で、やがてその前に迫り上がってくるのが劉備(笑也)、関羽(猿之助)、張飛(中車)の三人。この時点では三人の衣装は白と黒を基調に金の冠を戴き、羅昆中から早替わりした張飛は粗野な性格を反映してやや赤めの顔にパンチマーマ風かつ顎髭ぐるりですが、劉備と関羽は白塗りです。美髯公と呼ばれた関羽にしては髯がありませんが、これは歌舞伎の善玉の作法に従ったもの?その代わり長く垂らした髪の一部を肩から前にも垂らしているのが工夫なのでしょう。劉備はこの時点では優しげながらも一応男性の風情ですが、それにしても美しい。

実は笑也丈は私と同い年(厳密には彼の方が半年上)なので既に還暦を過ぎており、この劉備を演じるのも1999年の初演以来22年ぶりなのだそうですがとてもそうは見えず、ここで三人が互いに円を描きつつ踊る場面もとても優美で見惚れます。桃園の誓いを結んだ三人に村人から贈られる餞は、劉備に双剣、関羽に青龍偃月刀、張飛に蛇矛。さらに劉備たちに同道しようと申し出る村の人々の中の老将・黄忠がなんと御年73歳の石橋正次。「夜明けの停車場」の面影は微塵もなく、自然にその場に溶け込んでいる感じでした。

場面変わって、曹操が司馬懿(笑三郎)他の将と共に《劉備の屋敷》を訪れて自分の配下に加わるようにと説く場面。劉備の「人が飢えぬ国、売られぬ国、殺されぬ国を創る夢」を一蹴した曹操が、関羽にもそんなことができると思っているのかと問い掛けたとき、関羽が言い切った「思っているのではない、信じているのだ」という言葉が胸に響きます。なるほど、これが「夢見る力」ということか。かたや曹操も関羽に惚れ込んでいるだけあって単純な悪役ではないのですが、これを演じるのが俳優・浅野和之。歌舞伎の様式的な人物造形を離れて、冷徹な権力者であると同時に懐の広さや潔ささえも見せる複雑な人物像をリアルに演じ、劇に膨らみが生まれました。

次の場面は孔明の《草庵》を訪ねての三顧の礼のエピソード。上手に置かれた草庵は竹を連ねて壁とし、舞台の背景も巨大な竹を林立させた前衛的(草月流風?)な作りですが、ここで劉備につくことをなかなか肯んじない孔明に、共に世に出て「青き虎」になれという台詞が出てきます。孔明は「伏龍」と呼ばれていたのだから虎じゃなくて龍に譬えるのでは?と考えたらダメで、孔明を演じている「弘太郎改め青虎」丈に当てた台詞なのでここは拍手を送るべきところ。一方、孔明の近くにいて劉備が実は女性であることをいち早く見抜いた女性・翠蘭の役割が一見するとよくわからないのですが、実は上述の「新・三国志II孔明篇」で孔明の思い人として重要な役割を担う女性で、その知識がないと「この人、誰?」となりそうです(なりました)。そんな具合にあちこちに仕掛けやお約束があるので、この場の理解にはそれなりの予習が必要です。

それでも、ここで天下三分の計を説明するのに上から大きな中国大陸の地図が出てきて、魏・呉・蜀・荊州の位置関係がひと目で理解できたのは親切設計だなと思いました。なるほど劉備がいわば簒奪した荊州というのは、湖北省あたりのけっこう大きい地域だったのか。

《孫権の城》での軍議に登場するのは孫権(中村福之助)、軍師・陸遜(猿弥)と孔明。史実では陸遜は後の荊州攻略(関羽討伐)と夷陵の戦い(劉備を破る)で活躍しており、赤壁の戦いでの呉の中心人物は周瑜・魯粛のはずですが、この芝居での陸遜はこれらの呉の名将たちを一人で体現する役回りのようです。また『三国志演義』の孔明は超人的な力で東南の風を呼びますが、本作では経験に基づき季節風の動きを予測(よって陸遜もこれを肯定)したというリアル解釈。そして、ここまできて三国それぞれの登場人物が舞台上に姿を現したことにより、国ごとに色彩が決まっていることがわかりました。すなわち蜀は赤、魏は紫、呉はターコイズブルー(浅葱色より青寄り)です。

