盆山 / 鞍馬天狗

2022/05/15

国立能楽堂で金春流能楽師・中村昌弘師の会の第六回。これまでに私が参加したのは第二回の「船弁慶」、第四回の「二人静」、第五回の「角田川」、そして今回の四度目ですが、これだけコンスタントに自分の会を開催できるというのはすごいことではないでしょうか。興行として成り立たせるという意味でも、プロデューサーとアクターを兼ねるという意味でも。

この日の番組は仕舞三番、狂言「盆山」、能「鞍馬天狗」ですが、振り返ってみると「盆山」と「鞍馬天狗」の組み合わせは2016年4月5日の国立能楽堂定例公演の番組と同じ。ということは、この二曲は内容的にどこか接点があるのかな?

5月9日の中村師によるオンライン事前講座も受講し予習万全で臨んだこの日の東京はどんより曇り空でしたが、国立能楽堂のロビーの一角には今回のフライヤーの原画(三村晴子さん作「鞍馬天狗」「山伏と牛若」)が展示されていて、そこだけは確かに春の雰囲気です。実は見所の方もこの会恒例のドレスコードがあって、桜満開の鞍馬山を感じられるように白又は桃色のシャツ・上着やスカーフを身に着けると特製ポストカードがプレゼントされることになっており、私もめでたくポストカードを一枚いただいたのですが、果たして舞台上から見所を見渡したときにそうした光景になっていたかどうか。

最初に、これも恒例の金子直樹氏による解説からスタート。その主眼は「鞍馬天狗」のストーリー紹介でしたが、前段の話として金春流では「鞍馬天狗」が上演されることは多くない(子方の数がなかなか揃わないのが理由の一つ)ということと、源義経が登場する能は「鞍馬天狗」「橋弁慶」「船弁慶」「安宅」など多くが義経(牛若)を子方とする現在能で、例外は夢幻能の「屋島」である(戦時中に戦意高揚目的で作られた「義経」(義経→チンギスハン説に題材をとった高浜虚子作の新作能)もあることはあるが)といったあたりを興味深く聞きました。

ついで仕舞二番はおなじみ「地謡一名ずつによる流儀立合仕舞」です。中村昌弘師は本田布由樹師の地謡で春の曲「花月」のキリを柔らかく謡い舞いましたが、最初と最後に二人が縦一列になって着座したとき正面から見ると後ろにいる本田師の巨躯が手前にいる中村師の身体の線からはみ出して見えていて、まるで5月12日に写真撮影成功が報じられた「いて座A*」のブラックホール状態(もっとも時空を歪めているのは中村師ではなく本田師の大質量の方だと思いますが)。一方、金剛流・宇髙竜成師は宇髙徳成師の地謡で「笠之段」。「芦刈」のシテ/芦売りの男が御津の浜の情景を讃えて笠踊りを見せる場面を生き生きと描写し、その中で巧みに遣われた鎮扇の緑地が松羽目の緑とマッチして素敵でした。

盆山

この曲はこれまで二回見ており、2014年は茂山良暢師(五世忠三郎師)、2016年は丸石やすし師(茂山千五郎家)、そして今回は大藏基誠師(大藏彌右衛門家)がシテと家は違うもののいずれも大蔵流です。前半の屋敷に忍び込む場面での形態模写と後半の亭主になぶられて犬・猿・鯛の鳴き声を真似る様子がいずれも面白く、見所からは笑い声が何度も上がっていましたが、これはやはり狂言ならではだなと思ったのは盆山が置かれている座敷に入る前後での場面転換でした。

首尾よく敷地内に忍び入ったシテは脇座の方向にある雨戸をさらさらと開いて中が明るいことに驚き一度は一ノ松まで逃げ去ったものの、抜き足差し足で戻って中に入ると数歩立ち位置を変えた次の瞬間には舞台上が盆山を数多く置いた座敷になっています。この魔法のように鮮やかな場面転換は狂言師の芸と観客の想像力とがうまく結びついた瞬間で、ここからしばらくの間、シテの目を通して盆山の数々に目を輝かせている自分がいました。


休憩をはさんで高橋忍師による仕舞。前回のこのパートでは金春安明師が観世信光の「遊行柳」を舞われましたが、今回はその原典とも言える世阿弥「西行桜」です。それにしても高橋忍師の仕舞はやはりすごい。非常にゆったりと謡われ、舞われましたが、その謡い出しから空気が変わるのを感じました。

そういえば、かつて西行桜が咲く勝持寺に花見に行ったこともありましたが、今年は花見らしきものに行けなかったなぁ。

鞍馬天狗

2016年に観た「鞍馬天狗」は観世流(シテは観世恭秀師)で《白頭》の小書付きでしたが、全体の流れは金春流でも変わりません。丹念に読めば詞章の中にはいろいろな和歌や漢詩が詠みこまれていて味わい深いのですが、ここではざっと舞台進行を振り返るにとどめます。


