塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

骨皮 / 籠太鼓

2022/07/06

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「骨皮」と能「籠太鼓」。いずれも初見です。

二日前に九州に上陸した台風4号は温帯低気圧に変わって南の海上に抜け、今日の東京上空はどんより曇り空であるものの風も雨も穏やか。暑さが和らいでむしろ過ごしやすいくらいです。

骨皮

静かに登場したのは共に角頭巾に長衣姿の住持(網谷正美師)と新発意(茂山七五三師)で、住持の長衣は黒く重々しく新発意の方は水色で軽やかで、住持の頭巾の黒金市松模様や新発意の半袴などが格の違いを示しているよう。住持が新発意を呼び出し、自分も歳をとって朝夕の勤行や檀那あしらいが難しくなったので寺を譲ろうと言うと、修行半ばだからといったんは辞退した新発意でしたが、檀家もいいと言っているし自分も遠くに行くわけではない(眠蔵めんぞう(寝室)に籠って求聞持ぐもんじ(記憶力増強の修法)を繰っている)から安心せよと言われて引き受けることになり、住持からは檀那衆の気に入られるようにせよと訓戒を授かります。しかしこの辞退は体裁をつけただけのようで、一人になった新発意は「いつ譲ってくれるかと思っていた」と大喜びしつつ、師の教えの通り檀那衆を大事にしようと独り言。

そこへやってきた檀那(島田洋海師)は一ノ松から案内を乞い、これに新発意が応対して自分が寺を継いだことを告げると祝いの言葉を述べましたが、彼の用件は山一つ向こうへ行くのに雨が降りそうなので傘を貸してほしいというもの。さっそく「檀那を大切に」という教えを実践する機会を得た新発意は、喜んで住持の傘を貸し与えます。傘借りが帰った後に住持に褒めてもらおうとこの由を伝えると、最初「島田殿は常はこの寺に来ないのだが」と不思議がった住持は自分がまだ一度も差していない新品の傘を貸されてしまったことを知って怒り出しました。そして、そういうときは「傘は先頃住持が差して風に会い、骨と皮とにべちべち(ばらばら)になってしまったので、括って天井へ打ち上げてあるからお役に立ちますまい」と断るようにと諭します。

褒められるかと思いきや叱られてしまった新発意は、口ではわかったと言うものの不服そうに立ってぶつぶつ。そこへ右足を引きずりながらやってきた次の檀那(増田浩紀師)は、先ほどの傘借りと同様に山一つ向こうへ行こうとするものの、持病の脚気がおこったからと寺の馬を借りるために寺を訪ねます。ここでも傘借りと同じやりとりが繰り返されましたが、先ほどは気前よく傘を貸した新発意は今度は住持に諭された通り「ばらばらになってしまったので、括って天井へ打ち上げてある」と断ってしまいます。いや、馬のことですよ?いかにも馬のことでござる、というやりとりに諦めた馬借りは首をひねりながらしおしおと下がっていきました。

今度こそ褒められるだろうと報告する新発意に、住持は馬借りの脚気を難儀なことであろうと同情して馬を貸してやったか?と尋ねましたが、先ほど教わった通りに言って断ったと説明されて住持はおいおいと扇で床を叩き、それは傘を断る挨拶だ、馬のときは「上の山へ青草につけておいたところ駄狂いして谷に転び落ち腰の骨を打ったので、厩の隅へ菰を着せて寝かせたが、今朝見たところ目ばかりぎょろりとして動かないのであれではお役に立ちますまい」と言えと教えます。

二度も叱られて憤然とした新発意でしたが、またしても檀那(井口竜也)が登場して今度はすっと舞台に進み入り、名乗りの後に案内を乞いました。今日ほど人の来る日はない!とイライラしながら応対に出た新発意に、その檀那が住持と新発意を忌日の斎ときに招待したいと来意を告げたところ、新発意はこれを謝しつつ「自分は行くが師匠は行かれない、なぜなら……」。いや、お住持のことですよ?いかにもお住持でござる。驚いた檀那は、それは気の毒だが是非に及ばぬと新発意だけを誘って引き上げました。

