節分 / 松風

2024/02/21

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「節分」と能「松風」。前者は初見、後者は宝生流観世流喜多流と観てきて今回は再び観世流で、前回の観世流(梅若玄祥師)と同じく小書《見留》がついています。

国立能楽堂は小雨に包まれていますが、幸いこの日はそれほど寒くはありません。そして館内の資料展示室では、国立能楽堂開場40周年を記念して行われている「収蔵資料名品展」の後期展示が始まっていました。

これが今年初めての国立能楽堂通いなので前期展示は見逃しているわけですが、それにしても展示されている絵巻、能面、装束、楽器の見事さには目を奪われます。また、面白かったのは江戸時代の将軍御覧での演能(演目は「翁」)の様子を描いた絵で、舞台正面から白洲を挟んで少し離れたところに将軍以下が能を観るための貴賓席がもちろん屋根付きの座敷風に設られており、一方その手前(現在の能楽堂の標準的な作りでいうと中正面から脇正面)には庶民席が設けられているのですが、庶民に観能を許すこの機会は無礼講とされていたそうで、絵の中の庶民たちのごった返し度は半端ではなく、どう見ても大変な喧騒の中で「翁」が演じられている様子です。私などは能楽堂の中で他の観客が飴玉を取り出すために包装の音をたてているのを聞くとムッとしてしまうのですが、さすが往時の将軍さまは庶民に対してずいぶんと大らかに接していたのだなと反省させられました。

節分

冒頭に記した通りこの曲は初見なので、少し詳しく筋の運びを追ってみます。

最初に囃子方の三人が舞台に現れ、ついで女(三宅近成師)が登場して名乗りと共に、夫が出雲大社の年取り(年の節目に行う祝いの儀式) に出掛けていること、今宵は節分であることを説明してから笛柱の近くに着座します。ここでピッと短く笛が吹かれて〔次第〕の囃子となり、笠をかぶり蓑をまとい杖を持つ鬼(三宅右矩師)が登場して節分の夜にもなりたり、いざ豆拾うてかまうよと謡うとかまうよと後見が地取。謡われている内容の軽さと謡い方の重厚さとのギャップがすでにおかしいのですが、かまわず鬼は「蓬莱の島の鬼」であると名乗り、例年どおり今年も節分に日本に渡ってきて豆を拾おうとするところだと説明すると蓬莱の島をばあとにみなしつつ、行く末問へば白雲の、足に任せて行く程に、日本の地にも着きにけりと舞台を小さく巡りながら道行の謡を謡って〈着キゼリフ〉。ここまで能の定型をきっちり守った進行でしたが、長旅で「あ〜、くたびれやのくたびれやの」とくだけた雰囲気になるところで囃子方は下がっていきました。

さて、灯りを見つけて女の家(に見立てた脇柱)に近づいた鬼は中を覗こうとぴょんぴょんと跳んでいるうちに門口に挿してあった柊(悪鬼払いの飾り)で目を刺して「あいた!」。このあたりから、どうやらこの鬼は少々間の抜けたキャラであるらしいことがわかってきます。気を取り直した鬼は「頼もう」と声を掛け、出てきた女に向かい左手一本指で自分を指してぴょんぴょんとアピールするものの、女の目には鬼の姿が映っておらず下がってしまいます。隠れ蓑と隠れ笠を着用しているので自分の姿が相手に見えなかったのだと気づいた鬼はこれらを脱いで後見に渡し、再び呼ばわると今度は女も鬼に気づいてくれたものの、恐れおののいて悲鳴をあげてしまいました。自分が怖がられているとは思っていない鬼は自分の後ろに何かいるのか?という仕草を見せましたが、女が鬼を怖がっていることを知ってこれをなだめすかし、とにかく何か食うものがほしいと頼みます。

食うものをやったら去るのか?と確かめた上で女は荒麦(殻付きの麦)を扇から扇へざらざらと施しましたが、鬼の方は謡に乗せて調理の仕方がわからないと荒麦を地面にぶちまけてしまいました。そんなことだから鬼に生まれるのだといきりたって咎める女の姿をよく見ればなかなかの美人だと気づいた鬼は、目にハートを浮かべて言い寄り始めます。

