靭猿 / 吉野静

2024/04/13

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の普及公演で、狂言「靭猿」と能「吉野静」。「靭猿」は未見で前々から観たいと思っていたもの、かたや「吉野静」は2015年に式能の一部として金剛流で観ていますが今回は金春流です。

まず最初に創価大学教授・坂井孝一先生により「悲劇の英雄に捧げる愛と忠節」と題した30分ほどの解説が行われました。坂井先生は日本中世史が専門で、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証も担当されたそう。説明された内容をかいつまんで紹介すると次の通りです。

  • 頼朝・義経不和の原因は従来、義経が勝手に検非違使任官を受けたことにあるとされてきたが、近年の研究によればこれは決定打ではなく、むしろ頼朝が一旦はこれを認めた上で伊予守に推挙して実現したのに、検非違使も併任のままで都に留まり続けたことが問題視されたようだ。
  • 義経には股肱と言える家臣は佐藤兄弟ら平泉勢しかなく、東国武士との関係を作れていなかった。そして平家追討に際し当地の地理・気象に詳しい西国武士の力を借りたため、東国武士が恩賞に預かる機会を損なった。屋島へ渡るときには梶原景時は九州にいたため在陣していなかったので『平家物語』に描かれた逆櫓論争は史実ではないのだが、この逸話は義経と東国武士との不仲を象徴している。
  • 義経周辺でとりわけ有名な静御前と佐藤忠信の二人をくっつけたところが「吉野静」の作者の作意だが、史実としては大物浦を出帆した後に一行は散り散りになってしまい、確かに静は吉野まで同道しているものの佐藤忠信は吉野で義経と会えてはいない。
  • 「吉野静」は観阿弥が作り井阿弥が改作したものとされている。世阿弥以後の作品は詞章の優美さが際立つが、それより前の曲は活劇調の会話劇が多かったらしく、本作もそうしたものの一つ。後段のクセ舞は見どころの一つとなっているが、その詞章も美文ではなく静が衆徒を脅す内容になっており、こうした古い能の形を伝えているところに本作の特徴がある。
  • 観世流などの「吉野静」では静と佐藤忠信が謀議を巡らす前場が省略されるためにストーリーがいまいちわからない。しかし金春流では前場も演じられるので、そこも今日の舞台の見どころである。
  • 「靭猿」は微笑ましいシーンがいくつも出てくる狂言。狂言師の子弟が最初に演じる曲とされ、普通は3歳から5歳くらいで演じられる。しかし単に可愛らしいというだけでなく、狂言を演じるための技術の基礎の上に成り立っているという点に目を向ける必要があるし、その子に稽古をつける側にとっても師匠としての出発点となる演目である。このようにして伝統を支える方々の努力を賞賛したい。

靭猿

狂言の世界には「猿に始まり狐に終わる」という言葉があって、これは狂言師が「靱猿」の猿役で初舞台を踏み、「釣狐」の狐役で一人前と認められるという意味だそうです。これら二つの演目をこれまで観たことがなかったので、今回「靭猿」を観る機会を得られたことを喜ばしく思います。

常であれば最初に大名の名乗リがあってから太郎冠者を呼び出してどこぞへ遊山に出ようということになるのですが、この日は小書《替装束》によりこのやりとりが省略されて、幕が上がると大名(茂山忠三郎師)が太郎冠者(大藏基誠師)を引き連れていきなり「さあさあ来い来い」と進み出てきますし、大名の出立も騎射笠をかぶり射籠手をつけた狩装束で、左手に弓を持ち右腰には靭を提げています。この二人が賑やかに舞台に進むか進まないかのうちに今度は猿面着ぐるみ四つん這いでキャアキャアと進む猿(茂山緑里さん)とこれを紐で操る猿引(大藏彌右衛門師)が登場し、大名の目に止まります。ここから大名は猿引と会話を交わすことになりますが、その際には太郎冠者を間に入れて自分の言葉を伝えさせ、猿引の言葉も太郎冠者が聞いて復命するというのが基本パターン。そうした伝言ゲームの間も猿はじっとせずにごろごろ転がったり這い回ったり蚤をとる仕草を見せたりでんぐり返ったりと忙しく、見所からは笑い声が絶えません。

