箕被 / 松風

2021/06/18

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「箕被」と能「松風」。なんと、国立能楽堂の公演を観に行くのは今年これが初めて(前回は昨年12月の「猿聟 / 舎利」)で、他の能楽堂を含めても今年の観能の三回目(前二回は矢来能楽堂「杜若」と宝生能楽堂「素袍落 / 求塚」)であることから、COVID-19が能楽堂をいかに遠ざけてしまったかがわかります。

あら懐かしの国立能楽堂かな……。

前庭は盛りを終えかけている紫陽花、中庭にはこれも少々くたびれた風情の萩(ミヤギノハギ)。かろうじて季節感を味わいつつ見所に入ると、満員とはいかないもののそれなりの数の観客が舞台を囲んでいました。

箕被

「箕被」は家のことに見向きもせず連歌に夢中になっている男とこれに耐えかねて離縁を申し出る妻の話で、これまで和泉流(佐藤友彦師)と大蔵流(山本東次郎師)でそれぞれ一度ずつ観ていますが、今日は大蔵流でも大藏彌右衛門師がシテなのでこれまた異なる味わいになるのではないかと予想していました。

最初に後見が箕をシテ柱に立て掛けてからシテ/男(大藏彌右衛門師)とアド/妻(大藏彌太郎師)が登場。連歌の初心講の世話役に当たったので準備をするようにと男に言われて妻が怒るという基本プロットは共通ながら、夫と妻の関係性が演者によって若干違うようで、最初に観た和泉流では連歌第一の夫と堪忍袋の緒が切れたわわしい系の妻のさばさばした別れ、次に観た山本東次郎家では夫が家(自分)を顧みないことに涙目の妻から離縁を申し出られて夫はおろおろ、そして今回は妻の造形は同じ大蔵流だけに前回と共通ながら、夫の方は妻と別れたくはないものの連歌は面白くてたとえ離縁してでもやめられないといささか浮世離れの気味が強調されていたように感じました。

和泉流では夫婦の別れの印に男が粗末な箕を選んで妻がクレームをつけるところが笑いのポイントになっていたようでしたが、この日の舞台では暇の印として箕を所望したのは妻の方。そしてさすがに面目のないことだと謝りつつ夫は、こちらへ来ることがあったら立ち寄ってくれれば茶など出そうと妻に言葉を掛けてさらばさらばと別れました。ここで箕を頭上に被いて去っていく妻のなりが見すぼらしく「蝉のもぬけを見るよう」だと男は述懐しましたが、この喩えのニュアンスは今ひとつ不明です(「空蝉」を連想するのは考え過ぎでしょうし……)。ともあれここで男が捻り出し、妻を呼び止めて聞かせた発句は次の通り。

いまだ見ぬ二十日あまりに三日月(箕被)の

これを受けて見事に返した妻の脇句はこれ。

今宵ぞ出る身(箕)こそ辛けれ

妻の連歌の才(前段で妻の父も連歌を嗜むことが語られているのが伏線)に驚き喜んだ夫は、これからは連歌の会にはふっつりと参らず講も営まず二人で連歌を楽しむことにするから何卒家に戻ってほしいと頭を下げてハッピーエンドとなり、盃を交わしながらの小謡の応酬となります。

  • 妻に呑ませながら男千代かけて御慶びの神酒をいざや勧めん
  • 男に呑ませながら妻きこし召せやきこし召せ寿命久しかるべし
  • 妻に呑ませながら男ざざんざ浜松の音はざざんざ

ここで盃を下げると男は箕を手に能「芦刈」から濱の真砂はよみ尽くし尽くすとも、此の道は尽きせめや。唯もてあそべ名にし負う、難波の恨み(ここで箕をひっくり返して見る)打ち忘れて、ありし契りに帰り逢う、縁こそ嬉しかりけれと謡い舞って、最後は舞い終えた夫が妻をこちへおりゃれと誘い、妻も心得ましたと応じて仲良く下がっていきました。

松風

解説によれば「松風」は田楽の亀阿弥の古作「汐汲」を観阿弥が改作し、世阿弥が手を加えたものだそう。「熊野」と並び立つ人気曲で私もこれまで二回(寺井良雄師梅若玄祥師)観ていますが、いずれの機会も強い感銘を覚えた記憶があります。これら宝生・観世共に上掛リなのに対し、今日は下掛リの喜多流。詞章や演出に違いが出そうですが、何分長丁場なのでそこはあまり気にせず、須磨のうら寂しい情景の中で繰り広げられる情念の世界に浸ることにします。

正先に松の作リ物が置かれて、蕭条たる〔名ノリ笛〕(プログラム掲載の詞章には下掛系の〈次第〉須磨や明石の浦伝ひ、月諸共に出でうよが書かれていましたが実演ではスルー)と共に登場したワキ/旅僧(森常好師)とアイ/須磨の浦人(大藏基誠師)。アイを狂言座に置いてワキは舞台に進み〈名ノリ〉から〈着キゼリフ〉、さらにアイを呼び出して一ノ松と常座とでの問答とさらさらと進みましたが、その後に松の間近に立ってこれを眺めながらさればこの松は松風村雨とて、姉妹の女人のしるしかやと二人の女人を悼む独白はさながら森常好劇場。常好師ならではの深い声音でぐっと聞かせました。

