奥村土牛
Impression #966
2026/08/08
うだるような暑さのこの日、山種美術館(恵比寿)で今日から開催される「特別展 奥村土牛 ―名作でたどる100年のあゆみ―」を早速見てきました。

まずは例によって、山種美術館のサイトから本展の開催趣旨を引用します。
山種美術館は日本初の日本画専門美術館として1966(昭和41)年に開館し、おかげさまで本年60周年を迎えます。これを記念した特別展の第2弾となる今回は、当館とゆかりの深い日本画家・奥村土牛(1889-1990)の軌跡をたどる展覧会を開催します。
当館創立者・山﨑種二(1893-1983)は、土牛の画業の初期から50年以上にわたって深く親交を結びました。その縁から、当館の所蔵する土牛作品は全135点を数え、日本屈指の土牛コレクションとして知られています。
本展では、当館所蔵の優品の数々とともに、初期から最晩年に至る活動の全貌をご覧いただきます。瀬戸内海の鳴門の渦潮を描いた《鳴門》、京都・醍醐寺のしだれ桜に「極美」を感じて制作した《醍醐》をはじめ、活躍の舞台であった院展への出品作が多数含まれており、戦後の代表作が一堂に会する光景は圧巻です。土牛が温かいまなざしを向けた愛らしい動物や花の作品も並び、皆様の心を癒します。
山種美術館が開館60周年を迎える記念の年に、今もなお多くの人々に愛されている清らかな土牛の世界をお楽しみください。
上記開催趣旨にもあるように、当館の土牛コレクションの中で双璧と言えるのは《鳴門》と《醍醐》(フライヤー表面参照)だと思いますが、本展でもこれら二点を中心に土牛の名作の数々が惜しげもなく披露されて目を楽しませてくれます。
私が山種美術館でこれまでに見たまとまったかたちでの奥村土牛展としては、2010年に開催された「生誕120年記念 奥村土牛」と2019年に開催された「生誕130年記念 奥村土牛」があります。今回展示されている作品のほとんどはこうした過去の展覧会で見ており、いくつかの作品についてはそれぞれの展覧会に関する記事で感想を述べているので、ここでは今回の展示の流れをごく大まかに追うにとどめます。
展示室に入ると冒頭に置かれていたのはほのぼのとした《枇杷と少女》(1930年)で、以下、次の三章に分けて各作品が並べられていました。
第1章 土牛芸術の礎
奥村土牛は16歳で梶田半古の画塾に入り、ここで塾頭を勤めていた小林古径を師と仰ぐようになります。この画塾において土牛は、写生への厳格な姿勢、色彩に対する鋭敏な感覚、作品の品格の重要性を身につけたと説明されていましたが、特に最後の「作品の品格」は土牛の作品の最も重要な要素であるように思います。
この章(《枇杷と少女》もその一部)にはさまざまな植物や動物を描いた作品が並んでおり、特に軸装の《罌粟》(1936年)と《花菖蒲》(1939年)が並んでいる様子を見ると、いずれもすっくと立ち上がった姿が力強いのにとても上品。《あけび》(1944年)や《木蓮》(1948年)も小品ながら対象にぐっとフォーカスして、そこにそれぞれの小宇宙を作っているような趣があります。そうした展示の中に度々色を重ねて塗っても、それが薄く見えるという境地
を目指しているという土牛の言葉が紹介されていて、このことを踏まえてこれらの作品を見直すと、一段と味わい深く感じられました。
第2章 土牛のまなざし
ここでは写生を通して対象の本質や生命感までつかもうと努めた
という土牛の代表作が並びます。