さあいよいよ《赤壁》だ、レッドクリフだとわくわくしながら身構えたのですが、一大水上戦闘であるはずの赤壁の戦いはプロジェクションマッピングによる渦巻きに続いて激しく揺れる深紅の幕を前に舞台上で一人の武将(典韋(猿四郎))が数人の兵との立回りの後に七三で矢に当たって斃れスモークの中に消えるという演出で、立回りの中で宙を飛んだのも一人だけ(だったと思います)。率直に言うと、えっ、これで終わり?と驚きました。

そして深紅の幕が落ちるとそこは《長江支流》。上手から出てきた小舟には密かに敗走する曹操と張遼が舟を漕ぐ兵士と共に乗っており、舞台上を滑るように下手へと向かったこの舟が花道に差し掛かったところで舞台上に一段高く、弓矢で狙いをつけた関羽一党が姿を現しました。関羽に対しあれやこれやと旧恩を訴える司馬懿を「やめよ」と一喝した曹操の堂々たる武人ぶりがここでも強調され、史実において関羽と親交があったとされる名将・張遼も曹操の前に立ち盾となって死のうとしたところ、関羽はしばし空を見上げてうんと頷き、月が雲に隠れた闇の中で曹操を討つのは名折れであるから今ひとたびの機会に雌雄を決しようと曹操を見逃すことにします。このあたりの流れはいかにも和風というか歌舞伎風で、観ていてなんとも楽しくなってしまいました。

場面移って《孫権の館》は幕前と花道を用いて、孫権が曹操と対抗するための政略結婚として自分の妹の香溪を劉備に嫁がせる策を編み出すと、これに義母の呉国太(門之助)も同意するという場面が出てきます。この呉国太は孫権が孔明の献策を受け入れる際にも後押しするなど重要な役割を果たしているのですが、右図のように登場人物を絞りに絞った(趙雲も出なければ周瑜も出ない)中であえてこの『三国志演義』にしか出てこない架空の人物を登場させたことには作劇上の強い意図がありそう。この作品の中での呉国太は、群雄ひしめく乱世にあって女は道具となって国や家を守る役割を担うものという決意を持ち、自らも体現してきた人物ということになっていて、その同じ役割を娘の香溪にも要求するわけですが、これは「夢」を追うために女を捨てて男の姿になった劉備と合わせ鏡のような位置付けなのだろうと思います。

第一幕の最後の場はその香溪(尾上右近)が《劉備の館》へ輿入れする場面で、きつそうな顔立ちで女四天王を率いて花道から登場した香溪はまず、贈り物の花嫁衣装を旗に仕立てた無礼を咎める張飛とガチの立回り。ついで劉備や関羽の前でも頑ななところを見せていましたが、劉備に背後から抱きすくめられると態度が一変します。言葉を失った様子の香溪が劉備と共に奥の間に消えた後には張飛が残り、そこに前の場で劉備についての噂の真偽を確かめると言っていた陸遜がやってきて、劉備は実は女ではないかと問い質し始めました。ここでの張飛の動揺ぶりが歌舞伎らしからぬ素に近い演技で、男にしては細いようだがと言われるとはっきり狼狽しながら、ああ見えて上衣を脱げばバキバキよ、筋肉の塊よ。目が泳いでいるようだが?と問われて魚じゃないんだから泳ぐわけないでしょう!と中車節全開。この生真面目な芝居の中で数少ない笑いのポイントになりました。

