鬼ヶ宿 / 志賀

2024/03/06

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「鬼ヶ宿」と能「志賀」。ここ数日、冬が戻ってきたような寒い日が続いており、この日も小雨模様の寒々しい空の下を国立能楽堂に向かいました。

「鬼ヶ宿」「志賀」のいずれも初見の演目なので、以下、筋書きを含めて少し詳しく舞台進行を記録します。

鬼ヶ宿

この日の能が「志賀」ということで、狂言の方も近江つながりで井伊直弼作の「鬼ヶ宿」(大蔵流番外曲)。能「黒塚」を踏まえて場所は安達原に設定され、鬼の面で脅すくだりは「清水」「伯母ヶ酒」に通じます。井伊直弼は彦根藩主時代から大蔵流茂山千五郎家を支援しており、この曲も安政七年二月に九世茂山千五郎正虎によって初演されたものですが、その数日後に桜田門外ノ変が起きています。

素袍半袴の出立の太郎(茂山逸平師)と狂言定型の美男蔓の女(茂山千五郎師)が登場して、まず女は笛前あたりに着座し、太郎は安達原に住む女とねんごろになったがこの女がわわしく言うことを聞かないのでしばらく放っておいた、しかし名残惜しくもありもう一度会って折檻(?)なりと加えてやろうと一人語りしてから道行になります。普通ならここでぶつぶつ独り言を言いながら舞台を三角に回って相手の家に着きすぐに案内を乞うところですが、この曲の太郎は一ノ松に出てそこから見やる女の家の背戸にかかる蔦紅葉の黄昏時に仄めく様子にしみじみと風情を感じ『源氏物語』の「夕顔」を引用してみせるのが上品で、この狂言に独特の風合いをもたらしています。

もっとも「それに引きかえ」と現実に引き戻されたような顔をした太郎が常座から戸を叩くところからは、常の狂言の世界感。呼ばわる声を聞いて立ち上がった女は来訪者が太郎だと気づくと、自分はあの男はいやでござるとのっけからうんざり顔で、さんざんなぶって追い返そうと早くも臨戦態勢に入ります。それでもまずは神妙な様子で太郎を迎え入れ、殊勝な口ぶりで太郎に末長く来て欲しいと言う女の意外な振舞いに太郎はすっかり上機嫌になってしまいました。そこで仲直りの御酒を……と言いたいところだが有り合わせがないので原の向こうの酒屋へ行ってきてもらいたいと女に言われ、仕方ないなと買いに出たところ一ノ松で呼び止められた太郎は、この原の黒塚に夜な夜な鬼が出るそうだと女からドスの利いた声で脅されて、その素袍の袖がふるふると震え始めます。声もしどろもどろになりつつも、行きかかったからには行かねばなるまいと勇気を振り絞って走り去るように揚幕に消えた太郎を見送った女は、してやったりとニヤリ。鬼の面があるのでこれで臆病者の太郎を脅して二度と来られないようにしてやろうと悪巧みを独白するのはあたかも見所を共犯に仕立てるようですが、ここまでくると太郎が手玉に取られてしまっていることがはっきりしてきます。恐ろしい……。

笛前に戻って後見の手を借りて紅入の小袖を被き顔を隠した姿で待っていると酒桶を手にした太郎が橋掛リに現れましたが、素袍の代わりに格子縞の小袖を着てどことなくだらしない感じ。歩みもふらふらしており、明らかにいい気持ちになっています。その太郎の問わず語りに話すところによれば、親切な酒屋の主人が今宵は寒いからと温め酒を振る舞ってくれたということですが、ここで一つ、二つ、丑三つの〜と謡うのがいかにも気持ち良さそうで、自分でも鬼ひと口をも忘るるばかりなりけりと謡っているように行きがけに脅されたことなどすっかり忘れている様子です。

