塾長の鑑賞記録
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塾長の鑑賞記録

山姥

2021/12/03

セルリアンタワー能楽堂で渋谷能第二夜「山姥」(宝生流)。この曲は初見です。

今年の渋谷能のテーマは「雪月花」で、第一夜「氷室」の「雪」に対し今日の「山姥」はフライヤーのデザインの通り「月」にちなむもの……ではありますが、この日のシテを勤める和久荘太郎師自身による11月24日の事前講座では「雪月花」の全てを包括する曲でもあるということでした。

まずはおなじみ金子直樹氏と石田ひかりさんが舞台上に登場しての解説から。上述の事前講座の説明と共に、以下にポイントをかいつまんで列挙しておきます。

  • 和久荘太郎師の事前講座
    • 自分は47歳だが、この「山姥」は普通この年齢で舞える曲ではない。渋谷能という若い能楽師を育ててくれる場を生かし、期待に応えて、次のステップにつなげたい。
    • 山姥は人間から恐れられる存在だが、実際に恐れられる所業を重ねているわけではなく、人間の心が勝手に恐れているだけ。容貌は確かに恐ろしいとされている[1]ものの、それは仮の姿。木樵や機織りを手伝う民話的な柔らかい場面もあって、荒々しく演じるのは自分としては「違う」と思うので、精霊的に演じてみたい。
    • この日のツレ・髙橋憲正師とは、先に髙橋師がシテを勤めた「清経」で自分が志願してツレを勤めた。今回はその逆の立場になるが、同世代の二人でシテとツレが拮抗した舞台を作っていきたい。
  • 金子直樹氏と石田ひかりさんの解説
    • 最初に登場する都のトップアイドル百万ひゃくま山姥の名は、曲舞の名手「百万」とイメージが重なる。また世阿弥は「百万」と「山姥」のクセを自画自賛していた。
    • 能の鬼には、嫉妬に狂う女(般若)、自然界の超越的な力、まつろわぬ者(土蜘蛛や酒呑童子)と三種類あるが、山姥はこのいずれにも属さず宗教的で特殊な存在。
    • クセで繰り返される「山巡り」は本曲のキーワードであり、輪廻転生を示すもの。山姥は輪廻から逃れられない人間そのものなのかもしれない。
    • また、クセの中で邪正一如や色即是空と、人間にとって相反する概念が自然界では表裏一体であると説かれており、詞章の最後にも「雪月花」のすべてが出てきて、大自然そのものを表すスケールの大きさも感じられる。

山姥

お調べを終えて囃子方と地謡が舞台上に登場。地謡が六人というのは第一夜の「氷室」と同じですが、その口元には透明のマウスシールドが装着されていました。あれで声が通るのだろうか?と思ううちに〔次第〕が始まって、登場したのはツレ/百万山姥(髙橋憲正師)、ワキ/従者(有松遼一師)、ワキツレ/供人(原陸師)の三人。ツレは紅白段に紅葉を散らした美しい唐織を着流にし、面はおそらく小面で、ワキとワキツレは素袍裃出立です。善き光ぞと影頼む、仏の御寺尋ねんと善光寺の名を織り込んだ〈次第〉がワキとワキツレによって謡われ、続いてワキによる〈名ノリ〉により、ツレが山姥の山巡りを曲舞にして謡うことで都で評判をとった遊君の百万山姥であること、その親の十三回忌に当たることから一行は信濃の善光寺を目指していることが明かされます。

都を出て琵琶湖を渡り北陸路を進み、遂に越中と越後の国境にある境川に到着したところでワキはどの道を進むべきか所の人に尋ねることとし、ツレとワキツレを脇座に座らせてから狂言座に控えていたアイ/里人(髙澤祐介師)に近づき問答を始めます[2]。問われて答えるアイの説明によれば、善光寺へは上道・下道・上路越あげろごえの三つがあり、上路越は阿弥陀如来の通られた道だが、剣路であって女性の乗り物は通れないとのこと。いったんアイを待たせてこの旨をワキがツレに説明すると、ツレはどうせ修行の道なのだからと上路越を選択し[3]、しからばとワキは用事があると渋るアイを説き伏せて同行させることにしました。ツレの髙橋憲正師は二年前の渋谷能で「藤戸」を拝見していますが、そのときの低く深い声音とはまた違った遊君らしい澄んだ高めの声が綺麗です。

