塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

ジョン・ノイマイヤーの世界(ハンブルク・バレエ団)

2023/03/03

東京文化会館(上野)で、5年ぶりに来日したハンブルク・バレエ団による「ジョン・ノイマイヤーの世界 Edition 2023」。1973年にハンブルク・バレエ団の芸術監督に就任し、以来半世紀にわたり同バレエ団を牽引してきた「最後の巨匠」は2024年夏に任期を終えることになっており、この公演は芸術監督としてのジョン・ノイマイヤーの最後の来日になるだろうと言われています。

今回の公演ではノイマイヤーが1997年に新たな解釈でパリ・オペラ座バレエ団に振り付けた全幕バレエ「シルヴィア」が持ち込まれ、そのタイトルロールを日本人ダンサーの菅井円加さんが踊ることが話題でしたが、あいにく上演日程が自分の都合と合わなかったため、もう一つのプログラムで2016年と2018年に日本で上演されている「ジョン・ノイマイヤーの世界」を選びました。

ノイマイヤーの過去の作品群の抜粋を積み重ねて壮麗な自分史を描き出す「ジョン・ノイマイヤーの世界」は、過去に二度上演されているとは言ってもまったく同じ内容ではありません。下の表にあるように、今回は「Edition 2023」と銘打っているだけあって演目の差替えがいくつかあり、懐かしく観られるパートもあれば新鮮な感動を味わえるパートもあるという構成です。

2016 2018 2023
第1部
キャンディード序曲 キャンディード序曲 キャンディード序曲
アイ・ガット・リズム アイ・ガット・リズム アイ・ガット・リズム
くるみ割り人形 くるみ割り人形 くるみ割り人形
ヴェニスに死す ヴェニスに死す ヴェニスに死す
間奏曲 シルヴィア
ペール・ギュント ペール・ギュント アンナ・カレーニナ
マタイ受難曲 マタイ受難曲 椿姫
クリスマス・オラトリオ I-Ⅵ クリスマス・オラトリオ I-Ⅵ クリスマス・オラトリオ I-Ⅵ
第2部
ニジンスキー ニジンスキー ニジンスキー
ハムレット ハムレット ゴースト・ライト
椿姫 椿姫
作品100―モーリスのために 作品100―モーリスのために 作品100―モーリスのために
マーラー交響曲第3番 マーラー交響曲第3番 マーラー交響曲第3番

上の表の「2023」の列のうち太字で示した演目が今回新たに加えられた作品で、それ以外については2018年の鑑賞レポートの中で詳しく説明しているので、ここでは細々とした言及は避けることにします。

まずは前回同様に白いシャツ、白いパンツに黒いネクタイのノイマイヤーが登場し "My world is Dance." と語るところからスタート。アメリカでの少年期に親しんだレナード・バーンスタインやジョージ・ガーシュウィンへのオマージュが捧げられ、ついでノイマイヤーのバレエの三本柱である

  1. 古典バレエの新解釈(たとえば「くるみ割り人形」)
  2. 文学作品のバレエ化(たとえば「アンナ・カレーニナ」)
  3. 筋書きのないシンフォニック・バレエ(たとえば「マーラー交響曲第3番」)

が展開していきます。

そうした中で最初の初見は「シルヴィア」で、レオ・ドリーブの美しい音楽が初めはひそやかに、ついで神々しく情景を歌い上げ、その中で女神ディアナに付き従う精悍なニンフたちの群舞に続き、羊飼いアミンタの求愛に戸惑うシルヴィアの初々しい様子が緩急をつけたワルツに乗って描かれます。野生児のようなシルヴィアを演じる菅井円加さんは一瞬の跳躍で前後に一直線に伸びる足の高さで観客に息を飲ませ、さらにシルヴィアの恋に対するぎこちなさを一種「じゃじゃ馬ならし」的な雰囲気も交えつつ演じましたが、こちらの方は長い時の経過の末についに結ばれずに終わる切ない物語(この点がノイマイヤー独自の作劇)であることを知っていると、見え方が変わってきます。

次に2017年初演の「アンナ・カレーニナ」は、レフ・トルストイの小説の舞台を現代に移し、愛のない夫と不倫相手である若い男の間との間で追い詰められていく主人公の姿を描くもの。舞台後方に立てられた二つのドアを持つ白い壁が終始舞台上に緊迫感をもたらし、横からの照明が生み出す陰翳の中で手を広げたアンナが背後から壁に押し付けられる姿は逃避のようでも束縛のようでもあり、時折舞台を横切る執事風の男(しかし配役表では「労働者」)の無関心、床に転がされる椅子といった記号も主人公の心の荒廃を暗示するようですが、もう一組の男女の物語も含めて原作に対する予備知識が求められる演目ではありました。

第2部の冒頭は前回同様、あまりにも痛切な表現が客席を圧倒する「ニジンスキー」。そして続く「ゴースト・ライト」は米国の劇場で、リハーサルや公演が終わったステージには、電球が一つだけついた鉄のスタンドが置かれるという習慣にちなんだという説明の通り、舞台上に置かれた電球スタンドの周りでシューベルトのピアノ曲に乗って男女のダンサーたち(とりわけ一組の親密な男性カップル)が時に絡み合い、時に個のダンスに没入しながら去来するもの。途中ではノイマイヤーによる日本の能楽への言及があり、ダンサーが示す正座のポーズがそのことを直截的に示しているようにも見えましたが、ともあれ2020年に制作されたこの作品において、ゴースト・ライトが点灯されたその空間がCOVID-19に伴うロックダウンの中で創作の時を待つ舞台を示していることは明らかです。