しかし、そこに戻ってきた香溪はすっかり従順な様子になっていて劉備と添えたことを喜んで見せ、これを聞いた陸遜は仕方なく立ち去ることになります。この後に劉備が実は玉蘭という名の女性であることが(観客に対しても)明示的に説明され、黄巾賊討伐戦の最中に関羽・張飛と出会ってこの世を変える夢を共有するに至った経緯が関羽らの口から語られると香溪もその仲間に加えてほしいと願い、このときに香溪の生き方は呉国太の側から劉備の側へと立ち位置を変えることに。

そしてこの場のラストシーンは舞台中央に設られている長椅子に腰掛けた劉備と関羽との二人きりの対話ですが、ここで客席に向いて座っている劉備の肩のなで具合や膝、手のかたちははっきりと女性(玉蘭)のものになっていることに感銘を受けました。戦いのない世の中になるまで劉備という名の男であり続けなければならない、ということは、戦いのない世を実現して女に戻り関羽と添い遂げたいという気持ちの表れ。その気持ちをこめて劉備が隣に座る関羽の手をそっと握ると関羽もこれに応え、暗い背後に桃の巨木が浮かび上がって花びらが散る中に、目を閉じ上向き加減となって心を通い合わせる二人の姿が眩いばかりに輝く美しい情景となって幕が降りました。


ここまでの膨大なお話が、実は上演時間としては1時間10分。幕前での芝居や暗転を多用してストーリーを詰め込んだ感じですが、途中でも書いたように相応の予備知識がないと置いてけぼりをくらう恐れなきにしもあらずといったところです。ともあれここで30分間の幕間となり、急いで三階の「花篭」に向かいました。

いただいたのはご覧の「新・三国志御膳」。三段の上から蜀・魏・呉をイメージしているそうで、蜀の外付けの「誓いの桃まんじゅう」はまだしも魏の外付け「曹操の鶏肋スープ」というのは若干こじつけがきついような気がしますが、蜀の「赤(壁)飯」には素直に笑ってしまいました。ともあれどれもとてもおいしくいただけたので満足、できれば時間に追われずにゆっくり味わいたかったな。


第二幕

第一幕は桃園の誓いから三顧の礼と赤壁の戦いを経て劉備たちが魏・呉に対する第三の勢力としての地位を確立するまででしたが、第二幕は赤壁から五年後、天下三分の計がなった後の荊州争奪が主戦場となり、その中での張飛の横死から関羽の最期、そして劉備と関平の覚悟までが描かれていきます。しかし時間はさらに短くなって、1時間ちょうどとかなり忙しい。このため、劉備・曹操・孫権がスポット的に登場したり、舞台が荊州の樊城と公安とを目まぐるしく行き来することになりますが、今どの場所での出来事かということが上手の城門風出入り口の上の部分に「荊州 公安」などとと投影されて理解できるようになっていました。

まず七三で貫禄を増した感のある張飛が「ここまでのあらすじ」的な説明をした後に舞台上は成都の宮廷となりますが、荊州へ赴こうとする関羽に劉備こと玉蘭は誰か他の者をやれないか、せめて桃の季節まで待てないかと引き止めた末、これが叶わないと知ると誓いの桃園で咲いていた桃の花びらを入れた包みを関羽に渡し、次の春には共に花を眺めようと約束し合います。しかし、そこに漂うのは別れの予感。

暗転をはさんで幕前で荊州奪還を期する孫権と陸遜。ついで舞台上は洛陽になり、呉の同盟の申入れを巡って議論する曹操と司馬懿。誠の男である関羽と正々堂々戦いたい曹操と、天下統一を急ぐためには呉と組んででも関羽を討つべきであると進言する司馬懿の情理のぶつかり合いの中、曹操は頭痛に襲われて典医・華佗(寿猿)を呼び出したものの余命一年と告げられ、これを聞いて天下統一の大望を最優先とする覚悟を固めると華佗を切り捨てて荊州への出陣を命じます。本作を通じて寿猿丈の登場時間はこのわずか5分ですが、90歳を過ぎてなおしっかりと舞台を勤めるその姿はお見事です。

