放下僧

2022/04/27

銕仙会能楽研修所(南青山)で青山能。仕舞三番と共に能「放下僧」です。

仕舞三番がまずもっていずれも強い印象を残すもの。「難波」(馬野正基師)は新春の難波の里で王仁が治世の春の寿ぐ場面ですが、PAが入っているのかと思うほどの音圧での謡と足拍子にきびきびとした舞が伴い、短時間ながら凝縮された感がありました。対する「小塩クセ」(清水寛二師)は在原業平が二条の后を思慕して語り舞う場面で、唐衣の歌を織り込んだ詞章をしみじみと聞かせて万感胸に迫る趣き。そして観世銕之丞師の「弱法師」は目を閉じ盲杖を斜め前方に突いた姿が迫真で貴賎の人に行き合ひの、 転び漂よひ難波江の、足もとはよろよろとと後ろによろけ落ちたときには思わず息を呑みました。

放下僧

鎌倉時代に今の金沢八景にある瀬戸神社の境内で放下僧による敵討ちがあったことに題材をとった曲で、「放下」とは現在の大道芸。コキリコを用いながら物語ったり芸を見せ、そのうち僧形のものが放下僧、俗体のものが放下師なのだそう。男性の芸能者というと「自然居士」を連想しますが、この「放下僧」は同じ敵討ち物の「夜討曽我」と同様に直面で演じられます。芸尽くしと敵討ちの組合せという点では「望月」にも通じるそうですが、あいにく「望月」は未見なのでここでは言及できません。

まず登場したのはツレ/牧野小次郎(小早川泰輝師)で、素袍裃出立も凛々しく舞台に進むとよく通る声で物語のバックグラウンドを説明します。曰く、父は相模国の住人・利根信俊と口論して討たれてしまったので敵討ちをしたいが多勢に無勢、幼少時に出家した兄に相談しようとやってきた。というわけで前場の舞台は兄の出家先である下野国の禅寺ということになりますが、ツレの呼掛けに応じて登場した法体のシテ(安藤貴康師)の役名が「小次郎ノ兄」とあってちゃんとした名前を与えられていないのはどういうわけなのか?

それはともかく、ツレがシテに助力を求めるとシテは自分は出家の身だからと悩む様子を示しましたが、ツレは唐土の故事(母を殺した悪虎を追った男が見誤って虎に似た岩を射ると矢は岩に突き立ち血が流れた。これも孝心深きゆえである)を引いて説得し、これに感じ入ったシテも計画に乗ることになります。さらにその方法として放下に扮することを提案するのもツレで、この辺りは敵討ちに向けて明らかに弟の方が主導権を握っており、これまた弟・五郎の温度感が兄・十郎を上回るという曽我物の設定に通じるものを感じます。なるほど、ツレが主犯でシテは共犯という立場だから「小次郎ノ兄」どまりなのか。←真偽の程は分かりません。

……と、ここまで二人の対話劇として進行し、覚悟を固めた表情の兄弟が敵を求めて下野国を去る(中入)ところで初めて囃子と地謡が入りました。

シテとツレとが去るとヒシギ、そして大小の打音厳しく〔次第〕。笠をかぶり掛素袍大口出立のワキ/利根信俊(則久英志師)が太刀持ちのアイ/信俊ノ下人(中村修一師)を伴って登場し、その耳に心地よい美声で謡う〈次第〉は歩を運ぶ神垣や、隔てぬ誓頼まん。笠をとって名乗ったワキは、近頃夢見が悪いので瀬戸の三島明神へ行こうと思うと語るとアイを呼び出し、供をすべきこと、自分の名前を言わないことを命じて脇座に移りましたが、どうやら物見遊山気分らしいアイはやれやれうれしやと有頂天。そこに放下が来るという話が伝わってきたのでそれは面白かろうとアイはワキに見物を勧めるのですが、二度まで勧めてもワキは「無用」と取り付く島がありません。いったんは不服そうに引き下がったものの、本当は自分が見たくて仕方ないアイは構わず放下を舞台へ呼び込みます。

