樽聟 / 代主

2021/12/01

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「樽聟」と能「代主」。共に上演機会が少ない曲とされており、前者は国立能楽堂の主催公演としては二回目、後者は国立能楽堂では初めての上演です。

昨夜は爆弾低気圧が日本海を通過し、これに伴う前線の通過によって東京でも大荒れの天気となったのですが、開場時刻頃には空はきれいに晴れ上がりました。しかし中庭の苔の上には紅葉葉が散りばめられており、昨夜の嵐が一気に冬を持ち込んだようです。

樽聟

和泉流のみで上演される曲。もちろん初見なので、ちょっと詳しく流れを追ってみます。

まず登場したのは舅(石田幸雄師)・太郎冠者(中村修一師)・何某(野村萬斎師)の三人。舅は侍烏帽子に長素袍ですから果報者の出立で、何某の方も肩衣長袴とこれまた立派な身なり。このことが後に太郎冠者や舅の勘違いを生むことになります。

舞台上に進んだ三人は、舅が常座に立ち、何某が笛座前、太郎冠者が大小前にそれぞれ着座したところで舅の名乗り。その後に舅が脇座、太郎冠者が常座に立って聟入り準備の確認を行った後、舅は地謡前、太郎冠者は再び大小前に着座します。ついで登場した聟(高野和憲師)は酒樽と酒肴(ぺったんこの鯛と笹の作リ物)を両端に下げた棒を肩に担ぎ、舞台に進んで「舅に可愛がらるる花聟でござる」と自己紹介。しかし、その出立は太郎冠者と同様の肩衣・狂言袴である上に額も少々後退気味なので高野師には恐縮ながらここで見所には苦笑が広がります。

聟入りに行くのに自分で酒などを担いでいくのはいかにも体裁が悪いものの、下人を持たない聟は日頃懇意にしている何某に供の者を借りることにし、独り言しながらの道行の後に何某の家の前に立って案内を乞い、何某に相談を持ちかけます。このとき舞台上には舅と太郎冠者がそのまま着座しているのですが、その錯綜した配置にもかかわらずここでは二人はいないことになっているというのが狂言の面白いところです。

さて、相談を受けはしたもののあいにくこの日は家来衆が皆出払っていて一人もおらず、仕方なく聟が自分で持っていこうとしたところ気の毒がった何某は自分が持とうと提案しました。この後に聟が恐縮しきってていたところを見ると、どうやら聟と何某とでは後者の方が格上(したがって裕福)であり、その何某が聟の下人役を勤めるというのは相当に異例のことである模様。舞台上の対角線を使っての道行かたがた何某を家来と呼ぶ稽古をしても何某の顔を見ると聟は声が出ずにいましたが、何某に勧められて「やいやい太郎冠者〜」とわざとらしいイントネーションを使った後に「お許されませ」と謝る始末。道行が橋掛リに移ってようよう舅の家に到着し、ふっと気を許して「何かと申すうちにこれでござります」とへり下った口調に戻ってしまい何某から「しーっ!」と注意を受けた聟は、笑って「何かと申すうちにこれじゃ」と主の口調を作り、何某に案内を求めさせました。

太郎冠者に聟入りの旨を告げて首尾よく酒と肴を渡した何某でしたが、二ノ松で待っていた聟が舞台に入って舅と初対面の挨拶を交わし始めたところ、太郎冠者が割って入って「聟殿は表にござります」と異議申立て。それならば早く聟(実は何某)を連れてこいと命じられた太郎冠者は本当の聟の抗議をものともせず何某を呼びに行ってしまい、聟は憤激、何某は困惑。とうとう聟は太郎冠者に橋掛リへと追い出されてしまいます。自分は聟ではないという何某の言葉は舅に信じてもらえず、屋敷に押し入った太郎冠者は再び追い出されて、とうとう盃事が始まってしまいましたが、酒の匂いに我慢がならなくなった聟は二杯目というところで抜き足差し足、何某の後ろに隠れて盃を手にした何某をつつくと、何某も心得て袖を掲げて盃を隠し聟に飲ませることに成功します。どうやら聟入りにおいて舅が勧める酒を飲むということは儀式の成否に関わるらしく、これさえ飲めば大事ないと胸を撫で下ろした聟ではありましたが、何某を雇ったことを後悔し始めていると再び何某が酒を勧められ、またしても聟は抜き足差し足。

