菊の花 / 檜垣

2023/10/26

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の特別企画公演で、狂言「菊の花」と能「檜垣」。《国立能楽堂開場40周年記念》と銘打たれた今月の公演群のトリを飾る組合せで、いずれも初見です。

今日はNHKの撮影車が入っていました。能楽堂の中に入ってみるとロビーにはこのことに言及した貼り紙がしてあり、これによればNHK-Eテレ「古典芸能への招待」という番組で放映される(放送予定日は未定[1])のだそうです。

菊の花

主人に無断で出掛けた太郎冠者を扱う作品は「抜参り物」と呼ぶのだそうで、そのうち行き先が都であるものには「二千石」「文蔵」がありますが、この「菊の花」(大蔵流では「茫々頭ぼうぼうがしら」)もその一つ。これらの曲の定型として、まずは主が一人語りの内にぶつぶつと文句を言いながら太郎冠者の家を訪ね、声色を使って太郎冠者を呼び、出てきた太郎冠者を強く叱責して太郎冠者が恐縮するものの、都へ行ってきたと聞かされてという太郎冠者に主が機嫌を直して都の様子を聞くという一連の流れが再現されます。

都の様子を聞かれた太郎冠者は、まずはくすぐりとして烏と雀の様子を紹介します。曰く、北野天神の森の木の枝に烏と雀が止まっており、雀が烏のそばに寄って「チチ、チチ」と言うと烏は雀をきっと見て「子〜か〜、子〜か〜」と言っていたから、あれは親子に相違ない。ここで見所は爆笑、主は呆れ返りながら話の続きを促します。参詣を終えたところで見事な菊の花を親切な亭主から一本もらい、祇園・清水へ向かう道すがら髻に挿して歩いていたところ美しい上臈から都には所はなきか菊の花 ぼうぼう頭に咲くや乱るると詠みかけられた太郎冠者が都には所はあれど菊の花 思ふ頭に咲くぞ乱るると鸚鵡返しにした話を披露すると主は「お前にしてはでかした」と感心。上臈の方も驚き、太郎冠者を祇園に連れていってくれたものの、入った店では上座しょうざと思ったら実は沓脱場に通されており、酒食の膳もついと素通りするばかり。ついに腹を立てた太郎冠者が長居は無用と道に出たところ、後から下女がとけた髪を上げながら追いすがってきてやにわに右腕をねじ上げてきて「今の物を出せ」と迫ってくる。太郎冠者が抵抗すると今度は左の腕をねじ上げるのにたまらず「これか?」と懐から緒太の金剛(草履)を返しましたと説明したところで、呆れ果てた主が「益体もない、しさりおれ」と叱りつけ太郎冠者が恐縮して留(叱リ留)となりました。

最後のオチは脱力系ですが、野村萬師の見事な話芸を堪能できた一曲でした。主人に叱られて恐縮して見せるかと思えば、烏と雀が親子だと飄々と語る天然さを見せ、和歌のやり取りには(意外にも)洒脱な機知を示し、そして「足が速くて力が強い女」にねじ伏せられるさまを一人二役の仕方でリアルに見せて引き込みます。かかる練達の芸を繰り出す御年93歳の身体と頭は衰えを知らず、このまま百歳越えの現役狂言師が生まれても何ら不思議ではないと思いました。

檜垣

現行曲としては「卒都婆小町」に次いで古い老女物とされる本作が国立能楽堂で上演されるのは20年ぶりだそう。他流では『三老女』の一つとされますが、金剛流では老女物五曲(「姥捨」「檜垣」「関寺小町」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」)と小町物五曲(「関寺小町」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」「草子洗小町」「通小町」)の積集合となる「関寺小町」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」を『三老女』としています。なお「姥捨」「檜垣」は夢幻能ですが、金剛流の三老女はいずれも現在能であるという点も面白いことです。

囃子方と地頭が長裃(地頭以外の地謡は半裃)で位置につき、ついで紺の引廻しに覆われた藁屋が大小の前に設られてから、しみじみと細く高く奏される名ノリ笛と共にワキ/僧(宝生欣哉師)が登場します。中央やや前方に立ったワキは肥後の国岩戸に住む僧であると名乗って岩戸の景観の素晴らしさを語るのですが、その語りが途中から美しい節を伴って謡われるところから早くもうっとり。続いて百歳にもなろうかという老女が毎日閼伽の水を汲んできてくれる(という設定は前日観たばかりの「三輪」と同じ)ので、今日は名を尋ねてみようと述べて脇座に着座します。

