塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

上野水香オン・ステージ

2023/02/11

東京文化会館(上野)で「上野水香オン・ステージ」。この公演は令和3年度(第72回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞記念公演の第2弾(第1弾は昨年の「ドン・キホーテ」)として位置付けられていますが、同時に東京バレエ団の45歳定年に基づきプリンシパルの地位を退くことになる上野水香さんの同バレエ団における19年間のキャリアを区切る公演でもあります。

演目の中心にあるのは「白鳥の湖第2幕より」と「ボレロ」ですが、Aプロではヌレエフ版「シンデレラ」、Bプロではローラン・プティの作品が踊られると知り、ためらうことなくチケットをとったのはこの日のBプロの方でした。それと言うのも私が初めて上野水香さんを観たのは彼女が東京バレエ団の前に所属していた牧阿佐美バレヱ団でのプティ作品、具体的には「ノートルダム・ド・パリ」と「デューク・エリントン・バレエ」であり、これが(少なくとも私にとっての)上野水香さんの原点だからです。

白鳥の湖第2幕より

前の方を省いてコール・ドを出し置きにし、パ・ダクシオン、4羽の白鳥、3羽の白鳥、オデットのソロ、コーダからメインテーマで上手へ引き込まれるところまで。上野水香さんの伸びやかさと繊細さを共存させたダンスもすてきでしたが、リフトした彼女を下ろすときにふわりと重力を感じさせない柄本弾の王子によるサポートがこれまた見事。本来この日の王子を務めるはずだったマルセロ・ゴメスが前々日の舞台稽古中に肋骨を傷めてしまい降板したための代役でしたが、十分にその任を全うしていました。4羽の白鳥は一体感がすばらしく、3羽の白鳥はその点では多少奔放だったものの、その代わりおおらかなリズムに乗った腕の動きが心踊るものでした。それにしても考えてみると「白鳥」を観たのは2018年以来。久しぶりにその音楽に接してまた全幕を観たくなってきました。

小さな死

イリ・キリアンの作品で、音楽はモーツァルトの二つのピアノ協奏曲(23番と21番)の緩徐楽章を用いたもの。ずいぶん昔に観たオレリー・デュポンシルヴィ・ギエムによる「小さな死」はいずれも一組の男女で踊られる演出でしたが、この日の演出では6組の男女で踊られます。漆黒の背景の前で金色に照らされた舞台上にまず6人の男性が立ち、無音の内にフェンシングで用いられる丸い鍔を持った剣で風を切ったりこれを床を転がしてはシンクロしながら拾い上げたりする導入部があり、背後から大きな幕がはためきながら前方に持ち込まれて引き波のように下がっていくと暗闇の中にひっそりと沈み込んでいた女性たちが舞台に移動しているといったマジックが行われて、その後は様々な組み合わせでのペアダンスや、黒い釣鐘型のスカートを模した作り物を持ち込んでの幾何学的な女性のダンスが展開し、最後の静止の場面に袖からこの釣鐘が滑り込んで暗転して終わります。「小さな死」とはエクスタシーのことで、それを暗示する男女の絡みも含まれてはいるものの、全体としてはイリ・キリアンの作品らしくダンサーの肉体が重力を巧みにコントロールしながらとめどなく姿勢と位置を変えていく魅力的な振付でしたが、最後の釣鐘だけは意味がわかりませんでした。

シャブリエ・ダンス

ローラン・プティの作品で、エマニュエル・シャブリエが作曲した「ハバネラ」(ハバナ風の、という意味)と共にレオタードとタイツの男女が最初は人形振り風に、やがてゆったりと寄せては返す波のようなリズム(♩. ♪♩♩)に乗って軽快に踊るもの。最初の方で出てきたア・ラ・スゴンドで高く足を上げるポーズはこれぞ上野水香さんというもので、もともと最初に舞台上の彼女を観たいと思ったのも足を垂直に上げる動作に絶妙の装飾的アクセントをつけ加える信じがたいダンサーだという評価を目にしたためでした。やがてそこにはもう一組の男女が加わり、おや浮気?と思う場面を挟みながら最後はもとの男女が抱擁してそっと終わる、可愛らしい小品でした。

