正三角関係(NODA・MAP)
2024/08/20
東京芸術劇場(池袋)で、NODA・MAP「正三角関係」。
本作はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を下敷きとし、松本潤、長澤まさみ、永山瑛太ほかが出演することがあらかじめ告知されていました。ところが、この配役のためかチケット争奪戦はこれまでで最も熾烈で、NODA・MAPの会員向け先行予約ではゲットできず、二次・三次とトライしてかろうじてチケットの確保に成功しました。どうなることかと思った。
さて、下敷きにしているとは言っても『カラマーゾフの兄弟』をそのままの設定で演じるわけではもちろんなく、本作は時代を1945年、場所を長崎としています。登場人物のほとんども日本人なので、次のような置き換えが行われています(原作の人名表記は基本的にWikipediaによる)。
原作 | 本作 |
---|---|
フョードル・カラマーゾフ | 唐松兵頭からまつひょうどう |
ドミートリイ | 唐松富太郎からまつとみたろう |
イヴァン | 唐松威蕃からまついわん |
アレクセイ(アリョーシャ) | 唐松在良からまつありよし |
グルーシェンカ | グルーシェニカ |
カチェリーナ | 生方莉奈うぶかたりな |
ホフラコワ夫人 | ウワサスキー夫人 |
グリゴリイ | 番頭呉剛力くれごうりき |
スメルジャコフ | 墨田麝香すみだじゃこう |
フェチュコーヴィチ | 不知火しらぬい弁護人 |
イッポリート | 盟神探湯くがたち検事 |
このうち「グルーシェンカ」と「グルーシェニカ」は訳書によって表記の揺らぎがあるようなので名前の書き換えはされていないと考えてよく、一方「ウワサスキー夫人」「盟神探湯検事」は原作を離れた自由なネーミングですが、残りの登場人物は原作の名前を巧みに翻案しています。たとえば「生方莉奈」はミドルネームの「イワーノヴナ」の響きも取り込んでいそうですし、「不知火弁護人」は「フェチュ」を「不知ふち」に置き換えたものと考えられそう。「番頭呉剛力」には没後にスターリンの追従者として批判を受けたゴーリキーの名前も透けて見えますが、これは考えすぎかもしれません。
舞台上のセットは比較的シンプルで、舞台後方に下手から上手へ、そして階段で繋がって上手から下手へと緩やかに登るスロープがあって、その前面の壁に開口部が設けられています。そして開演前は舞台前面中央に銀色の棒が「X」字にクロスして立てられており、中央奥(裁判長席)、上手(弁護人席)、下手(検事席)に椅子が置かれているほか、舞台上に衣装が散らばっていました。
◎以下、戯曲のテキストと観劇の記憶により舞台を再現します。ここを飛ばしたいときは〔こちら〕へ。
登場人物が現れ自分の服を着て所定の位置に着くと、そこは法廷。原作では時系列に沿って物語が進行するのに対し、ここでは最後の法廷の場面だけを取り上げつつ、そこで弁護人または検事が証人や被告人に対して質問をすると証人たちの説明が回想シーンになって、劇中劇的にさまざまな場面が描かれるという構図になっています。
まずは人定質問。被告人・唐松富太郎(松本潤)は、戦時下で火薬を没収されているために花火を打ち上げることができずやさぐれている花火師。そして容疑は父親・唐松兵頭殺し(尊属殺人)ですが、罪状認否に移ると富太郎は飲み過ぎと女好きの罪は認めても父親殺しは否認します。このあたりの言い回しは原作通りで、この後も芝居の随所に原作から引用した設定や言い回しが顔を覗かせることになります(以下、原作と類似する箇所を適宜〔※〕で示します)。
- 回想-1:兵頭の妻(=富太郎の母)の死
- 兵頭の妻は若い男と駆け落ちし、旧軽井沢でガス自殺。これで兵頭は妻の財産を相続することになる。盟神探湯検事と兵頭は竹中直人の一人二役だが、検事のときは青い法服にかつらと眼鏡という姿なのに対し、兵頭に早変わりすると禿頭裸眼で赤い花火柄のやくざな衣装を纏い口調もがらっと下品なものに変わる。ガムテープが貼られることで回想場面であることが示される仕掛けも面白い。
- 回想-2:三兄弟の誓いと「最初の晩餐」
- 不知火弁護人が富太郎の二人の弟=威蕃(永山瑛太)と在良(長澤まさみ)を証人として呼び出し、三兄弟(最初の三角関係)それぞれが地面に落ちている花びらを見たことをきっかけに花火師・物理学者・神に仕える者になるという誓いを立てた場面。富太郎の
もしもたった今、僕と同じように世界中の人間が空を見上げていたら、世界は幸せだろう
という平和の希求と、在良がヨハネの福音書から引用する一粒の麦が地に落ちて死んだなら、たくさんの実りをこの大地に生み出すだろう
という言葉は、この芝居の最後に繰り返されることになる。 - そして在良が(聖職者ではなく)料理人として雇われた教会での「最初の晩餐」に場面が移ると、厳かなオルガンの音と共にアンサンブルの一人が背後のスロープの上で十字架上のキリストのごとくに立って薄暗く照らし出され、テーブルに見立てられた舞台上のソファでは登場人物たちが「最後の晩餐」の構図でポーズ。ここでのやりとりとごたごたから、無神論でシニカルな威蕃、信心深く純粋な在良、俗物の兵頭を憎み暴力さえふるおうとする富太郎の姿が浮き彫りにされる。
