ラ・バヤデール(K-BALLET TOKYO)

2024/06/02

Bunkamuraオーチャードホール(渋谷)で、K-BALLET TOKYO(旧Kバレエ カンパニー)の「ラ・バヤデール」。「ラ・バヤデール」と言えばKバレエの芸術監督である熊川哲也氏が英国ロイヤル・バレエ在籍時にその名を広く知られるきっかけを作った作品として有名であり、カンパニー設立25周年のこの機会にこの演目が選ばれたのもごく自然なことのように思われます。

マリウス・プティパとレオン・ミンクスによって19世紀に生み出されたこの作品を、私自身は2001年のレニングラード国立バレエ(タイトルは「バヤデルカ」)と2015年の東京バレエ団で見ており、特に後者での奈良春夏さんのガムザッティの演技には深い感銘を受けたことを覚えていますが、演出面でもブロンズ・アイドルの扱いや物語の結末についての両者の違いが興味深く、今回はそうした点も含めてどのような演出上の個性を打ち出してくるのか楽しみにしながらBunkamuraに足を運びました。

第1幕第1場:寺院の外
インド特有のミトゥナ像を彷彿とさせる豊満な巨像が四体、中央には拝火壇が設られ、その奥に立体的な構造を持つ寺院の入口が開いています。ここに登場するのは苦行僧たち、戦士たちとソロル、ハイ・ブラーミン(大僧正)、巫女たちとニキヤですが、両腕を激しく回転させながら踊る苦行僧たち(マグダヴェヤの額には三日月の飾り)の群舞がエネルギッシュ。フルートに乗って踊られるニキヤのソロもチャルダッシュ風に途中でテンポを変えつつ優美に踊られて、ニキヤによる大僧正の忌避(拒絶というほど強さはない)の後にはたゆたう弦に乗ったニキヤとソロルとの喜びに満ちたパ・ド・ドゥ。このように、さして長くない第1場の中にこのバレエを構成する要素であるマイム、女性群舞、男性群舞、主人公たちのソロとパ・ド・ドゥが漏れなく組み込まれて、あたかも演目全体の序曲的な位置付けも果たしているようです。
第1幕第2場:ラジャの宮殿
インドと言えばチェス発祥の地。そのモチーフを取り入れたというターバンの男たちの群舞を前に置いて、落ち着いた暖色系の衣装の侍女たちが脚に結んだ布をひらめかせるジャンベの踊りが華やか。そして登場したガムザッティは、精巧な金細工の装飾品と紫のスカートで高貴さをアピールしています。
ソロルの肖像画、ついで実物のソロルと引き合わされて(たぶん)生まれて初めての恋に落ちたガムザッティは、ハイ・ブラーミンの密告とラジャの怒りを見て思い悩んだ末にニキヤを呼び出して身を引くよう求めます。その意図の解釈は少し難しくて、最前のやりとりを見ているガムザッティにはニキヤを哀れむ気持ちがあったのか、あるいは巫女殺しで父王の手を汚させたくなかったのか?
ここからのニキヤとガムザッティの感情の起伏とそのぶつかり合いの表現は見事で、かたやニキヤは最初は身分違いのガムザッティに呼ばれた理由がわからず不安げでしたが、それがソロルのことだとわかると精一杯の勇気を奮って拒絶。ついにナイフを構えたものの、これを止められると自分がしたことの恐ろしさに動揺します。一方のガムザッティも、贈り物で籠絡して果たせないとわかると誇り高い表情で自分が婚約者であることを宣言、しかし動じないニキヤに思わず懇願するような弱さを垣間見せた末に、ついにニキヤへの殺意を表に出すという具合です。
第1幕第3場:ラジャの宮殿の庭
婚約式の場面にまず登場したのは大きな象の背中にふんぞりかえるソロル、そしてその獲物として従者たちが肩に担う棒に四肢をくくられ吊り下げられた虎。野生味あふれる男たちに女性二人も加わった荒々しい太鼓の踊りが客席の温度感を上げてから、ヨーロピアンなチュチュの女性たちに白から黒へと衣装のカラーを変えたガムザッティとソロルが加わってのパ・ダクシオンは古典バレエの技法をふんだんに盛り込んで祝祭感に満ちているものの、どのタイミングだったか、一瞬だけ心ここにあらずの様子のソロルの腕をガムザッティがとりに行く場面があったように思いました。しかし、ソロルのヴァリエーションはそうした悩みを振り切ったように高い跳躍と大きなマネージュを思い切り背中をそらせたポーズで締めくくり、ガムザッティの揺るぎないフェッテの連続も彼女の自信のあらわれのよう。