次に舅が太郎冠者に命じて持ち出したのは、聟入りの引出物の太刀。何某は再び、聟は自分ではないと説明したものの、舅が言うには「あのような人柄(風采)の者が自分の聟になるはずがない、たとえ人違いであっても構わないから何某が引出物を受け取りなさい」。聟にとってはさんざんな言いようですが、娘の相手があんな冴えない男であって欲しくないという父親の正直な願望でもありそうです。根負けした何某はとうとう太刀を受け取り、このやりとりを橋掛リから見ていた聟は何かを思い付いた様子で後見座に背を向けて座るうちに盃事は無事に終了。挨拶を交わして何某は舅の家を出るのですが、舞台上では舅と太郎冠者が切戸口から退出してそこが舅の家の外になったという表現になります。

ここで何某が思わぬ幸運を得たものだと喜んでいたところに聟がやってきて、何某に頼まなければよかったなどと文句を言い始めました。ここまでずっと聟をかばう様子だった何某も、太刀をもらって舞い上がってしまったのか、聟に対して気の毒とは思うもののそなたも人柄を良くせよと揶揄するように言い放ちましたが、聟もさるもの、貰った引出物を見せてくれと言葉巧みに近づいて何某から「これは身共がもらうはずじゃ」と太刀を奪い取ると「これが欲しいか?ならんぞならんぞ」と橋掛リへ逃げ、何某も「やるまいぞ」と追いかけました。

とてもよくできた狂言で、理屈抜きに見ても楽しく、その上に身分・貧富・見た目の違いが人のふるまいを左右することを顕にしてみせて深みのある曲でもありました。どうしてこの曲の上演機会が少ないのか不思議です。

代主

作者不明の脇能で観世流だけに伝わります。プログラムの解説によれば金春禅竹作の脇能「賀茂」の類曲で、「賀茂」を「矢立鴨」、「代主」を「葛城鴨」と呼び分けたとのこと。「賀茂」は室津の賀茂神社の神職が京都の賀茂神社を尋ねて御祖神と別雷神の奇跡に出会うという話で季節は晩夏でしたが、この「代主」は京都・賀茂明神の神職が祭神一体のゆかりを尋ねて四月の大和葛城山を訪れ、そこに現れた老人から葛城の賀茂明神の由緒の古さ、役行者と葛城山の縁などを聞いた後、真の姿を現した事代主の神が天下の安永を寿ぐ神舞を舞う姿を目撃するというあらすじです。

この事代主神は古事記によれば大国主神の子で、建御雷神が国譲りを迫ったときに大国主神に代わって服従の意を示した神(その代償として大国主神のために作られたのが出雲大社)であり、葛城賀茂氏の祖神として鴨都波神社(奈良県御所市)に祀られています。葛城山にまつわる神としては雄略天皇を恐れさせた一事主神もおり、能「葛城」に登場して役行者により蔦葛に縛られた過去を語る葛城明神もこの一事主神のことですが、呼称が似ることから事代主と同一視されることもあるそう。「代主」の前シテが中入に際して天の戸に入らせ給ひけりとなり、一方「葛城」のキリも岩戸の内にぞ入り給ふで終わる(葛城山は天照大神が天の岩戸に籠もった古跡だという伝承がある)のも両者のつながりを思わせます。

脇能だけにいつもと雰囲気が異なり、見所に観客が入って静かになったところでお調べが聞こえてきて、小鼓の装飾的なポンポンポンという連打や太鼓の高い打音が神の能であることを強調しているよう。やがて舞台上に地謡と囃子方が揃って、ヒシギから大小の力のこもった掛け声と打音が響き渡る真ノ次第。さっと上がった幕の内から現れた大臣出立のワキ/賀茂神職(原大師)は二歩進んで右手の扇を見所に向けて高々と掲げ、ついでワキツレ/従者二人を引き連れて舞台に進んで次第関の戸ささで秋津州や、道ある御代ぞめでたきを力強く二度謡います(三遍返シ)。その後の名ノリから道行もきびきびと謡われて、一行が和州葛城の賀茂の宮居に到着して心静かに参詣致さばやと脇座に移ると、一転してゆっくりと厳かに奏される真ノ一声。ツレ/男(浦部幸裕師)を先に立てて登場した前シテ/尉(井上裕久師)は茶系の水衣を肩上げにし白大口を穿き、手には杉箒、面は小尉(神が人の姿で現れるときに用いられる品の良い尉面)。橋掛リでツレと向き合って謡い出された葛城の、賀茂の神垣時を得て……から、神代の昔から時を超えて響いてくるかのようなその深々とした美声に強く引き込まれました。

