かぐや姫(東京バレエ団)

2023/10/20

東京文化会館(上野)で、東京バレエ団「かぐや姫」(演出振付:金森穣)。2021年の第1幕上演、今春の第2幕上演を経て、いよいよ完成した第3幕を伴う全幕上演です。

今回とった席は2階席の最前列右端。見回したところでは1階席はほぼ満員、左右の張り出した席もいい感じに埋まっています。また、1階席の中央と左右とにかなりの席数をつぶして撮影用のカメラらしき機材が設営されていました。

第1幕

ストーリーについては2021年の記事に記した通りなので繰り返しませんが、演出がかなり変わっていました。初演時の演出では舞台上の視覚面はプログラムの言葉を借りれば和風のこしらえで、日本昔話といった趣で、私もこれを見た後では「抽象化してデザイン的に見せてほしかった」と書いたのですが、今回は第2幕上演時に採用されたSFテイスト近未来的なデザインで全3幕が統一されており、とてもすっきりした舞台になった印象です。

また、観ていて気がついた演出上の変更点を順不同で列記すると次のとおりです。

  • 舞台上には最初から後方に白い空中回廊(第2幕以降で内裏に見立てられる)が置かれている。
  • 翁の杣家は初演次は障子つきのリアルな建物風だったが、今回は白いついたて2枚で形作られた。翁の出立ちも頭巾のみそれ風だが、衣装は抽象度の高いものに変更された。
  • 杣家周辺の竹林は、初演時はリアルなそれが投影されていたが、短い直線が複雑に絡み合ったデザインの白色光を舞台上に投影することで示された。
  • かぐや姫が赤子から少女に成長する場面は、初演時は障子の向こうの影が大きくなって障子が開くとかぐや姫が元気に飛び出してくるという演出だったが、この演出は廃止されてついたて前で黒衣が怪しげな動きを示すとついたてが開いてかぐや姫が登場した。かぐや姫の衣装もショートパンツに素足から白いユニタード(第2幕以降と同じ)へと変わっていた。
  • かぐや姫が村の子供たちと交流する場面で、背後の回廊を下手から上手へと赤い影姫と黒い宮廷人たちが通過し、その途中でかぐや姫たちを見下ろす演出が追加された(このために前景での演技の印象は薄まったが、ジャスミン的なコミカル感は緩和されシリアスな身分格差の存在が示された)。
  • 竹林で翁が小判や反物を得る場面では、映像の宝物が飛び散る代わりに黒衣が回廊上に走り込んで宝物を舞台に投げ入れた。

いくつかの変更点は第2幕以降を予感させるものになっていますが、それ以外でも、たとえば緑の精は振付が変わったかどうかはわからないものの洗練された印象ですし、パ・ド・ドゥでは上手上方の月の下に回廊があることで月の遠さがより示され、その下でかぐや姫の気持ちが月から道児へと向きを変えていく様子が如実に伝わりました。そしてかぐや姫の性格設定自体が、幼さ・元気良さを控えて少し大人寄りに変更された印象です。

第2幕

こちらは今春の上演を踏襲していますが、ピエール・ルイスの散文詩の朗読はなかったように思いますし、影姫とかぐや姫が踊る場面では背後に帝や翁たちを人形のように立たせる演出は廃止され、終わりの方の道児との再会の場面に管弦楽版の〈月の光〉が挿入されてしっとりとしたパ・ド・ドゥが踊られるなど、随所にアップデートが見られます。

第3幕

この幕は正真正銘、この日が初演です。ここでも他の2幕と同じくイントロダクション的に「ビリティスの歌」が引用されてから、かぐや姫の悪夢の場面には「夜想曲」より第3曲〈シレーヌ〉。背景の回廊を隠して上から幾筋もの銀帯が横一面に垂れ、白いボデイスーツに透き通った袖を持つ大勢の光の精たちが帯と帯の隙間から出入りしてかぐや姫の夢に現れる道児や帝を連れ去ります。ここではまさに〈シレーヌ〉の女性合唱が不穏ですが、同時に白い女性たちの群舞はバレエ・ブランの伝統への敬意を思わせました。

光の精たちが背後に消え、銀帯が引き上げられた後に登場した翁がかぐや姫に四大臣の誰かと結婚するようにいい含めるマイムは、1から4まで指折り数えてから指輪を指し示す古典的なスタイル。そして「白鳥の湖」の逆バージョンで4人の大臣がそれぞれかぐや姫にアピールする場面では、弦楽四重奏曲に乗ってこれも古典的な跳躍と回転が用いられます。圧倒されそうになるかぐや姫と四大臣の間に割って入った秋見が重箱の形をした4つの宝箱を持ち込んで結納品の献上を促すところは『竹取物語』に倣っていますが、さすがに「蓬萊の玉の枝」「火鼠の裘」といった銘柄指定はありません。