こちらの《鳴門》(1959年)は撮影可能。他にも、ちょっと吊り目でおちょぼ口が可愛い《舞妓》(1954年)、姫路城を仰角で堂々と描く《城》(1955年)、本展でたぶん最大の《那智》(1958年)、それに春爛漫の《醍醐》(1972年)といったおなじみの作品たちとの再会が懐かしい気持ちにさせてくれます。
ところで、ここで面白いなと思ったのはそうした代表作ではなく《泰山木》(1958年)で、その一枝が活けられている白磁の花器との対比で柔らかそうに見える泰山木は、3月の「花・flower・華 2026」で見た師・小林古径の《白華小禽》に見られる泰山木の葉の硬質な表現とは対照的でした。
第3章 傘寿をこえて
土牛は101歳で亡くなる最晩年まで創作意欲を絶やさず、常に工夫を続けていました。解説には土牛の述懐として、84歳にしてやっと少しわかりかけてきた
どこまで大きく未完成で終わるか
という言葉が紹介されており、そのことは土牛という名前の由来である「土牛石田を耕す(牛が石ころの多い荒れ地を根気よく耕し、やがては美田に変えるようにたゆまず精進する)」に通じる姿勢ですが、この章はそうした土牛の晩年の作品を並べています。
中でも《吉野》(1977年)は、近景に桜を置きつつ主題はむしろその彼方に靄に包まれながら重畳たる山並みが柔らかく連なる実に日本的な景観で、この絵の前に立つといつも吸い込まれるように見入ってしまいます。また、房総の海景を銀色の箔の上に彩色して描いた《海》(1981年=92歳)の躍動感や、土牛自身が今までやったことがない新しい試み
をしたという《山なみ》(1987年=99歳)に見られる後光差すが如き富士の姿に、土牛が到達した自在の境地が見てとれます。
なお、個人的に興味深かったのは《谷川岳》(1975年)でした。谷川岳を含む三国山脈の山並みを見て土牛は非常に親しみのある、明るくやさしい山
という印象を持ったそうですが、我々のような登攀者にとって谷川岳(と言うより一ノ倉沢)はぴりぴりとした緊張感なしには登れないところで、たとえば最後に一ノ倉沢に入った2023年の衝立岩ダイレクトカンテの登攀では、下山してからも数日間はその緊張感が後遺症のように残ったものです。実は土牛の絵にもそそり立つ谷川岳の容貌の厳しさが窺えるのですが、そこに描かれているのは一ノ倉沢の景観ではもちろんありません。

一通り見終えてから、例によってミュージアムショップで絵葉書を買い求めました。ただし《鳴門》や《醍醐》といった著名作品の絵葉書は過去に買ってあるので、今回はやや渋めなチョイス。先に小宇宙を作っていると書いた《あけび》と、古径のそれとは異なるテイストの《泰山木》です。なお、6月の「川合玉堂」のときは同展覧会に基づく図録が販売されていましたが、本展では専用図録は用意されておらず、その代わり2010年刊行の『山種美術館所蔵 奥村土牛 作品集』が販売されていました。
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- ▲フライヤー表面(左上→右下):奥村土牛《醍醐》 / 《鳴門》
- ▲フライヤー裏面(左上→右下):奥村土牛《茶室》 / 《舞妓》 / 《城》 / 《山中湖富士》 / 《兎》 / 《吉野》 / 《雨趣》
鑑賞を終えた後、例によって美術館の1階にある「Cafe椿」で今回の展示にちなんだ和菓子と抹茶のセットをいただきました。青山の老舗菓匠「菊家」が作った和菓子の名前と絵画の対比は次のとおりです。
| 和菓子 | 絵画 |
|---|---|
| 醍醐 | 奥村土牛《醍醐》 |
| ひとめ千本 | 奥村土牛《吉野》 |
| しおさい | 奥村土牛《海》 |
| すずやか | 奥村土牛《水蓮》 |
| たわらうし | 奥村土牛《奥村土牛から山﨑種二宛書簡(牛)》 |
今日は屋外の灼熱の陽気に対抗して、涼しげな次の二つをセレクトしました。
- しおさい
- 92歳の土牛が力強く描いた房総の海。打ち寄せる波を重ねた練切りで表現しました。中は風味豊かな胡麻入りのこしあんです。(胡麻入りこしあん)
- すずやか
- 可憐に咲くスイレンの花を練切りで、水面の様子を錦玉羹で表しました。見た目にも涼やかな、夏らしい一品です。(ワイン風味錦玉羹・練切り)

実物の「すずやか」が想定していた色合いと異なったために両方ともブルー系になってしまいましたが、錦玉羹のつるんとした舌触りはいかにも夏向きです。柔らかい「しおさい」との組合せもよく、ゆったり涼を味わうことができましたが、さて帰宅しようと一歩美術館を出れば、照りつける夏の日差しが一気に体温を引き上げました。

