シルヴィ・ギエム ファイナル
2015/12/30
神奈川県民ホールで、シルヴィ・ギエムのファイナルツアーの最終日。実際には翌日、大晦日の夜にBunkamuraオーチャードホールでのジルベスター・コンサートで本当に最後の「ボレロ」を踊ることになっているのですが、私にとってはこれがギエムの見納めです。
神奈川県民ホールに足を運ぶのは10年以上ぶりですが、振り返れば1999年にここでギエムの「眠れる森の美女」を観ており、あのときのギエムによる毅然としたオーロラ姫は今でも強く印象に残っています。さて演目は東京バレエ団が二つ、ギエムが二つ。東京バレエ団の2演目は、先日の「ライフ・イン・プログレス」での演目と同じです。
イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド
先日は東京文化会館の1階席のほぼ一番後ろ(遠く)から観たのですが、今回は同じ1階席でも前から13番目。その結果、かなり印象が違いました。技巧的にはクラシックなものが中心と見えていたのですが、近くから見ると動きの根本にあるのはオフバランスで、その重心の偏りをダンサー同士が支えあったり、解放された位置エネルギーを次の運動エネルギーに転換したり。とりわけ、男性ソロの中でぎりぎりまでポーズを傾けて実際にバランスを崩してみせるパが繰り返される場面もあり、その不安定感が躍動感にもつながっていました。そして、回転しながら真上に跳躍し、その身体に巻きつけた左右の腕を上下入れ替えるときに生まれるらせん状の動きには息を呑みました。
TWO
ラッセル・マリファントとのコラボレーションで生まれたこの作品を私は2006年と2011年に観ていますが、おそらく「モダン・ギエム」を代表する作品と言ってよいでしょう。冒頭の哨戒音の下でオレンジ色の暗闇に蠢めくギエムの姿はやはり予想外に近く感じられ、ある瞬間を境にビートの強い音楽がホール内を振動させるようになるとギエムを囲む四角い光の檻が照度を徐々に強め、これに反比例して光の檻の中の闇が濃くなってギエムの姿は影の中に消え、その全身の柔軟性を活かしたダンスの進行により長い手足が光の檻に触れるところで生まれる輝きが残像の効果で火花を散らします。あっという間の7分半。
ドリーム・タイム
これも「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」と同様に12月17日の東京文化会館で観た演目ですが、そのときに受けた衝撃と感動はこの日も変わりませんでした。とりわけこの日は音楽とダンスとのシンクロ度の高さに目が釘付けになりましたが、深層心理、あるいは夢(悪夢?)を描くような武満徹の曲に対しどこまでも寄り添うダンサーたちの動きの滑らかさは特筆もの。わけてもメインの吉岡美佳さんの存在感は圧巻でした。最後は降りてくる幕の下に繭のように丸くなる女性3人の姿で終わりましたが、これは17日の振付と同じ?違う?どちらにしても、ぜひともまた観たいと思う演目となりました。
ボレロ
とても丁寧に踊られたボレロでした。ギエムのボレロは、丸テーブル上のメロディが舞台上のリズムを支配するオーラの強さが際立つことが多かったのですが、この日のメロディは大らかに東京バレエ団のダンサーたちを見下ろし、力を与えている感じ。180度開脚してテーブル上に肘をつき顎を乗せてしばらく正面を見つめてから仰向けになってブリッジで起き上がる場面も、YouTubeの映像を見るとブリッジを省略することがこれまでにあったようですが、この日は綺麗にアーチを作って立ち上がってくれました。
終演と同時に怒号とも悲鳴ともつかない歓声が上がり、歓呼の声を上げる客席に向かってギエムが手を上げると観客は次々に立ち上がります。カーテンが降りたところであらかじめ配布されていたペンライトが会場中で点灯され、カーテンの陰から現れたギエムは色とりどりの光の海原を見てびっくり、感極まった様子を見せました。たくさんの花束が客席からギエムの手に渡され、その一人一人にギエムは丁寧に挨拶をしてくれています。いったん降りたカーテンが再び上がると舞台上では東京バレエ団の男性ダンサーたちが左右に分かれてテーブル上のギエムに拍手を送っていましたが、今度はピアノ曲と共にギエムの今までの数々の舞台写真が背後のスクリーンに映し出され、テーブルから降りたギエムはこれを見ているうちにテーブルに手をついて涙をこらえているようでした。さらにスクリーンにフランス語と日本語でギエムの未来への餞けの言葉が投影され、東京バレエ団のダンサーたち全員から花束が渡されて、ギエムは女子とはハグ、男子も最初はハグしていましたがあまりに人数が多いので呆れたような泣き笑いの顔を見せて花束をまとめてテーブルへ置いてもらっていました。こうしてカーテンコールから引き続いたギエムの引退を惜しむセレモニーは30分ほども続きましたが、この間、客席からの拍手が鳴り止むことはありませんでした。
日本を愛し日本人に愛されたダンサー、シルヴィ・ギエムのファイナル公演は、こうして終了しました。
配役
イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド | 川島麻実子 / 渡辺理恵 / 秋元康臣 河合眞理 / 崔美実 / 高橋慈生 / 伝田陽美 / 松野乃知 / 吉川留衣 |
TWO | シルヴィ・ギエム |
ドリーム・タイム | 吉岡美佳 / 乾友子 / 小川ふみ 木村和夫 / 梅澤紘貴 |
ボレロ | シルヴィ・ギエム 森川茉央-杉山優一-永田雄大-岸本秀雄 |
私が初めてギエムを観たのがいつであったかはっきりとした記憶はないのですが、1993年の『ベジャール・ガラ』で「エピソード」と「春の祭典」を踊ったのを当時住んでいた京都で観たことは記憶に残っており、そのときにはギエムのことを強く意識していましたから、それより前の来日であったことは間違いありません。だとすれば、彼女の来日履歴から推測すると、1988年の第5回世界バレエフェスティバルが私にとってのギエム初体験であったものと思われます。以来27年、折々にギエムのバレエに触れてそのうちのいくつかはこのサイトの中に記録を残してきましたが、それぞれに印象の深いものでしたし、その印象の色合いはその時々の自分自身の人生のステージに応じて変わってきたようにも思います。
日本のバレエファンにとっても、初期のギエムはアーティストというよりアスリートとして捉えられていた時期があり、舞台上でその身体能力(とりわけ股関節の柔軟性)を誇示する動きを示したギエムに対し、賞賛ではなく「なんだあれは?」といったどよめきが上がる場面に立ち会ったこともありました。しかし、そうした身体能力と徹底したリアリズム志向を背景にそれまでにないほど強靭な自我を持つ女性像(古典であってもモダンであっても)を舞台上に現出させたギエムは、一環して質の高いステージを作り続けたことで、ファンのリスペクトを早い段階で獲得したものと思います。
さらに近年は積極的に新作に取り組み、その創作意欲は尽きることがないと思われていただけに、今回の引退という決定は残念です。このファイナルツアーのもう一つのプログラムの主題である「ライフ・イン・プログレス」という言葉から理解されるように、ギエム自身は進化を止めることは考えていないようですが、他人のために踊るのではなく、自分自身のためにこれからの人生を使おうとしているという点が、これまでと異なっているのでしょう。
こちらはこの公演の翌日に上演されたジルベスター・コンサートでの「ボレロ」。一つの時代の終わりを感じさせます。ともあれ、彼女の未来に幸多きことを今は祈るのみです。
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