冒頭のバーンスタインとガーシュウィンを除けばヨーロッパの伝統的音楽(バッハ、チャイコフスキー、ショパン等)を用いてきた舞台に例外的に使用されたサイモンとガーファンクルの「旧友」「明日にかける橋」が圧倒的な感動を呼ぶ「作品100―モーリスのために」を観ながら、もしモーリス・ベジャールが同様のコンセプトで自身の生涯を振り返る作品を作ったらどんなことになっただろうと夢想しているうちに、最後の「マーラー交響曲第3番」での印象的なパ・ド・ドゥと群舞が踊られてノイマイヤーの姿を舞台後方に置き全曲が終了しました。

終演後にはアメリカ人ノイマイヤーを讃えるように賑やかな明るい音楽に乗ってダンサーたちが次々に舞台に駆け込み、最後にノイマイヤーを胴上げのごとくぐるぐると縦回転させて舞台前方に押し出すと、客席はただちにスタンディングオベーションとなり、そして満場の拍手と共に本当に久しぶりに「ブラボー!」の歓声を聞くことができました。

以下、覚書として。

  • 前回の公演でノイマイヤーの分身を演じたのはロイド・リギンズでしたが、今回はクリストファー・エヴァンス。彼の役回りは、例えば若き日のノイマイヤーとなって彼の回想を現実の姿にする(特に「ヴェニスに死す」)といったものでしたが、「クリスマス・オラトリオ I-Ⅵ」での高揚感に満ちた激しいダンスは、神との関係のあり方をダンスで表現しようとするノイマイヤーの情熱を示しているようでした。一方、ロイド・リギンズは現在このバレエ団の副芸術監督の地位にありますが、ノイマイヤーの後任として予定されているのは別の人物であるようです。
  • ゲスト・ソリストのアリーナ・コジョカルは「くるみ割り人形」と「椿姫」で踊りましたが、いくつになっても(1981年生)可憐さは変わっていませんでした。いわゆる美魔女?
  • 舞台上の装置はほぼ無いに等しく、わずかに背景の月や樹木(「シルヴィア」)や壁(「アンナ・カレーニナ」)、光環(「ニジンスキー」)、小道具として人形やバー(「くるみ割り人形」)、ランプスタンド(「ゴースト・ライト」)、椅子(「アンナ・カレーニナ」「作品100―モーリスのために」)などが用いられただけでしたが、照明の効果が演者と音楽のそれぞれに備わる感情を色彩豊かに表現していて、舞台の奥行きいっぱいを使ったダンサーたちの躍動を饒舌にサポートしていました。しかし最も雄弁にノイマイヤーの世界観を体現していたのは、言うまでもなくノイマイヤー自身と彼のダンサーたちの肉体です。

配役

キャンディード序曲 スー・リン-クリストファー・エヴァンス
グレタ・ヨーゲンズ-ヤコポ・ベルーシ
菅井円加-フェリックス・パケ ほか
アイ・ガット・リズム イダ・プレトリウス / アレッサンドロ・フローラ ほか
くるみ割り人形 マリー アリーナ・コジョカル
ギュンター マティアス・オベルリン
ルイーズ アンナ・ラウデール
ドロッセルマイヤー ポリヤ・ベルムデス
    クリストファー・エヴァンス ほか
ヴェニスに死す シルヴィア・アッツォーニ / クリストファー・エヴァンス / カレン・アザチャン
シルヴィア シルヴィア 菅井円加
アミンタ アレクサンドル・トルーシュ
アンナ・カレーニナ アンナ・カレーニナ アンナ・ラウデール
アレクセイ・ヴロンスキー エドウィン・レヴァツォフ
キティ エミリー・マゾン
リョーヴィン アレイズ・マルティネス
労働者 カレン・アザチャン
椿姫 マルグリット アリーナ・コジョカル
アルマン アレクサンドル・トルーシュ
クリスマス・オラトリオ I-Ⅵ クリストファー・エヴァンス / パトリシア・フリッツァ / パク・ユンス / ラセ・カバイエロ / シャーロット・ラーゼラー / ヤコポ・ベルーシ ほか
ニジンスキー ヴァスラフ・ニジンスキー アレイズ・マルティネス
ロモラ・ニジンスキー ヤイサ・コル
スタニスラフ・ニジンスキー ルイ・ミュザン
ブロニスラヴァ・ニジンスカ パトリシア・フリッツァ
ペトルーシュカを踊るニジンスキー クリストファー・エヴァンス
    ほか
ゴースト・ライト シルヴィア・アッツォーニ-アレクサンドル・リアブコ
マティアス・オベルリン-ダヴィッド・ロドリゲス
菅井円加-ニコラス・グラスマン ほか
作品100―モーリスのために エドウィン・レヴァツォフ-アレクサンドル・リアブコ
マーラー交響曲第3番 菅井円加 / カレン・アザチャン ほか