舞台上に一人残ったかぐや姫が上手から下手へと歩みを進めると、その動きに同期して上手袖から帝が後ろ向きに入り、ここから「子供の領分」の2曲を使って帝とかぐや姫の交感と訣別が描かれますが、その冒頭に赤い侍女たちが影のようにうつむいた姿勢で帝の後からゆっくり歩み入り歩み去る姿がジョン・ノイマイヤー風で印象的。さらに帝とかぐや姫の周囲を回る影姫とその外周を巡る黒衣たちといった具合にこの場ではダンサーたちによって舞台上に幾何学的な模様が描かれ、そして帝がかぐや姫に強く迫るパ・ド・ドゥの背景では上手中空の月も激しく満ち欠けを繰り返しましたが、ついに月は満月にとどまり、かぐや姫は帝の束縛を離れて去っていきました。

交響詩「海」第3楽章〈風と海の対話〉の緊迫したムードそのままに、略奪のために竹林(緑)を訪れ宮廷の男たち(黒)とこれを拒もうとする村の男たち(茶)が絡み合い、そこへ飛び込んだかぐや姫は道児に妻子がいることを知って絶望。その心象が黒衣や緑の精の群舞で示された後、帝を筆頭とする宮廷の男たちと道児を先頭に立てた村の男たちが激しいバレル・ターンの応酬で戦うそのただ中に影姫(赤)も割って入ってカオスとなった舞台の背後に銀帯が下ろされたとき、舞台奥から正面へ走り込んできたかぐや姫の声にならない叫びが強い白色光のスポットライトで示されて(ここはノイマイヤーだったら本当に叫ばせたでしょう)静寂が戻ります。

最終曲はピアノ独奏曲「夢想」。先ほどまで争っていた人々が倒れ伏し、黒衣たちもゆっくりとオーケストラピットへと姿を消すと、顔を手で覆ったかぐや姫の背後の銀帯の間から光の精たちが現れて、人々の穏やかな覚醒と忘却、翁の悔悟と和解とがもたらされます。光の精たちの手によって羽衣を着せられたかぐや姫が背後を向くと銀帯が上がって、そこにあたかも雲上にあるかのようにスモークに足元を包まれた回廊と、その中央に高く空へと伸びるクリスタルな階段が姿を現して、人々が見上げる中、階段を登って行ったかぐや姫が空高くかかっている月に向かって手を差し伸べたところで幕が下りました。

シンプルでいて存在感のある装置(近藤正樹)を軸に、衣装(廣川玉枝)のデザインと色彩、照明の効果、ドビュッシーの音楽が見事にマッチして、とにかく美しい舞台でした。ことに照明のアイデアがすばらしく、冒頭の緑の精の衣装の色合いの微妙な変化や翁の庵の周囲の竹林を白色光の幾何学模様で示した様式美、村の昼の情景ではぼんやりとした黄色い光を用い登場人物の顔を暗めにする一方、月光の下では透明度の高い空気感を作ってみせるなど、随所に冴えが見られました。また、肝心のダンスは秋山瑛さんがかぐや姫の感情の動きをひしひしと伝えてくるもので、第2幕冒頭の沖香菜子さんによる影姫のソロも圧倒的な存在感がありましたが、最も心惹かれたのは第2幕第8場の帝・影姫・かぐや姫による複雑なパ・ド・トロワです。一方、道児とかぐや姫のパ・ド・ドゥは道児がサポートに徹した感があり、せっかくの柄本弾の身体能力がもったいないと思いました(第1幕の「貧しき農村」の場面でこっそり540を見せる程度)。つまり、全体を通してみると演出が振付を凌駕していたという印象です。

ただ、それにしてもと思うのはストーリーの説明不足です。もちろん『竹取物語』は日本人にとって最もポピュラーな題材なのでどれだけ省略を重ねても筋を負う分には困りませんし、純粋にファンタジーとしてとらえるのなら一貫性のあるロジックを求める必要はありません。しかしそこに、翁に代表される金銭欲の醜さや村人たちと宮廷人たちによる自然破壊の愚かしさという現代的なテーマを盛り込むのなら話は別で、そもそもこれらはかぐや姫が現れたことで露わにされたもの、つまりは「かぐや姫がもたらしたもの」です。それなら、かぐや姫がなぜ月からこの世界に現れ、月に戻ったのか、端的に言えばかぐや姫とは何だったのかが説明される必要がありそうですが、このバレエを見るだけではそれは不明(ちなみに『竹取物語』では終盤にかぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤しきおのれが許にしばしおはしつるなりという月宮人から翁への説明があります)で、このまま海外で上演したとしてかぐや姫の存在意義が理解されるだろうか?と思わずにはいられません。また、登場人物の中で異質の存在感を発揮していたオリジナキャラクターの影姫と秋見も最後にはストーリーから放擲された感があり、少なくとも自分の中では消化不良の印象を免れませんでした。

