塾長の鑑賞記録

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私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

星野道夫 悠久の時を旅する

2022/12/08

恵比寿の東京都写真美術館で、故・星野道夫氏の遺作を展示する「星野道夫 悠久の時を旅する」展。

この写真展は星野道夫氏の生誕70年を記念して企画され2021年5月から全国を巡回しているもので、2012年に行われた同名の写真展のいわばアップデート版であり、展示の構成は次の通りです。

  1. 1973年、シシュマレフ
  2. 生命の不思議
  3. アラスカに生きる
  4. 季節の色
  5. 森の声を聴く
  6. 新しい旅

会場の前のロビーに置かれたディスプレイでは今回の展示構成に沿った内容の映像作品『悠久の時を旅する』が流されており、その終わり近くにチュコト半島(ロシア)の鯨の骨のモニュメントが出てきて懐かしい思いがしました。

私はリアルタイムでは星野道夫氏の写真やエッセイをフォローしていなかったのですが、同氏が亡くなった後に未完の遺作として出版された『森と氷河と鯨』(1996年)は私のお気に入りで、数年前の大規模な断捨離の際にもこの本は手元に残した数少ない一冊となったほどでした。その表紙や本文の最後の方に載っていたのもこの鯨のモニュメントで、この本を読んだときは、いつかこの景色の中に自分も身を置いてみたいと痛切に願ったものです。

ところで、前回星野道夫氏の写真展を見たのは1998年のことでしたからもう24年前ということになりますが、そのときの展示の内容を当時の図録で見返してみると、氏の死後まだ間もないこともあり、とにかく氏の写真作品をできる限り多く紹介してその業績を回顧しようという点に主眼が置かれていたようです。

しかし今回の写真展でははっきりと、星野道夫氏とアラスカとの関わりを時系列に沿って後付けようという意図が打ち出されており、星野道夫氏のアラスカとの出会い(大学1年生のときに古書店でたまたま見たアラスカの写真集)と20歳での夏休みのアラスカ生活体験や、その後の自然写真家としての活躍から、氏の関心がアラスカの厳しい自然の中に生きる先住民族の文化・歴史へと広がり、さらにそのルーツとしてベーリング海の向こうにあるシベリア東端部を視野に入れるに至る思考過程が章を分けて手際よく紹介されていました。もちろん、展示の主体となるのは数々の写真や原稿、氏が使っていたカメラなのですが、それらすべての原点とも言うべき氏とアラスカを結びつけた写真集、初めて訪れることになるシシュマレフ村の村長にホームステイを打診する手紙、そして数ヶ月後に返ってきた村長からの返信の実物がとりわけ貴重です。

星野道夫氏の生涯は1996年のカムチャッカ半島でのヒグマ事故で突然に断ち切られた(43歳没)わけですが、氏は写真と文章の両方を駆使するフォトエッセイストとして各種媒体に作品を発表し続けていたので、写真の背後にある氏のそのときどきの思いを知ることは難しくありません。この写真展の中でも氏の感性豊かな文章が至るところで写真に添えられていてその都度足を止め興味深く読みましたが、とりわけ以下の一文には、なぜかはわからないままに心を惹かれました。

きっと人間には、二つの大切な自然がある。日々の暮らしの中でかかわる身近な自然、それは何でもない川や小さな森であったり、風がなでてゆく路傍の草の輝きかもしれない。そしてもう一つは、訪れることのない遠い自然である。ただそこに在るという意識を持てるだけで、私たちに想像力という豊かさを与えてくれる。そんな遠い自然の大切さがきっとあるように思う。

この写真展で展示されている写真の数々は、たとえ星野道夫氏の業績や軌跡についての予備知識を持たないままに対面しても問題なく鑑賞できるものばかりです。北の大地の自然に関心と憧れを持つすべての人に、この写真展へ足を運ぶことをお勧めします。

なお、展示の最後のコーナーで上品そうな年配の奥様方2人に対して会場の係の方が星野道夫氏の最期を説明している場面に遭遇しました。係の方は事故当時の様子を見てきたかのごとくリアルに説明し、その上でこう付け加えました。

「でも仲間内では彼らしいなという話も出たそうですよ。やはり最後は愛するアラスカで死に、アラスカの土になったんだなって」

……カムチャッカ半島はアラスカではないんですが。しかし、この美談(?)にいたく心を揺さぶられたらしい奥様方の姿を見ると、あえてツッコミを入れる無粋な真似はとてもできませんでした。