このあたりで、盟神探湯検事の訴訟戦略は富太郎と兵頭との諍いの積み重ねから犯行に至る軌跡を暴こうとするものであることがわかってきます。そして空襲警報が鳴り防空壕に避難した威蕃のもとに急用で証人として出廷できなくなったウワサスキー夫人(池谷のぶえ)からの手紙とテープレコーダーが届きますが、手紙の声もテープレコーダーの声も、そこに登場した見るからに天真爛漫なウワサスキー夫人がじかにしゃべっています。
- 回想-3:犯行当夜(検事側証人=呉剛力の証言)
- 審理再開。呉剛力(小松和重)の目から見た兵頭殺害の模様が語られる。庭に忍び込んだ富太郎の様子を見てきたかのように語るお調子者の呉剛力。しかし肝心の富太郎が兵頭の部屋を覗き込んだタイミングまでは彼は眠っており、呉剛力が実際に目にしたのは塀を越えて逃れようとする富太郎にすぎない。その富太郎に殴られて気を失ったところで証言は終わるが、富太郎は呉剛力の証言をほぼ事実通りだと認めつつ、兵頭殺害の一点は否認する。
- 回想-4:富太郎たちの少年時代(弁護側証人=在良の証言)
- 第一次世界大戦が終わり、戦勝に沸く日本。裾をたくし上げて半ズボン風になった在良の願いをきいて富太郎は打上げ花火を作る(BGMは「お祭りマンボ」)が、そこで威蕃が「爆縮レンズ」を持ち出したことから、この話がインプロージョン方式原爆とつながることが早くもここで明らかになる。しかし、花火の真ん中にヒキガエルを入れて打ち上げようとする威蕃たちに対し、ヒキガエルを憐れむ富太郎は
俺はこんなことのために、花火を上げる巧みを磨いているわけじゃない
とためらいを見せる。
このように富太郎は小さな犯罪さえもためらう性格なのだと主張する不知火弁護人。また空襲警報が鳴り、再び郵便配達の少年がやってきて、今度は威蕃にかかってきた電話を取り次ぎます。電話の向こうは威蕃が属する研究所のオレ教授。爆縮レンズの点火装置の開発が課題になっていることが明かされ、さらに量子力学のイメージが新体操のように赤と青のボールを操るアンサンブルの流れるような動きで示されると「ローレンツ変換」の数式が背後のスクリーンに踊ります。
- 回想-5:呉剛力の誕生パーティー(検事側証人=呉剛力の証言)
- ここで初めて、兵頭と富太郎との間に「女」、すなわちグルーシェニカを巡る諍い(二つ目の三角関係)があったことが語られる。ところがこの証言の後に威蕃の口から「誰かが父を殺したのだとしたら、それは私だ」という爆弾発言が飛び出して廷内が騒然とするところで、生牡蠣にあたっていた裁判長が休廷を宣言する。
休廷中の在良との会話の中で、威蕃は墨田麝香が真犯人であること、その墨田麝香に神殺しの話をした自分が罪を引き受けるつもりであることを語ります。ここで威蕃が言う神様が死んだところでは……何をやっても許される
という言葉は原作における一大テーゼであり、宗教が規範力を失いつつあった原作公表時のロシア社会において深い意味を持つ言葉であっただろうと思いますが、本作ではこの言葉が威蕃が取り組んでいる(日本における)原爆開発とおそらく結びついています。そして再び見事な新体操アンサンブルと共に特殊相対性理論の数式が踊りますが、アンサンブルはいつの間にかうめき声を上げながら彷徨する人間の行列に変わり、在良はヨハネの黙示録を想起します(が、後にその正体が明らかになります)。
- 回想-6:再び呉剛力の誕生パーティー(弁護側証人=威蕃の証言)
-
おいしいものは危ないね
と言いつつ裁判長が戻って審理再開。威蕃の「グルーシェニカは商売女の名前ではなく、火薬の名である」という証言を元に誕生パーティーの場面が再構築されると、セリフが微妙に変わっていて確かに富太郎は兵頭が隠し持つ火薬箱を探しているように見えてくる。不知火弁護人は女の実在を否定することで、殺人の動機を三角関係のもつれだとみなす検事側の立論を揺さぶろうとしている模様。 - 回想-7:火薬の没収と神父の死(弁護側証人=在良の証言)
- 官憲によって火薬が没収された後、慰めの声をかける在良に向かって富太郎は次のように言う。
どんなに『敵国の神を信じるな!』と言われても、お前は心の中で神を信じ続けられる。でも花火師は『花火を上げるな!』と言われたら、どれほど思い続けても、花火は上がらない。花火は心にはない、空にあるんだ
。しかし「いつかきっと花火が打ち上がる、その空を信じよう」と富太郎と夢を分かち合う在良。 - 続いて不知火弁護人は、在良でさえ兵頭に殺意を抱いたことがあるはずだと導いて在良から神父の死の場面の記憶を引き出す。神父の死に立ち会った人々は奇蹟を期待するが、そこに蔓延するのは強烈な腐臭〔※〕。そのことを兵頭がラップでさんざんにからかったために、温厚な在良もついに小声で
死ね、殺す
。
かくの如く兵頭に対しては在良でさえも死ね、殺す
と口走ることがあるがそこには殺意がなく、富太郎が兵頭に対して繰り返す瓢箪野郎、ぶち殺してやる
にも殺意はないというのが不知火弁護人の主張です。すると盟神探湯検事は富太郎の「殺意」を立証すべく、ウワサスキー夫人のテープを持ち出しました。
- 回想-8:ウワサスキー夫人邸(検事側証拠=テープレコーダー)
- グルーシェニカを身請けするための300万円を融通してもらおうとウワサスキー夫人邸を訪れた富太郎。しかし夫人は鉱山の話ばかりして話が噛み合わず〔※〕、絶望した富太郎は食卓の上にあった銅の杵を持って飛び出していく。これを見たウワサスキー夫人は富太郎が
人殺しをする気だ!