幕の内から「おまーく」の声が聞こえて、まずは前シテ/山伏(中村昌弘師)が茶の格子縞の上衣に白大口の山伏出立で静かに登場し、厳しい表情で正中に立って自分は鞍馬の奥僧正が谷に住む客僧であると名乗ると、今日は一山あげての花見なので自分も見ようと思うと語ってからいったん後見座へ……とここまで静寂のうちに本来なら進むところですが、実は鏡ノ間の方から時折子供の声が聞こえてきています。

ついでアイ/能力(大藏教義師)が文を持って現れ、西谷の桜が見事だからと東谷の衆を招く使いでやってきた、と語っているうちに稚児たちがぞろぞろと橋掛リに出てきました。一番小さい子は装束を着てお母さんの胸に抱かれて出てきましたが、きっと先ほどの声はこの子に違いないのに、いざ橋掛リに出てみるとおおむねおとなしくしているのが立派です。橋掛リの上に立ち並んだのはこの子を含む子方九人とワキ/東谷ノ僧(野口琢弘師)にワキツレ二人。国立能楽堂の長い橋掛リでもかなりの賑わい感がありますが、子方の人数には制限がなく時にはこの倍くらい出ることもあるのだそうです。

それはさておき、能力から受け取った文をワキが読み上げた後に囃子が入って地謡の花咲かば告げんといいし山里の……を聞きながら一同が舞台上に進み、脇座から大小前を経て常座近くにかけて居並ぶと、ワキの求めにより狂言小舞が始まりました。いたいけしたるものあり……からの玩具尽くしの小舞は謡いながらのところどころに高い跳躍と無音の着地を見せる飛ビ返リを入れてアイの身体能力を示しましたが、後見座にくつろいでいたシテがここで舞台に戻って中央にずいと座り込みます。観世流で観たときはこの山伏の位置は角に近いところでもう少し控えめな雰囲気だったと思いますが、中村師のこの無遠慮な様子には能力も驚きワキに注進するものの、事を荒立てることを望まないワキは花は明日にてもと稚児たちを先に下がらせ、その後について最後まで一言も台詞のなかったワキツレ二人と共に下がってしまいました。

これを呆然と見送った能力が憤懣やるかたない様子でシテに向かって拳を振り上げてみせてから「腹立ちや腹立ちや」と消えてゆくと、残されたシテは言語道断自分がいるからと皆が座敷を立ってしまったと嘆く台詞(上掛系ではこうした台詞はない模様)に続いて貴賤・親疎に関係なく花を共に眺めるのが春の習いだというのに、と白楽天の詩を引いて〈サシ〉を謡います。ところが、脇座にこれまた一人残っていた牛若(中村師の次男の優人くん)がシテに同情してあら痛わしや近う寄って花ご覧候えと声を掛けたところから舞台上は二人の世界。ことに地謡が言の葉茂き恋草の……恋のまさらんくやしさよと謡う詞章は稚児愛の情念が生々しく出てくるところですが、親子共演でもありここは「親しみをこめている」程度に受け止めてほしいと中村師は事前講座で語っていました。

ともあれ、先ほどの稚児たちは清盛の子であるためもてはやされているのに引き換え我が身は……とたそがれる牛若を、今度はシテが励まそうとその背に手を当て正面に導いて花の名所を案内することになります。下の図のように舞台前方に並び立ち地謡が謡う地名に合わせて向きを変えながら、愛宕高雄→比良横川→吉野初瀬と花の名所を次から次へと見て回るこの場面は、まるで雲の上に乗っているような浮遊感と共に二人の間に深い親愛の情が感じられて心温まるひとときでした。

かくして牛若に自分が大天狗であることを明かしたシテは、平家打倒のため兵法を授かろうと思うなら明日また会おうと告げると一気に一ノ松まで飛び去ってから〔中入来序〕を背にしずしずと橋掛リを下がっていきました。この鮮やかな緩急の変化に息を呑んでいるうちに牛若も後を追って揚幕に消え、ここで囃子の調子が変わって〔狂言来序〕になると異形の三人の木葉天狗たちがそれぞれ棒を手に出てきて間狂言になります。

ここでは仮に甲乙丙で呼びますが、まずは一人だけ縷水衣を着た木葉天狗甲(大藏彌太郎師)がここまでのあらすじを説明した後、奥義の伝授を受けた遮那王(牛若)の相手を申し付けられたので稽古をしようと語らい合って掛け声も高らかに乙・丙と立ち回りを始めました。ところがこれがコミカルかと思えばさにあらず、面を掛けているために視界が不自由なはずなのに、棒を見事に打ち合わせ、飛び上がってこれを避け、つばぜり合いから横にかわして背を打つといった具合に流れるような棒捌きで感心してしまいました。しかし三人の中では甲の力量がまさっていたらしく、敵わぬと見た乙と丙が「戻るぞ戻るぞ」と下がってしまうと甲も一人では稽古にならないと言って遮那王の名を呼びながら退場します。