今度こそ……と報告して叱られることの繰り返しの中で、怒りのあまり思わず立ち上がって新発意の腕をつかんだ住持の口から「いつ自分が駄狂い(さかりがついて暴れること)した」と問い詰められた新発意は、思わぬ反撃に出ます。すなわち、門前のいちゃが来たときに「こちへおじゃれ」(何やら艶めいた様子の住持の口真似)と眠蔵に連れ込んだではないかとにやにや。さすがにしどろもどろになりながら「あれはいちゃに衣の綻びを縫ってもらったのだ」と言い訳をする住持ですが、それで「顔と顔とをつきあわせ、しっぽりと汗をかくものか」と新発意が露骨な表現で攻め立てたために住持は思わず新発意を引き回して倒してしまいますが、師匠だからといって負けるものではないと新発意は同じように住持を引き回して倒します。手を打ち合わせて喜び、勝ったぞ勝ったぞと下がっていった新発意を舞台上から見送った住持は、幕の内へと消えていった新発意の背中に悪態をついた後、やるまいぞと追っていきました。

狂言としての面白みのポイントは来訪者の用件と断りの言葉が対応していない新発意の間の抜けぶりですが、どうやらそれだけでなく、檀那と寺との普段の付き合いも見極めて臨機応変に檀那あしらいをすることを住持は期待していたようです。最初は「めったに寺に来ない傘借りに自分の真新しい傘を貸すとは」、次は「脚気で難儀しているのだから馬を貸さねば」、そして最後は「寺にも再々来てくれる檀那の斎の誘いを勝手に断るとは」。最初の傘に関しては住持の少々世俗的なところも見え隠れしていますが、いずれにせよ、シチュエーションの違いにおかまいなしに師匠から教わった挨拶を鸚鵡のように告げて檀那衆を困惑させる新発意の間の抜けた様子にはチャップリンやローワン・アトキンソンをも連想させる天然の味わいがありました。ピュアな関西弁のイントネーションもその味わいの増幅に一役買っていたと思いますが、それだけに住持がやり込められてしまう結末がどんでん返し、かつ伏線(眠蔵)回収となって、なんとも痛快でもありました。

また「いちゃ」というのは「御茶の水」に登場する娘の固有名詞だと思っていたのですが、どうやら新発意物で門前に住む娘の名前として広く通用するもの(「太郎冠者」のように)らしいということを初めて知りました。

それにしても、住持をあれほど怒らせてしまった新発意は無事に寺を継げたのでしょうか?

籠太鼓

いつになく長いお調べの笛が消えた後に、地謡と囃子方に続いて後見が大小前に据えた作リ物は格子で囲まれた籠(牢屋)。ついで名ノリ笛と共に黒地に飛鶴文の直垂上下出立のワキ/松浦の某(大日方寛師)と太刀持ちの従者(茂山千五郎師)が登場し、舞台に進んでまずはワキが名ノリと共に関の清次という「大剛の者」が他郷の者を口論の末に討ったので籠に入れている旨を説明しました。

ワキから籠の番をするようにと命じられた従者は、日頃心やすくするのもこのようなときのためだと独りごちて籠の中(にいるはずの清次)に向かい何か用があれば叶えてやろうと声を掛けるのですが、優しい牢番だなと思って観ていたら、字幕表示器に映った解説では従者は清次の腕力を恐れへつらいながら声を掛けているという設定だそう。ところが返事がないことを不審に思った従者は牢内が空であることに気付いて仰天のあまり「南無三法」とくるっと一回転、しばし悩んだものの覚悟を決めて脇座に座しているワキに角から清次の脱獄を報告しました。案の定、叱られて平伏した従者ではありましたが、ワキの家族の有無を問われて妻があることを知らせたことからその妻を連れてくるよう命じられてまずはほっと一息、一ノ松に出て幕(清次の館)に向かい妻を呼び出しました。

これを聞いてそっと幕の前に出てきたシテ/関清次の妻(観世恭秀師)の出立は、無紅唐織着流出立に面は頼りなさげな深井。科人を入牢させた上に妻まで罪に問うとは無慈悲な、といかにも心細そうに語るシテをなだめすかしたアイは、ワキの元に戻って妻を連行した旨を報告します。舞台上、籠に向かって左手前に下居したシテに対しワキは夫の逃亡先を知っているだろう、真っ直ぐに白状せよと迫りますが、シテは消え入るような声で夢にも知らず候。しかし、ワキはシテを夫の代わりに入牢させるべくアイにその旨を命じます。