とおののく。 - 回想-9:花街と路面ちんちん電車(検事からの被告人質問)
- 盟神探湯検事からの質問に応えて富太郎は、花街の芸妓をつかまえてグルーシェニカの行方を問いただしたことを述べ、さらに花火作りの工程を「欲望という名の路面電車」と名付けた退廃的な妄想(その内容も原作通り)として説明する。ところがここで盟神探湯検事の誘導にかかり、富太郎は実在する許嫁・生方莉奈の存在を明かしてしまう。女=花火の名前であるという構図が崩れてあせる不知火弁護人に追い討ちをかけるように、盟神探湯検事は生方莉奈(村岡希美)の証言を求める。
- 回想-10:路面電車・ウワサスキー邸・富太郎の部屋(検事側証人=生方莉奈の証言 / 被告人質問)
- 路面電車で初めて会った富太郎を生方莉奈は軽蔑するが、生方莉奈の父は管理している大量の火薬をだまし取られて進退窮しており、これを知った生方莉奈は火薬を備蓄しているという富太郎から助力を得るために身を差し出そうとする。ところが富太郎は生方莉奈に手を出すことなく、火薬庫の鍵を渡す〔※〕。証言がここまで来たところで、不知火弁護人は生方莉奈親子を救った富太郎の気高さを指摘し、構図は崩れたものの一転して生方莉奈から「無罪」という証言を引き出すことに成功する。
休廷が宣された途端、呉剛力を中心とする竹槍訓練が始まります。鬼畜米英を刺し殺せ!と叫ぶ人々を見ながら、在良と威蕃との間に次の言葉が交わされます。
在良『刺し殺せ!』そう叫んでいる人が、父殺しを裁いている。
威蕃こんな切羽詰まった戦争をしながら、たった一つの人殺しを裁くそこに何の意味があるんだろう?
そして威蕃は、竹槍の代わりに「光の方程式」E=MC2こそが日本を救うと意を強くしますが、再び黙示録の夢を見た在良が姿を消した後に威蕃は原爆研究のクライアント(軍部)とウワサスキー夫人との時空が錯綜した会話を交わすことになり、その中で富太郎を原爆開発に協力させるためこの裁判の結果如何に関わらずその身柄の自由が確保されることが明らかになりました。不知火弁護人はそうした軍部からの密命を帯びて裁判に参加していたのです。
- 回想-11:生方莉奈の家(検事から在良への質問)
- 生方莉奈のみならずグルーシェニカも実在することを証明するべく、盟神探湯検事は在良にグルーシェニカとの初対面時の様子を問いただす。これに答える在良の口から、グルーシェニカはそういう源氏名を持つ(風俗系の)女性であることが明かされ、生方莉奈の家で先客として来ていたグルーシェニカと対面したときの様子が語られる。在良が生方莉奈を訪ねたのは生方莉奈へ心変わりを告げる富太郎からの伝言を携えてのことで、ここで富太郎・生方莉奈・グルーシェニカの新たな三角関係の存在が浮かび上がる。生方莉奈は在良に、グルーシェニカが身を持ち崩した原因になったロシア将校(まるで「蝶々夫人」のピンカートン)が5年ぶりに戻ってくるためにグルーシェニカは富太郎と結婚することはあり得ないと言い放つが、当のグルーシェニカは在良の前では言を左右にして生方莉奈に言質を与えず、ついに生方莉奈の手に口づけをしないことで生方莉奈を侮辱する〔※〕。
このくだりは多少なりとも原作を読んでいないと(読んでいても)理解が難しいところで、本来は(たぶん)愛情ではなく自尊心のためにドミートリイを手放そうとしないカチェリーナの高慢さをグルーシェニカが見透かした場面ですが、原作中にたびたび出てくる挨拶(あるいは敬意の表現)としての「接吻」の意味が感覚的にわからないと今ひとつぴんと来ないところでもあります。しかし本作では単に原作の印象的なエピソードを拾い上げることだけを目的としてこの場面を設けているわけではもちろんなく、ここでの生方莉奈は日本、グルーシェニカはロシアのメタファーで、グルーシェニカが在良来訪前に生方莉奈と交わしていた口約束を反故にしてしまうのは後の日ソ中立条約破棄を予感させるものです。
ともあれ、このようにしてグルーシェニカの身持ちの悪さを陪審員に印象づけようとする盟神探湯検事の戦術は着々と進み、続いてウワサスキー夫人のテープレコーダーが再生されます。
- 回想-12a:ウワサスキー夫人邸(検事側証拠=テープレコーダー)
- 威蕃が漁師学日露共同研究所の所長に就任したことを祝うパーティーでの会話を録音したテープが再生されたが、ウワサスキー夫人の無駄話(北インドと南インドのカレーの違い)に業を煮やした盟神探湯検事は、証言テープを整理するための休廷を申し出て受理される。
しかし、検事側控室で検事補が見つけた「夫人が喋っていないところ」を再生してみると、そこではロシア人同士の会話(ロシア語ということになっているがばりばり日本語)で、戦争遂行余力を失っている日本がロシアに仲介を求めていること、アメリカは既に原爆実験を終えて日本での投下場所の検討に入っており、候補都市から京都を外す代わりに長崎を加えたこと、そのために長崎在住のロシア人たちに急遽帰国命令が下されたことが語られました。これを聞いた盟神探湯検事は、内容がわからないながらも不安を覚えます。
- 回想-12b:ウワサスキー夫人邸(検事側証拠=テープレコーダー)
