写本-いとも優雅なる中世の小宇宙
2024/06/20
国立西洋美術館で「内藤コレクション写本-いとも優雅なる中世の小宇宙」を見てきました。
タイトルに「内藤コレクション」と冠してあるように、これは西洋中世彩飾写本のコレクターだった内藤裕史氏から国立西洋美術館に寄贈された写本零葉(零葉とは本から切り離された一枚一枚の紙葉のこと)の大部分を紹介するものです。
印刷技術のなかった中世ヨーロッパにおいて、写本は人々の信仰を支え、知の伝達を担う主要な媒体でした。羊や子牛などの動物の皮を薄く加工して作った紙に人の手でテキストを筆写し、膨大な時間と労力をかけて制作される写本は、ときに非常な贅沢品となりました。またなかには、華やかな彩飾が施され、一級の美術作品へと昇華を遂げている例もしばしば見られます。
と公式サイトに紹介されているように、今回展示されている写本は歴史的価値と共に美術品としての価値も高いものばかりで、時代的には13世紀から16世紀を中心とし、地域的にはイングランド、フランス、ネーデルラント、ドイツ、イタリア、イベリア半島と多岐にわたるものです。また、その内容は以下の章立てでわかるように信仰(キリスト教)に関わるものが大半ですが、一部、世俗的な内容を持つものも含まれます。
- 聖書
- 詩編集
- 聖務日課のための写本
- ミサのための写本
- 聖職者たちが用いたその他の写本
- 時祷書
- 暦
- 教会法令集・宣誓の書
- 世俗写本
……というわけで展示は聖書の写本から入ります。最初のうちは横10cm縦20cmほどの小さな紙葉にびっしりと書き込まれた文字の中に控えめな装飾が施されているものが多く、たとえば右の写真の零葉には縦に七つ並ぶ円形装飾(メダイヨン)の中に旧約聖書の創世記のさまざまな場面が描かれていますが、それよりもむしろ文字の細密具合の方に目を奪われます。これは聖書を携帯することを前提としたサイズだからで、米粒に経文とまではいかないものの、この小さな平面の中に注ぎ込まれたエネルギーには圧倒されるものがありました。
このひときわ美しい零葉は《レオネッロ・デステの聖務日課書》(15世紀)。聖務日課とは修道院や教会において決まった時刻に一日8回行われる礼拝のことですが、世俗の信徒にもこれが広がると贅を尽くした聖務日課書が製作され、あるいは聖務日課書を簡略化した時祷書が作られるようになったのだそうです。
聖務日課やミサでは歌が歌われることもあるようで、ここに描かれている原初的な楽譜を興味深く眺めました。肝心の装飾の方を見るといずれも物語イニシャルで、これは写本の装飾のうちイニシャルのヒエラルヒーの中でも最上位のものです。
時祷書のコーナーの中に、たいへん小ぶりなこの零葉が展示されていました。これは『ギステルの時祷書』と呼ばれる写本に由来するもので、解説を見ると次のように書かれていました。
2018年、内藤氏は国立西洋美術館に追加で寄贈する作品を探しにロンドンを訪れます。その時にこの紙葉を見つけ、チャーミングなたたずまいに惹かれて自分のために購入しました。普段は自宅の仕事机の脇に置かれています。これが氏のもとに残された最後の紙葉です。
長い年月をかけて蒐集したコレクションを美術館へ寄贈した内藤氏の心が奈辺にあるのか興味深いところですが、今回の展覧会では図録の代わりに同氏の著書『ザ・コレクター中世彩飾写本蒐集物語り』を購入したので、そこで氏の蒐集歴や寄贈の経緯などを知ることができそうです。
15世紀から普及した印刷技術を用いて獣皮紙に金属凸版技法で文字と装飾を印刷した上に人の手によってイニシャルや彩飾などを付加した印刷写本や、キリストの生涯を一年の周期に当てはめて編成した教会暦もまた面白い。
最後に教会法令の零葉(余白に加筆された註解の吹き出しが壺(?)のような形をしているのがユニーク)やカスティーリャ女王フアナ1世による貴族身分証明書(冒頭に華やかな装飾あり)を眺めて、展観は終了です。
