華氏マイナス320°
Imp. 957 - NODA・MAP
2026/05/21
東京芸術劇場(池袋)で、NODA・MAP「華氏マイナス320°」。キャストの中心になるのは、自分の観劇履歴の中では「逆鱗」(2016年)以来の阿部サダヲ(敬称略・以下同じ)、「贋作 桜の森の満開の下」(2018年)以来の深津絵里、そして「Q : A Night At The Kabuki」(2019年)以来の広瀬すずです。

この作品の上演がアナウンスされたとき、おそらく多くの人がそうであったように、私も「華氏マイナス320°」というタイトルからただちにレイ・ブラッドベリの「華氏451度」を連想しました。これはブラッドベリの作品にしては詩情に乏しくあまり好きになれないディストピアSFですが、仕方ないなと久しぶりに再読し、返す刀で『新潮2026年6月号』に掲載された戯曲を読んだところ、「華氏マイナス320°」は確かに「華氏451度」を部分的に取り込んではいるものの、主題的な関係は薄いものでした。むしろ予習すべきはゲーテの『ファウスト』(あらすじで可)と「優生思想」であり、さらに後者が突出した姿を示した相模原障害者施設殺傷事件(以下「相模原事件」と呼びます)〔Wikipedia〕が終盤の道具立てとして用いられていました。
芝居としての基本構造は、いつもの野田秀樹作品の手法を踏まえ、序盤に提示した謎を解き明かすために舞台上に異なる時空(本作では現代・中世・古代)を設定して登場人物たちを行き来させ、そこに徐々に共通項となるテーマが立ち上がってカタストロフィに持ち込まれるというものでしたが、今回は主題自体が生半可な理解で記述することをためらわれる内容である上に、ストーリーをロジカルに追うことが難しく、場面ごとのイメージの羅列としてしか受け止められていません。
◎以下、戯曲のテキストと観劇の記憶により舞台の様子を追っていきます。ここを飛ばしたいときは〔こちら〕。
セットが何も置かれていない舞台上は、黒地にところどころ白が塗りたくられて全体としては暗いトーン。後方が一段高くなっていることを除けば平板な作りですが、ここは洞窟の中という設定です。そして開演15分前になるとその舞台上に3人の黒い装束の演者が現れて土を掘ったり拾い上げたものをかざして眺めたりし始めて、そこが発掘現場を模したものであることがわかりました。登場人物は入れ替わったり金属探知機を持ち込んだりしながら徐々に増え、やがてその中に白衣の男=野田秀樹も混じったところで定刻を迎えます。
舞台の幕開き役を務めるのは、この発掘現場に登場する阿部サダヲと手話通訳のMISAKI。この二人のナレーションのサポートを受けつつ、神(橋爪功)と堕天使(広瀬すず)との間で行われる賭けは「人間の欲望は世界を輝かせることができるか」というもので、もしできれば負けた神は天上界を人間に譲り、できなければ負けた堕天使は天から落ちることになります。
- MISAKIはキャストのリストの中ではアンサンブル枠に入っていますが、聾者を含むさまざまなメンバーからなる合唱団「ホワイトハンドコーラスNIPPON」の一員であり、2年前に野田秀樹がそのパフォーマンスを観て感銘を受けたことから、本作に起用したということです。
- 神と堕天使との賭けはさらっと流されるので芝居が進むにつれて忘れてしまいがちですが、ゲーテの『ファウスト』と同じく、この賭けの帰趨がいわば本作の根幹なので、しっかり記憶にとどめておく必要があります。ここで言う「人間の欲望」は「生命科学」と置き換えてもいいでしょう。そして舞台は中世を経て古代へと時代を遡り、その果てに発掘現場で大量に見つかった骨の正体が解明されることによって、この賭けに決着がつくことになります。