酔っ払いの太郎を迎えた女は顔を見せないままに正中を酒宴の席とし、盃(蔓桶の蓋)を差し出してまずは太郎から一献。よくある扇を縦に開いてさらさらと注ぐ注ぎ方ではなく、酒桶からどばどばと一気に注ぐ様子を太郎が口真似も交えて見せるのがおかしく、ついで喉を鳴らしながら飲み干して良い酒じゃと喜んだ太郎が女にも注いでやると、女はこともなげに一気飲みして盃を太郎に返します。すっかり酔った太郎が酒屋の亭主の親切(温め酒を振る舞ってくれた上に格子縞の小袖も亭主が貸してくれたもの)を語って聞かせ、そなたにもそうした親切があればいいのにと笑いましたが女は動じる風もなく、太郎に一つ謡うことを勧めます。ここで謡われたのは能「松虫」から「われひとり醒めもせで」以下の一節でしたが、字幕表示器にも「醒めもせで」とあるところを茂山逸平師は「酔ひもせで」と謡っていました。

ともあれ、これをやんややんやとほめそやした女に続いてひとさしと勧められて太郎が舞うのはそも扨もわごりょは、踊り人が見たいか……と謡う「七つになる子」(北嵯峨)後半ですが、その終わり近くに恋しき人は見た(い)……と謡うところで女の小袖をめくると黒い面に出くわし、慌てて一ノ松まで逃げていきます。すっかり動揺した太郎でしたが、これは安達原に鬼が出ると聞かされて怯えた心がそう見せたのだろうと自分を無理に納得させ、女から舞の続きを見せてくれと言われたこともあって再び先ほどの謡の途中から謡い直して恋しき人は見たいものじゃと小袖の内を見れば、今度は女がにっこり。これに喜んだ太郎は無事に舞い納めます。

女からもう一つ舞ってほしいと求められた太郎は既に息が上がり足もふらついている状態ですが、それでも求めに応じておもしろの花の都や……と「放下僧」を舞い始めましたが、京都の見どころ案内のようなその謡を見事舞い納めた男がいつまでそうしているのだと女が被いている小袖をまくり上げたところ、再び鬼の姿を現した女が脅しにかかり、仰天した太郎は「許せ許せ」と悲鳴を上げながら追い込まれていきました。

茂山千五郎家と言えば「お豆腐狂言」。その通りの楽しい狂言でしたが、太郎・女共に素晴らしくハリのある声をもって演じられた約30分間の舞台は、狂言小謡・小舞の至芸もあって堂々たる風格を感じました。

志賀

世阿弥作との説もあるものの作者不明とされる脇能で、季節は春、場所は山桜の名所とされる近江の志賀山で、近江の人にして死後に神として祭られたと『無名抄』(鴨長明)が伝える歌人・大伴黒主が主人公です。『古今和歌集』の序の中で大伴黒主が薪負へる山人の、花のかげに休めるがごとしと評されたことを踏まえ、前場では花の木陰に休む山賤が和歌の徳を語り、後場ではこれが若い神の姿に変わって神楽の舞を舞いながら泰平の世の春の花景色を讃えるという曲です。

まずは〔真ノ次第〕により紺地の狩衣に白大口のワキ/臣下(御厨誠吾師)が朱色の狩衣のワキツレ二人を伴って登場し、この役柄の例に沿って両手を広げ伸び上がる型を見せてから向かい合い道ある御代の花見月、都の四方ぞ長閑きと謡って、脇能の約束である地謡・ワキたちによる繰返し(三遍返シ)となります。志賀の山桜が盛りだと聞いて当今から暇をもらったのだと説明したワキは、ワキツレと共に謡う道行の中で志賀の山越えから琵琶湖を眺め、心静かに花を眺めようというところで脇座に控えます。