ところが殊に剣難な道を進む内にまだ時刻が早いにもかかわらず日が暮れたかのように暗くなってきて一同が困惑[4]しているところへ、いつの間にか上がっていた幕の内からのうのう旅人お宿参らせうのう。この遥か遠くから呼び掛ける第一声で早くも不穏な空気を漂わせつつ橋掛リに出てきた前シテ/女の出立は紅無唐織着流で面は曲見。唐織は濃い茶色を基調に金をはじめさまざまな色の文様を総模様としていますが、その色合いと文様の細密さが相まって暗い印象を与えます。ここでアイはいったん狂言座に退き、シテは幕を出て自分の庵に泊まるようにと勧めると、ワキがこれを喜ぶ台詞を語って地ノ前に着座しましたが、その後に完全な静寂の中をシテがじわじわと進む居心地の悪い時間が流れて、ここでも妖しい気配が舞台上を覆います。

大鼓の前に位置を占めたシテは、宿を貸すのは山姥の歌の一節を聞きたいからである、そのために日を暮らしたのであると不穏なことを言い出し、ワキがツレを誰と思っているのかと問うと百万山姥にてましまさずやと言い当てて、歌の次第に「よしあしびきの山姥が山巡りする」と作られている(ここで挟まれるあら面白や候がまた怖い)が、本当の山姥はどのようなものと考えているのか?と返しました。この質問にワキは「山に住む鬼女」であると答えましたが、シテは、鬼でも人でも山に住む女なら私のことではないか、長らく歌っていながら山姥(である私)のことを少しも心にかけてくれていないことに恨みを申しに来たのである、この一曲で名を上げたのであるから私の身をも弔い供養をするべきである、声仏事をもなす舞歌音楽の妙音を聞けばなどかわらはも輪回を逃れ、帰性の善所に居たらざらんと恨みとも無念とも恫喝ともつかない語り口ながら、シテがこうして現れた動機を明らかにします。

囃子方が入り霊鬼これまで来りたりと謡われて、ツレがシテの正体に震撼し、その視線に怯えながらも歌おうとすると、シテはツレを止め、月を待って歌ってくれれば自分も真の姿を現わそうと述べ、中入前の詞章を地謡に引き継ぎました。この地謡が少々薄く感じられて、人数が少ないからか、マスクをしているからか、それとも自分が正面最後列にいるからか……などとあれこれ考えていたところ、その時わが姿をも、あらはし衣の袖継ぎてと謡われるところでシテは立って左袖を前に出しツレを見やると、言ふかと見ればそのままの後半から突然地謡と囃子方のテンポが倍速になりシテは脇正方面へ素早く移動し回って常座でさらに回ってかき消すように失せにけり。この謡の変化には不意をつかれました。

シテが静かに橋掛リを下がった後、立ち上がったアイが狂言座から舞台に進みついと空を見上げ「また夜が明けた」と不思議がったところで、ワキとの問答は山姥には何がなるかということについて。端正な顔立ちの髙澤師がもったいぶって「御物語申そう」と始めたのでどんな話かと思えば、素っ頓狂な言説を開陳しては生真面目なワキに否定されて少々うろたえることの繰り返しの末に、とうとうワキから「山に住む鬼女だろう」と言われてしまうというおかしみのある展開です。アイが言うところの山姥の素は、流儀によっては「団栗」「野老ところ」「木戸」となりますが、この日のアイは「靫うつぼ」「桶」「木戸」でした。この問答の後、百万山姥の名を確認したアイは先ほどの山姥の言葉を思い出してその真の姿を見るために山姥の一節を謡うよう求め、狂言座に退きます。