一方、発掘現場では窮理教授(深津絵里)ほかの作業に従事する人々の会話がひとしきり行われ、窮理教授は製薬会社の支援を受けて「天使の骨」を探していることが明かされます。また、一連のやりとりの後に行われる阿部サダヲの自己紹介は、彼(タスケテ)が軽度の知的障害を持つことを示していました。
- 会話の中にさりげなく出てくる「人間は足が速い方がいい」「頭のいい方がいい」という言葉も、この舞台を見終えた後で振り返ると身体・知能の障害の有無に紐づくことがわかります。
- 大勢のアンサンブルが黒い衣装に黒い背景の前で白く見える腕(=発掘された骨)をつなげてみせると、それが恐竜や人魚の姿に見えるという巧みなギミックには息を呑みます。
- キュリー夫人から役名をとったと思われる窮理教授が、そのきりっとした美貌にもかかわらず周囲の者にキレてみせる「うっせえよ!」「じゃかあしいわ!」には思わず笑ってしまいました。
- 発掘事業のスポンサーであるウーロン・チャー会長(高田聖子)の「魔女が三人、大きな鍋に蛙を入れて」はもちろん『マクベス』からの引用。
ブレヒト幕が行き来し、舞台は中世に変わります。現代の洞窟では暗い背景だった後方の壁が左右にずれて真ん中に007のガンバレルシークエンスのような開口部ができ、そこにアンサンブル(実験用のマウスたち)がぞろぞろ。ハーメルンの笛吹き男(大倉孝二)にマウスを連れて行かれたファウスト(橋爪功)は、その場に現れたメフィスト(広瀬すず)に縛を解いてもらい、生命の謎に挑む自身の「かがく」を前進させるための若返りを願ってメフィストのフラスコに入りましたが、そこから現れたのは中途半端に若返ったファウ中途(阿部サダヲ)。そこへ踏み込んだ製薬ギルドの社長(橋本さとし)の言葉から、ファウストもギルドと契約を交わしていたことが判明します。
- ファウストがアドリブで歌う「あし〜たがある」は懐かしい坂本九の歌。
- ハーメルンがファウストを縛り上げる際に用いた「結束バンド」は、上掲の相模原事件で犯人が施設職員を拘束するために用いたもの。つまり、この時点で事件再現の頭出しがなされています。
- スモークの中で広瀬すずがマウスからメフィストに変身したり、フラスコの中で白布を手にしたアンサンブルに囲まれた橋爪功が阿部サダヲに入れ替わったりと、この場では巧みな早変わりが見られます。
- 中途半端な若返りになったのはちゃんと洗っていなかったフラスコにジャガイモが残っていたから、というくだりで染色体の本数論議が交わされます。阿部サダヲ演じるタスケテの障害はダウン症候群を思わせますが、ダウン症候群は体細胞の21番染色体が通常より1本多く存在することによって発症します。
再びブレヒト幕によって現代に戻ると、先ほどの中世はタスケテの脳内での情景を窮理教授たちが装置を使って可視化していたことがわかります。彼らが去った後に、その場に残されていた公衆電話ボックスにかかってきた電話をとると「皆殺しにする」という過去からの不穏な声。かまわず会長が開いた記者会見で、窮理教授は骨の震えが脳内の記憶を引き出す「骨伝導理論」により古代の高度な医療技術を呼び出して若返りを実現できると説明して記者たちの喝采を浴びました。しかし、そこに現れた会長の弟=ウーロン・デスマスク社長(橋本さとし)と窮理教授の師=ドクター骨伝導(橋爪功)は、バナナを餌にタスケテを新会社に引き抜いてしまいます。新会社が目指すのはエンハンスメント、すなわちバイオテクノロジーによって「より良い人間」を創ることです。
- ハーメルンの「お呼びでない?こりゃまた失礼しました」は植木等の鉄板ギャグ。電話ボックスに入って変身するのはクラーク・ケント(スーパーマン)。
- 記者会見で断定的な回答をためらう窮理教授の横から会長が小声で指南してその声がまるまるマイクに拾われるのは、船場吉兆の不祥事(2007年)の記者会見での「ささやき女将」のパロディーです。したがって、業を煮やした会長が自分で記者たちと話す言葉はこてこての関西弁になっていました。
