清経 / 文蔵 / 道成寺

2023/05/28

国立能楽堂で金春流能楽師・山井綱雄師主宰、第18回「山井綱雄之會」。この会は2015年の第10回と2020年の第15回を拝見しており、このうち第10回では山井綱雄師自身による「道成寺」が上演されましたが、今回は山井綱雄師の玄人弟子である村岡聖美師が「道成寺」を披き、山井綱雄師は御子息の山井綱大師と共に「清経」を演じます。

まずは武蔵野大学客員教授・羽田昶先生による解説から。「清経」「道成寺」の説明に力を入れているうちに「文蔵」の説明時間がなくなってしまったとご自身で語っていましたが、この日配布された簡素なプログラムの中に羽田先生による演目解説が掲載されていたので、以下、曲目ごとの冒頭で演目解説の一部を引用することにします。

清経

世阿弥作の、恋慕の情と哀愁にいろどられた修羅物。小書〈恋ノ音取〉は、「手向け返して夜もすがら」の地謡が終わると、笛が〈音取〉という手を断続的に奏する。シテは笛が奏するときは立ち止まって聴き、吹きやむと静かに歩む。舞台に入ったシテは、サシ「聖人に夢なし」以下を省き、「うたたねに」から謡い出す。シテ方・笛方ともに重い習い物である。

小書《恋ノ音取》を付した「清経」は2018年に観世流の片山九郎右衛門師のシテ、杉信太朗師の笛で観ています。流儀は違いますがストーリーは変わらないので、ここでは進行は追わずポイントを列記するにとどめます。

まず出し置きとなるツレ/清経の妻(山井綱大師)の出立は全面に紅葉の葉を散らした紅入唐織着流(この曲は秋の曲)で、〔次第〕の囃子に導かれて登場したワキ/淡津三郎(野口能弘師)は長い旅路を経てきたことを黒い笠で示し、段熨斗目の上に小豆色の素袍、白大口。清経が自ら入水したことをその妻に伝える役目のつらさを反映して何と申しあぐべきやらん。是非をわきまえず候と口ごもるワキの姿には、今の時代にも通じる世阿弥の人間描写の深さを感じます。

また、悲報を聞かされたツレがワキから遺髪を受け取ることを拒んだ後に涙とともに思い寝の。夢になりとも見えたまえと謡う地謡は徐々にテンポを落とし、最後の枕や恋を知らすらんは地取のように低くなって、ツレが憂いに沈みながら夢の世界へ入っていく様子を聴覚的に示す巧みな仕掛け。そしてこの地謡の中で笛の藤田貴寛師が前ににじり出て揚幕を向き、続いて《恋ノ音取》に基づく一管によるシテ/平清経の霊(山井綱雄師)の登場となりますが、観世流で観たときは笛とシテの動きが同期していたのに対し、ここではむしろ笛がやんだときにシテの歩みが見られました。ただし笛が奏されているときにも構えを動かす場面もあって単純ではありませんでしたが、ともあれこの15分間ほどはシテと笛とが笛の演奏時だけでなく「間」の部分まで呼吸を合わせて舞台を作り上げる様子が伝わり、見ているこちらは息をするのも憚られるほど。ツレの夢の中で徐々に実体を現してきたシテの姿は梨打烏帽子におそらく中将面、紺地の長絹を肩脱ぎにした典型的な平家の公達の出立で、常座まで進んでじわりと謡い出したのは小野小町の歌うたた寝に恋しき人を見てしより 夢てふものは頼みそめてきです。

ここから再会の約束を反故にして入水したシテに対するツレの恨みとせっかくの形見を受け取らなかったツレへのシテの非難の応酬が続くのですが、シテの深みある謡に対してツレの謡は線の細さが否めないながらも美しく、史実としての清経の若さ(入水時21歳)を思えばむしろツレのか細さの方が自然です。最後は互いにシオリを見せてから、大小前で床几に掛かったシテが地謡と掛合いで九州での出来事を語る中に(下掛系では)ワキ方の謡による宇佐の神託を織り込むところが作劇として面白く、遂に立ち上がってシテの入水に至る場面を描く〈クセ〉では、一ノ松=船上から松に群がる白鷺を源氏の白旗と見間違えてきっと見回したり、扇を笛に見立てて口に当てると笛が奏されたりといった写実的な型の連続の果てに、合掌して念仏を唱えてから海に飛び込むさまが大小前に沈み込んで安座しシオル姿で描かれました。