ともあれ、猿が能猿(芸をする猿)であると知って近づいた大名に驚いた猿がキャキャキャと引っ掻くと太郎冠者があわてて猿引を叱りつけましたが、大名は鷹揚に「許す」と伝えさせます。ところがそこには下心があったらしく、続いて無心があると言う大名は先に猿引に対しじかに一礼した上で、太郎冠者を通じて靭に掛ける猿の毛皮(これは当時の伊達者の装い)を貸してもらいたいと猿引に申し入れます。最初は冗談だとろうと笑っていた猿引も重ねての要求に本気だと知り態度を一変。生きているこの猿の皮をはげばたちどころに死にますよ、そんな無体な!と反論すると、これを聞いていた大名が自ら脅しにかかります。しかし猿引は一歩も引かず、檀那もついているので怖がる自分ではないと右の腕かいなを見せて見得を示した上で猿を連れ帰ろうとしましたが、怒った大名は弓に雁股の矢をつがえて「太郎冠者そこどけ」と猿引に狙いを定めました。その刹那、それまでハラハラと二人のやりとりを聞いていた太郎冠者はシテ柱の前に膝を突き両手を高く上げて大名を制止、一方、一ノ松まで進んでいた猿引は猿と共に橋掛リの上にうずくまります。この一瞬の緊迫に息を飲んでいると、観念した猿引は皮を貸そうと言い、太郎冠者もしかと貸すと申していますととりなして、ようやく矢を納めた大名は憎々しげに「急いで猿を出せと言え」と太郎冠者に命じました。

ここからの猿引はクドキ口調になり、一打ちで猿を仕留める急所を知っているので自分が打とうとは言うものの、つい未練がましく太郎冠者の袖にすがれば、いつの間にか猿引に同情している様子の太郎冠者も「くどい!」と袖を振り切りはしたものの「ならぬと言うに」と付け加える言葉に力がありません。是非もないと猿引が猿を呼ぶと猿は猿引の膝の前に横向きに座り、両手を後について猿引の顔を見上げる形。猿引がしみじみと言い聞かせる中で大名を指し示すと猿も首をひねり大名をじっと見るのが可愛くてかえって哀れを誘いますが、いよいよ最期だと猿引が杖を振り上げると猿はこれを取り上げ前に歩み出て櫓を漕ぐ仕草を示しました。これを見てモロシオリで泣き伏す猿引が、猿を打たずに何をしているのかと厳しく問う大名の言葉を伝えた太郎冠者に向かって言うには、小猿の頃から飼い育てたこの猿に今は櫓を漕ぐ真似を教えていたので、自分を打つ鞭とも知らずにその真似をしている、その姿を見てはたとえ自分が射られたとしても猿を打つことはできません……。

このように猿引が涙ながらに太郎冠者に話しているとき、大名も太郎冠者の後ろから猿引の言葉に耳を傾けていましたが、暗い顔をした太郎冠者が復命しようとしたところ大名は「聞いた」とこれを制し、自ら猿引の言葉を繰り返してみせると、弓矢を取り落として大泣きに泣き始めます。これには観ているこちらもじんときてしまいましたが、もはや猿の命は助けるから打つなという大名の言葉を太郎冠者が喜んで猿引に伝えようとすると猿引は最初はその言葉が耳に入らず猿をかばおうとして太郎冠者に叱られるというちょっとしたドタバタがあった後、安堵した猿引の言葉に従って猿が大名と太郎冠者のそれぞれにキャアキャアと平伏してみせて二人とも大喜び。ここで物着となって、晴れ晴れとした口調・表情の大名は太郎冠者の手を借りて靭を外し笠を立烏帽子に替えると、舞台中央では猿に日の丸烏帽子がかぶせられ袖なしの赤い法被が着せられます。

このあとはさまざまな猿歌が猿引と途中から加わる助吟の三人によって祝祭感豊かに謡われ、これに合わせて猿が猿舞を披露すると、すっかり上機嫌になった大名は自分の扇や身につけていた刀、着物を次々に猿引に与え、さらに猿舞に合わせて自分も猿の真似をして舞い遊び(とは言っても猿が近づくと慌てて逃げるということを繰り返し)ます。座って片手をうしろに突きもう片方の手に持った扇を上げて月を見上げる型を見せたり、両膝を交互に突いて田植えの様子を示したり、御幣を持って片足でぴょんぴょん跳んだりと猿舞はなかなかに複雑ですが、猿(娘)は大名(父)と共に見事に舞い続けて見所を感心させました。やがて猿は猿引の背に隠れ、大名ひとりの舞により舞台上の空気がはっきりと変わったら、靭を手に颯爽とした舞を見せた大名が最後にイヤアーオーッ!と片膝ついてのガッシ留。