- 新会社によるエンハンスメントショーは、洋服を選ぶように命を選ぶ時代の到来を予言するもの。「背の高い」「頭のいい」「美しい」アダムとイブの掛け合わせによる「最高の」アダムとイブ……という優生思想そのものの表現がここで鮮明に現れます。ここで、冒頭での神と堕天使との賭けの対象とされた「人間の欲望」が思い起こされます。
新会社でさっそく骨伝導実験が行われましたが、タスケテが見たバナナパーラーの幸せな情景は古代の記憶ではなくただの夢でした。一方、窮理教授のもとに連れてこられたジーンズ(広瀬すず)が売っていたのは、古代人がマンモスも凍る華氏マイナス320°(液体窒素の温度)の洞窟の中で凍らせた「クレオパトラの受精卵」。窮理教授がジーンズを引き取ることにしたとき、発掘現場で天使の骨が大量に見つかったという報せを受けた社長とドクターはヘリで飛び、窮理教授たちも後を追いますが、残されたタスケテは公衆電話にかかってきた古代の洞窟からの声を聞き、不安におののきます。
- タスケテが夢を見終わるとそこは新会社の実験室で、被験者と実験者たちとは透明なビニールで仕切られており、これには「エッグ」の人体実験の場面を思い出して少しぞっとしました。
- この場面では、会長のビルと隣の社長のビル、そして間にぶら下がる清掃用ゴンドラが映像を交えた巧みな演出でシームレスに入れ替わります。
- ゴンドラに乗った清掃員ハーメルン(大倉孝二)は「俺はいつかあの公衆電話ボックスに入って姿を変える。スーパーマンになって世界のヒーローになるんだ!」と気勢を上げます。そこには「(障害者を)殺害した自分は救世主だ」と供述したとされる相模原事件の犯人の姿がダブります。
- 窮理教授のもとにジーンズを連れてきた不知火検事(野田秀樹)は、「正三角関係」(2024年)に登場した不知火弁護人(同)の孫という設定です。野田秀樹言うところの
ずっと観ている人だけがちょっとお得
な遊びです。 - 「遺伝子には生き延びるという意味がある。代わりに、生きる意味のない人間は理不尽に死んでいく」と言い放つジーンズ。この恐ろしい言葉にむしろ共感してしまった窮理教授は「なんなんだろうあなた」と問い掛けます。ジーンズ「なんでしょう」窮理教授「悪意の塊?もしくは遺伝子?」ジーンズ「いいところついてる」。この会話によって、ジーンズは「Jeans」ではなく「Genes(遺伝子)」であることがわかります。
- 公衆電話にかかってきた声は、タスケテ以外に天使の骨を持つ「もう一人」の存在を示唆します。これが、終盤での瀕死のジーンズにつながります。
発掘現場で天使の骨を組み上げるドクターと窮理教授。さらに一同がその場へ駆けつけたとき、突然ジーンズはギリシア神話の蜘蛛になったアラクネーのような姿で地面に蠢きはじめます。その症状を「退行性の天使病」と名付けた窮理教授は、表無助手(野田秀樹)が持つ「古いにしえの書」の記述をヒントにタスケテを天使病が生まれた古代へ送り込むことにします。
- ここでの広瀬すずのアラクネーの演技は、青い光の中に身体を床に伏せ、表情を失った顔を上げ長い手足を蠢かせて、見るからに恐ろしいものでした。この身体障害の表現は、本作で最もショッキングだった場面です。
まずは中世に戻ったタスケテ。そこへハーメルンが率いて逃げたはずのマウスたちが戻ってきてしまい、タスケテはハーメルンの笛によって「古代の太陽」へと向かうマウスたちの後を追って古代を目指そうとしたものの、やはりハーメルンの笛ではうまくいかずメフィストの笛の力で骨のトンネルを抜けることになります。一方、現代でタスケテを観察しているドクターたちは、メフィストの正体が天使病を引き起こす遺伝子であり、ジーンズの体内でハーメルン因子とせめぎあっていることを察知します。