常座に進んだシテは自らを賀茂の社中を清める者であると名乗り、やがて大小前に位置を変えて角に立ったツレと共に神慮のおかげで世の中が治まる有難さを謡ったところに、ワキがあたりの名所を教えてほしいと声を掛けて問答が始まります。葛城の賀茂の宮居は都の賀茂と一体であるし龍田川や初瀬の紅葉は歌に歌われるほどだから都人の方がよく知っているのではないかと答えたシテにワキが都の賀茂神社を「本社」だと口を滑らせたところ、シテは葛城の賀茂の神の方が古く本社と言うべきなのだとワキをたしなめ、その後シテとワキとの掛合いで葛城の賀茂の神を讃える謡が続きます。そしてツレは地謡の前に控え、シテは正中に下居して水衣の肩を下ろし杉箒を後見に委ねてからクリ・サシ。さらにクセは分厚くくっきりとした地謡が葛城の金剛山(高間の山)を金剛界と結びつけて神も影向ありと讃え、「葛城」の本歌楚樹結ふ葛城山に降る雪は……(古今集)等も引用して賀茂の神が王城の鎮守としてこの御代を守り給うのであると聴かせ、シテはこれを居グセにて受け止めます。この重厚なクセの後に地謡はワキを代弁して翁の正体を問い、これに対してシテは我こそは、事代主の翁とて、御世を守り申すなりと明かすと、常座で回って高間山の、嶺の雲に翔りて、天の戸に入らせ給ひけり

シテとツレが橋掛リを下がった後に、ワキはワキツレの一人に命じて里人を探させます。ワキツレに伴われて舞台に進んだアイ/里人(深田博治師)が問われて答えた当社の由緒の大意は次のとおりで、字幕表示器も見ながら書きとった断片的なメモとWikipediaを組み合わせて再現してみましたが、これはあらかじめ記紀の日本神話に通じていないと聞き取ることが難しそう。

  • 葛城賀茂の明神は三輪の明神(大物主神)の御子・事代主神である。天照大神が皇孫スメミマ命(ニニギのこと)を高天原から天降らせようとしたときに、悪しき他の神と異なり事代主はこれを受け入れたので、命はこの国に降り天下泰平国土安穏に天津日継を知ろしめす(皇統を継ぐ)ことができた。
  • 三島溝咋(杭)の娘・活玉依姫のもとに事代主神が八尋の鰐となって通い、三人の子をもうけた。その第一の子が鴨大神(三輪氏の祖)であり、二人の姫は神武天皇の后と綏靖天皇の后となった。后がいずれも皇子をもうけたことにより事代主神の子孫は繁栄し、賀茂氏・三輪氏もめでたき仕儀となったのである。

ワキから事の顛末を聞いたアイがもうしばらく葛城賀茂の社に滞在するよう勧めるうちにも笛が奏され始め、ワキとワキツレが舞台上に展開して心も共に澄む月の、光さやけき夜神楽の、御声も同じ松の風、更け行く空ぞ静かなると時の移ろいを美しく謡って再び脇座に控えると、アップテンポな太鼓が入って出端。そして登場した後シテ/事代主神は唐冠に黒垂を垂らし、面は邯鄲男(友水作)、黒地に金の箔の狩衣に白大口。一ノ松まで進んであら有難の折からやな、我刧初よりこの山に住んで、王城を守り御世を崇め、天下泰平の宝の山、葛城の神と現れて、ただ今ここに来たりたり、あら面白の夜遊やなと朗々と謡うシテの声音は一段と高く力強く、その姿はまさに神がかって見えます。囃子方共々高揚した地謡とシテとの掛合いから、地謡が雪を廻らす舞の袖、古き大和舞、拍子を揃えて面白やと謡ううちに両袖をたくし上げて常座に進んだシテは舞台を激しく巡って威勢を示し、ここから神舞となりました。

