PHILIPS 836 887 DSY / オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ / 春の祭典
2024/09/11
" I'm not interested in how people move but what moves them. " - Pina Bausch[1]
コンテンポラリー・ダンスの振付家・舞踊家であるピナ・バウシュ(1940-2009)は、彼女が率いるヴッパタール舞踊団やタンツテアター(演劇的ダンス)という概念と共に20年以上前から気になる存在でした。しかし、2009年にピナが亡くなったことでその作品に触れる機会を得ることはもうないだろうと思っていたのですが、はからずも今回「春の祭典」が日本で18年ぶりに上演されることになり、一も二もなくチケットをゲットしました。会場は東京国際フォーラム(有楽町)のCホールで、この日は5日間にわたる上演期間の初日です。
ヴッパタール舞踊団は没後15年を経た今でもピナ・バウシュの作品を中心に活動を続けていますが、ピナ・バウシュ作品の上演権を含む遺産を引き継いだ子息のサロモン・バウシュ氏は「ピナの芸術的な遺産を未来に引き継ぐ」ことを理念とするピナ・バウシュ財団を設立し、ヴッパタール舞踊団以外のカンパニーによる上演[2]を通じてその伝播に努めています。そして今回の上演は、この財団とセネガルの舞踊教育センターであるエコール・デ・サーブル、それにイギリスのサドラーズ・ウェルズ・シアターを加えた三者により製作されたもので、2021年9月のマドリードからヨーロッパ各地を巡回し、日本にも2022年に来るはずだったのにCOVID-19の影響で来日が延期されていたものです。
プログラムに収載されたサロモン・バウシュへのインタビューによれば、今回のプロダクションは既存のカンパニーではなく、自分たちでアンサンブルを組んでみたい
というアイデアがエコール・デ・サーブルとのコラボレーションに発展し、多様な出自(クラシックのトレーニングを受けたダンサーはむしろ少ない)のダンサーたちをワークショップの積み重ねで35人に絞り込んだ上で、ピナ・バウシュのダンサーたちが指導したものだそう。
その成果の一端はこの動画に表れていますが、その後半ではこの日「オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ」を踊ったジェルメーヌ・アコニーの姿も見られます。セネガル系フランス人ダンサーであるジェルメーヌ・アコニーは、アフリカ伝統舞踊とコンテンポラリーダンスの教育機関であるエコール・デ・サーブルの設立者であり、ピナとも接点があったことがこのプロジェクトの成立につながっています。
前置きはそれくらいにして、舞台の様子を以下に記していきます。もっとも、舞台芸術を言語化して描写することは(本作に限らず)難しいことなので、後から振り返って思い出すためのヒントとする程度におおまかな感想の羅列にとどまらざるを得ません。
- PHILIPS 836 887 DSY[3]
- フランス人作曲家Pierre Henryの電子音楽「Spirale」(1955年)を用いて踊られるこの5分程度の小品は、ピナのキャリア初期である1971年に創作されたたものでめったに上演されることがありませんが、この日はヴッパタールのゲストダンサーとしても活躍したフランス人エヴァ・パジェが踊ります。暗い舞台上にかすかな照明を受けて浮かび上がるダンサーの姿は、その手足の長さを強調するオレンジ色のキャミソールとパンツルック。腰をぐっと落として床に限りなく近い低さまで上体を前に倒し、両腕を羽のように広げつつノイジーな反復音に乗って回転しながら移動する姿は、私たち東洋人には太極拳を連想させるものがありますが、やがて立ち上がったエヴァの身体から繰り出される流れるような動きからは、そこまで激しくもなければリズミカルでもないにしても、どこかラッセル・マリファントの「TWO」(特に後半のインテンポ部分)に通じるものを感じました。
- オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ
- これは今年80歳のジェルメーヌ・アコニーが振り付け自ら踊るソロ作品で、タイトルの通り
死と、旅立ったものたちとの対話