ついで〔真ノ一声〕が重々しく奏されて、やがて登場したのは二人の樵夫。直面で青い水衣に白大口のツレ/男(今井基師)と、小尉面を掛け着流しの上に茶系の水衣を肩上げにして背に薪たきぎを負うシテ/老翁(佐野由於師)で、後のワキの詞章に従えば薪に桜の枝が添えられているはずですが、私の席からでは確認できません(しかし国立能楽堂のロビーに入るときにちょうど桜の枝を手にした関係者らしい男性を見掛けて「おや」と思っていました)。〈一セイ〉さざ波や、志賀の都の名をとめて、昔ながらの、山桜に平忠度の歌を思い出す内に舞台に進んだ二人は、その風体にも似ずどこかこの世ならぬ雰囲気を漂わせながらさらに謡の声を重ねていき、やがて立ち位置を変えて正中にシテ、ツレが目付に立ったところで不思議に思ったワキの問い掛けを受けることになります。

薪に花の枝を折り添え、花陰に休むのは心あってのことかと問われたシテは、大伴黒主の道のべの便りの桜折り添へて 薪や重き春の山人の通りだと答えつつも『古今和歌集』に評される黒主の歌のように山賤が花の陰に休む姿は見苦しいだろうと謙虚に詫びました。樵夫たちの思いがけない教養に驚いたワキとシテとの掛合いの中に黒主の名を繰り返して後、正中に下居したシテの肩が後見の手によって下ろされて〈クリ・サシ・クセ〉は延喜の聖代(醍醐帝の治世)から和歌の道が盛んになるさまを謡い、仮名序に歌の父母とされた難波津・浅香山の二首に言及しながら和歌の徳により今皇の御代も栄え治まる様子を美文の限りを尽くして描きます。この間、シテは正中に端然と座したまま重厚な地謡を受け止めているのですが、ところどころに差しはさまれるシテの謡の中にげに埋もれ木の人知れぬというくだりがあって、井伊直弼の埋木舎との符合に驚きました。

ともあれ、シテは今は何をか包むべきとかつて大伴黒主と呼ばれた者が今はこの山の神となって現れたのであると明かすと夕べの雲に立ち隠れて、志賀の宮路に帰りけりと謡う地謡を常座で周りながら聞き、その後送り笛なく全くの無音の中をツレと共に極めてゆっくりと下がっていきました。

ワキの命によりワキツレが所の者を呼び出してのアイ語リ(島田洋海師)は、志賀の山桜は名木にして花の盛りはもとより散る花が湖に吹き入れられるさまも見事であり、昔から長良山として歌にも詠まれてきたのは今も同様である、また成務天皇も志賀に都を建てた(志賀高穴穂宮のこと)後はこの桜を寵愛し、大伴黒主も明け暮れここで花を眺め歌を詠んだことから今では志賀大明神と呼ばれているのである、というもの。ここでワキが先ほどまでの顛末を語ると、アイは疑いもなくそれは志賀大明神であろうから暫く逗留して重ねての奇特をご覧なさいと勧めました。

かくてゆったりと奏される囃子に導かれて待謡が謡われ、その最後に厳しい笛と太鼓の響きが重なって〔出端〕となると、後シテ/大伴黒主の登場となりました。その姿は唐冠に黒垂、紺地に金の桐立湧文様の狩衣、白地に金の檜垣模様大口と崇高な出立で、面は若々しさを感じさせる邯鄲男です。

「三井寺」でも後シテの〈一セイ〉で謡われる古歌雪ならば幾度袖を払はまし 花の吹雪の志賀の山越えを引きながら春爛漫の志賀の景色を謡うシテの声は橋掛リからでは見所の右端まで届いていませんでしたが、舞台に進んでさりげなく大伴黒主の歌とされる鏡山いざたちよりて見てゆかむ 年へぬる身は老いやしぬるとの一部を織り込んだシテは、ついに颯爽と〔神舞〕を舞い始めます。全速力での笛のリフレインと強靭な打楽器群の競演の中に急調で舞台狭しと舞うシテの姿は厳かな中にも躍動的で、前場の静謐とはいかにも対照的ですが、詞章に窺われる老いの気配からすると元は老体の神(ということは〔真ノ序ノ舞〕?)だったのではないかということがプログラムの解説で述べられていました。もしそうであったなら一曲の印象はがらりと変わっていたことでしょうが、ともあれめでたく〔神舞〕が舞い納められて後、詞章は明るい春の花の景色を愛でつつその中に鳴り渡る神楽の調べを拍子を揃えて神神楽かみかぐら、げに面白き奏でかなと謡って、とこしなえに続くと思われる祝祭感の内に常座で袖を返したシテが留拍子を踏みました。