神舞は時間にすると約5分間にすぎないのですが、この間、囃子方は揃って凄まじい音圧での全力疾走(とりわけ太鼓がぐいぐいと牽引)、シテも舞台上を所狭しと舞い巡って息を継ぐ暇もなく、その荒ぶる姿は平和主義者(?)の事代主神というより『古事記』において雄略天皇を屈服させた一言主神のイメージだと思えました。今までに観てきた数々の舞台の中でも一、二を争うほど濃密で気迫に満ちた5分間だったと言っても良さそう。

この神舞がやっと終息して観ていたこちらがほっと息をついている間にも、地謡が「天下太平楽とは」「万秋楽とは」と矢継ぎ早に問い掛けてシテが答えるやりとりが重ねられましたが、あれだけ激しく動いた後なのにシテは息が上がった様子も見せず、足拍子を響かせ舞台を廻ります。春には春鶯囀を舞ふべし、秋には秋風楽を舞ふとかや、大小前でさらに足拍子を轟かせたシテは万歳の四方の国、道ある御世ぞめでたきとリタルダンドしながら謡い納める地謡を背に聞きながら両袖を激しく巻き上げて常座に移り、両袖を素早く返し中腰で両の腕を突き出した姿で留拍子を踏みました。

脇能は「翁」に続いて舞われる神様の能ですが、この「代主」のエネルギーには圧倒されました。地謡、囃子方が一体となって舞台上に葛城賀茂明神の社を現出させ、シテが自らを依代として事代主神を降臨させた感のある情熱的な演能。上演終了後に調べてみたところ、井上裕久師がシテを勤める舞台を観たのはこれが初めてで、その深く力強い美声には一目惚れならぬ一耳惚れです。またシテが1955年生まれであるほか、ワキ、アイ、囃子方の四人、地頭(浅見重好師)のいずれも1960年代〜70年代生まれと気力体力盛りな組合せだったことも、この舞台の熱量の源泉だったかもしれません。井上裕久師は京観世に属しているので東京ではその舞台を拝見する機会が多くなさそうですが、機会を得て再びその舞台に接してみたいと強く思いました。

なお、これもプログラムの解説によれば「代主」は「当主の代が替わる」のを避ける縁起担ぎから観世宗家と京都・片山家では禁曲とされているそう。そうしたことも上演機会が少ない理由なのだとすれば、これからもそうそう演じられることはなさそうですから、このタイミングで「代主」を観ることができたのは幸運でした。

配役

狂言 樽聟 シテ/聟 高野和憲
アド/舅 石田幸雄
小アド/太郎冠者 中村修一
小アド/何某 野村萬斎
代主 前シテ/尉 井上裕久
後シテ/事代主神
ツレ/男 浦部幸裕
ワキ/賀茂神職 原大
ワキツレ/従僧 原陸
ワキツレ/従僧 久馬治彦
アイ/里人 深田博治
森田保美
小鼓 曽和鼓堂
大鼓 石井保彦
太鼓 前川光範
主後見 上田公威
地頭 浅見重好

あらすじ

樽聟

聟入りの日、舅の家に酒樽と酒肴を持参しようにも下人を持たない聟が日頃懇意な何某に相談すると、あいにく使用人が出払っている何某は親切にも自身が身をやつして聟の供をすることにする。しかし舅の家の太郎冠者は風采の良い何某の方を聟だと信じきってしまい、舅までも何某や聟の言葉に耳を貸さず何某を相手に盃事を進め、引出物の太刀を渡す。これに喜んだ何某は風采を良くせよと聟をたしなめる始末。しかし聟は隙を見て何某から太刀を取り上げ、逃げていく。

代主

都の賀茂明神の神職が大和葛城の賀茂明神に参詣すると、庭を浄める老人が社のいわれを語って聞かせる。都と葛城、いずれの神も一体分身で、自分は祭神事代主神であると告げて老人は消えた。通夜をする神職一行の前に再び現れた事代主神は舞を舞い、御代を言祝ぐ。

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