〔一声〕と共に登場した牛若の姿は鉢巻も凛々しい白ずくめ、舞台に進むと長刀を振るい床に突き立てて自らの出立ちを朗々と謡い、地謡がこれを讃えるうちに脇座へと立ち位置を変えました。するとテンポがぐっと落とされて〔大ベシ〕の囃子が荘重に奏され、やがて登場した後シテ/大天狗の姿は赤頭の上に兜巾を戴き面は大癋見、黒と金の毘沙門亀甲らしき文様の狩衣と紅地に金の鱗文・三つ雲巴の半切、そして右手には大きな羽団扇。一ノ松まで出てそもそもこれは、鞍馬の奥僧正が谷の大天狗なりと粘り気のある名乗リを上げましたが、囃子方の〔大ベシ〕やこのシテの名乗リのゆったりしたテンポは、高空の飛行機がゆっくり動いているように見えるのと同じく実際には高速で飛翔しているイメージなのだそうです。また冒頭の金子先生の解説によれば、能に出てくる天狗は最後に力及ばず退散する者が多い(「車僧」「是界」「大会」)のに対しこの曲の天狗は正義の味方。地謡との掛合いで供の天狗たちを紹介している間にも袖を巻き、回って足拍子を轟かせ、両手での招キ扇から進み入って舞台を高揚させた後に、牛若に稽古の様子を尋ねてから大小前で床几に掛かって漢の張良の故事を説明します。その最後に牛若が自分を師と仰ぐのも兵法の大事相伝を受けて平家を討とうという心からであろうと讃嘆するところでシテが振り下ろした羽団扇は後見の手に渡り、シテは立ち上がって牛若から長刀を受け取ると、下から一度二度と切り上げる型を見せる勇壮な〔舞働〕。

キリに入って再び羽団扇を持ったシテは引き続き舞台を大きく舞い続け、平家打倒を予言してそれまでの守護を約しこれまでなりやと一礼をして去ろうとしたとき、牛若はシテに駆け寄って常座のあたりでその袖にすがり引き止めようとしました。しかしシテは牛若を優しく脇座に送り返し、ここで牛若と互いに廻り合ってから正先で左袖を巻き上げ、最後に常座で羽団扇を投げ捨てると牛若に背を向けた姿で失せにけりと留拍子を踏みました。


終曲後、多くの公演では舞台上がすべて無に帰ろうとするところで拍手になりますが、この日はシテに続いて牛若の優人くんが揚幕に消えるところで拍手が湧き上がり、その後に附祝言が謡われました。自分は見所で手を叩くことはまずしませんが、この日に限ってはこれも自然かもしれないなと思いながら席を立ち、その後は例によって旧友A女史と駅前のカフェで近況報告・感想交換です。

  • 最初に出てきた稚児の子たちは皆しっかりしていた。一番小さい子(3歳の政木隆之介くん)も行儀が良かった。
  • 牛若はがんばった!声がかすれ気味で早口だったし、長刀を突いて立っているときはぐらぐらしていたけど、台詞も所作もちゃんと頭に入っていたのは偉い。でもお父さん(シテ)が床几に掛かるんだったら息子(牛若)にも床几を出してあげればいいのに。←そういうわけにはいきません。
  • 笛の音がとにかく綺麗だった。杉信太朗師は若いけど本当にうまいよね。
  • 小鼓は女性だったけど全然違和感なかった。途中まで女性だということに気付かなかったくらい。

この最後の感想はA女史のものですが、実は自分も、初めて大山容子師の小鼓を聞いた「千手」で感じていた一種の「違和感」がこの日はまったくと言っていいほど感じられなかったことにうれしい驚きを覚えながら囃子を聞いていました。それが掛け声の発声が変わったからなのか、大鼓(原岡一之師)とのコンビネーションによるものなのか、はたまた国立能楽堂という大きな空間の音響効果によるものだったのかは不明ですが、とにかくこれからも活躍していただきたいですし、応援したいと思います。

応援すると言えば、次回(第七回)の中村昌弘師の会は来年7月23日開催で演目は私の好きな「海人」だそう。今からとても楽しみです。

配役

仕舞 花月キリ シテ 中村昌弘
地謡 本田布由樹
笠之段 シテ 宇髙竜成
地謡 宇髙徳成
狂言 盆山 シテ/男 大藏基誠
アド/亭主 吉田信海
仕舞 西行桜 シテ 高橋忍
地頭 金春憲和
鞍馬天狗 前シテ/山伏 中村昌弘
後シテ/大天狗
子方/牛若 中村優人
子方/稚児 畔上徹
子方/稚児 畔上弦
子方/稚児 政木隆之介
子方/稚児 大幡明凛
子方/稚児 大幡美遥
子方/稚児 甲賀優月
子方/稚児 野村遙花
子方/稚児 橋本琳太郎
ワキ/東谷ノ僧 野口琢弘
ワキツレ/従僧 野口能弘
ワキツレ/従僧 吉田祐一
アイ/能力 大藏教義
アイ/木葉天狗 大藏彌太郎
アイ/木葉天狗 小梶直人
アイ/木葉天狗 大藏康誠
杉信太朗
小鼓 大山容子
大鼓 原岡一之
太鼓 金春惣右衛門
主後見 本田光洋
地頭 金春安明

あらすじ

盆山

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