ワキの勧めに応じてツレはあまりのことの不思議さに、さらにまことと思ほえぬ、鬼女が言葉を違へじと、松風ともに吹く笛のと心乱れつつも覚悟を決めて謡い(「松風ともに吹く笛の」は詞章ではワキとワキツレの謡)この間に立ったワキとワキツレに謡を引き継ぎましたが、彼らの謡には月に声澄む深山かなとあって既に月夜になっています。ここで〔一声〕とともに後シテ/山姥が登場。宝生流では小書なく白頭になり霊力が強調されますが、ヤクの毛で作ったという白頭は純白ではなくややグレーがかった感じで、後ろ髪を平元結で束ね前に二筋力毛を垂らしています。専用面である赤い肌の「山姥」は特徴的な表情と色ではあっても異形というよりは人の顔に近くてリアル。亀甲文の厚板を壺折にして下に黒地に金の窠文が大きい半切を穿き、手には緑の葉を付した白い鹿背杖を持っています。ゆっくり杖を突きながら橋掛リを一ノ松まで進んだシテは、深みのある声音であら物凄の深谷やな。夢幻能の夢の世界とは異なりますが、このシテの謡に引き込まれるようにして舞台上は月の光に照らされ不気味な空気に満たされた異界となった感じがします。

以下「寒林・骨・霊鬼・前生の業」と「深野・華・天人・帰生の善」を対比させながら「善悪不二」、すなわち善も悪も実は同じであり何を怨むことがあろう、何を喜ぶことがあろう、すべての物は目前に示されていると高邁な思想を述べて、そこに世阿弥の禅宗への傾斜[5]を窺わせます。さらに常座に進んで山川の峨々たる様子を描写しつつ杖の上に左手を添えてあたりを見回すシテの姿には風格すら漂いましたが、ツレは恐る恐るあなたが山姥かと呼び掛けて、ここからはシテとツレの掛合いのうちに山姥の風貌が髪には棘の雪目の光は星のごとし面の色はさ丹塗り軒の瓦の鬼の形と描写され、なるほどこれを見れば目の前のシテの出立は詞章に概ね忠実であることがわかります。

ツレは『伊勢物語』第6段で鬼に一口に食われてしまった女に我が身をなぞらえてさらに恐れましたが、シテから早く謡うようにと求められて一声の山鳥羽をたたく(ここでシテは激しく杖を床に打ちつける)以下、これもシテとツレとで詞章を分け合いつつ百万山姥の曲を謡います。その詞章は鼓は滝波袖は白妙などと美麗なものでしたが、「難波の事か法ならぬ」(どのようなことでもおよそ仏の教えでないものはないのだ)と謡われたところでシテはツレを見ると〈次第〉よし足引の山姥が山廻りするぞ苦しき以下、山巡りを輪廻にたとえてここから逃れられない苦しみを謡うシテの心境へと謡の主体を移します。

杖を扇に持ち変えたシテは中央で床几に掛かり、山や海の成り立ちを雄大に謡う〈クリ〉、山姥の山居を山は高く海は近く谷は深く、月は心理を示すがごとく清らかな光を注ぎ松風が吹き渡るとある種冷え冷えと描写する〈サシ〉。ついで長大な二段クセとなり[6]、まず謡われるのは引き続き山中の自然の描写ですが、そこに切れ込む谷の底は深く仏教世界の最下層である金輪際まで及んでいる、とシテは扇の先端を下に向けて足拍子。ついで立ち上がったシテは、雲や水を頼りにどのような山奥でも至らぬ所はないと超常的な存在であることを地謡によって謡われた後にしかれば人間にあらずとてと最初の上ゲ羽を謡ってから、舞台上を大きく巡ってクセ舞。ことにワキの前で足拍子を踏んでから脇正を経て正先へ出てきたシテの威圧感はすごいものでしたが、一方、詞章は「善悪不二」と相通じる「邪生一如」の語と共に仏法あれば世法あり、煩悩あれば菩提あり、仏あれば衆生あり、衆生あれば山姥もあり、たとえ柳は緑、花は紅[7]と違いがあっても結局は色即是空、空という点で違いはないのだと自分の本質を人間から遠ざけることをしません。ついで、重荷を担ぐ山賤に肩を貸して(と扇を右肩に当て月を見上げる形)月と共に里まで送ることもあれば、機織の女性の部屋に入って糸紡ぎを助けることもあるが、人の目には見えないので鬼と言われるのだと孤独な境遇を明かして世を空蟬の唐衣と二度目の上ゲ端と共に足拍子。都に帰って山姥の本当の姿を人々に語り広めてほしいと一度は願うものの、このように思ふはなほも妄執かと揺れ動き、このように拘って山巡り(輪廻)することは苦しいことだと胸の内を明かして〈クセ〉を舞い納めます。

