樋の酒 / 三輪

2023/10/25

銕仙会能楽研修所(南青山)で青山能。狂言「樋の酒」、能「三輪」。

この日はどういう訳か青山上空を時折ヘリコプターが飛んでおり、その爆音がたまに能楽堂の中にまで聞こえていたのですが、この銕仙会能楽研修所での観能では救急車のサイレンなどが聞こえてくるのは当たり前。実は以前「響の会」での公演後のアンケートに「外からの音が……」といったことを書いたら、思いがけず清水寛二師ご本人から、銕仙会能楽研修所はいい空間だが外からの音が気になることはある、それでもよい催しを作っていきたい、という趣旨の直筆のハガキを頂戴したことがあって、それ以来音響面での文句は封印しています。

樋の酒

これは初めて観た狂言ですが、趣向としては「棒縛」と似ています。登場人物は主・太郎冠者・次郎冠者の三人で、外出する主が居残らせる太郎冠者に酒を飲まれまいとこれを軽物蔵(舞台前方の脇柱側)に閉じ込め、続いて次郎冠者も酒蔵(目付柱側)に押し込めるのですが、このとき主は次郎冠者が下戸なのに無理やり太郎冠者に飲まされてきたと思い込んでいるのに実は次郎冠者も酒好きだったというところに笑いのひとひねりがきいています。

主が出かけ(狂言座に着座し)てすぐに太郎冠者も次郎冠者も寂しさを覚え出し、次郎冠者の方がその寂しさを紛らわせるために主の良い酒を飲み始めると、その様子を壁越しに聞きつけた太郎冠者は次郎冠者に声を掛け、あらかじめ後見の手によって地謡座に置かれていた雨樋(太竹)を窓越しに次郎冠者の方に伸ばします。次郎冠者は立って扇を酒器に見立てて雨樋に酒を注ぎ入れ、太郎冠者は片膝ついて雨樋に角度を付けて流れてきた酒を掬う形。一杯目は胸がひんやりするばかり、二杯目に至って風味の良い酒であることをほめそやすなど酒飲みの心理が見事に描写されてから、壁を隔てて謡い舞の宴会となっていきます。

まず二人で「初花車巡る日の」と謡って「やんややんや」「はっはっは」と喜んだ後に次郎冠者が太郎冠者に舞を求めると、次郎冠者がここは狭いので無理だと言い、これに対し太郎冠者が「狭いところが面白い」のだと言うところがやはり「棒縛」と同じ。それではと次郎冠者は「扇抱いて釣りするところに」と謡い舞って喜んだ太郎冠者に酒を勧められ、短く二人で小謡を謡ってから、今度は太郎冠者が「七つになる子がいたいけな」と謡い舞。この「七つ子」はひときわ長く、強い足拍子に様々な型を伴った堂々たる舞で太郎冠者の見せ場となりました。これを「やんややんや」と次郎冠者が褒めそやしたところへ主が戻ってきましたが、そうとは知らない二人が「ざざんざ」を謡って楽しげに大笑いしていると、怒髪天を衝いた状態の主はまず酒蔵に踏み込んで次郎冠者を厳しく叱責。仰天した次郎冠者は返す言葉もなくほうほうの体で逃げて行き、主は今度は軽物蔵に踏み込みます。突然現れた主の剣幕に次郎冠者と同じく度肝を抜かれた太郎冠者でしたが、それでも一度は「軽物蔵にいて酒は飲まれない」と弁解したものの「それならその軒垂れの樋は何だ!」と即座に論破されて、あえなく追い込まれていきました。

シテ/太郎冠者を勤めた山本凜太郎師はまだまだ若い1993年生まれながらもきっちりと演じ、これを支える次郎冠者の山本則孝師(1973年生)は凜太郎師の叔父、主の山本則秀師(1979年生)は則孝師の従兄弟という関係です。山本東次郎家が来るべき世代交代に向けて着実に歩みを進めていることを実感しました。