- 中世に戻ったタスケテを待っていたのはギルドの社長ほか中世の人々でしたが、その言葉からファウ中途・メフィスト・ハーメルンの三人の会話が彼らにはファウ中途の譫妄に見えていることがわかり、観客はここで、舞台上に見えている人物の実在性の揺らぎに直面することになります。
- マウスたちと共に戻ってきたハーメルンは、「ネズミに対しては善人でありたい、未知数の科学に対しては悪人でありたい。その折衷案を考え続けている、いわば『折衷案の善人』だ」と妙に力をこめて口走ります。演劇好きであればもちろん、これがブレヒトの『セツアンの善人』に引っ掛けた駄洒落であることはすぐわかるのですが、反応の薄い観客を見回した大倉孝二は不服そうに「言葉遊びは嫌いですか?なかなかよくできてると思うんですけど」とアドリブを始めて止まらなくなり、阿部サダヲから「誰と何をしゃべってるんだ?」と突っ込まれて会場は爆笑でした。
- ドクター骨伝導を演じる橋爪功の口調はその登場のときからイントネーションがどことなく中華っぽく、ダ行やガ行が濁るべきところが微妙に濁らない発音だったのですが、ここにきてそれは「異天使(いてんし)」を「遺伝子(いでんし)」に読み替えさせるための仕掛けだったことが判明しました。
- メフィスト遺伝子に対抗するハーメルン因子を窮理教授が「正義の因子」だと呼ぶところは、確かに天使病(障害)を取り除こうとするその働きからすればそう言えそうですが、後にハーメルンが行う所業の凄惨さを見るとなんとも逆説的です。
- 次の場面で舞台は古代へ移りますが、その直前にメフィストとハーメルンの間でアイルランドのジャガイモ飢饉(Wikipedia)にまつわる会話がなされました。文脈としては品種の多様性の喪失がもたらす脆弱性にフォーカスしたものでしたが、偶然にも私は本作の戯曲を読む数日前に友人とパブで飲んだとき同じジャガイモの話をしており、飢饉のために新世界に渡ったアイルランド人の末裔の一人がケネディであるという話をしていたので、戯曲を読んだときには驚きました。なお、この「華氏マイナス320°」はロンドン公演も予定されていますが、疫病の蔓延はともかく、飢饉になったのは当時アイルランドを支配していたイギリスの失政による面も多分にあるとされているので、このエピソードを挿入したことがどう受け止められるか心配ではあります。
ついに舞台は、高い塔が聳え立ち原色が生かされる明るい古代。ヒ巫女(深津絵里)は列をなす妊婦たちに対し、タスケテを助手として骨相診断で産まれてくる子供の特性を告げていますが、そんなところへやってきた卵売り(野田秀樹)は、ヒ巫女にクレオパトラの受精卵を売り込みます。卵売りはあまりに下品な売込みのために不敬罪でただちに連行されますが、ヒ巫女はタスケテの手を借りて受精卵と共に塔の上部へ。するとそこにはヒ巫女の母=ハ巫女(高田聖子)とその弟(橋本さとし)がおり、ヒ巫女の跡継ぎ問題や医術の目標、はては帝国の実権の帰属を巡る諍いを始めます。
- この場面では、ここまで描かれてきた現代と中世でのエピソード(人間が神を超えようとしていることへの恐れ、科学技術による命の選別、姉弟間の権力闘争)が遠い古代とシンクロしていたことが明かされます。
- 太占の法で天使が産まれると告知され大喜びした妊婦が、別室でヒ巫女の師匠である卜占医術伝道師(橋爪功)から「天使」は病気であり生まれる前に決断しなければならないと告げられて呆然とするエピソードは、ここまでの賑やかでほとんどドタバタと進行してきた舞台上の空気をがらっと変えたシリアスなものでした。コミカルな流れの中にいくつかの異物を仕込んでおいて、突然それらに目を覚まさせ喜劇を悲劇に反転させるのは野田秀樹の芝居の常道ですが、これは本作での最初の反転です。