ここで再びヒシギから強く打ち出される〔一声〕を聞いて登場した沙門帽子僧出立のシテは、茶系の縦縞が目立つ水衣に緑がかった大口、手には払子・団扇を付けた拄杖。一方ツレの方は梨子打側次大口出立で右手に矢、左手に弓、背には笹に短冊。橋掛リの上でひとしきり謡い交わした二人に近づいたアイが名を問うと兄の回答は「浮雲流水ふうんりゅうすい」、弟の回答も「浮雲流水」。両人とも浮雲流水なのか?と驚くアイにシテは自分が浮雲でツレが流水だと説明した上であれなる方のお名前は?と問い返しましたが、おそらくこのややこしいやりとりはシテの罠です。一連の問答に引き込まれていたアイはついワキの名前をしゃべってしまい、口止めされていたことを思い出してあわてて口を押さえてから「……ではおりない」と付け加えましたが、このときには兄弟は敵の存在を悟って顔を見合わせています。

ワキのもとに戻ったアイが放下の名を報告すると、先ほどは「無用」と言っていたワキも浮雲流水という名前に興味を持ち、放下を連れてくるようにと命じましたが、アイが呼びに行く間にワキは笠を再びかぶり、舞台前面に立ち位置を占めた二人と向き合うときにはさらに用心して扇で口元を隠しました。ここからはワキとシテとの問答になり、その主眼は放下の異形の出立ちについてですが、まず扇の由来を問われたシテは動く時には清風をなし静かなる時は明月を見す、事物の違いは心が生み出したものと悟らせる真実修行の便であると説明してワキを感心させます。次に弓矢について問われたツレは弓と申すは本末に烏兎の姿を象り(烏兎は日月の象徴)浄穢不二の秘法を表すと説明し、「だから我々も弓矢を持つのだ」と地謡に謡わせつつ矢を弓につがえると舞台上に緊張が走ります。ツレに向き合ってぐっと前に出るワキ、その前に腕を差し伸べてかばう形のアイ、拄杖を突いて割って入るシテ。この一瞬のうちに全員の動きがシンクロしましたが、ワキは苦しからず候と余裕を見せて空気を和らげ、問答を続けます。

今度は放下僧の宗派を問う質問に、それは言うことも説くこともできずただ一葉の翻る風の行方を御覧ぜよとシテが返すと、そこから畳み掛けるような禅問答が続きましたが、その最後のさて向上の一路はいかにに対し、またしても殺気を迸らせたツレは強く速く切つて三断と為す(一切の迷妄を切り捨てる)と答えるや否や刀に手を掛け、ワキも笠を捨てて腰に手をやると再びアイはワキをかばい、シテはツレを制止して暫く、切つて三断となすとは禅法の詞なるを、お騒あるこそ愚なれ。見所最前列で観ている自分の目の前で繰り広げられたこの場面の迫力は、四人の気迫のぶつかり合いが渦となって溢れ出してきているようでしたが、なおもゆとりを見せるワキは二人を同道する旨をアイに伝え、アイはこのことをシテに伝えると共に鞨鼓を打つことを求めます。

ワキ・アイ・ツレが脇座から地謡の前にかけて居並び、一方シテは後見座での〔物着〕で鞨鼓を身体の前に下げて舞台上に戻ると、大小前でじっとワキを見込んでから〔クセ〕に入っていくと共に、まずここでアイが静かに切戸口から下がっていきます。そしてここからのシテの舞が、本当に美しいものでした。包み隠さず言うと、シテの安藤貴康師の声質は自分の耳にはやや上ずって聞こえ、この役を演じるにはもう少し低音が出るか言葉の輪郭がくっきりするといいのだけど……と思いながらここまで聴いてきたのですが、そうした思いを払拭してしまうような舞で、とりわけたたずむ月を山に見てと空を見上げる形には気品が漂いました。

