飛越 / 融

2023/04/26

銕仙会能楽研修所(南青山)で青山能。狂言「飛越」、能「融」。

表のポスターには「完売御礼」の札が貼られていました。観世淳夫師にもこれだけの集客力が備わってきたのか!とうれしく思いましたが「飛越」の野村萬斎・裕基父子の貢献度もあったのかもしれません……

飛越

まず長上下出立の何某(野村萬斎師)が「このあたりの者でござる」と名乗り、舞台上を回りながら、さる方より茶会に招かれたが自分は不調法なので親しくしている新発意に同道してもらい、自分の恥を隠してもらおうと思うと述べたところで橋掛リの際。そこは新発意の住むところらしく、揚幕に向かって新発意(野村裕基師)を呼び出します。出てきた新発意は頭巾をかぶり水衣に半袴、橋掛リに進んだところで用向きを聞かされ、今日は暇だからとこれを快諾して何某と共に舞台上を回り始めました。どうやら新発意の方は若いに似ず茶の湯の心得があるらしく、湯のたぎる音の違い四種を立板に水で解説しながら何某と共に舞台を回り、さらに橋掛リの端までを往復して戻ってきましたが、そこで大きな川に行き当たって仰天します。

先ほどまで新発意に茶の湯を指南してほしいなどと神妙なことを言っていた何某でしたが、その目にはこの川は大したものに見えないらしく無造作にひょいとまたぎ越してしまって、見所から笑い声が上がりました。これを「え?」という顔で見ていた新発意は何某に急かされて自分も飛ぼうと半身になって川に近づくものの、飛ぼうという刹那に何某が掛け声を掛けたことに驚いて後ろずさってしまいます。しからばと一ノ松まで戻り助走をつけたものの、やはりここぞというところで何某の咳払いに驚き失敗。川が見えるから怖いのだと考えた新発意は三度目に一ノ松から目をふさいで「さぁさぁ」と手探りの姿で出てきましたが、またしても何某に邪魔されてしまい、とうとう怒った新発意は同行を断って帰ろうとします。これに驚いた何某がこれまた何でもないように川をまたいで新発意に追いつき、手を引くから一緒に川を渡ろうと提案して声を合わせ共に川をまたごうとしましたが、新発意の方は川の中に落ちてごろりと転がってしまい、袖を絞って悲しやと嘆く濡れ鼠のその姿に何某は高らかな萬斎笑い。

とうとうキレた新発意はここから反転攻勢に出て、何某の方こそいつぞやの河原の相撲で小男に腕をとられて引き回された末に地面に叩きつけられ、腰をしたたかに打って足をひきずりながら下がっていった顔がおかしかったと呵々大笑。ここでの相撲の形態模写がなかなか見応えがありましたが、呵々大笑の方も萬斎笑いそのままです。むっとした何某の顔をまた笑った新発意に今度は何某がキレて「身共と相撲が望みか!」と迫り、慌てる新発意に有無を言わせずその左腕をとって振り回すと脇柱の方へ放り投げました。「勝ったぞ」としてやったりの何某に新発意は「相撲は一番では勝負が知れぬ。もう一番とろう」と呼び掛けましたが、何某はかまわず「勝ったぞ勝ったぞ」と下がっていき、新発意がこれを「やるまいぞ」と追って終曲です。

ストーリーは直線的でわかりやすく、それでいて途中にたびたび立場の逆転(茶の湯の蘊蓄→渡河失敗→相撲話での反撃→相撲一番)が見られて楽しい狂言でしたが、ネット情報を検索したところでは和泉流・大蔵流とも相撲を挑まれた新発意の方が勝ち逃げしていました。そちらが常の形なのかな?ともあれドタバタ劇すれすれの舞台運びはいかにも萬斎流なのですが、今は父の背中を忠実に追っているように見える裕基師がいずれ自分の色を出し始めることを楽しみに、これからも折々に見守りたいものです。

世阿弥作の切能。なおこの日のプログラムの解説では、後場で地獄の鬼が現れて融大臣を責める内容であった古作「融の大臣の能」を世阿弥が現行のような詩情あふれる演出に改作したと言われているとしており、こうした改作経緯は1月に観た「船橋」を思い出させました。この曲は2011年に喜多流・友枝昭世師師のシテで観ていますが、さやけき月の光に満たされるような素晴らしい舞台だったことを今でも覚えており、果たして今日の観世淳夫師はどんな舞台を作るのだろうと楽しみにしながらお調べの笛を聞きました。

