彌彦神社参詣

2022/05/01

ゴールデンウィークの最初の三連休は新潟旅行でのんびり過ごすこととし、初日は月岡温泉、2日目は弥彦山登頂、そしてこの日は旅のメインイベントとなる彌彦神社参詣です。彌彦神社は弥彦山を神体山とし、主祭神は神武天皇の大和国平定後、勅命を受け越国の平定・開拓に従事したという伊夜日子大神(天照大神の曾孫・天香山命あめのかぐやまのみこと)。創建年は不明ながら『万葉集』にも歌われる古社です。もともとの計画では2日目が参詣、3日目が登頂だったのですが、直前の天気予報を見て急遽順番を入れ替えたところ、これがぴたりと当たり3日目のこの日は朝からしっかり雨降りになりました。

その雨の中、まずは宿の窓から見えていた住吉神社に立ち寄って樹齢1000年という大きな「蛸欅」(樹高30m・胴回り8m余り)を見物してから、昨日の登山の際にその前を通った一の鳥居に向かいました。

本降りということもあってこの時間帯(9時すぎ)に境内に入る人の数は多くなく、雨音と川のせせらぎ以外だけを耳にしながら鳥居をくぐります。

境内に入るとすぐに石橋で渡るのが御手洗川で、階段を下れば川の水に手をつけて清めることができますが、その上流側には半円を描く赤い橋が掛かっています。これは玉の橋と呼ばれ、もともとは拝殿の前にあって神様が渡る橋とされていたのだそう。

さすがに川の水を使うことは控え、参道を進んで左に直角に折れたところにある手水で手と口を清めたら二の鳥居をくぐります。その向こうには拝殿に通じる随神門が見えています。

二の鳥居をくぐるとすぐ右側に神馬舎しんめしゃ。中には山本瑞雲作の木像の馬が凛々しい姿を見せていました。

随神門の手前左右の阿吽の狛犬もかなり精悍、そして門内の左右には紀伊国熊野から伊夜日子大神に随行しその宮居を警護する長気・長邊の兄弟神が祀られているそうですが、そのことを知ったのは後日でこのときは惜しくも見逃してしまいました。

ともあれ、拝殿で手を合わせて今年の健康と無事を祈りました。この拝殿やその後ろの本殿といった社殿は明治末に焼失した後、大正5年(1915年)に再建されたものだそうですが、それでも実に風格のある姿をしています。

随神門を出て次に向かったのは摂社・末社が並ぶ一角です。一の鳥居をくぐる前に最初に立ち寄った住吉神社も実は末社のひとつなのですが、ここには伊夜日子大神の六代の子孫神(六王子)ほかの社が並んでいて壮観です。

右端の大きな茅葺入母屋造の社は十柱神社〈重文〉で、元禄7年に建てられたもの。大穴牟遅命をはじめ山川草木等の十柱の神を奉祀するとされています。

個人的に最も興味深かったのは楽舎と橋でつながった舞殿ぶでんで、写真左の参集殿と向き合っています。舞殿で神楽が舞われる際には、参集殿の蔀を上げて貴賓が鑑賞したことでしょう。

斎館の前を通って宝物殿の前に出ると、9時から観覧可能だったので中に入ってみました。

宝物殿の2階には志田大太刀〈重文〉を始めとする刀剣や源義家が奉納したと伝わる鞍・鎧があり、さらに歴代天皇の肖像画という奇想天外なものも一つのコーナーを占めていましたが、最も面白かったのは上杉輝虎(謙信)の祈願文で、これは関東、信濃、越中等へ出兵した理由をあれこれ書いては全て義戦であるので神助を願うとするものですが、段落ごとの締めがいずれも「だから私は悪くありません」を繰り返していて何やらユーモラスですらありました。

見るべき程の事をば見つ……といったところですが、さらに重軽の石、相撲場、日本鶏舎、鹿苑といった付随施設があってテーマパークの風情です。しかし重軽の石は吉凶を占い、相撲は神事、鶏も神道と縁が深く、鹿は『万葉集』に伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながらと歌われて所縁あり。

こうして彌彦神社の参詣を終えて弥彦駅に出て振り返ると、雲の中から弥彦山がその山体をわずかに見せてこちらを見下ろしていました。