日本の風景を描く-歌川広重から田渕俊夫まで-

2022/12/16

山種美術館(広尾)で「特別展 日本の風景を描く-歌川広重から田渕俊夫まで-」。

山種美術館のサイトにおける本展の開催趣旨は、次の通りです。

日本の風景は古くから美術の題材として描き継がれてきました。特に19世紀、江戸後期には、街道が整備され人々の旅に対する意識が増し、日本各地の宿場や名所を捉えた歌川広重の浮世絵風景画が高い人気を得ます。明治に入ると、西洋の写実的な風景画が日本にもたらされたことや、日本各地の風土への関心が高まった風潮により、目の前に広がる身近な自然が描かれはじめます。さらに昭和の戦後には、抽象的な表現や画家の心に刻まれた景色も風景画に取り入れられるようになり、日本の風景の描かれ方が多様化していきました。

本展では、宿場や名所を中心に抒情豊かな風景を表した歌川広重の《東海道五拾三次》や《近江八景》、自然とともに日常を営む人々を取材した川合玉堂の《早乙女》、送電塔の立つ農村風景という現代的な情景を描き出した田渕俊夫の《輪中の村》などをご紹介します。風景画の名手たちが描いた数々の優品とともに、日本の風景の魅力をご堪能いただければ幸いです。

そして本展の見どころは、次の三点とのこと。

  1. これぞ日本の風景画、名だたる画家の作品が大集合!
  2. 37年振りに公開する秘蔵の名品が揃います!
  3. 渋谷を描いた作品、米谷清和 《暮れてゆく街》が撮影可能!

すべての「見どころ」に「!」が付いているのが微笑ましいところですが、こうまで強調されては見ないわけにはいきません。

最初に全体のイントロ的な位置に置かれていたのが、川合玉堂の《春風春水》(1940年)です。こごしい岩の表現がまず目を引きますが、その上の若葉の芽吹きと山桜の白い花・赤い葉、穏やかな水の流れとワイヤーを使って渡される舟の上の女性の表情がいかにも春の和やかさ。よく見ると岩の水面下の部分が影のように描かれているのがこの絵に写実の風をもたらしています。この絵に見入って心を落ち着けてから、以下の各章各節へと進みます。

第1章 日本における風景表現の流れ

平安時代の歌枕、室町時代に禅宗と共に広まった山水画、江戸時代に街道が整備されたことで描かれるようになった真景図……という歴史の流れを説明した上で、最初に「憧れの地・中国を描く」として山水画のいくつかが置かれました。ここでは谷文晁《辛夷詩屋図》(1792年)の小ぶりながら大胆さと緻密さの共存した表現に(茶を基調としているのにカラフルに見えるその色彩感覚にも)まず驚かされ、ついで、右奥に優しい形の山を置き中央に川の流れ、左手前に桃が満開の穏やかな桃源郷の眺めを描く山本梅逸《桃花源図》(19世紀)に惹き込まれました。

どれだけ惹き込まれたかと言うと、見終わってから「Cafe椿」で例によって和菓子をいただくときに迷わずこの《桃花源図》を題材とした菓子をいただいたほど。

次に「実在の地を描く」として、近江の愛知えち川上流の景観を描いた日根対山《越渓秋色図》(1856年)が何ともステキ。横長の画面に墨で描かれた山水風景の中に控えめな赤で彩色された紅葉が広がっているのですが、その赤が周囲の山肌や田や水面に薄い茶色をもって照り映えているように描かれていて、これまた長時間見入ってしまいました。

堂々の歌川広重『東海道五拾三次之内』《日本橋・朝之景》《品川・日之出》《箱根・湖水図》《岡部・宇津之山》(1833-36年頃)もこのコーナー。やはりすごい。特に前二者は、帆柱の間から昇る朝日や橋の向こうの左右の雲が省略されていない初期の摺だそうです(会期中に入替あり)。

ここまで20点もないのに、じっくり見ていたら1時間近くかかってしまいました。

第2章 風景表現の新たな展開

明治になって西洋画の技法を取り入れて日本の風景を描くようになり、題材も名所絵から身近な風景へと移り、そこに戦後には都市の景観が加わるという大きな流れの解説があって、「西洋絵画を学ぶ」「様々な挑戦」「名所を描く」「名もなき風景を描く (1)田園風景 (2) 空と雲 (3)雪景色」「都市を描く」「心象風景を描く」と節が連なります。

まず佐伯祐三と荻須高徳が描くパリの市井の骨太な描写に度肝を抜かれ(と言っても制作年からして既に「学ぶ」という時代ではないような気がしますが)、川端玉章《海の幸図》(1892年頃)の右・近景の漁村の細密とデフォルメとの拮抗と、左・遠景の遠近法による奥行きとの共存とに感嘆。どうやら自分はこうした写実を交えた山水表現がとりわけ好みであるようです。

リアルという点では山元春挙《火口の水》(1925年)もすごい。それもそのはず、画家は実際に各地を訪れて写真を撮ったり写生を行って迫真の描写を心掛けていたそうで、この火口壁の脆そうな岩の表現は登山者目線で見てもぞくっと来るものがあります。また、右下で小さく描かれているシカの姿がこの景観全体のスケールを大きなものにしていますが、そのシカが口をつけている水面に背景が投影しているようなグラデーションや前傾の草花には繊細な心遣いが感じられます。

