鬼瓦 / 当麻

2022/03/18

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「鬼瓦」と能「当麻」。

この日は終日の雨模様の中、午前中に墓参りに行き、午後をゆったり過ごしてから夕方に国立能楽堂に入りました。国立能楽堂を訪れるのは昨年12月以来、つまりこれが今年最初です。

鬼瓦

洞烏帽子を高々とかぶり素袍上下で橋掛リから舞台正面へと一気に進み出たシテ/大名(山本東次郎師)は「遠国に隠れもない大名です」と自己紹介してから、長い在京の末に訴訟に勝って所領安堵の御教書を得た上に新地までも拝領したと高揚感満載。太郎冠者(山本則重師)を呼び出してこの喜びを分かち合った上に、まだ汝の喜ぶことがあるとちょっとじらした上で国元へ帰る許しも得たと明かしました。

さて、このようにめでたい結末になったのも日頃信仰してきた因幡堂の薬師如来のご利生であろうからと、大名は太郎冠者を伴って暇乞いのお礼参りに向かいました。国元では我々の戻りを今日か明日かと待っているはず、訴訟の首尾を伝えたらさぞ喜ぶであろうと語りながらのこの道行の場面も、冒頭の出と同じく非常にスピーディーな動きが繰り広げられます。舞台上を回り、脇柱とシテ柱の間を斜めにすれ違って因幡堂に着いた二人は、正面に向かって正座し扇を前に礼拝。いつ参っても殊勝な御前ではないかとお薬師をしみじみ讃えた大名は、この薬師如来を国元に勧請しようと思うので手本となるこの御堂をよく見覚えるようにと太郎冠者に命じてから、自分も立って因幡堂の中を見て回ることにします。

大名と太郎冠者は二人して視線を堂内のあちらこちらに向けては御堂をほめそやし、あの欄間の彫り物は良い細工だ、さらに虹梁、蛙股、破風……と見上げたところで大名は破風の上のある物に気付きます。それが鬼瓦であると太郎冠者から教えられた大名は、鬼瓦というのはいかめな(いかつい)ものじゃなぁと一度は感嘆したものの、よく見ると誰かの顔に似ていることに気付きます。誰であったか、としばらく考え込んでふと気付いた大名がいきなり泣き出したために驚いた太郎冠者が問い掛けると、あの鬼瓦は国元に残してきた女ども(妻)の顔そのままじゃと説明してまた泣き声(見所からは笑い声)。あらためて鬼瓦を見上げた太郎冠者も確かに似ていると肯定すると大名も、あの目のくりくりしたところや鼻のいかったところがそっくりだし、口の耳せせまで引き裂けたところなどは汝を叱るときの顔そのままだと詳しく説明した上で、こんなに似ているのは不思議なことだ、あの顔を見ると妻が懐かしくなったと感極まってさらに泣き続けました。

それももっともなことだと大名を見やった太郎冠者はしばしの間を置いた上で、訴訟に勝って国元に帰り妻に再会できるのだからここは嘆くところではないと大名を励ます口調で言い聞かせると、大名もまことに汝の言う通りだと気を取り直し、めでたく笑って納めようと二人共々前に出てう〜っはーっはと破顔一笑の笑い留。

前々から一度観たいと思っていた「鬼瓦」。訴訟に勝って国元に帰れるうれしさが横溢する前半から、中盤は一転、鬼瓦を見て妻を思い声を上げて泣く大名の純情。鬼瓦を引き合いに出しての妻の顔の描写には何の悪意もなく、大名が本当に妻恋しと思っている様子が伝わってきて、最後の笑い留に見ている方もほっとした気持ちになります。さらに大名と太郎冠者との関係にも訴訟を共に戦ってきた同志意識のようなものが感じられ、太郎冠者が大名を諭すように励ます姿にはほのぼのとしました。なお、この日はシテ/大名の山本東次郎師に対するアド/太郎冠者が、当初山本則俊師だったところ代演で則重師となっていました。

当麻

二上山の麓、當麻寺に伝わる中将姫伝説にまつわるこの曲は2009年に梅若万三郎師のシテ、梅若玄祥(現・梅若実)師の地頭、森常好師のワキで観ていますが、今回はシテが観世清和師、地頭が再び梅若実師、そしてワキは宝生欣哉師という配役です。