冒頭に記したように美術品として一級のものばかりで、装飾の美しさをルーペ片手に見て回るだけでも十分に楽しかったのですが、各章の冒頭に置かれた解説を読んでいくことであらためて、中世の西欧世界がありとあらゆる面でキリスト教信仰と密着していたことが実感できました。もちろん日本でも中世美術の中核には仏教信仰が存在するわけですが、それとはどこか異質の、宗教による「支配」という言葉を使ってもいいような富と労力の集積の結晶が一堂に会した感のある展覧会でした。
上記の通り、帰りがけに内藤裕史氏の著書『ザ・コレクター』を購入したのですが、その中に彩飾写本とは何かということを端的に記述したくだりがありました。著者の思い入れをとりわけ強く感じられる文章だったので、ここに引用しておきます。
文字が普及していなかった中世において、キリスト教はその神学や教義を説くために絵や彫刻の力を借りる以外になかった。キリスト教美術は聖典の絵解きそのものだった。聖伝の浮彫がくまなく刻み込まれ、聖者たちの彫像によって埋め尽くされているゴシック大聖堂が、“石でつくられた聖書”“貧しい人たちのための聖書”と呼ばれるのはそのためである。字が読めない、聖書が買えない人たちにとって、神の世界に近づく唯一の道はゴシック寺院の中に身を置くことだった。字が読め、そして何より途方もない大金を払える貴族や富豪たちだけが、注文して作らせ、彩飾写本という形で聖典を手元に置くことができた。中世の彩飾写本は、だから、キリスト教の信仰が凝縮したものだともいえるし、また、ゴシック大聖堂を掌におさまる形に圧縮したもの、とみることもできる。一つの宇宙がそこにある。ヨーロッパ中世の人たちの信仰と生活が、羊皮紙といい、顔料といい、インクといい、装幀といい、時代の最先端技術に支えられ、一冊に凝縮しているのである。(内藤裕史『ザ・コレクター』(新潮社 2017年)p.29)
ところでなぜ西洋中世彩飾写本の展覧会に足を運んだかというと、これまでにもそうしたもの(に近いもの)に接したことがあって興味を持っていたからです。
その最初の体験は、小学生の頃(半世紀以上前!)に読んだC.S.ルイスによる大河ファンタジー「ナルニア国物語The Chronicles of Narnia」の3作目『朝びらき丸 東の海へThe Voyage of the Dawn Treader 』(1952年)でした。
この作品の中では、主人公の一人であるルーシィが魔法使いコリアキンの屋敷の2階で読んだ魔法の書にはページごとに、欄外と、まじないことばの書きはじめの色どりをした大文字のまわりとに、絵が描いて
あると描写されており、ポーリン・ベインズが描いた挿絵(上の画像)を見るとまさに彩飾写本そのものです。それもそのはず、20世紀のイギリスに住むルーシィたちが魔法の力によって招き寄せられるナルニア国は思い切り騎士道の世界で、その基底に濃厚なケルト的雰囲気を漂わせつつも、今回の展覧会で展示された写本群が示す世界観とほとんどオーバーラップします。
さらに、高校生の頃から今に至るまでファンであり続けているプログレッシブロックバンドKing Crimsonの3作目『Lizard』(1970年)のアルバムジャケット(下の画像)もまた中世写本風です。
1作目と2作目のジャケットがこんな感じ(↓)で収録された楽曲の先鋭性に見合うようにインパクト大だったのに対し、この3作目ではがらっと方向転換して抒情性を増したアルバム収録曲のそれぞれの歌詞を物語イニシャル風に表現しています。中でもB面全体を使ったタイトルナンバー「Lizard」が中世風のモチーフを持っていることが、このジャケットデザインの着想に寄与していそうです。
ともあれ、こうした下敷きがなかったら今回の「内藤コレクション写本-いとも優雅なる中世の小宇宙」には足を運んでいなかったかもしれません。長い人生、何がどこでどうつながるかわからないものです。