三輪

神代の物語を題材とする「三輪」は人気曲だそうですが、私自身にとってこの日の「三輪」は2010年の初見(シテは観世喜之師)以来久しぶりの二回目です。

まず大小前に置かれた杉小屋の作リ物は黄色の地にオレンジ系の牡丹唐草風の文様が描かれた引廻しに覆われ、上部には杉の葉が覗いています。笛と共にワキ/玄賓僧都(則久英志師)の出があって〈名ノリ〉の後に脇座に移ると、強いヒシギから〔次第〕の囃子に導かれて登場した前シテ/里女(安藤貴康師)の面は深井。金と緑の段に細かい意匠の草花(桐など?)を置いたとても美しい紅無唐織を着流しにして、右手に数珠、左手に木の葉を入れた水桶を提げて登場しました。常座まで出たシテが〈次第〉を謡い、さらにつらい年月を三輪の里で過ごす身の上を明かすと玄賓僧都に樒閼伽の水を差し上げようと語った後、玄賓の侘び住まいの様子が最初はシテとワキとの掛合いで、ついで同吟で美しく謡われ、その後を引き取った地謡が罪を助けて賜び給へと謡う内にシテは中央に着座してワキに向かい合掌します。

引き続き寒々しい情景が謡われた後、シテはワキに衣を一枚所望。やすきことだと(その少し前に地謡の一人がワキの横に置いておいた)衣をとって着座のまま差し出すとシテはワキに近づき、ワキが床に置いた衣を両手で取り上げて左手で抱え持って去ろうとします。シテが作リ物に行きかかったところでワキのしばらく、さてさて御身はいづくに住む人ぞという問掛けがあり、不審に思うなら三輪の里へ訪ねておいでなさいと答えたシテの姿が作リ物の背後へ消えるとすぐに先ほどの衣が引廻しの上から前方へぺろんと出されてそこに掛けられました。

アイ/里人は先ほど「樋の酒」でも熱演した山本凜太郎師で、歩きながらの一人語りに三輪明神の謂れを語り、目付に着座して作リ物(三輪明神)に礼拝したところで御神木の一の枝に衣が掛かっているのを見て驚き、ワキの元を訪れてこのことを注進すると、ワキから樒閼伽の水を運ぶ女の話を聞いてそれは五衰三熱の苦しみを持つ当社大明神であろうと推量してお参りを勧めるまでを立派に語り通しました。この間、作リ物の背後では鵜澤久師、長山桂三師に清水寛二師も加わって装束替に大わらわ。

いつもながらの則久英志師の美声による道行の謡があってワキが三輪の里に着いたことが述べられ、御神木の一の枝に掛けられた衣の褄に金の文字で書かれた三つの輪は清く浄きぞ唐衣 くると思ふな取ると思はじという歌を読み上げたワキが脇座に戻って立つと、作リ物の中からちはやぶる神も願ひのある故に 人の値遇に逢ふぞうれしきとシテの謡が聞こえて、姿を見せてほしいというワキとの掛合いの謡の後に登場した後シテ/三輪明神は(詞章では女姿でありながら烏帽子狩衣、裳裾の上に掛けとありますが)風折烏帽子を戴き面は泣増、紫地に金の鉄線花文様の長絹を着て緋大口を穿いており、巫女に神が依り憑いている姿です。〈クリ・サシ〉と進む内にシテが中央に立つと作リ物の引廻しが外されてその上辺の枠に紙垂が垂れているのが見え、舞台上は一気に神域に。そして〈クセ〉は舞グセ。衆生済度の方便として三輪明神が自らの罪業を明かす神婚説話を背景にゆったりと袖をたゆたわせながらのクセ舞が終わってから、さらにワキを慰めようとシテは扇を幣に持ち替え、太鼓が入って今度は天岩戸伝説を起源とするという〔神楽〕となりました。足を揃えた姿から片足を蹴り込んでわずかに前へ滑らせ、爪先を上げて静止してから静かに下ろす玄妙な足遣いが繰り返された後に、幣を振り足拍子を踏み、袖を返しては戻しあるいは被きと大きな所作が繰り返されて舞はどんどん熱を帯びてきます。そして途中で幣を扇に持ち替えたことで巫女の舞は神舞へと変わり、シテと囃子方とがさらなる熱気を能楽堂内に放ち尽くしてついに〔神楽〕が終わると、天照大神の岩戸隠れが扇で面を隠す型で、八百万の神々の神楽演奏により岩戸が開くさまが雲ノ扇でそれぞれ示されて、地謡により伊勢と三輪の神とはもともと一体の神が二つに身を分けて出現したのであると厳かに告げられて、シテは常座で左袖を返して留拍子を踏みました。

