地蔵舞 / 水無月祓

2024/06/04

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「地蔵舞」と能「水無月祓」。

地蔵舞

これまで「地蔵舞」は2010年に一度だけ観ており、そのときはシテ/旅僧が山本東次郎師、アド/宿の主人が山本則俊師でした。昨年鬼籍に入った則俊師に代わって今回宿の主人役を勤めるのは、東次郎師と則俊師の間の兄弟だった則直師(1939年-2010年)の孫である山本凛太郎師です。

この日の演出では旅僧の登場に際し〔次第〕の演奏があって、シテの我は仏と思へども、人は何とか思ふらんに対し後見の地取が付きましたが、その後の進行は前回とまったく同じです。緑から黄色に微妙に変化する光沢をもつシテの水衣と濃淡の青色の鱗文に覆われたアドの長裃との色彩の対比も美しく、87歳という年齢をまったく感じさせない旅僧と既に三十路に入って自身の風格を作り上げつつある凛太郎師とのやりとりは実にスムーズです。預かってもらった笠の下を笠に借りたのだという旅僧の詭弁に主人が思わず「う〜ん、これはもっともじゃ」と素の口調になって感心するのが面白く、かたや旅僧も一度出された酒を引っ込められるときに思わず「あ〜、もうしもうし」と呼び止める声が絶妙のタイミング。「酒戒」があるために「飲む」とは言えないが「吸う」ならOK!というわけで始まった酒盛りは酔いが進むにつれて二人の心が通い合う様子が伝わってきますが、主人から「何か肴を」と求められた旅僧が「経を読みましょうか」と言葉に力をこめると主人が「あ〜もったいない。経が肴になるものか」と制するところが主人の真面目な人柄を示してもいて、観ていて気持ちのいいものです。このやりとりの前に旅僧が謡う「錦帳の下、廬山の雨の夜、草庵の中……」は能「芭蕉」に引用される白居易「蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中」(『枕草子』にも出てきます)。次に主人が謡う「あはれ一枝を花の袖に手折りて……」は能「泰山府君」、「浮かめ浮かめ水の花……」は能「櫻川」からの狂言小謡。さらに「ざざんざ」を経て、ひときわ運動量の多い地蔵舞を東次郎師が見事に舞い納めた後、旅僧、主人の順で静かに橋掛リを下がっていきました。

水無月祓

一方「水無月祓」の方は2015年に、今回主後見を勤める観世銕之丞師のシテで観て、いたく感動したことを覚えています。そのときの記事にも書いたように、この曲は観世流だけで現行曲とされているものの一時は番外曲扱いされ、江戸末期に復曲されて前場を省略した一場物の形で演じられるようになったもので、この日の能楽堂のロビーで販売されていた謡本もこの形になっていました。したがってそこでの口開けの舞台は室の津ではなく既に京都で、冒頭のワキの名乗リには、自分が下京に住む者であること、播磨の国で室の津の女と知り合ったこと、都に帰った後に迎えを遣わしたところ既にその地にいなかったこと、そして賀茂の明神に参拝して再会を願おうとしていることが手際よく語られていました。一方、この日の演出は2015年と同じく前場が置かれたもので、これまた2015年の記録を引用すると「山本順之師・観世銕之丞師が演出検討に加わり、江戸初期の謡本に基づいて前場の男女の別れを復活させ、間狂言の詞章にも手を加えた」ものです。さらに後場も底本を忠実に再現したことを踏まえて国立能楽堂は番組に「古本による」という注釈をつけていますが、これは2015年の番組にも付記されていました。

よって一曲の展開は2015年の舞台とおおむね同じであるため、ここで細々と筋書きや舞台上の動きを再現することはせず、最低限書き残しておくべき点だけを箇条書きすることにします。