を約25分間かけて描き出します。やはり暗い舞台上に色彩を示すのは揺らめく炎、長身のアコニーが穿いている赤系統のパンツ(長い上衣は薄茶に見える)、黄色いクッション。英語で読み上げられるテキストはアコニーの父の言葉から始まり、頬杖、宙に何かを描く仕草を経てブードゥーの聖職者であった祖母への言及、印象的な「イヤトゥンデ!」という言葉と共に生を受けた自分自身を見つめたときにピアノを主体とするアンビエントな音学が導入されましたが、音学はすぐにピアノ弦をひっかくような音にクレシェンドする打楽器を重ねたリズミカルなものに変わり、アコニーは白い粉(タルク)を撒いて舞台上に大きな楕円を描きました。こうして作られた追悼の儀式の場の中に持ち込まれるのは、白い能面(アコニー自身にいずれ訪れる死の象徴)、大量の赤い花びら、セネガルの詩人ビラゴ・ディオブの詩「Breath」(火や水や風の声は祖先たちの息吹、亡くなったものたちはあらゆる場所にいる、と呼び掛ける内容)の朗読、そしてアコニーの祈りのようなダンス。その間に音学は高揚から鎮静へ、そしてリズミカルなものへと移り変わり、再度ピアノの静謐な曲に乗って「Breath」の朗読が繰り返されると、そこへ滑り込んできたのはアメリカのフォーク / カントリーシンガーJohnny Cashがしみじみと歌う「Hurt」[4]でした。これを聴きながら立ち尽くし、涙ながらに身体を叩く仕草を示したアコニーの姿は「Hurt」がフェードアウトした後に青い光に包まれ、アコニーが舞台上を移動するとその軌跡に沿って舞台の床面も青い光に覆われていきます。ピアノによるフレーズの繰り返し、風の音や波の音、そして背後に現れたスクリーンに映し出される水面とぐるぐると回る樹木、きらめく光の映像。これらすべてのものが収斂していって舞台上が闇に覆われたところで、パフォーマンスは終了しました。 - 得も言われぬ雰囲気を漂わせた印象的なステージに強く引き込まれましたが、この主題はベナンとセネガルにルーツを持つアコニーでなければ演じられないものかもしれません。人類誕生の地であるアフリカはアコニーだけでなくすべての人にとっての遠い祖先が(今も)住む地だからですが、それだけにJonny Cashの歌(
Everyone I know goes away in the end.
と歌う)を持ち込んだことは意外に思いました。最後の映像処理も観ているときはその必要性を理解できず、全体として冗長になってしまったという印象を抱いたのですが、日をおいて振り返ってみると、そこに映し出されていた水や木々は「Breath」が説くように祖先たちの息吹を示しているのであり、ラストシーンはアコニーもまたいつか祖先たちのいるあちら側へ旅立つということを表現していたのかもしれないと思うようになりました。きっとここは、観る者によってさまざまな解釈が成り立ち得ることでしょう。
ここで30分間の休憩が入りました。「30分とはずいぶん長いな」と不思議に思ったのですが、それにはちゃんとした理由がありました。
先ほどの「オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ」で舞台上に撒かれた白い粉や赤い花びらたちが大きな粘着ロールできれいに巻き取られた後に、舞台中央の正方形の区画が黒い布で覆われて四辺を念入りに釘どめされた後、5台のトロッコに乗せられて現れたのは大量の茶色い土。これがスコップと代かきで丁寧にならされていって、みるみるうちに見事な土の舞台ができあがりました。この明るい土の色はアフリカの大地を連想させますが、実はピナ・バウシュ版「春の祭典」では1975年の初演時から一貫した演出です。
- 春の祭典
- 周知の通り「春の祭典」は、ディアギレフ率いるバレエ・リュスによる1913年のパリ公演のためにストラヴィンスキーが作曲し。ニジンスキーの振付によって初演されたバレエ作品です。その初日の公演は観客にセンセーションを巻き起こしたという逸話が有名ですが、その後、ストラヴィンスキーの楽曲は高い評価を確立し、何人もの振付師がこの作品を取り上げています。その中で私が観たことがあるのはモーリス・ベジャール版だけで、ピナ・バウシュ版を観るのはもちろん初めて。ここでおさらい的に「春の祭典」のあらすじを振り返ると次の通り(Wikipediaによる)です。
春を迎えたある2つの村同士の対立とその終息、大地の礼賛と太陽神イアリロの怒り、そしてイアリロへの生贄として一人の乙女が選ばれて生贄の踊りを踊った末に息絶え、長老たちによって捧げられる。