こうして実際に観るまでは、筋書きだけを読んで猿(子供)の可愛らしさが主眼の喜劇的要素の強い演目だろうと思っていたのですが、この予断はいい意味で裏切られました。猿引の気概と愁嘆、太郎冠者の同情、大名の改心といった具合に登場人物の心の動きが深く掘り下げられて演じられ、観ている側の感情も揺さぶられて、実に見応えのある一番でした。もっとも、猿を演じた茂山緑里さん(2016年生)の猿ぶりもやはり見事。上演時間はおよそ40分間でしたが、この間ずっと着ぐるみを着たままで動き続け、長大な中に多様な型を見せる猿舞もしっかりこなしたのは立派です。彼女は大名を演じた茂山忠三郎師の長女ですが、これからも狂言師の道を歩み続けてくれるのであれば、大成してくれることを期待したいものです。

吉野静

冒頭に記した通り「吉野静」を観るのはこれが初めてではありませんが、前回観たときは前場が省略される形でしたし、長い式能の中で集中力を欠いた状態だったので、今回しっかり前場を演じる金春流で観られるのは幸運(ただし前場がついても全体で75分程度とコンパクト)です。

鋭いヒシギから始まる〔次第〕の囃子と共に登場したのは、烏帽子を立て弓を持つ左の肩を脱ぎ右腰に矢を二本たばさんだ軍装のワキ/佐藤忠信(原大師(高安流))。定めなき世のなかなかに、憂き事や頼みなるらんと中音域で朗々と謡った後、壬申の天武天皇を例に引いて吉野を発った義経の身の上を案じる詞章をワキがファルセットに近い高音も交えて謡ううちにひっそりと登場したシテ/静御前(櫻間右陣師)の姿は、華やかな紅入総模様の唐織着流出立で面は小面(出目右満作)です。常座から脇座へと移動したワキが振り返って一ノ松に立つシテに気づき声を掛けたところから二人の対話となりますが、いくぶん武張った感じのワキとは対照的にシテの声はどこかゆったりと浮世を離れたような、それでいてよく通りビブラートが美しいものでした。

思いがけず合流した二人がそれぞれに吉野に残されている事情(忠信は防ぎ矢、静は捨て残さるる)を語らい合うところへ夥しい螺鐘かいかねの音が聞こえ(るところで舞台上に着座している二人は正面方向を遠く見やり)、立ち上がったワキは一人芝居で中正面方向にいるらしい道行人からそれが義経を追うための集会の合図であることを聞き知ると、一計を案じます。すなわち自分は都道者みやこどうしゃに扮して大講堂に赴き頼朝・義経の不和解消の噂を流す一方、静には装束を替えて勝手神社で法楽の舞を舞って義経が落ちのびる時間を稼いでもらおうという策で、もし事が露見したらという不安を押さえつけつつ、まず忠信、ついで静の順で中入となりました。

入れ替わりに二人のアイ/衆徒(大藏教義師・上田圭輔師)が口の前に扇を立て交互に「つわい〜」と法螺貝を吹くさまを示しながら登場し、いささか素っ頓狂な口調で他の衆徒たちの集まりが遅いことを嘆きます。このとき笠をかぶったワキが戻ってきており、一ノ松から舞台に背を向けそのやりとりを聞いた後に、大小前に座り込んでいる二人の背後に忍び寄るのですが、その密やかな迫り方が見ていてぞっとするほどリアル。そうとは知らぬ二人が会話を続ける間へとんと膝を突き、驚いた二人に誰何されて都道者だと名乗った後に都の様子を聞きたいという衆徒たちの求めに応じて兄弟仲直りの噂を伝えますが、その顔を笠が作る影の中に隠しているところも不気味です。しかし義経一行がわずか十二騎だと聞いた二人が色めきたって追おうとしたとき、ワキは鋭い声で暫くと制してさっと笠をとると、十二騎といっても他の百騎二百騎に匹敵するぞと眼光鋭く威圧。地謡が詞章をつなぐうちに流れるような動きでワキは脇座に、アイ二人は常座あたりに立ち位置を変えましたが、ここでのアイの語りがプログラムに乗っている詞章(単に我等もお暇申し候はん)とは異なり「十二騎といっても百騎二百騎に相当するというなら、戻って他の衆徒たちと一緒になって追いかけよう」というものでした。

