加茂

#967 - 渋谷能

2026/08/28

セルリアンタワー能楽堂(渋谷)で、渋谷能第一夜「加茂」(金春流)。シテは中村昌弘師、地頭は高橋忍師です。

これまで「加茂 / 賀茂」は観世流宝生流とで観ていますが、今回はいよいよ金春流。と言うのも一週間前に行われた事前講座で中村師から説明があったように、本作は金春禅竹の作であり、秦氏の女が登場することや秦河勝の生誕伝説(川を流れてきた壺から現れた)との関連、秦河勝の墳墓があるとされる播磨からワキがやってくることなど、秦河勝を意識した作劇がされていると思われることから、金春流にとって所縁の深い曲だからです。

また、渋谷能で脇能が上演されるのはこれが初めてだということですが、開演前の金子直樹先生の解説でも、近年は一回の公演で上演される曲数が限られる傾向にあることから脇能の上演機会が激減しているという話があり、その意味でもこの日の「加茂」は貴重な機会です。

加茂

上記のとおり過去二回観ている曲なので、あらすじを追うことはせず、記録に止めておきたい点や印象的だった事柄を箇条書きで記します。

  • ワキとワキツレの登場楽は、いきなりパワー全開の真ノ次第。笛の一噌隆晴師はまだ二十歳前ですが、息を目一杯に使ったヒシギには引き込まれました。続いて登場したワキ/室明神の神職(福王和幸師)とワキツレ二人も、そのノーブルな姿とは裏腹にきびきびと力強い所作を示します。そして次第は三遍返しとなります。
  • 一転してゆったりと奏される真ノ一声のうちに幕が上げられ、しばらくの間を置いて登場した前ツレ/女(雨宮悠大師)と前シテ/女(中村昌弘師)は共に紅白段唐織着流姿で、ツレは細かい草花文様、シテは花車文様。シテのみ水桶を手にしていました。そして橋掛リの上で向かい合って謡い、共に見所に向き、舞台に入って再び向き合い、ついで立ち位置を変えて正面から見るとシテを中央寄りにして前後に立ち並ぶ、といった具合に流れるようなフォーメーションの変化が、まるでバレエのように鮮やか。このように計算し尽くされた動線の美しさは、後にツレが地ノ前へ移動する場面でも見られます。
  • ワキの問いに答えて正先に置かれた矢(作リ物)の由来を説明するシテの語りは朗々とよく通り、これがあまりに説得力に満ちているので、ワキの「天に上がった矢が神だというのはわかったが、今そこにある矢も御神体だというのはどういうわけだ?」というもっともな問いに対してシテに隔てはあらじ何事も心次第なのだと力技でスルーされてもつい納得してしまいます[1]
  • 川尽くしのロンギは、大小前に立つシテと地ノ前に着座するツレとの同吟と地謡との掛合い。詞章に沿ってシテは空を見上げ、水桶を小さく掲げ、そして矢立台の前に着座して水桶をそこに残すと大小前に下ります。ここでワキが御身はいかなる人やらんと問うたとき、下居して面を俯き加減にしたシテの気配がすっと変わり、その姿や改まった言葉遣いからそこに神が立ち現れるのを感じました。
  • 続く地謡のうちに立ち上がり、中央で左袖を上げワキを見込むとついと向きを変え、常座で素早く回って神隠れを示したシテは、来序を聴きながらしばらく立ち尽くすようでしたが、やがてツレを伴って中入します。象徴的な型の連続で観る者の脳裏にリアルな情景を描いて見せる、能ならではの表現技法の冴えを味わえる場面です。
  • 引き続き来序と共に登場したアイ/末社の神[2](山本則重師)もすばらしい。末社頭巾に老体の面を掛け、黄色い縷水衣に括袴という出立で、極めてよく通る声で当社の由来を見所に語り聞かせてから、ワキのためにと舞う三段ノ舞が軽快な囃子を伴ってきびきびと力強く、これだけで一つの芸能として成り立っています。
  • 後ツレ/御祖神[3]の出立は月輪瓔珞が美しい天冠を戴き薄紫の長絹に緋大口。そうした優美な姿にもかかわらずその謡には芯が通り、天女ノ舞にも神の威風が感じられます。しかし、舞い納めた後に角に近いところに膝をついたツレが、扇で掬い取った水を左手の巻いた袖にかける型からは、涼やかな御手洗川の情景が浮かぶよう。
  • 激しい早笛と共に御幣を先立てて舞台に進みでた後シテ/別雷神は唐冠に赤頭、半切狩衣姿で、金色の大飛出面がインパクト十分。そもそもこれは王城を守る君臣の道、別雷の神なりと力強く名乗った後、囃子方共々熱量高い舞働。これはすごい。音圧の強い地謡を背景にキリの中でもひとつひとつの型がびしびしと決まって目を離せずにいるうちに、先に糺の森へと帰っていくツレを見送ったシテは膝をつき袖を巻き上げ、常座で回って足拍子を轟かせると、御幣を頭上高く鮮やかに投げ上げます。最後は常座に立ったシテが揚幕に向いて留拍子を踏み、太鼓の最後のひと打ちが打たれてようやく、舞台上に静寂が訪れました。