- 審理再開。ウワサスキー夫人からの問い掛けをきっかけに、パーティーに参加していた兵頭と富太郎は共に相手がグルーシェニカに入れ上げていることを知り、対立を深める。ところが、これを止めたウワサスキー夫人は威蕃への祝辞を読むつもりで、誤って「日米双方に良い顔を見せてきたロシアは、日本を見捨てることにした」旨を読み上げてしまう。ここで日米ロの三角関係の存在とその崩壊が明らかになるが、裁判に参加している人々はこの重要な言葉をスルーしてしまい、会話の中に紛れ込む墨田麝香の「300万円」「身請け」「グルーシェニカ」「唐松兵頭の部屋で」という言葉の組合せをもとに、兵頭がグルーシェニカを300万円で身請けしようとしていることを知った富太郎が焦って金策に走ったものの失敗して兵頭の殺害に及んだ、というシナリオを(各場面の短縮再現を連続させて)描き出す。
- 回想-13:花街(検事からの被告人質問)
- 「殺害」の後に花街を訪れた富太郎は、芸妓をつかまえてあらためてグルーシェニカの居所を聞き出す。その結果、グルーシェニカは兵頭のところではなく元恋人だったロシア人将校に会うために出島に行っており、グルーシェニカを身請けしようとしていたのは兵頭ではなかったと知って愕然とする富太郎。
- ここでグルーシェニカへの愛の自覚を吐露する富太郎の狂おしいほどに切ない独白は、本作中で松本潤が最も聞かせてくれた場面でした。
- 回想-14:出島のキャバレー(弁護側証人=グルーシェニカの証言)
- グルーシェニカは、元彼のロシア将校を含む男たちを侍らせていた。しかしロシア将校は金目当ての情夫まがいにすぎないことが露見して追い出され、グルーシェニカの気持ちは富太郎へと向かう。ようやくグルーシェニカの愛を手に入れた富太郎は、しかしここで警察に逮捕されてしまう〔※〕。
- この回想の場面にもグルーシェニカ→在良→グルーシェニカの早替わりが含まれ、在良は自分の黙示録の悪夢のような情景(紫色に膨れ上がった人間の行列の物乞い。
水を!水を
これは在良がまだ知らない(決して知ることのない)被爆者の群れ)におののくが、裁判所ではグルーシェニカが盟神探湯検事の質問に対し富太郎の有罪を認める証言を行う。
この日の審理を終えての帰り道=スロープ上での不知火弁護人と盟神探湯検事の会話。翌日の不知火弁護人による最終弁論に際し、ただ黙っていてほしいと盟神探湯検事に頼む不知火弁護人は、盟神探湯検事を東京に誘い、間もなく我が国に神風が吹い(原爆開発が終了し)て戦争が終わると宣言します。
一方、ロシア領事館ではフェアウェルパーティーが行われ、やっとリアルに登場したウワサスキー夫人(しかし今までの声の出演や回想場面と何ら違いがない)が威蕃に別れの挨拶を行いましたが、そこでまたしてもウワサスキー夫人はメモを取り違え、翌日(1945年8月8日)にソ連が日本に宣戦布告すること、昨日広島に新型爆弾が落とされたことを告げてしまいます。
驚く威蕃を残してウワサスキー夫人の姿があたかも港を発つ船のように背後に消えると、その場は研究所に変わり、竹細工で作る和製原爆(冒頭の舞台プランの写真に写っている目玉のようなもの)の前に生牡蠣裁判長が手錠姿の富太郎を連れてきます。不知火弁護士ばかりか生牡蠣裁判長までも原爆開発計画に加担していたことがこれで明らかになるのですが、富太郎が「花火」の爆縮レンズを機能させるための空中点火装置を製作する技術を持っていることを確認した後、裁判長は「明日、無罪宣告を行う」と一同に告げました。しかし、それが「花火」などではないことを薄々理解した富太郎は次の独白を残して引っ立てられていきます。俺はこんなことのために、花火を上げる巧みを磨いてきたわけじゃない
最終公判での不知火弁護人による弁論は、富太郎が「殺した」と自白したのは呉剛力への暴力に関してであって、兵頭の殺害についてではないことを指摘するシンプルなもの。前夜の帰り道での会話で沈黙を守ることを求められていた盟神探湯検事は異議申立てをせず、これで結審するかに見えましたが、それでも盟神探湯検事は「300万円の身請け話」の真相が解決していないことを指摘して、富太郎が兵頭の部屋を覗き込んだ場面を再現します。そのとき、富太郎は部屋にグルーシェニカがいないことに気づくと共に、兵頭が「グルーシェニカ」と書かれた箱を持っていたことに気付きました。実は犯行当夜の「グルーシェニカ」とは本当に火薬の名前であり、このとき富太郎は兵頭が300万円でグルーシェニカを身請けしようとしているのではなく、グルーシェニカという火薬を横流しすることで300万円を手に入れようとしていたことを知ったのです。それが殺意の原動力となったのではないかと問う盟神探湯検事に富太郎は俺は……覚えていない
と答えるしかありませんでしたが、このとき立った威蕃は、兵頭が長年火薬を横流ししていた先はロシア領事館だったこと、墨田麝香もこの横流しに手を染めていた(にも関わらず実入りが少なかったために不満を募らせていた)こと、そんな墨田麝香に威蕃が神様はいない。何をやってもいい
と唆したこと、「グルーシェニカ」はウラン鉱石だったことを証言して、最後の回想場面に入ります。
- 回想-15:唐松兵頭の部屋(威蕃の証言)