とはいえ、終演後のカーテンコールは大喝采のスタンディングオベーションとなり、出演者の一人一人、それに演出と振付を担当した金森穣氏と井関佐和子さん、そして斎藤友佳理芸術監督に対して観客から(もちろん私からも)大きな拍手が送られました。何といっても、全幕バレエのゼロからの制作を成し遂げたことは偉業です。したがって、東京バレエ団にはぜひ再演の機会を設けてさらに成長した「かぐや姫」を見せてほしいと思いますし、この作品を引っ提げて世界にも打って出てほしい。ただしそのときに向けた注文としては、ある程度直線的なストーリーの骨格を提示してほしいということ、美術面では道児を含む村人たちの縄文ルックだけは見直してほしいということ、そしてこれは難題かもしれませんが、音楽をドビュッシーで通すのならリアルなピアニストとオーケストラを導入してもらいたいと思っています。

配役

かぐや姫 秋山瑛
道児 柄本弾
木村和夫
秋見 伝田陽美
影姫 沖香菜子
大塚卓
大臣たち 宮川新大 / 池本祥真 / 樋口祐輝 / 安村圭太
側室たち 二瓶加奈子 / 三雲友里加 / 政本絵美 / 中島映理子
黒衣たち 岡崎隼也 / 井福俊太郎 / 海田一成 / 山下湧吾

あらすじ

かぐや姫

プロローグ〜春 / 第1幕〜夏→〔こちら
第2幕〜秋 →〔こちら〕。ただし全幕上演に際し第10場が二つに分割され、「道児との再会」に管弦楽版〈月の光〉が当てられた。
第3幕〜冬
第1場 かぐや姫 かぐや姫は部屋から雪を見つめている。過ぎた月日に想いを馳せ、深い眠りにつく。 付随音楽「ビリティスの歌」より第7曲〈無名の墓〉
第2場 悪夢-光の精、あるいは怪物たち 暗闇の中から光の精が現れ、かぐや姫を連れて行こうとする。そこへ道児の幻が現れ、かぐや姫は歓喜し、道児の胸に飛び込むが、光の精によって引き離されてしまう。今度は幻の帝と大臣たちが現れる。すると、光の精たちは妖艶な輝きを放ち、怪しい微笑みを浮かべながら、道児たちをどこかへ連れ去ってしまう。やがて、かぐや姫は悪い夢から目覚める。 「夜想曲」より第3曲〈シレーヌ〉
第3場 翁の野望-道具としての姫 翁が策略をめぐらせた表情でかぐや姫のもとへやってくる。翁は四大臣の誰かと結婚するよう言いつけるが、かぐや姫は拒否する。 前奏曲集 第2集 第6曲〈風変わりなラヴィーヌ将軍〉
第4場 大臣たちの求婚-秋見の提案 翁が四人の大臣たちにかぐや姫を差し出そうとする。そこへ秋見が空の四つの宝箱をもって現れ、四人の大臣たちにそれぞれ結納品の献上を提案する。 弦楽四重奏曲 ト短調 作品10
第5場 精神の双子-帝からの求婚 宮廷の中を徘徊するかぐや姫。そこへ帝が現れ、かぐや姫を自らのものにしようと肩に手を添えようとするが、かぐや姫はその手を優しく払いのける。 「子供の領分」より第5曲〈小さい羊使い〉
第6場 帝の欲望-かぐや姫の逃走 帝の心に黒い欲望の影が差し込んでくる。帝は強引にかぐや姫に迫るが、かぐや姫は拒み続ける。頑なに拒み続けながらも、帝の孤独に同情していくかぐや姫。しかし、帝はついにかぐや姫の想いを受け入れ、身を引く。帝に促されるかのように、かぐや姫は宮廷を出ていく。 「子供の領分」より第4曲〈雪は踊っている〉
第7場 滅びゆく世界-かぐや姫の慟哭 大臣たちは従者を伴い竹やぶを訪れ、結納品を探し始める。そこへ武器を持った村人たちが乗り込んできて、大臣たちを撃退する。誰もいなくなった竹やぶに、かぐや姫がやってくる。竹やぶは荒らされ、そこかしこで緑の精が傷つき倒れている。緑の精を労わりながら、道児に想いを馳せていると、道児と身重の妻が現れ、かぐや姫は悲しみに打ちひしがれる。帝を筆頭に竹やぶにやってきた大臣たちと従者たちは、道児を筆頭とした村人たちと戦を始めてしまう。かぐや姫は止めようとするが殺し合いは続き、ついにはかぐや姫が声にならない悲鳴をあげると、突然、まばゆいばかりの光に包まれ、人々は雷に打たれたかのようにその場に崩れ落ちる。 交響詩「海」第3楽章〈風と海の対話〉
第8場 この世との別れ-人々の見た夢 光の精たちが現れ、人々は目を覚ましていく。翁は欲望に駆られていた己を恥じ、許しを請う。光の精がかぐや姫の肩にストールをかけると、かぐや姫はすべての記憶を失ってしまう。そして、巨大な月をふり仰ぎ、階段をゆっくりと上がり始める。やがて回廊を通り過ぎ、まるで飛翔するように月へと登っていく。 ピアノ独奏曲「夢想」