曹操が消えたところで舞台中央に関羽・関平ら赤い荊州駐留軍がせり上がり、そこへ曹操出陣を報を聞いて張飛が援軍として駆け付けます。ところがこの張飛がひどいパワハラ。二十日かかるところを十日でやってきたぜと本人は意気軒昂ですが部下の范彊(段一郎)は息も絶え絶えで、兵を休ませなければと訴えるところを怒り狂った張飛にそこまでやるかというくらいリアルに足蹴にされてしまいます。その直前に前線に出て武功を上げたい張飛とこれを公安に止めて自分が樊城に向かうという関羽との間にも微妙なすきま風が感じられたのですが、ここまで暴力的な上司では部下に暗殺されても仕方ないなと思いつつ七三で一人喚き声を上げる張飛を見ていたところ、次の場である樊城の関羽のもとに次々に報告が入り、関羽がおびき出された先には曹操は出陣してはおらず、背後の公安は呉に抑えられ、そして張飛は范彊の寝返りによって討死したと知らされます。なぜ死んだ!張飛〜と慟哭する関羽を巡る運命の歯車は、逆向きに回転し始めた感じ。

哀れ張飛はナレ死なのか……と撫然としていたところ、公安では呉国太が香溪を呉へ連れ戻そうとするものの、劉備の夢を共有している香溪は、魏から当地に赴いてきた司馬懿が提案した奸計を用いようとする孫権を諌めるべく自分の胸に刃を立てて息を引き取ります。身も世もなく嘆く呉国太、冷たく孫権の動きを促す司馬懿。ここに至って司馬懿の邪悪さが露わになってきます。

司馬懿が勧めた策は、公安落城の折に人質とした五万人と関羽の命を引き換えにするというもので、関羽がこれを拒むことによって蜀の人心を失わせようとする計略でしたが、曹操も劉備も関羽は自分の命を犠牲にすることを予見します。玉蘭の心を表に出し、関羽を想って泣く劉備の背後の紗幕の向こうに関羽たち樊城の将兵の姿が浮かび上がり、死を覚悟した関羽は、自分は皆の心の中に生き続けると関平・周倉・黄忠たちに語り掛けて愁嘆場。水墨画風の背景の前に赤い柱を二本立てて樊城に見立て、ここで関羽たちは別れの宴を催し、座興にそれぞれが心に思う女の名を明かすことに。黄忠、周倉それぞれに艶めいた話でひととき場が盛り上がりましたが、皆に求められた関羽は玉蘭の名を出し、今は遠いが桃の花の咲く頃には再会し、抱いてやるつもりであったとしみじみ述べ、玉蘭から渡された桃の花びらを手にして一同の涙を誘います。ここは本篇中で最も泣ける場面で、猿之助丈の抑制された演技が見事でした。

関羽が五万人の助命のために自ら呉に降る決意を示したことは陸遜の口から公安にいる孫権と司馬懿に伝えられ、策が破れたことに動揺した司馬懿は関羽と五万人を共に殺すことを進言しますが、孫権もまた関羽の振舞いに感銘を受けてこれを退け、公安にやってきた関羽に自分に仕える意思がないかと最後の機会を与えた後に、約束通りに五万人を解放すると関羽に別れを告げて立ち去ります。解放された民たちに涙ながらに見送られた関羽は舞台中央の台の一番高いところに立って後ろ手の姿になり、左右から四本の槍に貫かれたところで暗転。