- 銅の杵を拾い上げた墨田麝香は、唐松兵頭の頭を殴打して殺害する。そのときロシアの将校たちが現れ「グルーシェニカ」の在り処を問いただすが、墨田麝香は口を割らないままに首吊りの輪によって偽装自殺を強いられる。
盟神探湯検事から新証拠として提出された箱の中に、もしもウラン鉱山の権利証が入っていたら威蕃の言う通りであり、ただの火薬庫の鍵が入っていたら盟神探湯検事の推測が正しく被告人は有罪ですが、富太郎の手によって開けられた(マトリョーシカのような)箱の中は空っぽ。ついに真相が明らかになることはありませんでした。
そこへロシアが日本に宣戦布告したという電報が届き裁判所の中が騒然とする中、舞台上は裁判所(裁判長・検事・弁護人の三角関係)とB-29の3機編隊(三角関係)との二重写しになります。かたやB-29の機上では、第一目標である小倉が雲と煙に覆われて目標を捕捉できないために第二目標である長崎へ向かうことを決定するクルーたちのやりとりが描かれ、ついで裁判所では陪審員が被告人の有罪を告げるものの、連行される富太郎の手錠が外されて、威蕃が富太郎に人形峠へ向かう汽車の切符を渡します。戦争を終わらせるために花火を上げろという威蕃に対し、富太郎は今は俺は人殺しではない。でもこれから人を殺すことに加担するのか?
と問い掛けます。
背後のスロープをゆっくり登っていく富太郎。前景では空襲警報に怯えて防空壕の中に身を寄せる人々。浦上の天主堂に神様が爆弾を落とさせるなどということがあるだろうか?それとも、そう考えること自体が信仰を駆け引きにした卑しい欲望だろうか?……という死の床の神父に聞きそびれた問いを思い起こした在良が、きっと神父なら一粒の麦
の話を語るだろうと思いをはせたとき、原爆が投下されました。白色光と轟音の中、空を見上げて手を差し伸べた人々の上にゆっくりと半透明の巨大な布が覆いかぶさっていき、すべてを飲み込んでいきます。
やがてスロープから降りてきた富太郎の痛切なモノローグは「誰もが同時に空を見上げる時、世界は幸せになるはずだったのに、そこに見たのは一瞬で焼け焦げた在良。在良も威蕃も、誰も彼もが平等に殺されていたが、これで戦争が終わるのだから被告は無罪なのだろうか」という問い掛け。そして「それでも空を信じよう。僕の花火が上がる空を……今はまだ無理だけれど、いつか誰もが同時に空を見上げる時……」という、現実の重みの前に押しつぶされそうな、か弱い希望でした。
プログラムに収録されていたQAの中に、次の記述がありました。
Q. 発想としてはその『カラマーゾフ』をどう展開させるか、だったんですか。
A. 今回は、最初に書きたい事ありきで、ベースにする作品に『カラマーゾフ』が浮かんだ、という流れです。小説のキャラクターに配役もぴったり嵌まるし、花火師一家の“唐松族の兄弟”はいけるなと。
その書きたい事
について、プログラムの別の場所にはこのように記されています。
実は原爆を投下するまでの事は、そんなに書いてない。原爆を落とす事、その瞬間をやっておきたいんです。アメリカでは今でも「戦争を止めるにはあれしかなかった」と発言されている。そういう言葉が歴史に残るのはどうなのか。原爆投下の事実になんの裁きもないというのは、すごいことですよ。またかと思われてもいいから、長崎の事をちゃんと書いておきたいと思いました。
ここでまたか
とあるように、これまでの野田秀樹の作品の中では「パンドラの鐘」がファンタジーの形式をとりつつほぼ正面から長崎の原爆を描いており、また「MIWA」の中にも原爆投下の場面があって、むしろこちらの方が投下者の戦争責任をダイレクトに指摘しています。長くなりますがその部分の台詞(話者は古田新太)を引用すると次のとおりです。
なんたって、ぴかどんは殺す相手を選ばない。いや選ばないんじゃなくて、選べない。そこのところが、俺なんかの人殺しとは格が違う。ていうか、ぴかどんはやっぱり殺人じゃない。だって俺は人を殺して逃げた。逃げたということは怖かった。罪を感じたんだ。だがぴかどんを落としたものは、誰ひとり逃げていない。堂々と、人前に姿を現して生きている。だから罪じゃない。
このように、今回の「正三角関係」での原爆投下の事実になんの裁きもない
ことへの告発は「MIWA」で語り尽くされていたように思えますし、在良が見る黙示録の行列(回想-14)が口走る水を!水を
が「パンドラの鐘」の登場人物ミズヲの名前の由来であったり、本作の原爆投下シーンでの「覆い被さる布」も「MIWA」で既に用いられていた手法であったりと、随所に既視感が感じられる作劇でした。
ただし、主要登場人物が原爆によって殺される場面をストレートに描いたのは、本作が初めてだったかもしれません。2時間という時間をかけて観客が感情移入してきた在良と威蕃が最後に一瞬で焼け焦げた死体になってしまうことのインパクトは大きく、観劇前に戯曲を読んでこのくだりに達したときにはショックを受けたものです。しかしこれは79年前に現実に起こったこと[1]であり、だからこそ、この現実をエンターテインメントとして観ることの罪深さを観客は自覚しなければなりません。