前場の緑したたる御手洗川の心安らぐ情景描写と、後場の荒ぶる別雷神の圧倒的な存在感。金春流らしい呪術的な抑揚と脇能にふさわしい祝祭感とに導かれていかにも夏らしい曲を堪能しましたが、ここでとどろとどろと踏み轟かされる雷は五穀豊穣をもたらす恵みの神鳴。秋の実りを約束してくれるその響きが、一曲の中に季節の移り変わりを内包させているようでもあります。また、アフタートークで舞台に上がった金剛流・宇髙竜成師は前場に出てくる「水は流れ去って戻らないが、尽きることもない。この流れが絶えないことが神への手向けなのである」(大意)という詞章に着目し、中村昌弘師も雨が川になり海で水蒸気となって再び雨となる円環構造の存在を指摘して、二人ともそこに大きな時の流れを感じ取っていたようですが、さらに中村師が「矢立台の矢は『時』の象徴なのではないか」と語ったときには、能楽師はそこまで考えて演じるものなのかと感嘆しました。

2021年に訪れた糺の森と御手洗川。

なお、上賀茂神社(賀茂別雷神社)では「加茂」の上演は御法度とのこと。上演するとシテは雷に打たれて命を落とすとされているそうで、過去に実際にそうした事故があったためか、あるいは神社の伝承と能の設定が異なるため別雷神が怒るからか定かではないものの、宇髙竜成師は神主さんから本気で止められた経験があるのだそうです。いかにも神様の能(脇能)らしいエピソードですが、この日見所にちらほら見られた外国人鑑賞者たちは、舞台を観てそれだけで十分「日本の神様はなんと荒々しいのか」と驚いたに違いありません。

出演

金春流 加茂 前シテ/女 中村昌弘
後シテ/別雷神
前ツレ/女 雨宮悠大
後ツレ/御祖神
ワキ/室明神の神職 福王和幸
ワキツレ/従者 矢野昌平
ワキツレ/従者 村瀬慧
アイ/神主 山本則重
一噌隆晴
小鼓 成田奏
大鼓 原岡一之
太鼓 大川典良
主後見 山中一馬
地頭 高橋忍

あらすじ

加茂

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脚注

  1. ^シテの説明によれば、子が三歳のときに父は誰かと問われて指差した矢が天に上がり神となってこれが別雷の神であり、この言葉を引き継いだツレが母子も神となってこれら三柱が加茂三所の神であると説明しています。加茂三所とは上賀茂の別雷神、下鴨の玉依姫命および松尾の大山咋命とされ、さらに伝承上は矢ではなく子の方が別雷神とされているのですが、本曲におけるこのあたりの不可解さや曖昧さを金春安明師は私はそれでいいと思っています(中略)はっきりしないままにしておく、それが中世の能らしいと思うのですと述べています。(『金春の能〈上〉中世を汲む』(金春円満井会 2017年))
  2. ^番組には「神主」と記されていましたが、アイ自身は「都加茂明神に仕える末社の神」だと述べていました。なお、2019年に山本則秀師が演じた替間「御田」においては、役名は「加茂明神の神職」です。
  3. ^前場ではその台詞から前シテが御祖神であると考えられるので、前シテと後ツレが対応しており、後シテは別人(神)格という構成になっています。この点に関し、手元にある参考書『日本古典文学全集 謡曲集 一』(小学館 1973年)はあるいは前シテの役者が後ツレの役(すなわち御祖の神)を演じ、前場には登場しない別の役者が後シテ別雷を演ずるのが、原型かもしれないと記しています。