しかし恨みがまだ収まらないツレの様子を見たシテは、続いて修羅道に落ちたときに遭遇することになる闘争の様子を扇を盾に太刀を抜いて斬り下げ薙ぎ払いと豪快な型で示してから、一転して太刀を捨て入水の際の十念により成仏できていたのはありがたいことだと合掌して留拍子を踏んで終わります。

このように《恋ノ音取》によるシテの幻想的な登場や〈クセ〉からキリに向けての型どころの躍動感に目が向いて一曲を面白く観終わったのですが、しかし考えてみるとこの曲は何か筋が通っていないように思えてきて、むしろそこに興味が向いてしまいました。シテが登場したのはツレの夢の中で、いわばツレの思慕の情がシテを呼び出したようなものですが、それにしては小野小町の歌を口ずさむのはシテの方。しかもキリに示されたようにシテは入水時に十念を唱えたことによって成仏できているのなら、ツレの前に未練がましく姿を現すことはないはずです。もっとも謡本を見るとシテが小野小町の歌を唱える前にこの日は《恋ノ音取》のために省略された詞章があり、その中で現世へ立ち戻る自分の心の儚さを嘆いているので、シテは形見の遺髪を言わば依代として妻の元に戻る望みを残していたのかもしれません。そう考えれば、妻からさんざん恨み節を聞かされたとしても自分の入水の理由を(修羅道の様子さえもその理由づけの一つとして)語り尽くしたことでシテの望みが成就し成仏できたというのはあり得そうですが、それではツレの方はこの説明を受けたことで納得したのかというとそうした描写は一切なく、なんとも中途半端に捨て置かれた感じがします。そんな割り切れなさを感じながらの観能でしたので、できることなら演じ手はここをどう解釈して舞っているのか一度聞いてみたいものです。

なお冒頭の解説の中で羽田昶先生は、この能は夢幻能ではあるがシテとツレとの対話劇として作劇されていることを指摘した上で、《恋ノ音取》によりシテがためらいながら近づいてくるのは妻が見ている姿であり、したがってこれは妻の恋心の表現だと見たいが、その妻は夫が自らの念仏で(勝手に)成仏したことを納得したかどうかは疑問である、と説明していました。

文蔵

質量ともにもっぱら語リを聴かせるように出来ている。能の間狂言には、緩急、強弱、抑揚の表現を要する複式夢幻能の居語リ、より写実的な仕方をまじえた「八島」の替間「那須」などがあるが、それらを踏まえ、床几を用いての「文蔵」の語リはさらに立体的で、難度が高い。

解説にある通りに石橋山合戦物語の仕方語りを聞かせる曲で、2009年に野村萬斎師、2011年に山本則俊師のシテで観ています。今日のシテ/主は私が最も好きな狂言師である山本則俊師を父に持つ山本則重師で、期待通りの熱演となりました。山本則俊師の芸風では表情をほとんど作らず、真面目一辺倒の語りと振舞いの中に品良くおかしみが滲み出てくるのが常なのですが、則重師もその芸風を受け継いでまだ四十台なのに既に独自の風格を備えています。

その則重師が演じる主はのっけから太郎冠者の無断旅行に怒り心頭。なのに太郎冠者を呼び出すときに地の声で呼んだのでは居留守を使われるだろうからと四度ほど上げた(C→F)作り声を出すところがまずもって笑えます。出てきた太郎冠者を叱りつける勢いはド迫力ですが、京・宇治参りをしてきたと言われて後ろを向き「都の様子を聞いてみたいので今回は許してやるか」と独白するのは手のひらを返すよう。伯父のところを訪ねた太郎冠者が振る舞われた食べ物を当てようとする主が、昆布に山椒、良い茶ではないか?点心の類なら饂飩、そうめん、あつ麦、ぬる麦、羹の類なら砂糖羊羹……と韻を踏みながらボルテージを上げて最後は大寒・小寒。さすがに太郎冠者からそんなものは食われますかと指摘されてまた頭に来るのも、主の嗜好や細部にこだわる性格が垣間見えて思わず頬が緩みます。