タイトルの「正三角関係」も悩ましい。劇中にはさまざまな三角関係が登場しますが、その最大のものは日米ロの三角関係で、これまで日本とアメリカとの対立軸で語られてきた原子爆弾の問題にロシア(ソ連)を参画させた点が、本作における視点の追加ということになるのかもしれません。ウワサスキー夫人の口から語られたロシアの中立条約破棄→宣戦布告がいかなる悲劇をもたらしたかは「エッグ」の最終盤で示されたとおりであり、長崎での原爆による死者が7万4千人だったのに対しソ連対日参戦による死者は民間人を含めて一説に17万6千人。さらに数万人の死者を出したシベリア抑留の悲劇も「Q : A Night At The Kabuki」で象徴的に描かれています。ただ、やはり「長崎の原爆」に焦点を合わせていくと相対的にロシアの役割が後退することは免れず、三角関係が正三角形になっていない印象を受けます。生方莉奈とグルーシェニカが対峙する場面(回想-11)は生方莉奈を日本、グルーシェニカをロシアに見立てて後の条約破棄を予見させていることが戯曲中に明記されていますが、これも「三角関係」にはなりません。
そして、もう一つ悩んだのが「一粒の麦」です。この言葉は人々を救済するためにイエスが命を捧げることを自らの使命だと説明するものとして理解されています。そして本作の終盤において在良が引用したこの言葉は、浦上天主堂に爆弾は落とされずにすむだろうかという問いに対して神父が存命だったらこう答えるだろうという文脈です。つまり、長崎の原爆被害をイエスの磔刑になぞらえているわけですが、これは本当にいいのだろうか?しかし、もしこの言葉が原爆を落とす側から語られていたとしたら、一粒の麦=原爆を落とすことによって多くの人命が救われる(だからいいのだ)という例の論理と結合してしまいます。結局この言葉も、ウワサスキー夫人や在良が言っていたように「誰が語り手か」によって意味合いが変わってしまうのかもしれません。
さて、そうした主題論を離れて純粋に「芝居」として観ると、法廷劇としての面白さはやはり秀逸でした。「グルーシェニカは実在するのか」「富太郎は父親殺害を思いとどまれるのか」などの論点を解明するために法廷での質問(現在)と証人による証言(回想)とが交互に積み重ねられる中で、特定の場面が再現される毎に意味合いを変えて観客にショックを与える手法は「エッグ」でも見られた法廷劇の常套手段であり醍醐味でもありますが、ただ、盟神探湯検事がその解明のために全力を傾注してきた「兵頭の死の真相」が最後に威蕃の証言で(観客目線では)簡単にひっくり返されてしまったのは、もう少しスリリングに作れたのではないかと惜しい気がしました。
ただし、これはうがった見方かもしれませんが、威蕃が言うように墨田麝香はロシアの将校たちに殺されたのだと考えるのは早計のようにも思います。兵頭と墨田麝香の最期の場面に立ち会っていない威蕃がなぜ見てきたかのように証言できるのか。実は、墨田麝香を殺し、ウラン鉱山の権利証を奪っていったのは日本軍(クライアント)だったのではないか、そして威蕃はその犯行に加担していたのではないか……という推理も成り立つのではないでしょうか。
瞬時に張り巡らされるテープによって回想場面が設定される仕掛けは面白く、蚊帳を二つつないだような夜の路面電車の造形も印象的。テープレコーダーが回ると話し始めるウワサスキー夫人というアイデアも面白いものでしたが、長崎が原爆投下対象となったことを話し合うロシア人同士の会話では伸びるテープがたてる摩擦音が大きくて役者の声が聞こえておらず、仮にロシア語で聞き取りにくかったという設定だったとしても、ここは失敗だと思います。
量子力学の世界を視覚的に表現するために、背後に数式が投影される中でアンサンブルが新体操よろしく赤と青のボールやリボンを操っていたのも効果的なアイデアで、ことに二度目のボールの場面では息を呑むほど鮮やかなボール捌きが見られました。
早変わりをするのは三人で、そのうち野田秀樹は不知火弁護人と神父とクライアント、竹中直人は盟神探湯検事と唐松兵頭ですが、いずれも舞台上での衣装替えとかつらの付け外しでこれを実現しています。このため、クライアントから不知火弁護人に戻る際に野田秀樹がなかば素の小声で「ちょっと待って」と言って笑いをとったかと思えば、竹中直人もウワサスキー夫人邸でのパーティー(回想-12b)の様子を再現するテープレコーダーの音声から兵頭がそこに出席していたことを知ってあたふたと変身するといった具合。ところが、これらアナログな手法とは対照的に観る者を驚かせたのは在良とグルーシェニカの聖俗二役を演じた長澤まさみのマジックのように鮮やかな早替わりでした。在良が初めてグルーシェニカと出会う生方莉奈の家(回想-11)では、舞台中央前面で客席に背を向け立った在良を奥側からかぶさってきた赤色系のカーテンが二度覆うわずか数秒間の後に、在良は背格好も髪型もよく似たボディダブル(もちろん顔は見えない)になって座布団に座っており、彼(彼女?)の前には妖艶なグルーシェニカが生方莉奈と向き合っていて、もし配役を頭に入れていなかったなら入れ替わったことに気が付かなかったかもしれません。また、出島のキャバレー(回想-14)では布の代わりにキャバレーの女たちや客たちが入り乱れる中で変身が行われていましたが、これも仕掛けを見抜くことはできませんでした。
