藤戸

2019/07/26

セルリアンタワー能楽堂で、Bunkamura30周年記念「渋谷能」のプログラムの一つ「藤戸」。テーマは「不条理」。

この日の公演は、第三夜「自然居士」に続く第四夜。宝生流の出番です 。前回の「自然居士」のアフターパーティーの際に宣伝に現れた和久荘太郎師が、「宝生流では地謡が八割です」と(シテを目の前にして)言っていましたので、その言葉通りの地謡の活躍が聞かれるかどうかもポイントです。

藤戸

この曲は2012年2013年にいずれも観世流で観ていますが、今回の宝生流は、解説の金子直樹氏曰く「気迫を内にこめ、ぎりぎりまで圧縮して一粒一粒を観る者に届ける」演じ方をするとのこと。事前講座でも、シテの高橋憲正師は「宝生流の『藤戸』は型をそぎきっていて地味だが、そのことで観る者の思いを邪魔しない」という趣旨のことを語っていました。

漆黒の地に白い鶴亀の文様が鮮やかな直垂裃出立のワキ/佐々木盛綱(野口能弘師)と従者二人による〈次第〉は強靭な音圧で春の港の行く末や、藤戸のわたりなるらん。続く〈名ノリ〉も力強く、鎌倉武士の気概を感じます。ついで〔一声〕となって橋掛リに現れた前シテ/漁師の母(高橋憲正師)の出立は唐織着流ですが、くすんだ黄色の地に金の縦縞、垣と藤花(?)が金銀の段模様になって身分の低い老女の風情。静かに常座に出て謡われた老いの波、越えて藤戸の明暮に、昔の春の、帰れかしの深い声色を聞いて、事前講座などで聞いていた素の声とのあまりの違いに感嘆しました。ワキが尋ねるのに対してシテの謡はしばらく淡々としていましたが、白を切るワキにさてのうわが子を海に沈め給ひし事は候と迫るところから口調が変わりました。これを聞いたワキは声高くああ音高し何と何とと顔を背けましたが、シテは、その時の様子を明らかにして亡き跡を弔ってほしいと訴え、その言葉を引き取った地謡が跡とむらはせ給へやと謡うところで腰を浮かしてワキに訴えかける様子を示すとシオリ。

この上は何をか隠すべきと観念したワキのここからの語りは床几に掛かったまま、去年三月二十五日の夜、平家と対峙している海を馬で渡れる場所を教えてくれた浦の男を口封じのために刺し殺して海に沈めた経緯を語るのですが、その口調も表情も徐々に高揚してクライマックスのふた刀刺しに至った後にわずかの間を置き、回想から心持ちを現在に引き戻してシテに目を向けます。聞き終えたシテの我が子を沈めたのはいづくの程にて候ぞとの問いを受けて、ワキとシテは中正面方向を見やりしばしの掛合い。そしてげにや人の親のから〈クセ〉となりましたが、げにの低音から二十余りの高音へと音の高低を自在に操る地謡に引き込まれました。ここまでややもすれば地頭の声が突出して聞こえている感があったのですが、ここでの地謡は一体感が見事でした。そして上ゲ端の後はシテの激情が噴き出す場面となり、シテはモロシオリからワキをきっと見て立ち素早く迫りましたが、これをワキが半身になって右手の扇で払うとシテは後ずさって膝を突き、わが子返させ給へやと左手をワキに差し伸べた後にがっくり座して再びモロシオリ。地謡が謡う詞章の通り見るこそあはれなりけれという様子です。

ワキの命を受けて、アイ/盛綱の家人(山本則重)は慰めの言葉を掛けながらシテを揚幕の奥へと送り込み、ひとしきりシテへの同情と盛綱の行動をまたとあるまじき分別とする独り言を述べた後にワキに老女を送り返したことを報告。ワキが、漁師の霊を弔うため管絃講を催すとともに七日間の殺生を禁ずる旨を触れるように命じると、アイは常座に立ってその旨を朗々と触れ、触れ終えたことをワキに復命してから下がっていきました。