一方、そこに引き出されるように登場した赤い舞姫姿のニキヤは意気消沈した様子で祝いの舞を踊りましたが、そのとき上手袖にガムザッティと並んで座っているソロルの目にニキヤがどう映っていたかは、自分が観ている2階席からでは遠くて窺い知ることができませんでした。ただ、ガムザッティの乳母であるアヤから渡された花籠をソロルがニキヤに手渡すとニキヤの表情ががらっと変わって喜びに満ちたこと、にもかかわらずそこに仕込まれた蛇に噛まれて苦しみ助けを求めるニキヤを見捨ててガムザッティと共に去っていくソロルにはためらいがなかったことは、はっきりと見てとることができました。このようにして希望を失ったニキヤには、大僧正が差し出す解毒薬を飲むという選択肢がないのも当然だと思えます。
第2幕第1場:寺院の中
強烈な遠近法で奥へ連なるアーチの行き着く先に神像を安置した寺院の中。プログラムに記されたあらすじによればニキヤを失ったソロルは、自らの犯した過ちを懺悔するため寺院に来ているのですが、上記の第1幕第3場のソロルの去り際の様子からは自らの犯した過ちを認識しているようには見えなかったのが割り切れないところです。もっともそこで引っ掛かっていては前に進めないので目を瞑って見ていると、ソロルが奥の神像に祈りを捧げると共に透過性のある幕に描かれた神像の向こうで腕がゆらゆらと動くギミックがあり、さらに苦行僧たちによって持ち込まれた大きな阿片吸引器から伸びたパイプを口にして阿片を吸ったソロルが気を失うと寺院の書割が引き上げられて……。
第2幕第2場:影の王国
上手の高いところから下手中段へ下り、折り返して下手から上手へ下って舞台に至るスロープが現れて、このバレエで特に有名な「影の王国」となります。ただでさえ坂の上でアラベスクをしながら降りてくることは容易ではない上に、ここに登場する白い幻影は一人一人がソロルの見るニキヤの姿という設定ですから完全にシンクロしていなければなりませんが、総勢24人が次々にスロープを降りてくるときも、さらに全員が舞台上に揃ってパドブレで浮遊する際も、素晴らしい一体感が見られました。
続いてソロルが登場し、スロープ上にいったん現れて消えたニキヤの姿に打ちひしがれてから、今度は上手から登場したうつろな表情のままのニキヤとのパ・ド・ドゥ。さらに3人のソリストによるそれぞれ個性的なヴァリエーション、レースを掲げたニキヤとソロルのパ・ド・ドゥを経てニキヤとソロルのヴァリエーションというオーソドックスな展開になるのですが、それらの過程の全てがソロルの魂がニキヤの霊に絡め取られるさまを示しているよう。そして最後にソロルがニキヤをリフトして一連のダンスが終わると二人は静かにスロープを上がっていき、これはソロルが阿片の夢から覚めることなく黄泉の国へ旅立ったことを示します。
第2幕第3場:寺院の中
暗転した舞台が寺院の中に戻ると、下手の床に横たわっているのはソロルの遺体(ボディダブル)。これまで観てきた二つの演出ではソロルは内心の葛藤を抱ながらもガムザッティとの結婚式に臨み、そこで寺院崩壊に遭遇して命を落としたのですが、この演出では「影の王国」から戻ってこない点が特徴です。その場にやってきたガムザッティとラジャはソロルが倒れていることに驚きますが、ソロルの身体にすがりついたガムザッティはニキヤの化身である白蛇に噛まれて命を落とし、寺院の奥の神像が再び動きを見せると屋根が崩れ落ちて寺院は形を失います。
寺院の瓦礫らしきものが赤黒い光に照らされた暗い舞台上に登場したのはブロンズ・アイドルで、そのエキゾチックなポーズでの対空時間の長い空中回転は見事でしたが、これは「影の王国」でのソロルの死と並んで、熊川演出の独創的な部分です。今まで観た演出ではその登場は婚約式のディベルティスマンの一部であったり寺院の場面の冒頭であったりしたのですが、ここでのブロンズ・アイドルは崩壊後の世界を浄化する神格というこのバレエのテーマにすら関わる役割を与えられています。
この後に続く最後の場面は、スモークが覆い隠す舞台とダイナミックに逆巻く雲を思わせる背景が示す天上界で喜びに満ちた表情を浮かべつつスロープを登っていくニキヤと、その後に続くソロルの姿でした。

