国宝 聖林寺十一面観音-三輪山信仰のみほとけ

2021/08/29

東京国立博物館(上野)本館で「国宝 聖林寺十一面観音-三輪山信仰のみほとけ」。天平彫刻の最高傑作と言われる聖林寺の《十一面観音菩薩立像》〈国宝〉には2012年に対面したことがありますが、今回、初めて東京にお出ましになるということなので、上野へと足を運ぶことにしました。

◎以下、動画は「紡ぐプロジェクト」から引用。

本館特別5室の中央奥に聳え立つかの如き十一面観音は像高2m余りの木心乾漆造り、さらに台座を加えて見上げる高さを誇り、頭上には頂上仏面を含め十一面があったはずですが、正面の菩薩面一、向かって左の牙上出面一、背後の暴悪大笑面の計三面が失われているのが残念。とはいえ、その優美な姿勢や豊かな肉付きと慈悲深さを感じさせる表情は素晴らしく、初めての対面ではないのに、その前に立てば時間のたつのも忘れそうになりました。また《光背》〈国宝〉は傷んでいるため別に展示されていましたが、残欠とはいえ台座から上へ捻れながら伸び上がる唐草の中空に八葉蓮華を置いて一種エネルギッシュな印象。この光背を含めると、総高は4メートル近くに達したそうです。そのような雄大なお姿に接したかつての人々が覚えたであろう畏敬の念は、いかばかりだったことか。

この十一面観音は8世紀に三輪山の神宮寺であった大神寺おおみわでら(13世紀に大御輪寺だいごりんじに改称)に祭られ、以来本堂内陣の秘仏とされていましたが、明治の神仏分離に伴い大御輪寺住職・廓道和上がかつて学んだ聖林寺の住職・慈明大心和上(廓道にとっては兄弟子)に本像を預け、その後大御輪寺が廃寺となって今日に至るという経緯を辿りました。激動の時代に僧侶同士が協力しあって十一面観音を守ったこのエピソードも心打たれるものがあります。なお、路傍に打ち棄てられていた像を聖林寺が引き取ったと語られることもありますが、これは誤伝だそうです。

展示は他に、いったん聖林寺に預けられてから数年後に法隆寺に移された《地蔵菩薩立像》〈国宝〉(9世紀・現在玄賓庵に蔵されている《不動明王坐像》と共に十一面観音の左右に配されていたもの)や、やはり神仏分離に際し大御輪寺を出て正暦寺へ運ばれた《日光菩薩立像》《月光菩薩立像》(10-11世紀)。これらが一堂に会するのはほぼ150年ぶりということになります。また、大神神社に伝わる《大国主大神立像》(12世紀)・日輪と月輪が対になった鎌倉時代の《朱漆金銅装楯》〈重文〉・経典・鏡、三輪山禁足地から出土した勾玉や土師器なども展示されていました。

この十一面観音が造られたと考えられる天平神護〜神護景雲年間は恵美押勝の乱(764年)の直後にあたり、疫病が流行し凶作にも見舞われていたそう。そしてこの像を本尊とする法会(十一面悔過)は、三輪山の神(大物主は疫病を流行させる恐ろしい神だった)を仏法に帰依させることで疫病・凶作を止めることを目的としたそうです。

この展覧会はもともと昨年、オリンピック・パラリンピック開催期間に合わせて開催される予定でしたが、新型コロナウイウルスの蔓延によって1年延期されたもの。しかし、COVID-19が収束の気配を見せず依然として社会が動揺している現在、この展覧会は十一面観音の「離諸疾病」の御利益にすがるためにますます意義のあるものとなったように思います。