原作との関係性に言及すると、あいにく『カラマーゾフの兄弟』をきちんと読んではいないので確信は持てませんが、原作において重要度がありながら本作では捨象されたと思われるモチーフは次のとおりです(順不同)。
- 高僧ゾシマのもとでの教会論。
- 「大審問官」
- カチェリーナとイヴァンの関係。
- リーザとアリョーシャの関係。
- スネギリョフとイリューシャのエピソード。
また、本作を原作から切り離して観てもわからなかった点は次のとおりでした(同)。これらは、あらためて戯曲を読み直してみれば考えが変わるかもしれません。
- 300万円を用立ててもらおうとする富太郎に対しウワサスキー夫人が繰り返すウラン鉱山話。確かに原作でもホフラコワ夫人は金鉱山の話をしてドミートリイを怒らせるのですが、この会話の必然性がなんともわからない。
- グルーシェニカが生方莉奈を怒らせる場面での「接吻」の意味。これも原作の設定を踏襲してはいるのですが、日本の長崎での女同士のやりとりというシチュエーションにうまく溶け込んでいないように感じます。
- 盟神探湯検事と不知火弁護人との間でたびたび話題になる長崎と東京(地方と中央)の関係。
- ロシアと日本との量子力学に関する共同研究。
そしてちょっと文句をつけると、B-29の操縦士たち(後ろ向きになった裁判長・検事・弁護人の前に飛行服を着て現れます)の姿がキャスター付きのチェアに乗って左右に揺れるだけというのは、いくらなんでもチープすぎます。
以下、主要キャストについて。
- 松本潤
- キャラクターのワイルドさと純粋さとを共に示してみせて、文句なしの好演だったと思いました。事前のネット情報によれば声を嗄らしてしまっていた時期があったようですが、この日はそうしたことはなく、台詞の一語一語をしっかり客席に届けていました(とりわけ回想-13とクライマックス)し、背後のスロープの上へひらりと身を翻らせる身体能力の高さもさすがでした。
- 長澤まさみ
- 舞台上の彼女を見るのは初めてでしたが、とにかく日本人離れしたプロポーションと美貌、そして語り口の鮮やかさにノックアウトされました。ただ、在良はぴったりハマり役でしたがグルーシェニカの造形はこれでよかったかどうか。彼女はこれまでの野田秀樹の芝居では2021年に「THE BEE」に出演していますが、自分は同作を2007年に観ていたために劇場に足を運ばなかったことを後悔しました。なお、個人的には神父の今際の際の言葉を再現する在良の
ないのか〜
がツボです。 - 永山瑛太
- 「MIWA」と「逆鱗」で見せてきたそのままに知的な青年を演じて、三兄弟の構図に安定感を与えていました。あの穏やかな声質で、どうしてここまで声が通るのだろう?
- 村岡希美・池谷のぶえ・小松和重
- 小松和重の飄々とした味わいも良かったのですが、何と言っても女性助演陣が凄すぎます。着物姿も凛とした村岡希美(「フェイクスピア」以来)がその目力と言葉の力で自尊心の塊である生方莉奈を体現すれば、天真爛漫なウワサスキー夫人はこの人の当て書きではないかと思うほど池谷のぶえ(「足跡姫」以来)がハマり役。
- 野田秀樹・竹中直人
- 本作では近年稀なくらい野田秀樹が前に出てきていましたが、あのキンキン声を2時間聞き続けるのはちょっときついかな。ちなみに私がこれまで役者・野田秀樹に最も感銘を受けたのは、2009年の「ザ・ダイバー」のラストシーンでの喘ぎ声の演技です。
- 一方、竹中直人は良くも悪くも竹中直人そのまま。妻が死んだと聞かされたとき、戯曲では単に「うわあ〜」とあるところを実際には「●□△×◎■※○▲!」(表記不能)と口走って呉剛力を「それはどういった感情なんでしょう?」と戸惑わせたのも彼ならではの芸ですが、あの鼻にかかった聞き取りにくい声質にはどうしても好き嫌いが出るでしょう。
今回は今までになくアンサンブルのメンバーの活躍が目立ちました。前作「兎、波を走る」で柳に風と受け長ズボン副教官を演じた森田真和が今回はキーマンの一人である墨田麝香を演じたほか、生牡蠣裁判長(吉田朋弘)、郵便配達の少年(兼光ほのか)、オレ教授(すばらしく声が通る女性だったが誰?)、妖艶な芸妓たち、そして量子のみなさん。
なお、墨田麝香は劇の途中から明らかに挙動不審で目立っていましたが、むしろ富太郎に墨田麝香なら、ずっとこの裁判、最初から裁判長の横に座っているじゃないですか
と指摘されるまで気配を消していた方が効果的だったように思いました。
このように今回の演者たちの熱演・好演を賞賛はするのですが、トータルで見るとどうしても陣容の弱さを感じます。あるいは、脚本が三兄弟を生かしきれていないのかもしれない。ここで野田地図の過去作品を振り返って見ると、古くは大竹しのぶ、その後は宮沢りえや松たか子、深津絵里といったずば抜けた女優を中核に置いてストーリーに芯を通させることで成功してきた(その意味で男一人で成り立たせた「フェイクスピア」の高橋一生は逆にすごかった)のに対し、今回は三兄弟と検事・弁護士の五角形での総力戦で勝負している感じなので、一人一人の印象は相対的に薄まっています。