- この日の舞台もおおむねこうしたストーリーを再現しているのですが、原曲がロシア原始宗教の世界観を背景としているのに対し、ピナ・バウシュ版で採用されている衣装(女性は白いスリップ、男性は黒いパンツのみ)からはスラブ的な気配は捨象されていますし、さらにダンサーたちの肌の色がアフリカンになった今作ではより普遍的な豊穣と犠牲の物語になっています。そしてこのダークな色彩感覚の舞台上に唯一明瞭なカラーを示すのが一枚のピンクの布で、これは実は生贄となる乙女が着る衣装です。
- 第一部冒頭の有名なファゴットソロが始まると共に舞台上に斜めの光が走り、その中でピンクの布の上に横たわる乙女の姿が浮かび上がると、曲の進行にあわせて次々に乙女たちが舞台上の自分の位置に進みます。これから始まろうとすることへの乙女たちの慄きが頂点に達した瞬間に始まった強烈な和音の連打からエネルギッシュな群舞が始まり、ついで男たちも順次飛び込んできて群舞のスケールはどんどん大きくなり、その中で生贄の印を女同士が投げつけ合い男女がもつれ合うスリリングな場面が展開しましたが、曲調が変わると今度は男女が交互に列を作ってゆったりした輪舞。一転して全員が全速力で駆け回ったり、男女それぞれの集団がユニゾンで力強く群舞(というより何かの生き物の「群体」のよう)を踊ったり。肉体の力強さを誇示するように土を蹴たてて跳躍を見せる男性陣も、しなやかな上体をねじるようにして全身全霊を楽曲のリズムに同期させる女性陣も、荒い息遣いが2階席最後方の私のところまで届くほどに激しいダンスの中に没入して第一部終幕のカオスになだれ込んでいきますが、そうした中で舞台上と客席が共に恐れを感じながらその瞬間を待っているのは、誰が生贄の役目を与えられることになるかということです。
- 第二部冒頭の鎮静したパートで不安げに踊っていた乙女たちは、やがて生贄の印の布をとって群を作ると一人ずつおずおずと選別者の前に進んでは群に戻るという行為を繰り返していましたが、ついに一人の乙女が選別者に肩をつかまれてしまった途端、激しい打楽器の連打と共に男女が入り乱れて狂おしいまでの交歓の姿を見せ、その中で生贄の娘はピンクの衣装を着せられます。乙女たちが次々に男たちの肩へとジャンプして乗り移る息を呑むようなシークエンスの後に、人々に囲まれて否応なく運命を受け入れざるを得なかった生贄の乙女は、一瞬大地にくずおれたかと思うと何かに取り憑かれたかのようなソロでのダンスを始めましたが、自ら左胸をはだけて豊かな乳房を露出させ、変拍子を多用した複雑なリズムを可視化するかの如き切迫した動きの連続を見せるその姿は
もし自分が死ぬとわかっていたら、どのように踊るか
という命題に対する彼女自身の回答を全身全霊で舞台に叩きつけているように見えます。なぜならこの作品では最後に疲れ切っていないのなら、正しく踊れていないということになる
のですから。かくして絶望と混沌のうちに踊り切った生贄の乙女が力尽きて動きを止め、舞台上の土の上に前のめりに倒れ込んだところでこの作品は終焉を迎えました。
こうして、長年の願いであったピナ・バウシュの作品をじかにこの目で観る機会を得ることができたのですが、期待したとおり、どこを切り取っても強烈な体験でした。その要因の第一としてピナの独特の身体言語による振付の説得力に圧倒されたことは言うまでもありませんが、エコール・デ・サーブルでトレーニングを受けた多様なアフリカン・ダンサーたちの肉体の存在感もまた、尋常ではないエネルギーを舞台上から発していました。「春の祭典」が重力を無効化するクラシックバレエのテクニックではなく肉体の重みを動きに変えてリズムに同期させることを求める作品であったことは彼ら・彼女らにとって大きなアドバンテージになったことでしょう。
また、私自身は「春の祭典」をアフリカンダンサーが踊ること自体をとりたてて特別なことと思っていなかったのですが、しかし「オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ」との組合せでその意義を見直すと、舞台をアフリカの大地に見立てることでここには人類に共通の記憶が封じ込められているという見方ができるようになり、この作品とこれを踊ったダンサーたちに対する親近感がぐっと増す感覚を覚えました。
YouTube上には各種振付の「春の祭典」の動画が公開されています。最後に、その中から二つほど紹介しておきます。