ともあれここでアイ二人は御役御免。彼らの姿が舞台上から消えてから〔アシライ出シ〕となって登場したシテの姿は金の静烏帽子に唐草文様の紫の長絹、緋大口という白拍子の出立です。ここで舞台上は大講堂から勝手神社の境内に移っており、再び笠をかぶって大講堂から移動してきた態のワキが他人(都道者)のふりをしてシテに法楽の舞を求めるのに対し義経についての評判を尋ね、ワキの口から兄弟和解に都の人々は義経を追った非を悔いているという偽情報を引き出してその場にいる(ことになっている)衆徒たちに聞かせます。こうした二人息を合わせての偽装工作ののち、シテはまず〔イロエ〕で舞台を巡りましたが、そこに密かに義経の無事を願う心をこめたシテが義経への加護を願って手を合わせる〈サシ〉の詞章神は正直の頭に宿り給ふなれば、静が舞の袂に暫く移りおはしまし、義経を守り給へは、静の真情を映してしんみりとさせます。そして、脇座に着座してシテに視線を送っていたワキは勝手神社に集っている衆徒たちの姿をも代表しているように見えていたのに、ここでふと姿勢を変えるとその気配が消えて舞台上はシテ一人のものとなり、ここから〈クセ〉が始まります。

坂井孝一先生の解説にもあった通り〈クセ〉の詞章は、梶原景時の讒言もなんのその、いずれ義経が復権するだろうから従っておきなさい、もし追ったとしてもその配下の勇猛な武者たちにひどい目にあわされますよ(←超訳)と脅す、なんとも直接的なもの。かくして目論見通りに衆徒たちの戦意をくじくことに成功したシテは、地謡がじっくりと伸ばして謡うしづやしづの初句を聞いて〔序ノ舞〕を舞い始めましたが、この舞もまた素晴らしいものでした。背筋に芯が通って凛としたシテの舞姿は美しく、もちろん囃子が奏されているのにどこか静謐。シテがこの舞にこめた心は演者にしかわからないことですが、振り返ってみると静の企みが成功すればそれはとりも直さず義経が彼女の手の届かないところへ遠ざかっていくことを意味するわけですから、そこには義経の無事を願うと共に別れを受け入れようとする悲しい覚悟のようなものがこめられていたのかもしれません。ことに〔序ノ舞〕の途中でシテが舞の手を止め、笛前に立ち尽くして目付の方を遠く見やる姿を示したときには、見ていて胸が詰まりそうになりました。それでもシテが目付近くで両袖を返し、中央に戻って扇を開いたところからは何かが吹っ切れたように舞が大きく速くなりましたが、それは長くは続かず、舞い納めたシテによってしづやしづの歌の上の句が、地謡によって下の句が謡われます。昔を今になす由もがなとは願望なのか諦観なのか、そんなことを思っているうちに心静に願成就して、都へとてこそ帰りけれと謡われる中、シテは常座から揚幕を向いて留拍子を踏み、その後に大小の鼓が見事なシンクロで最後の一打を聞かせて終わりました。

プログラムの解説には己の技芸で愛する人を救おうとする凛々しい静御前の姿が、この能の魅力だと書かれています。それは筋書きの上では確かにその通りなのですが、この日この場所で観たものは、この解説の記述とは何か違うものであったような気がしてなりません。

吉野にはこれまで何度か訪れており、最近では2017年に行きましたが、中千本にある勝手神社の本殿は2001年に不審火によって失われていて(下の写真)、その再建計画は今に至るまで思うに任せないままであるようです。残念なことです。

なお、ロビーで売られていた奈良県の各種物産の中から「桜の花の塩漬け」を終演後に買い求めました。桜の季節はまもなく終わりますが、これであとしばらくは桜花を眺めていられそうです。

配役

狂言大蔵流 靭猿
替装束
シテ/大名 茂山忠三郎
アド/太郎冠者 大藏基誠
アド/猿引 大藏彌右衛門
子方/猿 茂山緑里
助吟 大藏彌太郎
吉田信海
小梶直人
金春流 吉野静 シテ/静御前 櫻間右陣
ワキ/佐藤忠信 原大
アイ/衆徒 大藏教義
アイ/衆徒 上田圭輔
左鴻泰弘
小鼓 幸信吾
大鼓 谷口正濤
主後見 長谷猪一郎
地頭 本田光洋

あらすじ

靭猿

猿引の連れている見事な猿を見た大名は、自分の靱に用いたいからその猿の皮をよこせと言う。猿引が断ると、ならば猿もろともお前も殺してやるとすごむ。 泣く泣く猿を殺すために猿引が杖を振り上げると、猿は芸の合図かと思い一所懸命に舟の艪を漕ぐ仕草をする。不憫でならないと泣き崩れる猿引を見た大名ももらい泣きをし、猿を殺さぬよう命じる。猿引は大名への礼として猿に踊りを演じさせ、それを見て喜んだ大名は次々に褒美を与えて自分も一緒に舞い遊ぶ。

吉野静

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