中将姫伝説をおおまかに紐解いてみると、12世紀末に成立した『建久御巡礼記』には横佩よこはぎの大納言の娘が曼荼羅を写す願を立てると化人がやってきて一夜で曼荼羅を織り上げたという話が載っており、これが13世紀の『当麻曼荼羅縁起絵巻』では横佩大臣の娘の前に化尼(阿弥陀)が現れて蓮の茎を百駄集めるよう勧め、そこからとった糸を五色に染めると化女(観音)がやってきて、一晩で曼荼羅を織り上げ天空へと去ったという話になっている模様。中将姫の名前と継子いじめの逸話が現れるのも13世紀以降のことで、伝承の過程で曼荼羅を織り上げたのは中将姫自身であるという話に変わっていったようです。一方、世阿弥作「当麻」では前場でワキ/旅僧の前に前シテ/化尼とツレ/化女が現れ、かたや間語リとこれを受けたワキの言葉ではツレが中将姫だったのだろうという話になって後シテ/中将姫の登場につながるので、やや錯綜気味?いずれにせよ前シテと後シテが別人格である点は間違いありません。

金属質のヒシギから〔次第〕が奏され、大口僧出立のワキ/旅僧(念仏僧)とワキツレ/従僧二人が登場して教へ嬉しき法の門、開くる道に出ふよ。三熊野参籠(ここで一遍上人が投影される)から帰る途中の大和路の道行がとても音楽的に謡われ、二上山の麓の当麻の寺に着いたところで寺の謂れを教えてくれる人が現れるのを待つことにします。ついで〔一声〕を聞きながら登場したツレ/化女(坂口貴信師)は紅入唐織着流に面は小面(大和作)、前シテ/化尼は白い花帽子をかぶり杖を突く尼姿で暗い色調の地に細かい文様の唐織着流、面は姥(石翁作)。それぞれに見所の方を向いて一念阿弥陀仏即滅無量罪八幡諸聖教皆是阿弥陀と阿弥陀仏への賛辞を謡い、観ている観衆が教えを授けられているような感覚に陥っているうちにツレを先に立てて舞台に進んだ二人は濁りに染まぬ蓮の糸の、五色に如何で染みぬらん

ついで向かい合って末の世に迷ふ我らが為に説き遺された阿弥陀の教えのありがたさを謡いつつ、やがて立ち位置を変えてシテが中央に立ったところでワキからの問掛けを受けました。これは当麻寺にて候ふかと問われたシテとツレとは待ってましたとばかりに寺の名前、蓮の糸を染めた井戸や懸けた桜木を紹介してワキと意気投合する様子。そこから極めてゆっくりと謡われる初同色はえて、懸けし蓮の糸桜……を聞きながらワキは脇座へ、ツレは笛座前へ着座し、一方シテは詞章に沿って遠く西の空を見やった後に杖にすがります。

ここで重ねてワキが当麻の曼荼羅の謂れを物語って欲しいと求めると、シテは床几に掛かります。廃帝天皇=淳仁天皇の御世、横佩の右大臣豊成の息女中将姫がこの寺に籠って称讃浄土教を読誦しつつ、生身の阿弥陀の来迎を得て拝みたいと願ったところまでが〈クリ・サシ〉、そして風も涼しいある夜、忽然と現れた老尼が阿弥陀如来であることを知って中将姫が感涙に咽ぶまでを謡う〈クセ〉は、始め一音一音に力を込めてじっくりと謡われていたものが後段の阿弥陀如来が正体を明かす場面では徐々に力強さを増して中将姫の高揚を目の当たりにするよう。

この話にワキもげにや尊き物語と感動する様子が地謡によって謡われて、そのワキに対してシテとツレとはいにしえの化尼化女がここに現れたのであると天上から響くような声色で告げると、このときシテの面が照り輝くように見えたと思う間もなく、立ち上がったシテは揚幕を見やり杖を正中に捨て橋掛リへと数歩進んで西の方・二上山(尼上嶽)へと紫雲に乗って去りゆくさまを示してから、送リ笛を聞きつつ橋掛リを下がっていきました。