大伴黒主は『古今和歌集』仮名序において六人の「近き世にその名きこえたる人」(六歌仙)の内に選ばれているにもかかわらず、紀貫之によるその評は次のように厳しいものでした。

大伴黒主は、そのさまいやし。いはば、薪負へる山人の、花のかげに休めるがごとし。

しかも、六歌仙の中で唯一『百人一首』に歌を採られなかったことで世間の人気を得られなかったばかりか、その名のダークな響きのために「草子洗小町」(未見)での大伴黒主は小野小町を陥れようとする腹黒い奴とされてしまっています。

ここで、紀貫之が大伴黒主を六歌仙の一人に選んでおきながらわざわざ芳しくない評価をするのはおかしいではないかというのは誰しも思う自然な疑問ですが、この点についてプログラムに掲載された妹尾好信氏の論考「残念な黒主、神となる」は明快な説明を提示していました。大伴黒主の境遇にいたく同情している筆者の検討によれば、紀貫之の仮名序における評を六歌仙それぞれに見ると、黒主以外の五人についてはプラス評価+マイナス評価+総論的な比喩という構成になっているのに黒主だけプラス評価が抜けており、しかも仮名序と対をなす真名序の方には黒主にもプラス評価が書かれています。具体的には、真名序の評(書下し)は

大伴の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり。頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。田夫の、花の前に息めるがごとし。

とあり、このうちプラス評価に当たる太字の部分が仮名序では欠落していて、これは書写の過程で一行分ごっそり飛ばされてしまったためであろうというのが筆者の推測です。かくして誰ともわからない人のうっかりによりあたかも紀貫之に一刀両断にされてしまった感のあった大伴黒主は、黒主を和歌の徳を語る神として描きその名誉を回復した能「志賀」の作者に感謝していることだろう(『百人一首』に入れなかった藤原定家には文句があるだろうけれど)と、ユーモアを交えつつ筆者は論考を締めくくっていました。

配役

狂言大蔵流 鬼ヶ宿 シテ/太郎 茂山逸平
アド/女 茂山千五郎
宝生流 志賀 前シテ/老翁 佐野由於
後シテ/大伴黒主
ツレ/男 今井基
ワキ/臣下 御厨誠吾
ワキツレ/従者 野口能弘
ワキツレ/従者 小林克都
アイ/所の者 島田洋海
栗林祐輔
小鼓 幸正佳
大鼓 柿原光博
太鼓 梶谷秀樹
主後見 小倉健太郎
地頭 今井泰行

あらすじ

鬼ヶ宿

太郎は最近疎遠になっていた安達ヶ原の女の家を訪ねる。すでに太郎に愛想を尽かしている女は早々に追い返そうと考え、太郎が酒を所望したのをいいことに「家にはないので、里離れの酒屋まで行って買ってきてほしい」と頼み、最近は夜毎に恐ろしい鬼が出るそうなので用心するようにと言う。酒屋の振る舞い酒でよい気分になって戻った太郎が謡い舞いを重ね女が被いている小袖をまくり上げると、ひそかに鬼の面を掛けていた女は太郎をさんざんに脅し追い返す。

志賀

桜をたずねて廷臣が従臣志賀の山に行き、薪に桜の枝を添えた老若の樵に出会う。花陰に休む理由を問えば、老樵は大伴黒主の歌を引いて、分不相応なふるまいも貫之が書き示した歌の道に叶う姿だという。そして自分が黒主、今は山神とも人は見るだろうと告げ志賀の宮へ帰る。その夜、奇特を見るために花陰に休む一行の前に志賀明神が現れて、花吹雪の中でめでたく神神楽を舞う。