  • 前回はシテを出し置きの形にしていましたが、今回は最初に〔名ノリ笛〕に乗って登場したワキ/男(大日方寛師)がひとしきり名乗った後に橋掛リに出て揚幕に向かって呼び掛け、これを受けてシテ/女(浅井文義師)が登場しました。シテの出立は紅入唐織着流、面は前回と同じく孫壱です。
  • 必ず迎えを寄越すから安心するようにというワキの言葉に対し、シテは偽りのなき世なりせばいかばかり、人の言の葉嬉しからまし、今は心を……と横を向いたのは、ワキの言葉を信じきれない様子を示しているのでしょうか。ともあれ一ノ松から進んだワキと三ノ松から進んだシテは二ノ松ですれ違い、ワキの退場を見送ったシテがシオリを見せてから〔アシライ中入〕となります。
  • アイ/上京の者は前回と同じく山本則秀師。連れ立って糺ただすに向かうことにした二人はアイが小鼓の前、ワキが常座に立って正面を向き、女物狂の話をしながらアイが少し先行しつつ前に出て、殊の外の群衆をぐるりと見回す型を示してから脇座と笛前に着座します。
  • 〔一声〕は大小が掛声を合わせつつ力強く、リズミカルに打つ独特なもの。この日の囃子方の鵜澤洋太郎(小鼓)と安福光雄師(大鼓)の組合せも、前回と同じでした。
  • 後場でのシテの出立はクリーム色の水衣に木綿襷(白木綿の縄を輪にしたもの)を首に掛け、右肩の笹には紙垂と茅輪つき。一ノ松で謡い出し常座に出て足拍子の後の〔カケリ〕から「恋路をただす神なのだから逢わせてくれるはずだ」と謡う場面では大小と共に狂乱の様子をあらわにしたものの、続いて在原の以下自分の境遇を謡うところはしみじみ。
  • アイが膝を進めてワキに「これが例の狂女です」と耳打ち(?)するところが妙にリアル。これを受けてワキは立ち上がってシテに夏越の祓の謂れを問い、謡本ではここでアイは御役御免ですが、この日の演出ではアイにもう一つ大事な役目が残っています。
  • シテが夏越の祓の謂れを語った後に地謡が水無月の、水無月の、夏越の祓する人は、千年の命、延ぶとこそ聞けと謡う場面で、地謡に立つシテは繰り返し強い足拍子。ここから先、シテは人々に茅の輪をくぐるよう勧め、自らも茅の輪をくぐる型を示します。
  • 一連の謡い語りを終えて笹を捨て合掌したシテに対し、アイは「烏帽子狩衣」を差し出して面白く舞うよう求めます。ここから後見二人の手を借りての舞台上の物着を経て立ち上がったシテの姿は、頭上に金色の風折烏帽子、水衣を脱いで青灰色の地に藤花文様の長絹。シテが声色を変えて藤原実方の故事を引用した先に、プログラムに掲載された詞章では〔イロエ〕の表記がありましたが、この日はそうした様子は見られずにシテはゆっくり一ノ松に出ました。ここで前回ははっきりと勾欄の下を見込む姿を見せていましたが、今回は立ち位置を勾欄に寄せることはなく今この水に影を映すという詞章に呼応してかすかに面を下げるだけ。
  • 一ノ松から始まった〔中之舞〕は、茅の輪をくぐるようにして舞台に進み大小前に立ったところで笹を捨て、扇を手にして始めは緩やかに、やがてテンポを上げて舞われますが、その中にも何度も茅の輪をくぐる型が差し挟まれます。
  • 〔中之舞〕を舞い納めての〈ワカ〉みそぎ川、浮き沈むなる夕山影の、賀茂の神を舞の直後にもかかわらず朗々と謡った後、地謡は御手洗川に、映る面影、映る面影、映る面影と繰り返しましたが、シテが実際に御手洗川に映る自分の姿を覗き込むのはこの後に一ノ松に戻ってからの御手洗に、映る姿は恥づかしやあたりで、勾欄越しに自分の乱れた姿を見てショックを受けたシテは舞台に走り込み、常座に崩れ落ちるようにして左袖で顔を覆い泣き伏す様子を示します。これら一連の動きは、2015年の上演時とはかなり異なっていました。
  • シテが室の津の女であることに気付いたワキの呼び掛けが地謡によって謡われ、シテは消え入るような声でこれは夢ではないかと胸を騒がせるものの、ついに再会を喜び賀茂の神に感謝する合掌をシテは小鼓の前、ワキは常座に下居し正面を向いて行います。この後の動きも2015年とは異なっており、前回は舞台中央でシテとワキとが互いの周りを回り合ってシテが一ノ松に立ったところでワキが常座で留拍子を踏むという位置関係でしたが、今回のシテは舞台上に立ったまま移動せず、ワキは常座でユウケンの後に留拍子を踏んでいました。

上記の通り主として〔中之舞〕の後の運びに前回との違いが見られ、こうした変更の演出上の意図ははっきりとはわからなかったものの、前回がシテとワキとの再会の喜びをストレートに描いていたのに対し、今回は賀茂の神の恵みへの感謝に力点が移っていたような印象を受けました。このように2005年の鑑賞経験から想像していた「水無月祓」のあり方とはずいぶん違った曲になっていましたが、シテの浅井文義師の謡は朗々と響き、緩急の使い分けも鮮やか。そうしたダイナミクスによって表現される物狂いの中に聖性が滲み出て、兎にも角にも見事な舞台でした。

ちなみに自分が直近で糺の森〜下鴨神社を訪れたのは2021年の晩秋のこと。御手洗川の清い流れに心も洗われるようでしたが、煩悩を消し去ることができていない我が身としては、こちらへ足を運んだら「出町ふたば」にも足を向けないわけにはいきません。このときは秋バージョンの栗水無月を買い求めましたが、やはりその名の通りの6月に水無月をいただきたいものです。ちなみにこの水無月は陰暦6月1日の賜氷節で群臣に配られる氷に見立てたものだという話を能「氷室」にまつわるトリビアとして聞いたことがありますから、かき氷をいただくのがむしろ本来の姿に近いのかも?

配役

狂言大蔵流 地蔵舞 シテ/旅僧 山本東次郎
アド/宿の主人 山本凛太郎
杉信太朗
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 安福光雄
観世流 水無月祓 シテ/女 浅井文義
ワキ/男 大日方寛
アイ/上京の者 山本則秀
杉信太朗
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 安福光雄
主後見 観世銕之丞
地頭 片山九郎右衛門

あらすじ

地蔵舞

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水無月祓

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