柔らかい〔名ノリ笛〕に呼ばれて登場したワキ/旅僧(野口能弘師)は、常座に立って〈名ノリ〉、そして東国から都への道行を謡い六条河原院に着いたところで脇座に着座しました。続いて〔一声〕の囃子と共に汐汲桶を前後に下げた天秤棒を担って登場した前シテ/尉(観世淳夫師)は明るい茶色の水衣の肩を上げ腰蓑を着け、面は三光尉(洞白作)。舞台に出て〈一セイ〉月もはや、出汐になりて塩竈の、うら寂びわたる気色かなと謡い終えたところで桶の緒を放したシテは、都に移した塩竈の浦の水面に映る仲秋の名月を眺めながら我が身の上に積もり積もってきた年月を思う〈サシ〉〈下歌〉〈上歌〉を謡いましたが、その謡は「しみじみ」と言うにはやや力がこもり過ぎている印象も受けました。

ともあれシテは脇正面に桶二つを並べて置き、その上に天秤棒を渡してから遠く浦の秋の情景を見やる様子を示して常座へ戻ったところでワキの問掛けを受けました。海辺でもないのに汐汲とは?と訝しむワキに対してシテは、ここ六条河原院は融大臣が陸奥国塩竈浦の風景を模した海辺なのだと説明し、これを受けてワキとシテとはそれぞれの位置から中正面方向を見やって融大臣が舟を寄せ遊舞した籬まがきが島に思いを馳せましたが、ここで下を見たシテはおそらく池の水面に映る月を目に留めてや、月こそ出でて候へと視線を上げ、そこからワキとシテとが唐の詩人・賈島の五言律詩にある「鳥宿池中樹、僧敲月下門」を引き合いつつ秋の夕暮れの月の光に導かれて昔を思う心を共有しました。初めてこの曲を観たときにも思ったことですが、シテとワキとが穏やかに気持ちを通い合わせるこの場面は、見どころの多いのこの曲の中でもとりわけ惹き込まれるところです。

ワキの求めに応じてシテは塩竈の浦を都に移した謂れを語るために中央に着座し、向かい合って着座したワキに古の融大臣の御遊のことを語って聞かせましたが、融大臣が世を去って後はこれを受け継ぐ者もなく浦は干潟となり秋風の音しか残らない有様だと紀貫之の歌君まさで煙絶えにし塩竈の うらさびしくも見えわたるかなを引きながら無念をにじませます。さらに河原院の荒れ果てた様子を謡う詞章を地謡に委ねてシテはあたりを見回しあら昔恋しやと面を伏せ、ついに感極まって音をのみ泣くばかりなりとモロシオリ。このあたりの懐旧の嘆きは地謡も絶唱、シテも迫真でぐっと感情移入させられました。

これに涙を誘われたワキはシテの気持ちを引き立てようと口調を変えて、周囲に見える山々(名所)の名を訊ねます。脇座に立つワキと常座に戻ったシテは視線の向きを合わせながら、脇柱の方向には音羽山に清閑寺、正面に向かって稲荷山……と徐々に東から南へと向きを変え夕されば野辺の秋風身にしみて 鶉鳴くなり深草の里(藤原俊成『新古今和歌集』)を掛合いで謡いつつ中正面方向に深草山を見たところで向かい合うと、シテはワキにさっと近づきその手をとって淀・鳥羽までを案内したところで別れましたが、名所教えはさらに南から西へと続いて揚幕方向に松尾・嵐山を眺めたところで、シテはようやく汐汲のことを思い出します。これはしたりと両手を打ち合わせたシテはワキに会釈してまずいざや汐を汲まんと担桶を肩に担うと中央に立ち、二つの桶を前後に揺らしつつ一気に前に出て正先の床に桶を落として手前に引くダイナミックな型を見せた後、左右の桶の中に月を見る形を示してから常座を向いて桶を背中側に下ろして中央に置き去りにし、ついと常座に戻って汐曇りにかき紛れた様子を示すと静かに橋掛リを下がっていきました。