パキータ

振付マリウス・プティパ、音楽レオン・ミンクスで、まさにクラシックという感じ。ここでは終幕の結婚式の場面が取り上げられ、シャンデリアの下でジプシー娘(実は貴族出身)のパキータとその相手役となる将校リュシアンによるグラン・パ・ド・ドゥの他に、三つの女性ヴァリエーションを含む様々なダンスが次々に踊られて豪華絢爛です。ところどころ「カルメン」風の音階が聞こえ、振付にもどことなく遊び心を感じましたが、パキータ役の涌田美紀さんは比較的小柄なのに明るい表情で元気いっぱい。完璧なグラン・フェッテ・アン・トゥールナンには、大きな拍手が湧きました。

チーク・トゥ・チーク

ローラン・プティがジジ・ジャンメールとルイジ・ボニーノのために振り付けた作品で、曲はミュージカル映画「トップ・ハット」(1935年)の挿入曲としてアーヴィング・バーリンが作曲した「チーク・トゥ・チーク(頬寄せて)」。元々フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースによって優しく歌われていたこの曲がコンガとピアノを中心にダンサブルに編曲されて使用されています。タキシード姿のマルセロ・ゴメスが最初に落ち着かない様子で身繕いをし、ついで下手の袖から上野水香さんを引っ張り出してきたものの、今ひとつつんとした感じ。しかし舞台中央に置かれた黒いテーブルの左右の椅子に腰掛けて音楽が始まると、興が乗ってきた二人は息を合わせてテーブルの上でステップを踏んだり手足を振ったり。

検索してみたところジジ・ジャンメールがルイジ・ボニーノと共に踊る「チーク・トゥ・チーク」の映像があったのでここに載せておきますが、このようにショウビズの微かに退廃的なムードも漂わせつつ大人の男女の洒落たデュエットに仕上げるためには、上野水香さんの今の年齢がぴったりのような気がします。曲が唐突に終わったときには拍手のタイミングを見失いがちだった観客も、カーテンコールで上野水香さんがマルセロ・ゴメスの肩にしなだれかかると拍手の音量を大きくし、指導のために来日しているルイジ・ボニーノ本人が彼女の手によって舞台上へ引っ張り出されるとさらに拍手が大きくなりました。

ボレロ

この作品について上野水香さんはプログラムの中で「長い間自信を持てずに踊っていた」「満足のいく踊りに到達することはできずにいた」と書いており、実は私も以前彼女の「ボレロ」を観たときに端正すぎてオーラが感じられないという印象を持ったことがあったのですが、この日の「ボレロ」はそうした迷いを振り切って力強さに満ち溢れていたと感じました。それはテーブル上から周囲のリズムたちを焚き付けるような両腕の激しい動きであったり、リズムカルにステップを踏みながら肩をそびやかして左右に引く型であったりに顕著でしたが、最後に開脚で舞台上に腹ばいになり顎の前に腕を組んで客席を見据えてからブリッジで立ち上がってクライマックスの大音量を迎えるまでの一連の澱みない流れの中での気迫みなぎる表情にも見てとることができました。

上野水香さんは今後もゲスト・プリンシパルという新たに設けられたポジションで東京バレエ団にとどまるそうですし、この「ゲスト」という立場を生かして東京バレエ団の枠を越えた活動が期待できるのかもしれません。これまでの20年間と同様に、今後も引き続き彼女のステージを見守っていきたいものです。

配役

白鳥の湖
第2幕より
オデット 上野水香
ジークフリート王子 柄本弾(マルセロ・ゴメス代演)
4羽の白鳥 足立真里亜 / 中沢恵理子 / 上田実歩 / 中島理子
3羽の白鳥 二瓶加奈子 / 高浦由美子 / 榊優美枝
小さな死 工桃子-山下湧吾 / 安西くるみ-海田一成
加藤くるみ-大塚卓 / 長谷川琴音-宮川新大
平木菜子-岡﨑司 / 中川美雪-生方隆之介
シャブリエ・ダンス 上野水香 / 柄本弾
政本絵美 / ブラウリオ・アルバレス
パキータより プリンシパル 涌田美紀-秋元康臣
第1ヴァリエーション 政本絵美
第2ヴァリエーション 伝田陽美
第3ヴァリエーション 中島映理子
ソリスト 工桃子-安西くるみ
加藤くるみ-長岡佑奈
榊優美枝-平木菜子
チーク・トゥ・チーク 上野水香 / マルセロ・ゴメス
ボレロ 上野水香
樋口祐輝-和田康佑-玉川貴博-岡﨑司