- クレオパトラの言葉「卵で子供を産みたい、どこかの島国の女優が言ったように」の「女優」とは秋吉久美子さんのこと。ハ巫女の弟の「姉さんがフミコ、フミコって言うと、急にここがお茶の間になっちゃうよ」は橋田壽賀子のTVドラマ「渡る世間は鬼ばかり」のこと?こうした時代がかったギャグは若い観客には通じないと思いますが、それを臆面もなく繰り出してくるのが野田秀樹らしいところです。
諍いを逃れて塔の最上階に着いたヒ巫女は、いきなり現れたハーメルンの笛吹き男に結束バンドで縛られ、天使たちを連れ去られてしまいます。しかし一人残った天使=メフィストが縛めを解き、イノチの正体を見たいというヒ巫女の求めに応えてフラスコに投じると、ヒ巫女の姿はメフィストの姿に変わります。イノチの正体とは遺伝子=異天使であり、ヒ巫女改めヒミコッチュウト(広瀬すず)は天使病に罹患して退行していくことになります。ヒ巫女が最上階で研究していたのは、天使たちを華氏マイナス320°の青い焔で凍らせ未来へ送り込むこと。しかしその青い焔のバーナーは、ハーメルンに持ち出されてしまいます。
- ここでも、中世でのメフィストとファウストのやりとりの再現が見られます。ただし、ファウストの願いは生命の謎を解く研究を続けるための自分の若返りであったのに対し、ヒ巫女の願いはイノチの正体そのものであり、その動機は凍結させた天使病の子供たちを治療法が見つかる未来で生き返らせられるか否かを知ることという相違があります。これは、ウーロン・チャー会長の創薬が若返りの薬にとどまっていたのに対しウーロン・デスマスク社長がエンハンスメントにまで踏み込んでいたことと、内容の違いはあっても発想の飛躍の構図が似通っているようでもあります。
- 変貌した自分の姿に混乱したヒ巫女が、ヒミコッチュウトになった自分と内面のメフィストとして二重人格的にやりとりをする場面がありますが、この場面での広瀬すずの口調の使い分けが絶品。同様の一人多重語りは同じく「中途」の名を持つ中世のファウ中途役の阿部サダヲも行いましたが、広瀬すずの突き抜け方が一枚上手でした。
- タスケテ「未来は天使たちをまっすぐに見てくれる?」ヒミコッチュウト「くれるよ、いつだって未来は優しいはずよ」。この台詞は胸に刺さります。
- 青い焔のバーナーを手にしたハーメルンが向かう先は「ヤマユリ咲き誇る洞窟」。相模原事件の舞台となった知的障害者施設の名前をストレートに示しています。
ハ巫女の弟がクーデターを起こして巫女制から王制への体制変更を宣言しますが、巫女を求める大衆の声に押されてしぶしぶハ巫女との共同統治にトーンダウン。そこへ現れた卵売りが、ハ巫女が洞窟の奥に閉じ込めていた重度の天使たちの存在を告げ、その姿を示す古の書を開くと、ヒミコッチュウトの姿はアラクネーの蜘蛛に変わり人々を震撼させます。
- 容易に気づくように、ハ巫女・その弟の男王・娘のヒ巫女という三角関係は、「ヒミコ」のポジションが異なってはいますが、邪馬台国の卑弥呼とこれを補佐する弟、後継者の台与を投影しています。
- 大衆の前に姿を見せる弟王とハ巫女の姿は、舞台後方の開口部に向かって後ろ向きに立つことで示されます。あたかもそこが王宮のバルコニーのように思わせる、なかなか気の利いた演出です。
- ここに来てようやく、「華氏マイナス320°」が「重度」と重ね合わされた言葉であることが明かされます。ただ、「華氏マイナス三百二・重度」と区切った耳障りな発音を後の場面でジーンズと窮理教授が繰り返しますが、日本語には掛詞の伝統があるので、最初に野田秀樹が使う一度だけにしてもよかったように思いました。
- アラクネーの蜘蛛が現れるのは、退行性の天使病にかかっているヒ巫女がいずれ自分もそうなるであろう重度の天使の姿を知りたいと述べたからでしたが、この「退行する自分」という意識や、それ以前の場面でタスケテがマウス(天使病の子供)たちを見て漏らす「僕もこの中にいるはずだったのかな」という呟き=被験者としての自覚には、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を連想しました。