あら美しの女房やと迫る鬼と、これを毛嫌いして「あっちへ行け、あっちへ行けいやい」と迷惑がる女のやりとりが何度か繰り返され、その中で鬼はさまざまに小歌を謡ったり舞や跳躍や太刀・長刀・槍・弓・犬などの形態模写を交えながら、隙をみて女の手をとったり杖の先をねぶれと差し出したりと現代目線ではかなりのセクハラに及ぶのですが、最初は女のそうした反応をむしろ楽しんでいたように見えた鬼も、ついに後ろから女に抱きついたところで手ひどく突き飛ばされて何とてかわが恋の晴れやることのなかるろと謡うと杖を捨てて安座しモロシオリになってえーんと声をあげて始めました。

これだけ手を尽くして迫っても受け入れてくれないとは胴欲な(むごい)人じゃのうとクドキを見せる鬼の姿は見所から見ても気の毒に映るのですが、そこで女が情にほだされるほど狂言が描く人間像というのは甘くありません。鬼が自分を本気で慕っていることにやっと気づいた女が「鬼をだまして蓬莱の島にあるという宝をこちらへ取ろう」と悪巧みの独り言を漏らして宝を我に賜びたまへと謡いかければ、これに大喜びの鬼もさらば宝を参らせんと後見の手から受け取った隠れ蓑・隠れ笠・打出の小槌を床に滑らせて女に与え、さあこれで自分は亭主だと言いつつ腰を押してくれと命じてくたびれやのくたびれやのとごろんと横になりました。ここに来てそう言えば鬼は蓬莱島からの長旅を終えたばかりだったということを見所は思い出すのですが、女はまんまとせしめた隠れ蓑や隠れ笠で雲隠れするのかと思いきやさらに手ひどい仕打ちを用意しており、ようやく節分の豆を撒く時分になったと取り出した豆を、まずは朗々と「福は内」。そしてニヤリと笑みを浮かべたかと思うと女は立て続けに「鬼は外!鬼は外!」と豆を鬼に打ち付け、これにたまらず鬼は叫び声をあげぐるぐると回りながら幕の内へと追い立てられていってしまいました。

上演時間30分ほどと少し長めの狂言でしたが、鬼がユーモラスな所作や舞と共に次々に繰り出す小歌の数々が楽しく、飽きるということがありません。この小歌についての解説をプログラムから引用すると、次のようです。

女を口説くために鬼が謡う小歌の数々が聞きどころです。女の和漢の美女(楊貴妃・李夫人・小野小町)に例えて誉める「あら美しの女房や…」にはじまり、蓬莱の島の流行歌(「あの島先におりやればこそ…」、「津の国」、「瓢箪」)、そして恋の小歌(女の元へ通う男の様子を謡う「忍ぶ其夜」、通ってくる相手を待ちわびる女の気持ちを謡う「なんぼう先の宵…」)という選曲です。

これに対し女の方も、最初はただ怯えて鬼を拒むばかりだったのに、鬼の心情を見抜いた後は宝をよこせであるとか節分の豆を取り出してなどと謡で応酬して音楽劇のような展開になるのですが、それにしても節分の豆を拾いにわざわざ日本にやってきた平和主義者のこの鬼を惚れた弱みにつけ込んでさんざんにやっつける女の残酷さはどうでしょう。登場人物が意地悪というよりも、この狂言の作者の女性に対する見方の方が相当に意地悪に思えますが、それでも幾重にも繰り返される小歌・小舞と背景にある節分という季節感との明るさのおかげで、橋掛リを追い込まれていく鬼の姿を屈託なく見送ることができました。

松風

9年前に今回と同じ観世流(しかもシテは梅若玄祥師、ちなみにワキも今回と同じく殿田謙吉師)、そして今回と同じ小書《見留》付きでの「松風」を観ているので、今回は細々と筋を追うことはしません。とにかく名曲中の名曲です。