そして眼目の石橋山合戦ですが、文句なしに素晴らしい語リでした。床几を据えさせてこれに掛り、太郎冠者には角に着座させて「さても石橋山の合戦は、治承四年八月」の源頼朝の寡兵での挙兵に始まり、源氏方の真田与市の出陣、平家方の股野景久との一騎打ち、そして真田の討死へと語りつないでいくのですが、武者たちの美々しい出立の説明は朗々と、打ち合い・組み合いのリアルな描写は顔を紅潮させ仕方も交えて熱量高く語られて、見所はぐんぐん引き込まれていきます。ところが、その語リのところどころに「……と、言いしところばし食うてあるか?」「いやいや、さようのところではござりませぬ」と確認が入るのがまたおかしいところ。最後に真相が明らかになり、いらぬ骨折りをさせられた(それにしてはノリノリでしたが)ことにむっとした主は太郎冠者を立たせて「それはうんぞう(温糟粥)、これは文蔵!」。先ほどまで没入していた軍記物の勇壮な世界からその発端だった食べ物の名前当てに戻ってくる落差の大きさで、一気に話を締めくくりました。

こうした狂言としての楽しさもさることながら、かつて数百年続いた武士の世では軍記物はこうして語り継がれてきたのだろうかと想像して遠い目。静かに橋掛リを下がっていく主と太郎冠者の姿を見送りながら、自分が武家の子弟になったかのような錯覚すら覚えつつ則重師の熱い語りを思い返しました。

道成寺

スリリングな技術本意の能だが、女の情念を描いたドラマチックな能でもある。前場最大の見どころはもちろん〈乱拍子〉と鐘入りだが、それに先立ち、物着で烏帽子をつけ橋掛リ一ノ松から鐘を見込む〈執心の目付〉の型にもシテの性根がクローズ・アップされる。後場は、ワキとの抗争を〈祈リ〉の囃子事で表わす。恐ろしい中にも悲しい女の表情がよぎる般若の面の効果も見逃せない。

金春流の「道成寺」は2015年8月に山井綱雄師、同年12月に中村昌弘師のシテでそれぞれ観ていますが、特に前者は山井綱雄師が「斜入」で鐘入りを行った際に大怪我をした(にもかかわらず最後まで勤めきった)因縁の上演。今回、シテの村岡聖美師による「道成寺」の披きは金春流女性能楽師としては38年ぶりで、しかも「斜入」は女性史上初なのだそうです。

最初に鐘を上げる場面は、金春流なので演技の一環としてアイ/能力(山本泰太郎師と若松隆師)がワキ/道成寺住僧(舘田善博)に命じられて行います。狂言後見の山本則重師と山本修三郎師による万全のサポートにより実に手際よく鐘が天井の滑車に掛けられ、鐘後見の手によって引き上げられて中空に浮かぶと、鐘が人格を持って舞台を睥睨しているような怪しい存在感が漂います。引き続き山本泰太郎師が鐘供養の場は女人禁制であることを告げ知らせてから水を打ったような静寂の内に舞台を一周した後、荘重な〔習ノ次第〕が奏されて幕が上がると、鏡ノ間の中の前シテ/白拍子の姿は初め右半身に見え、やがて向きを変えて橋掛リに進み出たその紅無唐織は金春流の決まりで菱文様を連ねたものでした。

実はこれまで村岡聖美師の舞台を観たことがなく、このため〈次第〉作りし罪も消えぬべき、鐘のお供養拝まんが初めて聞いた師の声でしたが、高い音程ながら静かにしみわたる謡はこの世の者ならぬ雰囲気を伴ってまさに「道成寺」の白拍子そのものです。能力とのやりとり、物着を経て大鼓(柿原弘和師)の一調と共に橋掛リへ出たシテが鐘を見上げる「執心の目付」も妖しく、やがて厳しい掛け声と共に強く打たれる大鼓を合図に一気に舞台へ進み入るシテ。〈次第〉花のほかには松ばかり。暮れそめて鐘やひびくらんをシテに続いて地頭の金春安明師がなぞり(地取)、その最後のひびくらんに力がこめられたところから小鼓(鵜澤洋太郎師)とシテの二人だけで形作られる〔乱拍子〕に入りました。