ここでの詞章がプログラムでは上のように二段になっているのが珍しく、どうなるのかと観ていたところ、実際には最初の今の女を引き立てての後にワキがアイに命じアイがこれに応えるやりとりがあり、その後二度目の今の女を引き立ててが始まってからアイは籠の扉を開け、シテの後ろに立ちお立ちそいとシテを立たせて作リ物の中に送り込み、籠の中に下居したシテが地謡の無慙なるを聞きながらシオリとなる流れでした。

シテを籠の中に押し込めた従者は脇正あたりに膝を突いて「がつきめ!」と大音声。腰(の刀)に手を当てて今度は油断せぬと息巻きましたが、ワキは女相手に腰刀は無役とたしなめ、籠の周りに太鼓を付けて一刻ごとに打つように命じます。その命に従って従者は後見から鞨鼓を受け取り作リ物の向かって左に括り付け、扇を撥に見立てて「どん、どん、どんどんどんどんどん」と口三味線ならぬ口太鼓。満足した従者は籠の前に安座して扇を頬に当て、寝入る形となります。

舞台上が静かになると、シテは籠の中でげにや思ひ内にあれば、色は外にぞ見えつらん、包めども、袖にたまらぬ白玉は、人を見ぬ目の涙かなと咽ぶが如く消え入るが如く謡ってシオリ。見る者の胸にぐっと迫る悲痛の表現ですが、これを聞いて最初はかしましいと怒った従者も籠の中のシテが泣いている姿を見てワキにシテが狂気したと報告しました。知らせを受けたワキは籠に向かうこととし、この旨を常座から「皆々承り候え」と告げてアイが切戸口から下がったところで、ワキは脇座に立ちいかに女、何とて狂気とはなりたるぞとシテに問い掛けました。ここからは終曲まで、シテとワキとの対話が展開することになります。

契りし夫も行方知らず、残された自分も籠の中となって物に狂うのも当然ではないかと答えるシテ、それももっともだが夫の所在を教えれば籠から出すので白状せよと呼び掛けるワキ、知っていても答えないしそもそも知りもしないと毅然と返すシテ。これに感じ入ったワキは自ら籠の扉を開いて出るようにとシテに告げましたが、シテ曰く、夫の身代わりとして自分はここにいるのだ、そしてこれこそ形見よ懐かしやと作リ物の柱に縋りつきました。そのシテの心情をじっくりと謡う地謡を聞きながら、シテは尽きぬ名残ぞ悲しきとシオリ、西楼に落ちる月を見上げ、最後は俯いてじっと小さくなってしまいます。重ねて籠を出るように促すワキの言葉に我が夫はいづくにあるやらん、なう心が乱れさむらふぞやと嘆きながら右肩を脱いだシテは、扇を手に作リ物を出てシオリつつ常座に進むと籠に掛けられている鼓を見て何の為に懸けられて候ふぞ。牢守が時を知る合図のためだと教えられて面白し面白し、異国にもさる例あり……と興に乗る様子を示しましたが、一連のシテの語りにはどことなく地に足がつかない浮遊感のようなものも漂います。時守の打ちます鼓声聞けば 時にはなりぬ君は遅くて(時の鼓は鳴ってもあなたはまだ来ない)という古歌を引用し、時の鼓のように足拍子を響かせつつ夫を偲んだシテは、地謡遅くも君が、来んまでぞから〔カケリ〕。舞台を廻り、さらに常座と角の間を往復する中でダイナミックなテンポの変化を見せた後、ワキの許しを得て鼓を打ち、地謡との掛合いの内に舞台上を舞い巡って現もなやな懐かしやと籠に背を当てシオリ。さらに〔鼓之段〕となって、日が西に傾き「六つ(午後六時)の鼓打たうよ」「五つ(八時)の鼓は偽りの」「四つ(十時)の鼓は世の中に」と数え歌のように進む時の経過の中にシテの心情を謡う地謡を聞きながら、シテは舞の中に「引き離す」形や開いた扇で鼓を打つ形を入れ、遂に「九つ(十二時)の夜半にもなりたりや」に至って夫の面影を見てあら恋しとわななく様子を写実的に示すと身代わりに立ちてこそは、二世のかひもあるべけれ、この籠出づる事あらじ、懐かしのこの籠やと自ら籠に戻り扉を閉めてモロシオリとなりました。