関東大震災の直後の焼け果てた東京の寸景をキュビズム風に描く速水御舟《灰燼》(1923年)のあまりのシュールさに目を奪われた後、今回の展示の白眉と思われる石田武《四季奥入瀬》の連作四点(1985年)にほっと一息。一点一点が大きくかなりの展示スペースを割いて並べられたこれらの作品は、発表以来初めて同時に展示されるそうで、しかも《春渓》《瑠璃》は37年ぶりの展示だそうです。

▲《春渓》。泡立ちながら渦を巻く川の流れからは音が聞こえてきそう。
▲《瑠璃》。巨大なミズナラの木と右下のカワセミとが等価であるかのように描かれている。
▲《秋韻》。黄葉の絨毯の中にとこどどころ混じる紅葉がよいアクセント。
▲《幻冬》。この作品だけ、実景の中に気に入る構図がなくイメージで描いたものだそう。左の黒い樹林の斜面とその下の雪の斜面との接線にくねくねと描かれているのは道路だろうか?だとしたら、他の三点には人の気配がないのにこの作品にだけ人工物を取り込んだのはいかなる意図に基づくのだろう?

《四季奥入瀬》は小テーマ「名所を描く」の一部に位置付けられており、同じパートには歌川広重の『近江八景之内』《瀬田夕景》《三井晩鐘》(1834年頃)や川合玉堂の神がかった雰囲気が漂う《竹生嶋山》(1928年)などが並んで、次の「名もなき風景を描く (1)田園風景」に移ります。

川合玉堂《早乙女》(1945年)には田植えに勤しむ女性たちの姿が明るく描かれており、立ち上がって息をついている様子の女性の表情には労働を楽しんでいるようなゆとりすら感じられて、この作品が昭和20年というタイミングで制作されていることを忘れそうになります。かたや本展覧会のサブタイトルにも登場する田渕俊夫《輪中の村》(1979年)は、上三分の一を占める遠景の村とその上の送電鉄塔を描く直線が空に用いられているアルミ箔(膠づけしたもの)の光沢と相まって冷たい印象を与えますが、見る角度を変えるごとに煌めく顔料の細かい粒子や、下半分に描かれた畑の畝の柔らかい線がそうした冷たさを緩和してくれてもいます。この絵は確かに、日本の風景画のひとつの到達点と言いたくなる独特のムードを漂わせていました。

さらに、山田申吾《宙》(1973年)の草むらに寝転んで空を見上げた構図を面白く眺め、安原成美《雪原に立つ杉》(2021年)の凛とした杉の木の気品に心打たれて、この日一つだけ写真撮影が許可されていた米谷清和《暮れてゆく街》(1985年)の前に立ちました。

解説によれば、これは渋谷の景色だそうです。

東京・渋谷の街を題材とした作品。建物は渋谷のランドマークとして親しまれた東急百貨店東横店(2020年営業終了)の南館で、駅に直結する建物だけに、通路には行き交う人々や待ち合わせする人々がひしめいている。手前には西口バスターミナルの乗り場や、白い柵に囲まれたモヤイ像も見える。都市のリアルな日常を印象的に描き出し、第8回山種美術館賞展で優秀賞を受賞した。

東日本大地震(2011年)の夜、私は茅場町の職場から徒歩での帰宅の途中にここを通りがかり、そこであり得ないほどの長蛇の列でバスを待つ人々の姿を見たことを思い出しますが、今では渋谷駅と周辺施設のリニューアルの一環としてすっかり景観が変わっています。それでも、この日の帰りがけに思いついて似た構図から写真を撮ってみたところ、まだかろうじて絵の中の風景の面影が残っているように思えました。

この後には抽象画へと接近していく「心象風景を描く」のパートに移り、銀閣寺庭園の銀沙灘と向月台を低い位置からの目線で青白く描く小野具定《白い海》の静謐にしばし見とれ、第二展示室の千住博《街・校舎・空》のキリコ的な夕景の虚無に打ちのめされて、一連の鑑賞を終えたのでした。

  • ▲表面(上→下):歌川広重《東海道五拾三次之内 日本橋・朝之景》 / 田渕俊夫《輪中の村》
  • ▲裏面(左上→右下):川合玉堂《早乙女》 / 歌川広重《近江八景之内 石山秋月》 / 山元春挙《火口の水》 / 東山魁夷《白い壁》 / 近藤弘明《清夜》 / 石田武《秋韻》 / 石田武《瑠璃》

鑑賞を終えた後、例によって美術館の1階にある「Cafe椿」でこの日展示された作品にちなんだ和菓子と抹茶のセットをいただきました。青山・菊家が作った和菓子の名前と絵画の対比は、次の通りです。

冬けしき 森寛斎《雪中嵐山図》
さなえ 川合玉堂《早乙女》
みなもの色 山元春挙《火口の水》
うららか 横山大観《春の水》
香りたつ 山本梅逸《桃花源図》

この日は遠くの山々を錦玉羹で、美しく咲いた一面の桃の花をきんとんで表しました。杏の風味とこしあんもお楽しみいただけますという「香りたつ」をいただきました。さらにテイクアウトで水面に映る緑は、吉野葛を原料とした吉野羹や錦玉羹で表現し、淡雪羹で作った月をアクセントに添えた「みなもの色」と山桜と川辺の景色をイメージし、やさしい色合いに仕上げました。中は上質な素材を使った菊家特製のこしあん入りの「うららか」もお買い上げ。