枯れ枯れとしたヒシギから始まる重い〔次第〕の囃子の内に揚幕が上がり、しばらく間があってゆっくり橋掛リに入ってきた前シテ/老女(金剛永謹師)の面は檜垣姥(千代若作)、黄色の地に秋草を全面に散らした唐織を着流しにし、右手には水桶、左手には杖。一ノ松まで歩んで深い声音での〈次第〉影白川の水汲めば、月も袂や伝ふらんを謡った後、自らの老いを見つめつつ罪を滅ぼすべく世捨人のもとに足を運ぶのであると語りながら舞台に進んで中央に着座し、今日もまた水を汲んできたとワキに呼び掛けました。これに礼を言ったワキが帰ろうとするシテを呼び止めて名を聞くと、シテは驚きつつも『後撰集』に載った年経ればわが黒髪も白川の みつはぐむまで老いにけるかなという歌[2]を詠んだのは自分であり、かつて筑前の太宰府に庵に檜垣をしつらえて住んでいた白拍子であったが、後に落魄してこの白川[3]に住むようになったのだと明かしました。これを聞いてワキも『後撰集』のこの歌の歌詞にある藤原興宣のエピソードを思い出すと、地謡が「みつはぐむ」とは単に水を汲むということだけではなく老い屈んだ姿をさすのであると説明したところでシテは杖を手にして立ち、さらに白川の畔においでなさいとワキに呼び掛ける地謡に合わせて藁屋の横からワキを見やった後、藁屋の背後へ消えていきました。

岩戸観音に参詣しに来たアイ/山下の者(野村万蔵師)の出立は段熨斗目に長裃。ワキに問われてのアイ語リは比較的淡々と流れる如くでしたが、作リ物の背後では後見が多忙。やがてアイがワキに弔いを勧めて狂言座に下がると、ワキは檜垣の女の跡を弔おうと謡って立ち、日も暮れて川霧が深く立ちこめる中に庵の灯火がほのかに見える不思議な情景が描かれると藁屋に向かって下居合掌して南無幽霊出離生死頓証菩提。すると笛のヒシギなく大小の鼓が極めてゆったりとしたテンポで〔一声〕を演奏し始め、やがて藁屋の中からあら有難の御弔ひやなとシテの声が聞こえてきました。ここから有為無常の理が藁屋の内外でシテとワキとによる劇的な掛合いをもって謡われましたが、老少といつぱ分別なし以下の結語を地謡に委ねて後見の手により引廻しが外されると、左右下半分を見事な檜垣(大柄のヘリンボーンで上辺は直線ではなく不整形)で覆った藁屋の中で床几に掛かっている後シテ/老女の霊の姿が現れました。肌が白く頬はこけ力なく開いた口がギリシア悲劇のマスクを連想させる小町老女(洞水作)面を掛け、白地に金の秋草や紅葉、鳥蝶が上品な長絹の下には淡青色の大口を穿いたその姿は老残の身とは言いながらも気品に満ちています。

とはいえこれは、執心によって水を汲み続けなければならない輪廻の姿。はやく成仏なさいとワキが呼び掛けるとシテは、かつて舞女として評判を得たことを罪として三途の川で熱鉄の桶を荷ひ、猛火の釣瓶を提げて、この水を汲むとその水が湯となつて我が身を焼くと地獄の苦しみを描写する声に力をこめましたが、ワキとの仏縁によって猛火から逃れられた様子にワキが因果の水を汲み、その執心を振り捨てて早く成仏なさいと励まします。

以下、シテとワキとが息を合わせての掛合いの謡を経て、それでは水を汲もうとシテは立ち〈クリ〉を地謡が謡う内に藁屋を出てその前に着座。〈サシ〉に荀子「青取之於藍 而青於藍 冰水為之而寒於水」を引用して現世の報いによる死後の苦しみに嘆きはつのるばかりだとシオリを見せてから立ったシテは前に出て〈クセ〉の冒頭の釣瓶の懸け縄、繰り返しのところで手にした扇を縦に差し出しその下に続く(と見える)縄を引き上げる写実的な型を示しました。さらに地謡が若き日のシテの美貌と名声もやがて年と共に衰えてゆくさまを容赦なく謡い続ける中で、シテは正面に出て水に映る面影を見下ろし、老いやつれた自分をそこに認めて面を曇らせつつ後ろずさると藁屋の前に着座してシオリを見せましたが、その姿は顎を胸に埋め背を丸めて力なく、確かに老女の佇まいでした。

それでも時めいていた頃を懐かしく思い出して気持ちを引き立て直したシテは、上ゲ端以降は着座のままに、上記『後撰集』の歌の詞書に登場する藤原興範から若かりし頃の白拍子の舞を所望されて今さらと思う心を地謡に謡わせはしたものの、重ねて興範から求められて身を起こし両袖を前に揃え眺めて立ち上がると檜垣の女の身の果ての姿での舞を常座から〔序ノ舞〕として舞い始めます。