この〔乱拍子〕は流儀・演出によりさまざまなパターンがありますが、この日の〔乱拍子〕は大倉流のどこまでも長くどこまでも高く引く掛け声に対しシテはほとんど立ち位置を変えることなく対峙するもの。シテは上体を微動だにさせずに小鼓と間を合わせながらかすかに爪先やかかとを上げ、そして段の区切りに打ち下ろされる足拍子。20分以上にわたる息詰まる時間の経過の中で舞台上に動きを見せるのは小鼓とシテだけで他の演者は完全に気配を消し、舞台上の緊迫感を見所も共有して固唾を飲むばかりです。段が重ねられるにつれシテの向きは左回りに90度ずつ変わり、やがて鏡板の方向を向いたときにシテの目線は鐘に向けられて立ち姿に万感がこもりますが、〔乱拍子〕はまだはるかに長く続きます。

遂に再び正面を向いて数拍子を踏もうとする刹那、シテは一瞬バランスを崩しかけたかに見えましたが、それでも扇を左手にして道成の卿。うけたまわりと謡いつつ〔乱拍子〕を続け、地謡に山寺のやと謡わせて遂に〔急々ノ舞〕。それまでの全力での静止から一転して全力疾走の舞台となり、ことに鐘後見の動きが慌ただしくなります。そして角から鐘を見上げたシテは烏帽子の紐を引いて後ろへ(舞台の外まで)飛ばすと鐘に近づきその縁に左手を掛けて立ち、次の瞬間に鐘の内へと跳躍!同時に鐘後見(山井綱雄師)が素晴らしいタイミングで鐘を落とし、シテの姿は本当に鐘の中に吸い込まれるようでした。しかしまだ安心はできないぞ、山井綱雄師はこの後に苦悶のときを耐えることになったのだから……とハラハラしながらアイのコミカルなやりとりやワキの鐘にまつわる縁起を聞いていましたが、ワキ方の祈リが始まってから鐘の中からガシャンガシャンと鈸の音が聞こえてきたときは心底ほっとしました。

鐘が引き上げられると、そこには赤頭(金春流では常の形)に般若の面の後シテ/蛇体が打杖を手にして座しており、その背後には唐織が脱ぎ捨てられて横たわっていました。ワキたちの数珠に迫られて鐘の下から出たシテは舞台上から橋掛リの端まで追われ(このとき後見が鐘の下の唐織を下げ)、いったんは押し返してシテ柱に絡みつき勾欄越しに鐘を見やる印象的な型を見せましたが、ワキたちの容赦ない調伏の祈りに何度か反撃を試みるものの次第に力を失って鐘に近づくこともかなわず、最後は橋掛リを駆けて日高川(鏡ノ間)に飛び込みます。私の席からは橋掛リを駆け抜けた勢いのまま躊躇いもなく宙に跳んだシテの姿が一瞬見えましたが、次の瞬間には幕が下りてその姿はかき消え、同時に激しい着地音が響き渡りました。

こうして見ると、開演前は「斜入」のことばかりが関心事になっていたのに終わってみれば〔乱拍子〕の緊迫感を頂点とするシテの情念がことに印象に残る舞台でした。ここに至るまでにどれだけ稽古を積み、精進を重ねてきたのかと想像するだけで感動的です。おそらく細部にはいくつか修正を要する点もあったことと思います(たとえば後シテがワキたちと激しく闘っている最中に後見がシテにすがりつくようにして何かを縫箔の裾から引き抜いていました)が、とにもかくにも村岡聖美師にとって大切な舞台に立ち会えたことを観客として心から喜びたいと思います。おめでとうございました。

さらにこの日の公演全体を見渡しても、恋ノ音取、石橋山合戦の語リ、そして乱拍子に斜入と極度の集中を強いる曲ばかりでしたが、舞台上はもとより見所もこれに応えた見事な公演だったと思います。

配役

清経
恋ノ音取
シテ/平清経の霊 山井綱雄
ツレ/清経の妻 山井綱大
ワキ/淡津三郎 野口能弘
藤田貴寛
小鼓 飯田清一
大鼓 安福光雄
主後見 本田光洋
地頭 高橋忍
狂言 文蔵 シテ/主 山本則重
アド/太郎冠者 山本泰太郎
道成寺 前シテ/白拍子 村岡聖美
後シテ/蛇体
ワキ/道成寺住僧 舘田善博
アイ/能力 山本泰太郎
アイ/能力 若松隆
一噌隆之
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 柿原弘和
太鼓 吉谷潔
主後見 櫻間金記
地頭 金春安明
主鐘後見 山井綱雄

あらすじ

清経

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