私が玄賓僧都ゆかりの玄賓庵を訪れたのは2010年のこと。ここから大神おおみわ神社までは山の辺の道を歩いて20分ほどの距離(1.2km)ですが、実は玄賓庵は明治初年の廃仏毀釈を受けて現在地に移されたもので、もとは三輪山の麓にあったそうです。私自身は大神神社に向かう途中で三輪山に登ったために少々時間がかかりましたが、大神神社に着いてみると白蛇が住むという「巳の神杉」がありましたが、これが玄賓僧都の衣が掛けられていたという御神木でしょうか。

平安初期の高僧である玄賓僧都を目撃者に仕立てて神代の物語を視覚化する幻想的なお話……それにしても三輪の神婚伝説と天岩戸とがどうして繋がるのか?という質問は終演後の小講座の際にも観客から講師の観世淳夫師に投げかけられていましたが、これは鎌倉時代の僧・慶円が創始し室町時代に発展した三輪流神道の考えに基づくもので、その中では共に大日如来を本地とする三輪の神と伊勢の神を一体としつつ三輪大明神こそが諸社諸神中もっとも優れた神であるとされています。そういう意味ではすぐれて中世的な思想を骨格に持つ話ですが、参考までに玄賓僧都(734-818)は南都仏教の法相宗の僧であるのに対し三輪流神道は真言宗系の両部神道の一つです。それはともかく、以前「放下僧」を観たときにも感じたように安藤貴康師の声質はやや舌足らずの印象をもたらすふわりと柔らかいものでしたが、クセ舞から神楽にかけて示された舞の姿はその対極にある強靭さと神掛りの高貴さとを兼ね備えていました。

なお今日の「三輪」は小書なしでしたが、終演後の小講座では小書によってワキからシテへの衣の渡し方が変わったり後場のシテが巫女から神そのものに(これに伴い詞章も)変わったりするという解説がなされました。これに対して客席からは「《誓納》というのはどういう演出か?」という質問も飛びましたが、これは宗家の一子相伝であるらしく「明らかに違う、としか言えない」と観世淳夫師は口を濁していました。ともあれ、次はぜひシテの性格の変更を伴うそうした小書付きで観てみたいものです。

配役

狂言 樋の酒 シテ/太郎冠者 山本凜太郎
アド/主 山本則秀
アド/次郎冠者 山本則孝
三輪 前シテ/里女 安藤貴康
後シテ/三輪明神
ワキ/玄賓僧都 則久英志
アイ/里人 山本凜太郎
栗林祐輔
小鼓 飯冨孔明
大鼓 柿原孝則
太鼓 大川典良
主後見 鵜澤久
地頭 谷本健吾

あらすじ

樋の酒

主人は太郎冠者が酒を盗み飲みしないように軽物蔵の番をさせ、下戸のはずの次郎冠者には酒蔵の番を命じて外出をする。ところが実は上戸の次郎冠者。寂しさを紛らわせるために酒を飲んでいる次郎冠者の様子を窺った太郎冠者はたまらず酒が飲みたくなり、軽物蔵の窓から酒蔵の窓へ雨樋を渡して酒を注いでもらう。そしてすっかり宴会気分となり謡い舞っていたところへ主人が帰ってきて、二人は追い込まれる。

三輪

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