かつて名の通った白拍子そのものの舞ではなく、若かりし頃を思い出しながら老いの身で舞う舞は、それでも足拍子に力をこめて舞台を大きく巡り、あるいは小さく回り、扇をさまざまにひらめかせて美しく舞われていましたが、その中に脇正で立ち止まって扇をじっと見つめながらの静止が入り、やがて再び舞い始めたかと思うと中央で右袖を返し藁屋の前で再び長い静止。これらの印象的な姿にこめられた意味を汲み取ることができずにいるうちに動き始めたシテの舞姿は舞台上で次々に形と位置とを変えていき、ついに藁屋の前で小さく回ると前に伸ばした右手の扇を立てて釣瓶の形として〈ワカ〉の上の句を水運ぶ、釣瓶の縄の、釣瓶の縄の、繰り返しと第二句の繰返しを伴いつつ謡うと、地謡も昔に返れ、白川の波、白川の波と結句を重ねて下の句を続け、その後にさらに置かれた白川のに続けてシテが水のあはれを知るゆえに、これまで現はれ出でたるなりとワキに語りかけることによって、シテの人格は回想の中の老女からワキの前に姿を見せている老女の霊に戻ります。

そして輪廻のごとく常座から扇で汲んだ水をワキの前に運んだシテが罪を浮かめてたび給へと願い、ここで終わるのが他流の行き方ですが、金剛流に限ってはその後に詞章が追加されており、正中に立ったシテがワキに法の道の教えを請うて胸なる月や澄ますらんと扇を胸に当て、心の玉の台の濁りにしまぬ、蓮華のはやく仏道なりにけりと救済を得た姿を常座からワキに向かい合掌する姿で示して、すべての謡が終わってからも続く囃子を聞きながらシテはワキに背を向けた姿で終曲を迎えました(残り留)。

初めて観た「檜垣」であり、しかも他流とは異なる特別なエンディングであっただけに、自分の中ではまだこれだけで「檜垣」を語ってはならないという気持ちが残っていますが、それでも前場で白川の水を汲み運び続ければ仏縁を得られるだろう(月も袂や伝ふらん)と願ったシテが、後場でワキの弔いと励ましを受け、遂に願いかなって仏道を遂げるという結末には、物語としての調和と安堵が感じられて、温かい余韻に浸りつつ舞台上の演者を見送ることができました。先日の「姨捨」の記録で記したようにこれまで老女物は自分には早いと手を出せずにいたのですが、そうした躊躇をかき消してくれたこの日の公演だったと思います。

配役

狂言和泉流 菊の花 シテ/太郎冠者 野村萬
アド/主 野村万之丞
金剛流 檜垣 前シテ/老女 金剛永謹
後シテ/老女の霊
ワキ/僧 宝生欣哉
アイ/山下の者 野村万蔵
杉市和
小鼓 大倉源次郎
大鼓 山本哲也
主後見 豊嶋彌左衛門
地頭 松野恭憲

あらすじ

菊の花

断りもなく出掛けていた太郎冠者が昨夜戻ったと聞き怒って太郎冠者の家へ押しかけた主は、太郎冠者が京内詣をしてきたというので許し、都の様子を尋ねる。太郎冠者は北野天神に参拝し、帰る途中に咲いていた見事な菊の花を亭主からもらって頭に挿して祇園に向かったところ、思いがけず美しい上臈と歌の詠み合いになり、感心された上臈から祇園遊びに誘われた。ところがちっとももてなしてくれないことに業を煮やして座を立ち帰ろうとすると、追ってきた下女につかまり、盗んで懐に入れていた草履を取り返されてしまう。和歌のやり取りには感心していた主だったが、草履泥棒の顛末を聞いて太郎冠者を叱りつける。

檜垣

肥後国岩戸に住む僧の所へ毎日閼伽の水を汲んでくる老女がいた。名を尋ねると、後撰集の「年ふれば」の歌を詠んだ檜垣の女であると言い、亡き跡を弔ってくれるように頼んで消え失せる。僧が白川の旧跡を訪ねると檜垣の女が現れ、執心ゆえに今なお地獄で水を汲み続けているのだと明かし、昔を偲ぶ舞を舞って、成仏を願いつつ消えていく。

脚注

  1. ^後日、2024年2月25日に放映されることがアナウンスされました。
  2. ^『後撰和歌集』巻十七雑三 檜垣媼。歌意は「年月を経たので、黒々としていた私の髪も、この白川の名のように真白になって、老いかがんだ姿で水を汲むほどまでに年をとってしまったことだ」。
  3. ^阿蘇山から発し熊本市内を流れて有明海に注ぐ川。ワキが逗留している岩戸山の雲厳寺(岩戸観音)からは南にあたる。