太鼓が入り、シテあしびきの地謡山巡りから再び鹿背杖をとっての〔立回リ〕。ここでも一昨日の「代主」とは異なり囃子方が蕭条たる雰囲気を漂わせたまま、舞台上を大きく回り、杖を突き、横に持ち、左手で撥ね上げ下居して肩に渡し、右手を前に出して杖の頭を前に向け……と次々に型が連続し、ここでは山姥の人ならぬ性格が強調されているように感じました。この〔立回リ〕を終えて正中に杖の頭を右肩に当てた形で下居したシテは百万山姥一行との別れを惜しみ、杖を後見に委ねて扇を手に取ると、舞台上をさまざまに巡りながら地謡と共に季節ごとの山巡りの様子をしみじみと描写します。

  • (地)は梢にくかと待ちし(シテ)を尋ねて山巡り
  • (地)やけき影を尋ねて(シテ)見るかたにと山巡り
  • (地)え行く時雨の雲の(シテ)を誘ひて山巡り

本曲が月にまつわるだけでなく雪月花のすべてを含むというのは、この点に関わるのでしょう。ここには山姥の雪月花を愛でる人間らしい感性が垣間見られると共に、移ろいゆく季節を通じて山を巡り続ける定めから逃れられない境遇への諦観のようなものも感じられます。

そしてこのまま静かに終曲するかと思いきや、最後に鬼女が有様、見るや見るやと呼び掛けながら山々を翔け巡って消え去る場面でまたしても囃子方と地謡がヒートアップ!こちらが驚いて見守る内にシテは舞台上を稲妻型に前進し激しく回って一気に揚幕の前まで走り、左袖を被いて下居し姿を隠す様をいったん示した後、立ち上がって留拍子を踏みました。


終演後のアフタートークは、今回も小鼓方の成田達志師とシテ方の友枝雄人師によって行われました。成田師と友枝師はいずれも宝生流の「山姥」を初めて観たそうで、見慣れている「山姥」(友枝師はもちろん喜多流の、成田師はたとえば観世流の)とはずいぶん違う、という印象だったそう。友枝師が、喜多流ではもっと外に出すようにするが和久師のそれは内にとったものでこれも大変だろうと思ったと感想を述べれば、成田師は他流よりひとくさりずつ長く位をしっかりとって謡われていたので異界の者という雰囲気を強く感じたとのこと。装束についても話題になり、ツレの装束がシテのような美しさだった点を成田師が指摘すると、友枝師は喜多流では紅白段の唐織はシテにしか用いないのに対し宝生流では白が入ったらツレに使うという話を聞いたことを披露しました。

この日の出演者に関しては、ワキの有松遼一師は京都の高安流で共演する機会が少ないが凛としたワキであったと賞賛され、アイの髙澤祐介師についても成田師が「(高澤師が「日が暮れた」と言ったら)本当に日が暮れましたよね」。この辺りから合流した和久荘太郎師もこの曲ではワキとアイが場面設定してくれて成り立つのだという話をしましたが、その前に友枝師も、この大曲はツレやワキが大変な曲の代表格で、最後にきれいに立てるかという点も重要[8]、ついては観客の皆さんもシテ以外の出演者の労をねぎらってほしいという話をしていました。実際、ツレとワキの一行は脇座でじっと下居している時間が長いのですが、その間の高橋憲正師と有松遼一師の居姿は背筋に芯が通ったようで美しいものでした。

ところでシテの装束は基本的に家元の家のものながら、後シテの(たぶん)厚板は久良岐能舞台で見掛けて惚れ込んだ所蔵品(横浜市所有)を借りて用いたそうで、友枝師も「あれは自分も借りたいなと思った」と前のめり[9]。さらに友枝師は前シテの茶色の唐織にも「袖を通してみたいなぁ」と思ったそうですが、その前シテの曲見面もかつて宝生流専属の面打ちだった方が打った面がたまたま今年手元に回ってきたもので、そんな具合に「山姥」を演じるためにいろいろなものが和久師のもとに吸い寄せられてきたようだということでした。