クセ舞に続き撥をとっての〔鞨鼓〕となりますが、囃子に乗って両手の撥を高く掲げては打つ形を繰り返しつつそのところどころに力強く速い足拍子の三連打を盛り込んで、ここでもシテの姿は緩むところがありません。やがて囃子のテンポが速くなって常座で舞い納めた後には面白の花の都やから京の東は祇園清水、西は宝輪嵯峨と名所を巡って川柳は水に揉まるる以下様々に「揉まるる」組合せを並べるリズミカルな流行歌謡〈小歌〉となり、その中でシテがワキの前に膝を突いてじっと見込んだとき、既にワキは夢見心地になっている模様。ここでワキはツレとの対峙の際に投げ捨てていた笠を自分の前に移して静かに退場していき、舞台上に残された笠がワキに見立てられます。〈小歌〉の最後のこきりこの二つの竹の代々を重ねて、打ち治まりたる浮世かなが地謡によってひときわ力強く高い音程で謡い切られたとき、それまで直面ながら淡々とした(能面らしい)表情に終始していたシテの目に強い殺意が宿ると、ツレと合流して一気にワキの笠に詰め寄ります。肉薄するシテは小刀、跳躍を見せたツレは太刀をそれぞれ構え、シテが二刺し、ツレも二太刀。次の刹那シテは笠を笛座前へと滑らせて後見に回収させ、二人立ち上がると舞台上に威勢を示した後にキリ名を末代に留めけりを背中で受け止めて常座で留拍子を踏みました。

初めて観た「放下僧」でしたが、演劇としての完成度がすごいというのが第一印象です。対立の構図は牧野兄弟対利根信俊ですが、信俊の側にいるアイの役割も大きく全体としてバランスがとれている上に、二度にわたる一触即発の場面で四人が連動するさまは見事。こうしたリアルな演技の応酬の一方で、最後にワキの姿を笠に変えてみせた見立ての技法がいかにも和風で洗練されています。また、この曲は「芸尽くし」が見どころとされることが多いように思いますが、こうして観てみると舞の美しさや力強さがより心に残り、この点でも事前の予想とは異なる印象を受けました。

しかし、それらすべてを差し置いてこの曲での一番の見どころは、実は最後にシテの表情に浮かんだ殺意だったような気がします。演能終了後に恒例の小講座を担当した観世淳夫師は「直面も面おもてであってことさらに顔(表情)を作ることはしないが、それでも自然に顔が出るところが直面の魅力」だという趣旨の話をしていましたが、あの瞬間のシテの表情は紛れもなく、親の敵に一太刀浴びせようとする「小次郎ノ兄」の顔になっていたと思います。

配役

仕舞 難波 馬野正基
小塩クセ 清水寛二
弱法師 観世銕之丞
放下僧 シテ/小次郎ノ兄 安藤貴康
ツレ/牧野小次郎 小早川泰輝
ワキ/利根信俊 則久英志
アイ/信俊ノ下人 中村修一
藤田貴寛
小鼓 田邊恭資
大鼓 柿原孝則
主後見 鵜澤久
地頭 長山桂三

あらすじ

放下僧

所領をめぐる争論から、利根信俊の手にかかって殺害された牧野左衛門。父の仇を討ちたいとの宿願を抱いた息子の牧野小次郎は、僧となっていた兄のもとを訪れ、仇討ちへの協力を願う。弟の懸命の説得に、ついに仇討ち参加を決意した兄。二人は放下の芸能者に変装すると、敵のもとへ向かう。兄弟が武蔵国瀬戸神社へと到ると、折しもそこには、敵の利根が参詣に訪れていた。禅を愛好すると噂の利根に、禅問答を投げかけて近づこうとする二人。しかし、次第に熱を帯びていく問答の中で、ついには一触即発の事態に。兄は利根の警戒を解くべく禅の理法を謡い舞うと、鞨鼓を打って遊び、巷に流行する小歌を謡い舞い、芸能の数々を見せていく。次第に心を許し、寝入ってしまった利根。兄弟はその姿を見届けると、利根のもとへと走りかかり、ついに本懐を遂げる。