舞台は現代に戻り、窮理教授が研究の拠り所としていた表無助手の「古の書」もドクター骨伝導の骨伝導理論もフェイクだったことが明らかになって、窮理教授は愕然。表無助手は勧進帳を演じたことを謝罪し、ドクター骨伝導は「嘘が真実の高みに上っていくのが怖かった」と明かすと、メフィストとの契約の言葉「時間よ止まれ」を叫んで消えていきます。そして、ここまで展開していた古代の物語は、タスケテの骨が震えるたびに彼が語る「古代のお話」を窮理教授が皆に話していたものだったことが窮理教授自身の口から語られます。では、異天使は存在していなかったのか?と問うジーンズ。
- 科学の名の下に公表された事柄が、後にその根拠を失って瓦解するという構図は、本作の趣旨に照らすと直接的にはSTAP細胞〔Wikipedia〕を思い出させます。また「発掘」とのつながりからは、2000年の旧石器捏造事件〔Wikipedia〕も思い起こしました。
- 契約の言葉「時間よ止まれ」は、ゲーテの『ファウスト』では歓喜の叫びでしたが、本作では絶望の表明です。そしてゲーテのファウストは最終的に救済されるのに対し、ドクター骨伝導はここで完全に退場してしまい、本作ではメフィスト(ジーンズ)の方が救済の対象になります。
再び古代。窮理教授とヒミコッチュウトはタスケテの夢を通じて言葉を交わし、医術による天使病の治療を志した自分が天使病に罹って観察対象となる皮肉を共に嘆きます。しかし、タスケテの夢の続きに現れたのはハーメルンの笛吹き男。ハーメルンは公衆電話ボックスから犯行予告を行うと、古代の洞窟に閉じ込められた異天使たちを一人一人選別していきます。ヒミコッチュウトが変じたメフィストはハーメルンを止めようとし、他の天使たちにも「怒れ」と叫びますが、メフィストの魔笛の言葉はハーメルンには重度の天使の唸り声にしか聞こえていません。そしてハーメルンのバーナーから青い焔が放たれ、天使たちが抹殺されていく中、メフィストはタスケテの天使の骨に怒りの記憶を預けます。
- ここには聞いていてつらくなる言葉が次々に出てきます。「私はまっすぐ見てもらえなくなる」「産まれてこない方がいい命」「俺が天使と人間とのラインを引いてやっている」。上記の本筋の中にごく短時間、ウーロン・チャー会長とウーロン・デスマスク社長の記者会見が挿入されますが、そこでもはっきりと、天使病は出生前診断で弾けばよいだけだ、と語られています。
- ハーメルンが天使たちを抹殺する場面は、上掲の相模原事件の再現になっています。犯人は拘束した施設職員を連れまわし、入所者がしゃべれるかどうかを尋ねて「しゃべれない」と答えるとその入所者を刺したため、職員はそのことに気づいて皆「しゃべれます」と答えたものの殺戮を止められなかったと伝わっていますが、ハーメルンとタスケテもまったく同じことをしています。ハーメルンが「お前、急に話が通じると言い始めたな」とタスケテを睨んだとき客席からかすかに笑い声が上がったのですが、ここで笑った客は目の前で起こっていることが把握できていなかったようです。
- メフィストの抗議の言葉が、いわゆる「健常者」であるハーメルンの耳には「う〜え〜あ〜あ〜」という唸り声にしか聞こえていない、という表現は極めてショッキングでした。その後にメフィストが言う「天使をこうして洞窟に隔離収容するのも人間の正義だし、天使の看病に疲れ果てて、仮に天使を殺したとしても罪を軽くするのも人間の正義だ」という言葉に出てくる「天使」と「人間(=健常者)」の対比も同様です。