遂にワキは夫婦共に命を助くべし、疾う疾う出で候へとシテに呼び掛け、ここに至ってシテはワキを信用して真は夫の在り所、筑前の宰府に知る人あれば、そなたへ行きてや候ふらんと明かすと、ワキも今年は我が親の十三回忌だから科があっても助けようと請け合います。再び籠から出てきたシテはワキに向かって下居合掌してから立って舞台を廻り、ワキに会釈の後、ハッピーエンドのキリの地謡を背中に聞きつつ常座で留拍子を踏みました。

上演時間が1時間にも満たない一場物の本曲は、解説によれば作者は不明ですが、世阿弥以後、音阿弥・禅竹時代に作られたようとのこと。いわゆる狂女物の一つで、失った夫を思って太鼓を打ちながら狂うという点では「富士太鼓」と共通する部分がありますが、実はシテの物狂いがワキを欺く演技に過ぎないという点が大きく異なっていて、それだけに終演後に少々後味の悪いものを感じていました。劇としての構成も工夫されており、詞章も巧みな技を見せつつ情趣豊かなものでありながら、最後は全部嘘でしたとひっくり返されたようで、シテに感情移入ができません。それに、詞章の中に「九州松浦」「筑前の(太)宰府」と地名は織り込まれているものの道行などの情景描写は皆無で、果たして舞台が松浦である必然性はあるのか?とも思ったのですが、後で調べてみたところ実は松浦市に近い唐津市の浜玉町に「関の清治」の伝承がありました。その内容は本曲とは大きく異なり、次のようなものです[1]

関の清治は大村の里(現在の五反田地区)の豪族であるが、親友の浜窪治郎の密告のため牢獄に繋がれた。強力な彼は、牢を破って脱出し行方を暗ました。探索の手は厳しく、妻は狂死し、子は舌を噛み切って息たえた。これを聞き清治は自首して出たが、領主は妻子の者どもが死に至るまで清治の所在を白状しなかった貞節と孝行を称えて、その罪を許した。哀惜の情にたえず、清治は自らの刃に伏してその後を追った。時人塔を建てて霊を弔った。程なくその側に一本の松が芽生えた。葉が三つあるので「三つ葉の松塚」「関清治松」と言う。

この悲惨な物語をハッピーエンドに変えるために作者がシテに作り狂気を演じさせたのだとしたら、これはこれで見方を改めなければと思ったところでした。

なお、この曲の前半ではアイが相当に活躍します。清次、清次と籠に向かって呼び掛ける声の調子も「おや?」という気持ちを口調にこめてずいぶんリアルですし、その後のシテやワキとのやりとりもストーリーを牽引します。そして脱獄を松浦某に報告する抜けてござるは、「道成寺」の落ちてござる「安達原」の見てござるとともに「三ござる」と呼ばれるそうです。

配役

狂言大蔵流 骨皮 シテ/新発意 茂山七五三
アド/住持 網谷正美
アド/傘借り 島田洋海
アド/馬借り 増田浩紀
アド/斎の案内 井口竜也
観世流 籠太鼓 シテ/関清次の妻 観世恭秀
ワキ/松浦の某 大日方寛(宝生欣哉代演)
アイ/従者 茂山千五郎
一噌庸二
小鼓 森澤勇司
大鼓 安福光雄
主後見 寺井榮
地頭 坂井音重

あらすじ

骨皮

寺を譲られた新発意が、にわか雨で傘を借りに来た人に老僧秘蔵の傘を貸してやり、あとで老僧にそのようなときは風に吹かれて傘が骨と皮になったと言って断わるようにと教えられる。次に馬を借りに来た人に傘の断わり文句を言うので、老僧が、そういうときは馬が駄狂いして腰が立たないと言えと馬の断わり文句を教えたところ、今度は斎の招待に来た人にそれを言い、ついに老僧と口論になる。

籠太鼓

殺人の罪で主君・松浦某の牢に繋がれていた関の清次は、番人の隙を突いて脱獄する。松浦某は清次の妻を召し出し尋問するが、妻は知らぬと言うばかりなので、夫の代わりに牢に繋がせ、牢には時を知らせる鼓をかけさせる。牢の中で狂気となった妻は夫を慕って嘆き、あまりのいたわしさに某が牢から出してやるが、妻はなおも夫を慕い、鼓を打って狂乱し、この牢こそ夫の形見よと言う。見かねた某が夫婦ともに赦そうと誓うと、妻は喜び、夫のもとへと下っていく。