間語リは中将姫伝説をなぞるものですが、中将姫が「さる仔細あって」雲雀山に捨て置かれたところから説き起こし、前場で描かれた阿弥陀如来の来迎によって「一丈五尺の曼荼羅」が織られたところまでが語られました。その上で、ワキが先ほど対面した二人の女性を疑いもなく「老女は阿弥陀如来、いま一人の女性は中将姫」であろうからしばらく逗留して重ねて読経するようにとワキに勧めました。

これを聞いてワキとワキツレは立ち上がり、舞台上に向かい合って重ねて奇特を見ようと言いも終えぬうちに、妙なる音楽が聞こえ光が射し、歌舞の菩薩が目の当たりに現れる不思議に出会って再び脇座に戻ると、ここで小書《二段返》による荘重な囃子が奏されました。解説によればこの《二段返》は出端の特殊演出でシテの出の前に特殊な段が挿入され(冒頭に半幕でシテが姿を見せることも)、ぐっと静まった位取りのうち、ことに太鼓が技巧を凝らした手を打ち重ねるのだそう。この解説の通り、太鼓が二打ちすると大小が二つ和しさらに小鼓二打ちでひとつのパターンを作って繰り返され、リズミカルな中にも奇蹟の予感が漂います。このとき、半幕になって床几に掛かった姿を見せたシテは、囃子に聞きいるようでもあり雲間からその姿を垣間見せているようでもあり。

やがていったん幕が下ろされ、太鼓が細かく打音を繰り出すようになると笛が入って幕が引き上げられ、いよいよ後シテ/中将姫の出。白蓮を立てた天冠を戴き面は増、紅地に金の文様の舞衣を着用し茶の地に金の七宝文を連ねた大口を穿き、経巻を前に差し出して一ノ松まで進むとひときわ朗々とただ今夢中に現れたるは、中将姫の精魂なり。生前の信心により阿弥陀如来の極楽浄土に迎えられたことの喜びを謡ったシテが正中に膝を突き、ワキに経巻を手渡して為一切世間説此難信と唱えると、ワキも経巻を開いて之法是為甚難と高らかに続けました。ついでシテと地謡とが慈悲加祐令心不乱と称讃浄土経を読み分けた後に法悦の〔早舞〕となりましたが、繰り返し袖を返し、足拍子を踏み、舞台上を大きく廻って見せてもどこまでも「歌舞の菩薩」らしい品の高さが漂います。

やがて夜明けの気配と共に橋掛リを下がっていったシテは、二ノ松に止まり小さく回って左袖を返し見所を見渡す形になると、二、三歩下がりそのままの姿で地謡の夜はほのぼのとぞなりにけるを聞いて終曲となりました。

久しぶりの「当麻」を観世清和師の荘重な謡と舞とで観て、浄土教の信徒ならずとも阿弥陀如来の救済の有難さを実感した舞台。国立能楽堂がそのまま時空を超えて13世紀の當麻寺に変じ、中将姫と旅僧との法悦が見所にまで伝わってきた2時間余りでした。なお地頭の梅若実師はよほど足腰を悪くしているらしく、背の低い一人掛けソファを持ち込んで地頭を勤め、終演後も周囲に支えられながら立ち上がって退場する状態でした。しかし重厚な地謡は緩急強弱が自在にコントロールされて緩むことがなく、演能中はそうしたことの一切を忘れさせました。

配役

狂言大蔵流 鬼瓦 シテ/大名 山本東次郎
アド/太郎冠者 山本則重(山本則俊代演)
観世流 当麻
二段返
前シテ/化尼 観世清和
後シテ/中将姫
ツレ/化女 坂口貴信
ワキ/旅僧 宝生欣哉
ワキツレ/従僧 大日方寛
ワキツレ/従僧 御厨誠吾
アイ/門前の者 山本泰太郎
杉市和
小鼓 大倉源次郎
大鼓 國川純
太鼓 金春惣右衛門
主後見 武田宗和
地頭 梅若実

あらすじ

鬼瓦

都での訴訟が叶った大名は、因幡堂の薬師如来へ暇乞いのお礼参りに。故郷でこの通りの薬師堂を建立しようと、名工が腕を振るった細部まで漏らさず見入るうち、屋根の鬼瓦が故郷で待つ妻の顔に似ていることに気付いて恋しさのあまり泣き出してしまう。しかし、ほどなく会えると慰められた大名は気を取り直し、太郎冠者諸共めでたく笑い納める。

当麻

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