以下、場面ごとにポイントを記しておくと、まず〔真ノ一声〕に導かれてツレ/村雨(角当直隆師)とシテ/松風(梅若紀彰師)とが登場してからの場面は、二人の連吟の一体感、シテが灘の汐汲む憂き身ぞとと高音で謡う絶唱(灘グリ)の見事さ、視線の移動や面の照曇といったかすかな所作からにじみ出る心情と、流れるような二人の立ち位置の移動による焦点の変化といった具合に、能ならではの演劇的な魅力が静かに溢れ出すようでしたが、今回あらためて気づいたのは、この曲の始まりから正先にあって無言の存在感を示す松の作リ物が、この舞台での時の流れの中に確固とした芯を通していることです。

ついでワキとの対話の中でシテとツレとがシオリを見せたことへのワキからの問いに応えて二人が松風村雨二人の女の幽霊これまで来たりたりと正体を明かし、いにしえの在原行平との恋物語を連吟で、あるいは掛合いで万感をこめて謡いあげますが、地謡が入るところで囃子方が床几に戻ったことによってようやく囃子が入っていなかったことに気づいたほどに、この二人だけの謡に聞き入ってしまいました。そしてツレが地謡の前に移動し〈クセ〉でシテ一人にスポットライトが当たるかのような空気が作られると、床几に掛かったままのシテは地謡の表現力を借りながら、後見から手渡された行平形見の烏帽子と長絹[1]を見込んだり目を背けたりといった控えめながらもはっきりとした所作により千々に心乱れるさまを示して、目を離すことができません。

そして物着により烏帽子を戴き長絹を着用したシテがついに物狂いとなった後は、息をも継がせぬ見どころの連続となります。松を行平と見て激情を昂らせるシテとこれを制止しようとするツレとの対峙の緊迫感は、9年前の舞台に勝るとも劣らずスリリング。ことここに至って、この曲でツレがどれだけ大きな役割を果たしているかが強く印象付けられます。しかしシテの妄執に巻き取られたかたちのツレが地ノ前に戻ると、シテは〔中ノ舞〕を経てついに懐かしやと松を抱き抱えるものの、やがて後ろずさって左袖で面を覆うようにシオリ。そして小書《見留》により〔破ノ舞〕の中で松の前を走り抜け一気に一ノ松に達してから遠く松を見込む姿には、行平への強い慕情と共にこれが決して成就しないことの切ない自覚が見て取れました。

最後はシテとツレとが橋掛リを下がって幕の内に消え、ワキが常座で留拍子を踏むときにそこに眇々と吹く松風の音ばかりが聞こえるよう。ここまで120分という上演時間があっという間に感じられるほど、演者・地謡・囃子方が一体となった素晴らしい舞台でした。

配役

狂言和泉流 節分 シテ/鬼 三宅右矩
アド/女 三宅近成
赤井啓三
小鼓 幸正昭
大鼓 原岡一之
観世流 松風
見留
シテ/松風 梅若紀彰
ツレ/村雨 角当直隆
ワキ/旅僧 殿田謙吉
アイ/須磨の浦人 高澤祐介
赤井啓三
小鼓 幸正昭
大鼓 原岡一之
主後見 山中迓晶
地頭 種田道一

あらすじ

節分

節分の夜、女が一人で留守番をしているところへ、節分の豆を拾って食べるためにわざわざ日本にやってきた蓬莱の島の鬼が訪れる。食べ物をくれという鬼に女は荒麦を与えたものの、鬼は調理の仕方がわからないと放り出してしまうが、そうこうするうちに女の美しさに気づいた鬼は小歌を歌いながら盛んに言い寄り始める。しかし受け付けられずついに泣き出した鬼を見て、女は一計を案じ、蓬莱の島の宝物が欲しいと言って隠れ蓑・隠れ笠・打出の小槌を差し出させ、これで亭主だと言わんばかりに腰を押せと甘える鬼に節分の豆を「鬼は外」と打ち付けて追い払ってしまう。

松風

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脚注

  1. ^面は9年前と同じく松風は若女、村雨は小面だったが、物着により松風が着用する長絹は紫地に紅金銀の草花が散らされたもの、そして烏帽子は金ではなく黒の烏帽子だった。