ワキとワキツレが正面先に向かい合って立ち〈上歌〉を謡い、ついで合掌したワキが一切有情 殺害三界不堕悪趣と大般若経を読誦すると、ヒシギが入って再び〔一声〕。そこへ静かに登場した後シテ/漁師の霊の姿は、黒頭、青無地の熨斗目に白い縷水衣、白青グラデーションの腰蓑を巻き手には杖。目が落ち窪んだ正気のない表情で憂しや思ひ出でじ忘れんと思ふ心こそ忘れぬよりは思ひなれと独りごちてから、脇座に下居しているワキに向かって御弔ひはありがたけれども、恨みは尽きぬ妄執を、申さんために来たりけりと告げました。そして、自分がワキに藤戸の渡り場所を教えたことでシテは恩賞を得たのであるから自分にも恩賞を下さるべきであるのに……というところまでをワキと掛け合うのですが、ここではワキの詞もどこか遠くから響くように謡われて、幽霊との間に現実を離れたやりとりがなされているかのような印象でした。そして、いかなる恩をも賜ぶべきにという掛合の最後の言葉に無念を込めたシテが詞章を地謡に渡して命を奪うとは意外……というあたりからシテは自らの死をリアルに再現して見せます。杖をつきつつワキに向かって歩みを進め正中に立ったシテは、氷のごとくなる刀を抜き放って左脇を二度鋭く(!)刺し貫き、そのまま海に押し入れられてで杖を首の後ろに横に渡して左右の足を入れ替えぐるりとその場で回ると、千尋の底に沈みしとがっくり着座。折節引く潮にと謡ったシテは立ち上がると、引き潮に死体が浮き沈むさまを沈み込み再び立ち上がる型で示した後、いったん膝を突いてから藤戸の水底の悪龍の水神となつて杖を振り上げてワキに迫りましたが、そのとき小さな間があって、このときシテの耳に管弦講の弔いが入った様子。シテは正中に下居して謝意を示し、ついで杖を棹として弘誓の舟を操る型を見せると、常座へ回り左手の甲をワキに向けてかの岸。そして正中との間を行き来してから常座で杖を真っすぐ前に放して合掌した後、手を下ろして成仏の身となりにけるを聞きながら留拍子を踏みました。

上述のようにこれまでこの曲を二度観ていますが、その都度感じていたのは、怨みを持って現れたシテがワキに打ちかかるその刹那に感謝の言葉を述べて引き下がってしまうことの唐突さでした。そのことを事前講座でも質問してみたところ、高橋憲正師は唐突感を認めつつ「成仏するというより成仏させてしまう」ところがあるという話をされていました。一方、講座出席者からは「一介の漁師が管弦講をしてもらったのだから成仏できるのは自然」という解釈も示されて、それもそうかもしれない……と思いつつこの日を迎えたのですが、実際に舞台上でその場面に至ってみると、かつて感じた唐突感がどこにもありませんでした。これは一体どうしたことなのか?

また、宝生流の「藤戸」は動きが少ない……という説明に関しては、確かに過去に観た「藤戸」と比べると激情を示す型が少しずつ控え目になってはいましたが、そのことがかえって、身分の差を踏まえながらなおも訴えずにはいられない老母と漁師の霊の無念を実感させていたように思います。

事前講座での説明によれば、この「藤戸」は宝生流では気軽にさせてもらえる曲ではないとのことで、現在43歳の高橋憲正師のシテ、45歳の和久荘太郎師が地頭というのは未熟を覚悟のチャレンジだったそうですが、とりわけ高橋憲正師の深い声色と間然する所なき型の数々にはいたく感じ入りました。「宝生流では地謡が八割」という和久荘太郎師の前宣伝は、少なくともこの日の「藤戸」に関しては(地謡の出来に関わりなく)外れていたように思うのですが、どうでしょうか。

配役

宝生流 藤戸 前シテ/漁師の母 高橋憲正
後シテ/漁師の霊
ワキ/佐々木盛綱 野口能弘
ワキツレ/従者 野口琢弘
ワキツレ/従者 則久英志
アイ/盛綱の家人 山本則重
小野寺竜一
小鼓 田邊恭資
大鼓 國川純
主後見 宝生和英
地頭 和久荘太郎

あらすじ

藤戸

→〔こちら

終演後、またまたアフターパーティーに参加しました。

しばらく待ったところで、シテを勤めた高橋憲正師が登場。動きが少ないなと思った人もいると思うが、宝生流は内面が大事なので……という説明をした上で、次回の渋谷能「井筒」のシテを勤める鵜澤光師を紹介しました。その後、高橋師に地頭の和久師も加わって懇親の場となったところで、上述の成仏にまつわる疑問をお聞きしようと思ったのですが、お二人とも綺麗どころのお客につかまっている様子(笑)だったため、声を掛けることができませんでした。少し残念な気もしたのですが、考えてみると、この不思議は演じた側にネタばらしをしてもらうより、自分で何度も「藤戸」を観て自分で解を見つけるべきことなのだろうと思います。