塾長の鑑賞記録
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塾長の鑑賞記録

犬王

2022/05/31

TOHOシネマズ渋谷でアニメーション映画『犬王』(湯浅政明監督)を見てきました。犬王(道阿弥)は実在の人物で、大和猿楽の観阿弥・世阿弥親子と人気を二分する近江猿楽の名手であったとされていますが、後世にその事績がほとんど残っていないこの人物を取り上げて古川日出男が書いた『平家物語 犬王の巻』を原作とし、湯浅政明監督・野木亜紀子脚本でアニメーション化したのが本作です。

公式サイトによるストーリーのあらましは次の通りです。

室町の京の都、猿楽の一座に生まれた異形の子、犬王。周囲に疎まれ、その顔は瓢箪の面で隠された。ある日犬王は、平家の呪いで盲目になった琵琶法師の少年・友魚と出会う。名よりも先に、歌と舞を交わす二人。友魚は琵琶の弦を弾き、犬王は足を踏み鳴らす。一瞬にして拡がる、二人だけの呼吸、二人だけの世界。

「ここから始まるんだ俺たちは!」

壮絶な運命すら楽しみ、力強い舞で自らの人生を切り拓く犬王。呪いの真相を求め、琵琶を掻き鳴らし異界と共振する友魚。乱世を生き抜くためのバディとなった二人は、お互いの才能を開花させ、唯一無二のエンターテイナーとして人々を熱狂させていく。頂点を極めた二人を待ち受けるものとは――?

歴史に隠された実在の能楽師=ポップスター・犬王と友魚から生まれた、時を超えた友情の物語。

まず最初に映像が現代から室町時代へとコマ送りのように遡った上で、手塚治虫『どろろ』の百鬼丸と同じ理由(その謎解きはクライマックスで行われる)から異形の子となった犬王の誕生と、壇ノ浦に沈んだ平家の呪いが三種の神器の剣を依代として友魚ともなの視力及び友魚の父の命を奪う顛末がイントロダクション的に描かれます。

そこから友魚の旅と琵琶法師への転身、犬王との出会い、そして犬王は滅んだ平家の追憶を舞い、友魚は犬王その人を歌うそれぞれのパフォーマンスと名声の獲得へと進んで、クライマックスとなる北山殿での足利義満を前にした演能において犬王はその芸の完成と共に鎮魂が成就して正常な直面を取り戻すのですが、直後に政権(北朝)の求心力を確保するための平曲統一のあおりを受け犬王は独創を封じられて政権に取り込まれ、一方これに徹底的に抵抗した友魚改め友有ともありは賀茂の河原で斬首されてしまいます。

エピローグは舞台を再び現代に戻し、京都の夜の市街に佇む友魚の霊の前に彼を探し続けていた犬王が現れると、二人の姿は初めて出会ったときの少年の姿に変じ、600年前の出会いの会話をそのまま再現して、未来に向けた希望の片鱗を見せて終わります。

原作は読んでいないものの、興味深い題材であるだけに期待して映画館に足を運びましたが、観終えてみると自分には気になる(気に入らない)点が少なからずありました。

動画
線の繊細さ、カラフルでいて上品な色使いの美しさには惹き込まれましたし、アニメーションとしての面白みも随所にあり、たとえば弱視になった友魚やひょうたん面の目穴を通して外を見る犬王の視界の主観的表現はアイデアとして面白く、他にもさまざまな技法を使い分けて興味深いものでした。
足が長くなった犬王が京の町中を疾走する場面や、クライマックス近くのドローン的な視点移動のスピードも爽快でしたが、いかんせん友魚によるライブ演奏の場面が異様に長く、この間の映像の動きが単調に終わったのが残念です。ついでに書けば、クライマックスで明らかになる犬王の顔(直面)がまるでデーモン閣下というのはどうなのか?
音楽
「室町時代のロックオペラ」を標榜するだけあって、音楽は本物の琵琶の響きを生かしながらも基本的にストレートなロック。髪を振り乱して歌う友魚のバンドは彼が抱える琵琶がギターとなり、もう一人が大きな琵琶をウッドベースのように立てて弾き、ドラム代わりの太鼓が加わった上に火吹きパフォーマーを伴っていて、ストリートミュージシャンの雰囲気です。友魚による歌は犬王の運命を説明する内容で、歌詞を確実に客席に届ける工夫がほしかったとも思う一方、実はそれは映像でも十分に伝わっているので単調な節回しの60-70年代風ロックを長時間聞かせる必然性はない(という点では間狂言に似ていなくもない)というのが率直な感想でもあります。
犬王が聴衆を煽動するショウもまた熱狂的に受け入れられて京童たちの噂の的になりますが、Queenの「We Will Rock You」そのままの演出が繰り出されたときには「えっ?」とのけぞりました。
このロックフェスの興奮は能楽の幽玄とは対極にあるものですが、とはいえ先進の芸能がその時代時代において熱狂をもって人々に迎えられたことは事実(たとえば玄奘が求法の旅の途上に西域の王の前で行った説法も同様)なので、さほど違和感があったわけでもありません。
舞踊
能楽実演監修に亀井広忠師がクレジットされていますが、犬王の舞踊は父(比叡座棟梁)や藤若(後の世阿弥)のような能楽の舞ではなくバレエ、新体操、ブレイクダンスを場面ごとにそのままの様式で繰り出すもの。もろに「これはMichael Jacksonだ」という動きもあればはっきりと「ボレロ」の振付を用いたパートもあって、著作権的に大丈夫なのか?という不安を感じました。オマージュと呼べば呼べなくもありませんが、犬王の革新性を描くためにはオリジナリティのある振付を用意してほしかったところです。
なお舞踊ではありませんが、犬王の父の命を最後に奪う目の巨大な古面の声は片山九郎右衛門師、谷本健吾師、坂口貴信師、川口晃平師の四人の声が重ねられているそうです。
ストーリー
バディムービーでもあるということでしたが、それにしては主人公二人の友情の深まりが思いの外に彫り込まれておらず、全編を通してそれぞれに我が道を並走し続けていたという印象です。それでも最後に幕府からの締付けが苛烈になったとき、犬王は友魚の命を守ろうとして自分の芸を諦めたのに対し、友魚は自分の琵琶語りにこだわり続けて命を落としてしまい、その後の犬王は歴史の中にフェードアウトしたことが画面上の文字で説明されるばかり。この二人以外の登場人物では琵琶法師・谷一、友魚の父、犬王の父、足利義満に存在感があってそれぞれの味を出していましたが、自分が最もリアリティを感じ感情移入できたのは、芸道の虜となって人の道を外し無惨な最期を遂げる犬王の父でした。ただ、最後にもう一度現代に戻って過去の会話を再現するという演出は巧みで、「鎮魂の芸能」という時代を超えた主題を見事に描出しきった感がありました。

いろいろと文句をつけてしまいましたが、根本的に絵の美しさと構図の斬新さ、動きの滑らかさは特筆すべきものがあって、アニメーション映画ならではの視覚的喜びは存分に味わうことができました。そのことをとっかかりとしてもう一度この作品を見直してみたならまた違った印象を得ることができるかもしれませんが、今のところは、その前にまず原作を読んでみなくてはと思っているところです。

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