熊川版「ラ・バヤデール」を観るのはこれが初めてだったので、終幕の独自性にはすっかり驚くと共に「なるほどこういうやり方もあるのか」と面白く思いましたが、ただしそれでも、ソロルがニキヤと彼岸で結ばれるという結末であることにはいささか割り切れないものを感じました。冒頭に記したとおり、2015年の東京バレエ団の「ラ・バヤデール」(ナタリア・マカロワ版)を観てすっかりガムザッティに感情移入した私は、今回も知らず知らずのうちに「ガムザッティの物語」として本作を観てしまった面があり、したがってソロルの二重の不実が許せないばかりか、最後にニキヤの化身の白蛇に噛まれて死ぬというひどい仕打ちを受け入れることができませんでした。

それはいったん横に置いて、岩井優花さんのニキヤが割と直線的な役柄だったのに対して、これと対峙する成田紗弥さんのガムザッティがとりわけ素晴らしい演技であったと思いました。ニキヤとのぶつかり合いは上述のとおり真に迫るものでしたし、ソロルとのパ・ド・ドゥも揺るぎない技巧でキャラクターの性格の表現にまで踏み込んでいました。一方、ソロル役の堀内將平も誇り高き戦士役を堂々と踊って舞台上の存在感が素晴らしかったのですが、それだけに死にかけたニキヤを見捨ててガムザッティと共にその場を去るソロルという役をどう解釈したのかを聞いてみたい気がします。

……と思っていたら、まさにこの日のキャストがそれぞれの役柄について語っている動画が見つかりました。自分が演じる役柄についての成田紗弥さんの悪者ではないというのは大前提、岩井優花さんの純粋でありながらも芯の通った強い女性という発言にはいずれも共感しましたが、ソロルに関しては堀内將平のダメ人間という評に頷きはしてもまだ腑に落ちません。そうした矛盾を残した人間像の方が、むしろリアルということなのかもしれませんが。

また、第1幕を75分間ぶっ通しに上演してようやく25分間の休憩となり、第2幕は上演時間が50分という構成では、いかに3場に分かれているとは言え第1幕を通して観ると記憶のキャパシティを越えて消化不良を起こしてしまいました。したがって上記の記述にも、少なからぬ記憶違いや記録できなかった大事なポイントがあったかもしれないことを断っておきます。

いずれにしても久しぶりに観た「ラ・バヤデール」はやはり面白くて美しく、また機会を得て鑑賞したいと思いました。そのときには、あらかじめ音楽とダンスとの結びつきをしっかり予習して、より深いレベルでの作品の理解を試みたいものです。

配役

ニキヤ 岩井優花
ソロル 堀内將平
ガムザッティ 成田紗弥
ハイ・ブラーミン(大僧正) ビャンバ・バットボルド
ラジャ ニコライ・ヴィユウジャーニン
ブロンズ・アイドル 吉田周平
マグダヴェヤ(苦行僧) 本田祥平
ソロルの友人 グレゴワール・ランシエ
アイヤ(乳母) 二本柳美波
影のソリスト
第1ヴァリエーション
佐伯美帆
影のソリスト
第2ヴァリエーション
長尾美音
影のソリスト
第3ヴァリエーション
木下乃泉
指揮 塚越恭平
演奏 シアター オーケストラ トウキョウ
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