今回の「山姥」を演じるに際して、和久師は冒頭に記したように精霊的に柔らかいやり方を目指したそうですが、前日の申合せで地頭の金井雄資師から「品が良過ぎて拝みたくような山姥だが、客席を喜ばせることも考えないと」と指摘され、後見の辰巳満次郎師からも助言を受けて一晩悩んだそう。これについては友枝師も「山姥には女へんがあることを忘れるな」とかつて言われたので品よく演じたら怒られたと難しさを説明しましたが、和久師は「もう二、三番やってみないとわからないな」というのが結論で、今日は今日で一所懸命勤めたが、実験につきあっていただいたこの日の観客に感謝しますと締めくくりました。

正直に言えば、冒頭に記した通りこれが初めての「山姥」だったので、和久師の思いがどこまで実現できていたのか、そしてそれが他の演者による「山姥」とどこまで違うものであったのかは知る由もありません。「山姥」の正体も、少なくとも悪鬼のような存在ではないことは確かだとしても、〈クセ〉の中ですら「大自然そのもの」から「人間に近い弱い存在」まで揺れ動いたその存在を両者の間のどこに位置付けられるのか、引き続き悩ましいところです。ただ事前・事後の和久師の話から、シテがこの難曲を深く掘り下げ悩みも抱えながら取り組んで現時点での到達点を舞台上で示したことはよくわかりましたから、この日の観能は、能楽師が次の高みを目指すための階段を一段上がる場面に立ち会えたことにこそ価値があったのだろうと思います。

脚注

  1. ^渋谷で「ヤマンバ」と言えばかつてセンター街を跋扈した異形のギャルたちのことだが……。
  2. ^後の間語リも含め、アイの語りが中心になる場面は配布されている詞章には載っていないが、そのことを知らず戸惑う観客も少なくなかった模様。
  3. ^石田ひかりさんはこの選択にツレの負けず嫌いな性格や向上心を感じ、共感したそう。
  4. ^この辺りはアイとワキとのやりとりで描写されるが、おそらくは流儀の違い(ワキ:高安流 / アイ:和泉流)により、配布されていた詞章とはかなりの異同があった。
  5. ^世阿弥は東福寺(臨済宗)岐陽方秀に私淑していたと言われる。
  6. ^「山姥」のクセは「花筐」「歌占」と共に三クセと呼ばれて難しいとされるそう。
  7. ^柳緑花紅真面目は蘇東坡(1037-1101)の漢詩に由来し、禅語としてもよく知られる。
  8. ^友枝師曰く「憲正くんはうまくごまかしていた」(客席から笑い)。
  9. ^和久師曰く「私だから借りられたんです」(同上)。

配役

宝生流 山姥 前シテ/女 和久荘太郎
後シテ/山姥
ツレ/百万山姥 髙橋憲正
ワキ/従者 有松遼一
ワキツレ/供人 原陸
アイ/里人 髙澤祐介
栗林祐輔
小鼓 田邊恭資
大鼓 山本哲也
太鼓 金春惣右衛門
主後見 辰巳満次郎
地頭 金井雄資

あらすじ

山姥

都に百万山姥と呼ばれる遊女があり、ある日従者を連れて善光寺参詣の旅に出る。越中・越後の国境の境川で里人に道を尋ねると、険しいが阿弥陀如来が通られたという上路越を勧められた。しばらく進むと一人の女が現われ宿を貸そうと言い、自分の庵へ案内する。女は遊女の事や山姥の曲舞の事をよく知っているので不思議に思って尋ねると、自分こそ山姥であると明かし、夜更けて月の出る頃に山姥の歌を歌ってくれたらもう一度現れて舞おうと言い姿を消す。

里人は問われるままに山姥の素性について語り、やがて夜も更けたので遊女が笛を吹いて待っていると山姥が怪異な姿で現われる。遊女が恐れながら歌うと山姥もそれに合わせて舞い、深山の光景、自らの境涯を物語り、春秋冬に花月雪を尋ねて山巡りをする様を見せた後、また何処ともなく去って行く。

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