- 野田秀樹の作品らしく、本作では随所に言葉遊びが出てきます(「セイシをかけて」のようなお下⚫️なものも)が、この場面で殺されようとする天使たちにメフィストが「怒れ!」と呼び掛ける言葉に続いて出てきた「ANGERとANGELは、怒りと天使はたった一文字の違いなのに」には、重く響くものがありました。
- それまでにも「45センチメートルの地層」「45階の会長室」などと頭出しはあったものの、ここでのハーメルンの言葉の中についに「華氏451度」がストレートに登場しました。曰く、「華氏451°で焼き殺した書物のように、この天使たちを、この古代の洞窟で、華氏マイナス320°の青い焔で凍結させる」。この青い焔を浴びせられた天使たちこそ現代の洞窟で見つかった大量の天使の骨であり、そうした骨が発掘される理由の謎解きが本作の一つの柱だったのですが、ドクター骨伝導が語ったようにそれは、古代において「ここでたくさんの天使が死んタ」ことの痕跡だったわけです。そして、この謎が解けたことによって冒頭の神と堕天使との賭けの帰趨も明らかになります。
神との賭けに負けたメフィストは、タスケテにジーンズへの「生きろ」という神様からの伝言を託して堕ちていきます。そして現代に戻ってきたタスケテの目の前で、心肺停止しストレッチャーで運び出される現代のジーンズ。しかしタスケテが骨の声を手話にして窮理教授に見せたとき「奇跡」が起こります。最後は、耳の聞こえない女神(深津絵里)が光の天使(広瀬すず)が見守る中で耳の聞こえない子を産みしみじみと漏らす「よかったあ」という言葉。舞台上に広がる群舞。その群舞は途中で音楽だけが止まり、無音の中で続けられるうちに暗転していきました。
- 本作の冒頭の賭け(人間の欲望は世界を輝かせることができるか)を回収してみせたこの場面でしたが、率直に言ってこのエンディングは理解が困難でした。「突然変異」「奇跡」といった言葉を持ち出して急転直下のハッピーエンドに持ち込んだのは、あるいは作者の弱さ(優しさ)のせいだったのかもしれませんが、ゲーテの『ファウスト』のクライマックスにおいて契約の言葉を発したファウストの魂が天上から降りてきた天使たちによって救済されたことを思えば、それほど奇異なことではなかったのかもしれません。もっとも、プログラムに掲載されていた深津絵里の言葉によれば、野田秀樹自身が稽古の初日に「この作品に答えはないです」と言っていたそうですから、何通りもの終わり方があり得て、そのどれも不正解ということはなかったのでしょう。
- アンサンブルによる手話の群舞の途中で音楽だけが止まる演出は、一部に異論も生じたようですが、純粋に「何も聞こえない世界」を突きつけてみせられたという点で私は強い印象を受けました。
これまでの歴史事象を扱った作品群(ex. 731部隊、人間魚雷、原子爆弾……)とは異なり、本作はどうにも咀嚼することが難しい主題でした。その難しさは、一つには自分自身の中に経験値がなく入り込みにくい(尻込みをしてしまう)領域を扱っていること、もう一つには今でも価値観が変わりつつある領域に踏み込んでいることに由来しているように思います。
少し脱線すると、ずいぶん昔に上掲の『アルジャーノンに花束を』を読んだ後でその感想を友人と語り合ったことがあるのですが、そのとき私が不用意に「泣ける」という言葉を漏らしたところ、障害を持つ子を支援するボランティアをした経験があるその友人に「知能を失うことは悲しいことなのか?」と詰め寄られたことがあります。これは、私自身が無自覚に持っていた「障害=不幸」というステレオタイプな価値観を覆された瞬間でした。
