京都の社寺巡り〔大原・東寺〕
2年ぶりの京都訪問は、訳あって金平糖の調達が主たる目的。そこに大原訪問を組み合わせ、翌朝の限られた時間で京都駅から近い東寺にも立ち寄るというちょっと慌ただしい旅となりました。
2018/06/30
緑寿庵清水・出町ふたば
京都駅からバスに乗ってまず向かったのは百万遍です。
こちら「緑寿庵清水」の金平糖をゲットすることがこの旅の最大のミッション。贈り物用に桐箱に入った三種詰合せを購入しました。続いて徒歩で移動して出町柳の「出町ふたば」。こちらの名物は豆餅ですが、この日は6月30日=夏越の祓でありますので水無月を買い求めました。そういえば能「水無月祓」も観たことがありますが、これは強く印象に残る曲でした。
もちもちした三角形の地に小豆を敷き詰めた水無月は、ここまで半年の穢れを祓い残る半年の無病息災を願うもの。自分へのご褒美です。
寂光院
出町柳からバスで大原へ移動し、まずは建礼門院ゆかりの寂光院に詣でました。
前回ここに来たのは2010年の秋のことで、そのときは金剛能楽堂での観能に合わせての訪問でしたが、今回は先日国立能楽堂で観た「大原御幸」にちなんでの参詣です。
この日は大変蒸し暑い気候でしたが、境内の落ち着いた風情は相変わらず好ましいものでした。
この寂光院は推古2年(594年)に聖徳太子が用明天皇の菩提を弔うために創建した寺院で、六万体地蔵尊を本尊とする天台宗の尼寺。建礼門院徳子は壇ノ浦で入水したものの源氏に引き揚げられ、都に戻って出家した後、大原に移って寂光院の近くに庵を結び、阿波内侍らと共に安徳天皇ほかの人々の菩提を弔ったとされています。
慶長年間に再興された桃山様式の本堂は2000年5月9日に放火によって焼けてしまい、2005年に再建されたのが現在の本堂ですが、その前にある汀の池に面した樹齢千年の姫小松も火災の影響で2004年に枯死してしまい、その高い部分を伐採して御神木としていました。
上の写真は2010年10月に撮影したもので、このときはまだ立派な幹が残されていましたが、今回訪ねてみると枝分かれした部分がすっかり落とされてしまっており、ますます諸行無常を感じさせる姿になっていました。
三千院
ここまでで旅の目的はだいたい達せられていますが、せっかくなので三千院と宝泉院にも足を運ぶことにしました。これらも2010年に訪れているので、説明は簡略に。
苔の緑がとても綺麗。声明の発祥の地・大原に建つ三千院は、最澄が延暦寺建立の際に草庵を結んだのに始まるとされています。梶井門跡、梨本門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡の一つで、皇族が代々住職を勤めた後、明治4年(1871年)の法親王還俗に伴い持仏堂に掲げられていた霊元天皇宸筆の勅額により三千院と称するようになったそう。
賑やかなほどに手がこんだ庭園=聚碧園は、江戸時代の茶人・金森宗和の修築。翌日訪れる東寺と異なり、水は常に流れているので澄んでいます。
苔が美しく敷き詰められた庭の先には往生極楽院。『往生要集』の著者である恵心僧都が父母の菩提を弔うため寛和2年(986年)に建立したもので、前屈みに跪く大和坐りでもこのお堂のサイズに比べて大きい阿弥陀三尊像(国宝)を収納するために、天井を舟底型に折り上げているのが特徴です。
ちょうど紫陽花の季節で、ブルー、ピンク、ホワイトの紫陽花が満開でした。
それよりもすごいと思うのは、これらの御朱印商法です。三千院の中で五種の御朱印が用意されており、各300円ですから合計1,500円。拝観料は700円ですが、御朱印をすべていただけば2,200円をお納めすることになります。
文句があるなら御朱印をいただかなければすむ話なのですが、そこは人間の弱さで、用意されている御朱印はやはりすべて集めたいもの。この煩悩に対する戒め料としてこのような価格設定がされている……というのは、考え過ぎなのでしょうか?
宝泉院
まだ少し時間があるので、三千院から徒歩5分ほどの宝泉院にも足を伸ばしました。
この宝泉院は、すぐ近くにある大原寺(勝林院)の住職の坊として平安末期からの歴史を持つとされています。ただし建物は、その様式から江戸初期頃の再建と考えられています。
この水琴窟「理智不二」は密教の教理を音色で伝えるものとされていますが、前からあったかな?耳を近づけてみると、澄んだ綺麗な音がしていました。和菓子と抹茶のサービスもありがたいものです。
そして、この脇息にもたれて正面を眺めると……。
額縁風の窓の向こうに樹齢約700年の巨大五葉松。ただし、いわゆる額縁庭園「盤桓園」はこちら側(南)ではなく、右側(西)の竹林の方であるようです。
以前来たときに好印象だった庭園「宝楽園」も見たかったのですが、このとき雷鳴と共に強い雨が降り始め、しばらく屋内で雨宿りをせざるを得ませんでした。そうこうするうちに市内へ戻るべき時刻になったため、今回の大原観光はここまでとしました。
2018/07/01
この日は夕方に実家で用事があるため、朝イチで東寺のみ拝観することにしました。
東寺
東寺(またの名を教王護国寺)は、平安京の羅城門の近くに西寺(現存せず)と共に8世紀末に創建された王城鎮護の官寺でしたが、弘仁14年(823年)に空海が嵯峨天皇からこの寺を給預され、以後、真言宗の根本道場となりました。
駅から徒歩数分、交差点に出ると目の前に唐突に五重塔が聳えたちます。南大門から境内に入り、ぐるっと回り込んで講堂と金堂が並ぶ有料ゾーンへ。
この景色を眺めるのは2002年以来16年ぶり。
講堂〈重文〉には大日如来〈重文〉を中心として金剛界曼陀羅を表した荘重・濃密な立体曼陀羅。金堂〈国宝〉には十二神将を足下にした巨大な薬師如来〈重文〉と日光・月光菩薩の両脇侍〈重文〉の空間を活かした配置。いずれも見応えあり。
最後に庭園をぐるりと巡って高さ54.8mの五重塔(徳川家光寄進)を見上げてから、東寺を辞しました。
時間に追われた京都訪問でしたが、目的の買い物を果たし、謡蹟訪問もでき、ダメ押しの立体曼荼羅拝観も実現できて、実り多い旅行でした。とは言うものの、せっかく京都を訪れるならやはりもっと時間にゆとりを持って歩きたいものです。そうした機会をなるべく早く持ちたいと思いながら、東京に戻るのぞみに乗りました。