日本画聖地巡礼-東山魁夷の京都、奥村土牛の鳴門-
2023/11/10
山種美術館(広尾)で「特別展 日本画聖地巡礼-東山魁夷の京都、奥村土牛の鳴門-」。これはたいへん面白い企画でした。山種美術館のサイトにおける本展の開催趣旨は、次の通りです。
映画、小説、漫画やアニメなどの舞台になった場所を訪れる「聖地巡礼」。絵画でいえば、作品の題材となった地や、画家と縁の深い場所に赴くことが「聖地巡礼」にあたるでしょう。このたび山種美術館では、名だたる日本画家たちが実際に訪れ、描いた場所を「聖地」とし、美術館に居ながらにして「聖地巡礼」を味わっていただける展覧会を開催します。(中略)現地の様子を知ることで、画家のまなざしを追体験するだけでなく、作品に込めた創意工夫を発見できる――これこそが「日本画聖地巡礼」の醍醐味といえるでしょう。(中略)画家が語った制作の経緯や現地でのスケッチ、さらには現地の写真もあわせてご覧いただきながら、画家たちが見つけたとっておきの場所、名画の聖地を巡る「聖地巡礼」をお楽しみいただければ幸いです。
山種美術館のコレクションの中で舞台となった場所を確認できる作品は150点以上あるそうで、この展覧会ではそのうち42点が展示され、さらに「歴史画の聖地」と題したサブ企画に基づく作品5点と素描が続いていました。
会場に入ると、まずこの展覧会のサブタイトルに出てくる奥村土牛の《鳴門》(1959年)が置かれ、そこに今の鳴門の渦潮の写真と共に、揺れに揺れる船の上で後ろから家内に帯をつかんでもらい、まるで人が見たら符牒かと思うかもしれぬような写生を何十枚も描いた
ものの、いざ制作となると印象を思い返すことに苦労したということが画家自身の言葉で紹介されていました。その後、北海道から順に東北、関東……沖縄と地域順に絵が展示されて、それぞれにその絵の舞台となった地の実景写真とその絵の制作にまつわる画家の言葉が添えられて並んでいます。ただし絵の大きさのためにこの順番通りに配置することができない作品もあって、典型的には奥田元宋の大作《奥入瀬(秋)》(1983年)と石田武《四季奥入瀬 秋韻》(1985年)とは展示室の最も奥まったところにこれらに相応しいスペースが与えられており、前者の赤(カエデなど)と後者の黄(ブナなど)とがその空間に紅葉の奥入瀬渓谷をそのまま持ち込んだような雰囲気をもたらしていました。また、サブタイトルのもう一人である東山魁夷の作品は京都を描いた4点(フライヤー表面参照)が並べられており、いかにもこの画家らしい柔らかい緑で修学院離宮の池と木とを描いた《緑潤う》(1976年)と連なる甍屋根の上にしんしんと雪が降り積もる情景を描く《年暮る》(1968年)がとりわけすてきでした。
これらを含め、今回展示されている絵画の多くはこれまでの山種美術館での各種企画展を通じて既に見てきたものでしたが、だからと言って見飽きるというものではなく、むしろ旧知の友に再会したような感覚で眺められました。ことに石田武の桜を題材とした《千鳥ヶ淵》(2005年)と《吉野》(2000年)の2点は、2020年の「特別展 桜 さくら SAKURA 2020」で見て惹き込まれたときと同じ感動を与えてくれました。
一方、この展覧会で初めて対面した作品ももちろんいくつかあり、その中で特に印象的だった3点を以下に紹介します。
こちらは川端龍子《月光》(1933年)。日光・輪王寺の大猷院を描いた絵で、直線の多い構造と強烈な接近構図がすこぶるモダンな印象を与えますが、主題は画面の大半を覆う拝殿の右上にかろうじて覗く空にひっそりとかかっている月です。
富士宮市の白糸の滝を描いた岩橋英遠《懸泉》(1972年)はボリューム感のある屏風絵で、中央下部に立つ人物とその右上の虹とによって滝の大きさが強調され、画面から滝が落ちる音が聞こえてくるよう。その迫力に打たれてしばらくこの絵の前に立ち尽くしましたが、この効果的な人物は後から描き足されたものであることが会場の解説に書かれていました。
その独特な浮遊感のある色彩が「もののけ姫」のこだまの森を連想させる山口華楊《木精》(1976年)は北野天満宮境内の欅の老木の、それも複雑に絡み合った根の部分に着目した作品。画家の言によれば、画面の右側からこちらを振り返り見ているミミズクは戦前に山口華楊が飼っていたもので、写生をしながら構図を考えていたときにふと、ここにミミズクを配したらどうだろうかとひらめいたとのこと。
現実にはこのような光景はなかった。記憶の中のミミズクが、なにかの拍子に立ち現れて、木の根に止まったのである。写実に立ちながら現実には写実ではないのである。
北野天満宮には2年前の今頃に足を運んでいますから、もしかすると御土居に立つこの大欅の前を通っていたかもしれませんが、そのときは紅葉を見て回ることに夢中だったので、この欅があったとしても気づいてはいなかったようです。
さて、この日の展示の中で撮影が許可されていたのはこの奥村土牛《山中湖富士》(1976年)です。上記の山口華楊のように多くの作品でそれぞれの画家が饒舌に制作時のエピソードを述べており、奥村土牛自身も冒頭の《鳴門》についての説明が巧まずしておかしみを含むものだったので、この作品にはどのような説明が付されているのかと期待しながら読んでみると……。
山中湖にかかる夏富士である。
奥村土牛、87歳。もはや絵のことは絵に語らせるの境地ということでしょうか。しかし、この展覧会では小ぶりながらよくできた専用図録が用意されており、これを買い求めることで企画の趣旨やそれぞれの絵の内容と背景とを詳しく知ることができました。このような図録が作られることは山種美術館では珍しいことですが、大いに歓迎したいと思います。
鑑賞を終えた後、例によって美術館の1階にある「Cafe椿」でこの日展示された作品にちなんだ和菓子と抹茶のセットをいただきました。青山・菊家が作った和菓子の名前と絵画の対比は、次の通りです。
散椿 | : | 速水御舟《名樹散椿》 |
除夜 | : | 東山魁夷《年暮る》 |
花の色 | : | 橋本明治《朝陽桜》 |
うず潮 | : | 奥村土牛《鳴門》 |
渓流の秋 | : | 奥田元宋《奥入瀬(秋)》 |
この日は迫力ある鳴門の渦潮を描いた土牛の代表作をモティーフにしました。白波のうずが自慢の逸品。中は風味豊かな胡麻入りのこしあんです
という「うず潮」をおいしくいただきました。なお、2019年の「生誕130年記念 奥村土牛」の際に《鳴門》にちなんだ菓子がなかったことから抹茶がそのまま《鳴門》になっているのでは?
と推理したのですが、この「うず潮」が今回提供されたということは、先の推理はどうやら誤りだったということになりそうです……。