まるで夢の名残のように残された正中の桶が後見の手によって下げられたところで間語リとなり、所ノ者(野村太一郎師)はワキに問われるがままに融大臣の経歴を述べ、遊覧の数を尽くした物好きであったこと、とりわけ陸奥の千賀の塩竈を見たいと思ったものの下向するには遠いので都の中に塩竈を移して難波津で汐を汲む者千人、都へ運ぶ者千人、焼く者千人を使役したこと、また音羽山の峰から昇る月の光が籬が島の森の梢を輝かせるさまが見事であったこと、しかし融大臣亡き後の河原院は荒れるに任せるさまであることなどを叙述する長大な〈語リ〉を見事に聞かせました。

待謡から〔出端〕の囃子となって登場した後シテ/融大臣の出立は、初冠を戴き黒髪を垂らし、紺地に金の刷毛目縞を走らせた狩衣に薄青・白の指貫を穿いて面は中将(洞水作)ですが、その貴人ながら茫洋とした顔立ちとは裏腹にシテの謡や所作には力がこもっています。自ら融の大臣とは我が事なりと名乗ったシテは、月のイメージを幾重にも織り込んだ詞章を地謡と共に謡い分けつつ舞台上を大きく舞い巡り、曲水の宴で流されくる盃に見立てた月影を扇で掬い上げる型を見せて受けたり受けたり遊舞の袖と地謡に謡わせてから、月光の下でかつての遊宴を再現する〔早舞〕に入りました。

波のように伸縮するテンポで高揚の移ろいを示す太鼓と熱量高い大小、調子が高く上がった笛による囃子を背景に舞台上を縦横に巡りながら、そのところどころで足拍子を響かせ袖を返しつつ舞われた〔早舞〕は、終演後に行われた解説にあった通りこの曲のシテに求められる「強さ」を体現した強靭なもの。10分近くにわたった〔早舞〕が舞い納められた後でも、シテは月にまつわる掛合いの謡と共にさらに力強く舞い続け、あたかもシテが地謡を牽引しているかのように思えるほどでした。しかしついに明け方となって夢とも現とも判然としない中に融大臣が月の都に入っていく様子を、シテが脇正面で左袖を返しワキに背を向けて留拍子を踏む姿で示すと、詞章の最後はワキの旅僧がひと時の夢の中で心通わせた融大臣を名残惜しの面影と見送る言葉で余韻深く締めくくられました。

終演後の長山桂三師による解説をかいつまんで紹介すると、次の通り。

  • 「融」のキーワードは「月光」と「懐旧の情」。
  • 三千人も使って汐を焼かせたのは正気の沙汰ではない。これは皇位継承を藤原基経に阻まれた源融の葛藤に基づくものだろう。したがって「融」を演じる際には情緒だけではダメで、内に秘めた強さが必要だとされている。
  • 「融」には(たとえば早舞が五段から十三段になるなど)多くの小書があり、その中でシテの強さがさらに強調されることもある。後シテの装束もさまざまなパターンがある。そうした演出・出立の違いを楽しんでほしい。
  • オンラインでも能を見ることができる時代だが、このこじんまりとした能楽堂の空間を演じ手と皆さんが共有することで、ライブならではの不思議な力を感じられたのでは?

観世淳夫師の融大臣は、全身から放射される「不思議な力」を感じる熱演でした。そして来月は長山桂三師による「忠度」です。これもとても楽しみです。

配役

狂言 飛越 シテ/新発意 野村裕基
アド/何某 野村萬斎
前シテ/尉 観世淳夫
後シテ/融大臣
ワキ/旅僧 野口能弘
アイ/所ノ者 野村太一郎
八反田智子
小鼓 曽和伊喜夫
大鼓 亀井洋佑
太鼓 小寺真佐人
主後見 観世銕之丞
地頭 長山桂三

あらすじ

飛越

茶会に参加することになった何某は、お供に新発意を連れて行くことにする。ほどなくして二人が小川に至ると、何某は難なく飛び越えるが臆病な新発意は飛び越えることができない。帰ろうとする新発意を引き留めた何某は一緒に飛び越えようとするが、新発意だけ川に落ちてしまう。大笑いする何某に腹を立てた新発意が、以前何某が小さな力士に情けない負け方をしたことを指摘して笑い返すと、怒った何某は新発意を相撲で投げ飛ばして高笑いをしながら去って行き、新発意は相撲は三番取るものだと言いながらその後を追う。

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