しかし、現実の世界では綺麗事ではない葛藤を抱えて障害を持つ子と向き合っている親がいることも事実です。劇中で障害児を「天使」と呼ぶ理由をハ巫女には「せめて天使と呼ぶことで、蓋をしてきたんだ」と語らせていたのに対し、ラストシーンではジーンズを天使の羽に丸くくるまれた胎児の姿に見せる演出によって文字通りの「天使」であると告げているようでしたが、そもそも障害児を「天使」と呼ぶことは、障害者は健常者(劇中ではメフィストの口からそれを「人間」と表現させていました)とは異なる存在であるという認識を前提としていますし、障害者自身が「天使」と呼ばれることを求めているわけでもありません。さらに、この日一緒に観劇した友人は、劇場を出て軽く一杯の席で「出生前診断によって産まない選択をしなければならなかった人たちの気持ちはどうなるのか?」となかば憤慨していました。
その他、さまざまな意見がこの作品には向けられていることでしょう。そうしたさまざまな意見が沸き起こることは当然、野田秀樹の予想の範囲内だったはずなので、「この作品に答えはない」にしてもせめてラストシーンの作意を語ってほしいと思わなくもないのですが、劇作家が作品以外のところで作品の意図を語るのは違うだろうと思うので、これは諦めています。自分ができることとしては、時をおいてあらためてこの戯曲を読み込んでみることぐらいしかないかもしれません。
なお、一見すると相模原事件が大きなモチーフとして用いられているように見えますが、おそらくは日本の観客にとってのわかりやすさに基づく事例選択にすぎないだろうと思います。視野を広げれば、優生思想に基づく障害者の排除はナチス・ドイツで大規模に行われるなど歴史的に根が深く、また日本で1948年に制定された優生保護法が1996年まで存続していた(同年改正により優生条項が削除され名称変更)ことも、この機会に知っておいてよいでしょう。
出演者の中では、可能な限り贔屓を排したとしてもやはり深津絵里さんがすてきでした。特に感銘を受けたのは終盤近くの窮理教授の告白で、はじめは天使病になった天使たちを助けようと医術を志したのに途中から天使が人とどう違うのかばかり考えるようになった、という悔恨の言葉にこめられた感情の起伏を、台詞術の極致として聞きました。
阿部サダヲのピュアな55歳や、広瀬すずの奔放から悲痛まで振幅の大きなキャラクターの演じ分けも見事でしたが、一種異形だったのはやはり大倉孝二。相模原事件の再現の場面での彼には背筋を凍らされました。
また、野田秀樹の芝居に欠かせない大ベテランの橋爪功も、なんだかモゴモゴ言っているなと思わせておいて、天使病の告知の場面では迫力を垣間見せてさすがでした。なお、ここで告知を受ける妊婦ミキガールを演じたアンサンブルの一員・谷村実紀の演技が特筆ものだったことも、ここに記しておきます。
とは言うものの、全体を通してテンションの高い叫び声の連続は耳につらいものでした。確かに言葉はちゃんと観客に届いているのですが、せっかく練達の役者を揃えているのだから、もっとそれぞれの声質を聞かせてくれればいいのにと思いながら観ていました。この点では橋本さとしの美声が突出していましたが、実はそれより何より、手話を担当したMISAKIさんの声なき参加が、本作をこれまでの野田地図作品とは違う地平へ連れていってくれていたように思いました。
出演
| タスケテ(ファウ中途) | : | 阿部サダヲ |
| メフィスト(光の天使 / 少女ジーンズ / ヒミコッチュウト) | : | 広瀬すず |
| 窮理教授(ヒ巫女) | : | 深津絵里 |
| ハーメルンの笛吹き男(清掃員ハーメルン) | : | 大倉孝二 |
| ウーロン・チャー会長(ハ巫女) | : | 高田聖子 |
| 裏ヶ有助手(ウラガール) | : | 川上友里 |
| ウーロン・デスマスク社長(社っ長さん / ハ巫女の弟) | : | 橋本さとし |
| 表無助手(不知火勝太郎 / 卵売り) | : | 野田秀樹 |
| ファウスト(オーマイゴッド / ドクター骨伝導 / 卜占医術伝道師オーマイ後藤) | : | 橋爪功 |