本作は8月25日まで東京で上演した後、九州・大阪を経て10月31日から11月2日までロンドンでの上演が予定されていますが、はたしてロンドンで本作が受け入れられるだろうかと些か心配です。思えば前回ロンドンで「比類ない」と高評価を得た「Q : A Night At The Kabuki」にしても、Queenや「ロミオとジュリエット」という題材もさることながら、松たか子と上川隆也というまさに比類ない俳優を起用したからこその成功だったことでしょう。
しかし本作の成否にかかわらず、いつかは長澤まさみという女優の双肩にその芝居の命運を託すような戯曲を野田秀樹が書いてくれないかなと妄想したりもしています。
最後に、小ネタを含む備忘。
- 開演時に大音量で流される曲はザ・カーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」。原曲はThe Zombiesの「I Love You」で、そちらは“君を愛しているのに言葉がうまくでてこない”という内容なのに対し、カバー曲である「好きさ好きさ好きさ」の方は“お前を好きなのにお前は誰かに恋している”という歌詞ですから、まさに三角関係になっています。
- 子供の頃の回想の中で出てくる体長30cmほどのヒキガエル(の模型)が秀逸。しばらく足を動かして向きを変えたりした後に、口を開けて長い舌をびゅっと伸ばしたのには驚きました。
- 威蕃が数式を書き始めると瞬時に意識を失う在良は、昔から数学の授業でも「X」がダメ。
だから近頃はツイッターがだめになった
とやって大ウケで、このとき客席にはひときわ深い共感(イーロン・マスクのやつ……)が広がっていたような気がしました。え、気のせい? - 唐松家の倉庫に収められた火薬箱には女の名前が書かれており、たとえばひとつは「石川さゆり」。すかさず不知火弁護人が
山が燃える火薬ですね
(「天城越え」)と確認を入れていましたが、ここはイギリス公演ではどうするんだろう? - 上述の通りウワサスキー夫人の池谷のぶえの快演(怪演)は何度も客席を沸かせましたが、とりわけ笑い声が上がったのは富太郎が300万円の支援を求めた場面(回想-8)で飼い猫の名前を呼ぶ「さ、こっちへいらっしゃい、ケラリーノ・サンドロヴィッチ」。この台詞はナイロン100°に属している村岡希美には言えないだろうなぁ。さらにテープレコーダーがスイッチオフになっているにもかかわらず盟神探湯検事の質問に思わず「はい」と答えた点を不知火弁護人から咎められたとき、「フェイクスピア」での高橋一生さながらに「テープの、の、の……、余韻です……です……です……」とひとりエコーを聞かせながらフェードアウトしていったのも最高です。
- 富太郎が手に入れようとした「300万円」は、原作では「3,000ルーブリ」です。この「3,000ルーブリ」は1860年代のロシアの大学教員の年収に相当するそうですから現実感をもって見ることができますが、1945年の「300万円」を単純に企業物価指数で現在価値に換算すると天文学的な金額[2]になってしまいます。ただ、日本での原爆開発の歴史を紐解いてみると、昭和19年はじめに陸軍から理化学研究所へ中尉7名と少尉4名を派遣した際の経費(人件費?)が「300万円」とされているそうですから、この記録の方を元にすれば天井が下がってきそうです。
- グルジアの壺を割ってしまった威蕃は
形あるものはみな壊れる
と口走ってウワサスキー夫人から「それは落としたあなたが言う言葉ではない」と怒られ、原爆開発が大詰めに近づいたところで戦争を終わらせるためには、致し方ない
と語ると今度は在良から「それは落とす側が言う言葉ではない」と反発される。このくだりにはタイ語の「マイペンライไม่เป็นไร」を思い出しましたが、もちろんそれで片付けていいはずはありません。 - ただの電車ではなく「路面電車」が登場するのは、そこが長崎だから。ちなみに原作でドミートリイが隣席の娘にちょっかいを出すのはトロイカの中。翻って背後のスロープも、坂道の多い長崎を象徴しています。
- B-29の飛行兵が浦上天主堂の十字架を見て
大丈夫、きっとあそこはカトリックだ
(から原爆を投下してもかまわない)と「笑えない冗談」を言う場面がありますが、周知の通りアメリカはもともとイギリス由来のプロテスタントの国。根強かったドイツ系やアイルランド系のカトリック移民に対する嫌悪感が緩和されるのは第二次世界大戦後のことであり、アメリカ初のカトリック大統領となったのはジョン・F・ケネディ(1961年就任)です。 - 史実としては、人形峠でウラン鉱石が採れるようになるのは戦後(1955年発見)のこと。日本の原爆開発計画は海軍と陸軍のそれぞれで進められていましたが、成果を上げることなく敗戦前に中止されています。
配役
唐松富太郎 | : | 松本潤 |
唐松在良 / グルーシェニカ | : | 長澤まさみ |
唐松威蕃 | : | 永山瑛太 |
生方莉奈 | : | 村岡希美 |
ウワサスキー夫人 | : | 池谷のぶえ |
番頭呉剛力 | : | 小松和重 |
不知火弁護人 / 神父 | : | 野田秀樹 |
唐松兵頭 / 盟神探湯検事 | : | 竹中直人 |