七三に立つ司馬懿の、謗らば謗れ、天下統一は成し遂げてみせるというノワールな述懐。関羽の義心に惚れ込んでいた曹操の魏も、最後に関羽の覚悟を受け入れた孫権の呉も、結局は司馬懿が礎を築いた晋に滅ぼされるという歴史の皮肉のようなものをこの言葉にこめて司馬懿が消えた後に、舞台上には関羽の死の衝撃から衰弱して引きこもり状態となった劉備の姿が現れました。なぜ自分を残して死んだのかと泣く劉備、するとすっぽんから関羽の霊が青白い光に包まれてせり上がり、劉備の肩を背後から抱き締めます。かくして劉備は蜀の皇帝としての復活を遂げ、最後に関平(團子)が父と玉蘭の恋を知っていたことを明かし、蜀を守り抜く決意を示し、そして関羽の加護を願う独白を中車丈の息子とは思えない爽やかさ満載で語り切ったところでストーリーとしては終了です。

舞台上が一気に明るくなって桃の大樹が姿を現し、まず劉備・張飛を先頭に蜀の面々、次に呉、さらに魏の人々が舞台上に揃っては花道を下がっていきました。曹操の姿を背後から見やる司馬懿の存在感が大きく、そして舞台中央にせり上がってきた関羽が下手から現れた孔明に羽扇を渡したのは蜀の後事を託したという意味があるのでしょう。その孔明も下がった後に一人残った関羽は七三でひとしきりの語りの後、別れの言葉を述べると宙に浮かびました。天井から大量の花びらが降り注ぐ中、関羽はしばらく上下していましたが、やがてその姿は天空へと消えていきました。


もともとスーパー歌舞伎として演じられていたものを歌舞伎座に持ち込んだ演目なので、どこまで大道具を凝ったりケレンの要素を取り入れられるかという点が目先の関心事ではありましたが、実際に観てみるとほぼ対話劇で終わった感じ。初演の「新・三国志」を観てはいないものの、調べたところでは冒頭の黄巾の乱で京劇役者を使ったアクロバットがあったり、赤壁の戦いで巨船が沈没したり、夷陵の戦いで本水が大胆に使われたりとド派手な演出が繰り広げられたよう。しかし、三部制で演目が入れ替わる三月大歌舞伎の第一部に組み込まれたこの作品に大胆なプロダクションを持ち込むのは土台無理な話でしょうし、猿之助丈自身も筋書の中でスペクタクルな演出をお届けできる状況にはありませんがと明言しています。

したがって本作の眼目は、そうしたスペクタクルに頼ることなく、関羽・玉蘭の愛を縦糸にした「芝居」を通じて作品のテーマである「夢見る力」を客席に届けられるかということになるのだと思います。そういう目線でこの舞台を思い返してみると、芝居の緩急のうち「緩」のパートでは随所にはっとさせられる台詞や所作があり、現代的な照明や音楽の活用も相俟って見せるべきところはしっかり見せてくれていたという気がします。特に第一幕の終幕間際で関羽と劉備が二人きりになるところや、第二幕後半の樊城で死を決意した関羽が玉蘭を思う場面の抒情性は素晴らしいものでした。

とはいうものの、如何せん正味130分の中でこれだけのストーリーを追うために「急」の部分の演出が単調になったきらいは否めません。義に厚いところを見せて感情移入を誘った曹操の浅野和之や悪の美学を感じさせた司馬懿の笑三郎丈、突き抜けた演技で一味違う存在感を示した張飛の中車丈など、主要登場人物に役者を得て芝居としては十分に成り立っていましたが、「スーパー」を冠しない歌舞伎として再演・再々演に耐える作品となるかどうか、今後続々公開されるだろう観劇ブログ類を見渡しながら考えてみたいものです。

配役

新・三国志関羽篇 関羽 市川猿之助
劉備 市川笑也
香溪 尾上右近
孫権 中村福之助
関平 市川團子
諸葛孔明 市川弘太郎改め青虎
華佗 市川寿猿
司馬懿 市川笑三郎
陸遜 市川猿弥
黄忠 石橋正次
曹操 浅野和之
呉国太 市川門之助
張飛 市川中車

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