水桶を乗せた汐汲車が目付柱の近くに置かれた後、厳しいヒシギからこの後に登場する二人がこの世の者ではないことを暗示する〔真ノ一声〕。裾に朱色を見せる縫箔腰巻に白の水衣を肩上げにしたツレ/村雨(内田成信師)とシテ/松風(狩野了一師)が登場し、一ノ松と三ノ松とで向かい合って〈一セイ〉汐汲み車わづかなる、浮世に廻る儚さよと謡います。いずれも小面を掛けていますが、ことにツレの声の通りが尋常ではありません。〔アシライ〕のうちに舞台に進んだツレとシテが謡うのは〈次第〉秋に馴れたる須磨人の、月の夜汐を汲まうよ。以下『源氏物語』の「須磨」やいくつかの歌を下敷きとしながら風吹く夕暮れの須磨の浜辺で幸薄い海人の境遇の侘しさが語られ、シテとツレは思ひを干さぬ心かなで向き合ってシオリ。この後もシテとツレとが共にシオル場面が何度か出てきますが、いずれもツレは扇を持つ右手でシオリ、シテは反対の左手で所作を二回(これは以前講座で聞いた通りです)。清らかに澄む月の光の下で満ちてきた汐をいざや汲まうよとするものの、水に映る自分の(地謡もこの「影」をとりわけ強調)を恥じ朽ち増さり行く袂かなとまたシオリ。

ともあれ月の夜汐を汲んで家路に帰り候はんとシテが声を掛けたところから気分が変わり、シテとツレが舞台上で立ち位置を変えながら秋の須磨の浦の情景を謡った後に、常座に立つツレが見守る前でシテは寄せては帰るかたをなみから始まる地謡フォルテシモの〈上歌〉〈下歌〉を聞きつつ汐汲車に近づいて膝を突くと、扇で汐を汲み水桶に注ぎ入れる所作。そして車の轅に結びつけられていた紐を手に取ったシテは、これを長く伸ばしながら舞台を斜めによぎって正中まで戻ります。浦尽くしの〈ロンギ〉を経て水桶に映る月影を喜び月は一つ、影は二つ。ここでさらに汐汲車を引いたシテが大小前まで進んだところで引紐ははらりとその手から離れ、後見が出てきて汐汲車を下げると共にシテを大小前で床几に掛からせ、ツレは脇正に下居しました。

ここからワキとシテ・ツレとの問答になり、二人が塩屋に戻ってきたので宿を借りたいと申し出るワキに対し、ツレはシテの意向(あまりにいぶせき処なのでNG)を確認した上でこれを断りましたが、自分は出家の身なのでそこを何とか……と言葉を重ねるワキをシテは(そうだったのか)といった風情で見上げ、ツレがすげなくいや叶ひ候ふまじと再度断るその言葉に暫くと強くかぶせて、それならばお泊まりあれと申しなさいとツレに命じました。今宵の宿を得て感謝するワキが在原行平の須磨蟄居のときの歌わくらはに問ふ人あらば須磨の浦に 藻塩たれつつ侘ぶと答へよを引き、あるいは浦人から聞いたばかりの松風村雨二人の旧跡を弔っていたと語ったところで二人のシオリを見て訝しむと、シテはその歌人の物語があまりに懐かしくて執心の閻浮の涙が袖を濡らしたのだと答えました。これを聞いて名を問うワキに対するシテとツレの恥づかしや〜怨めしかりける契りかなからシオリを挟んでこの上は何をかさのみ包むべき以下のクドキはシテとツレが同声量での連吟で、感動するほどのシンクロ度でした。

その後、須磨に蟄居していた行平の愛を受けた松風と村雨の幽霊であると正体を明かした二人が行平蟄居の三年間を回想し、都に戻って間もなく亡くなった行平への思慕と身分不相応な恋による罪の意識とに苛まれていることを明かしてワキに弔いを求めた後に〈クセ〉。行平が都へ戻るときに形見として烏帽子狩衣を残していったが、これを見るたびに思いは募り、いっそこれがなければ忘れることもできるかもしれないのに……と地謡が謡う間に、シテの膝には金の風折烏帽子と紫地の長絹が渡されます。シテはこれらを左手に持って掲げこれなくはで背後に振り隠したかと思うと今度は胸に引き寄せ、さらに立って捨ててもおかれずでまた投げ捨てるような所作を見せたかと思えば右手に持ち替えて回り、松にぐっと近づいて見入った後に後ろずさると正中に安座して長絹をかき抱き面を伏せました。

これら一連の激情表現の後に一転、〔物着アシライ〕となってシテの姿は形見を身にまとい行平の姿へと変わります。そして三瀬川絶えぬ涙の憂き瀬にも 乱るる恋の淵はありけりとしみじみと謡った直後に、シテは突如物狂いの状態となり、声色を変えてあら嬉しやあの松蔭に行平の御立ちあるが、松風と召され候ぞと憑かれた様子で立ち上がるといで参ろうと松に向かって走り寄りました。脇正に控えていたツレはこの姉の狂気に気付き、素早く手を差し出してシテの右袖を止め言葉を尽くして正気を取り戻させようとしましたが、愚かの人の言ひ事や、あの松こそは行平よ、縦ひ暫しは別るるとも、待つとし聞かば帰り来んと、連ね給ひし言の葉はいかにと反駁されたとき、ツレもまた心を翻してげになう忘れてさむらふぞ、縦ひ暫しは別るるとも、待たば来んとの言の葉を

ツレは地謡前に移り、シテは橋掛リを幕前まで戻ってから再び舞台に入って脇正に立つと、ここから常に松に心を残しながらの〔中ノ舞〕に入ります。長絹の文様の白藤の房が風に揺れ、蝶が舞い飛ぶかのような優美な舞を舞い納めてもシテの心はさらに昂り、松の立木に密着して磯馴松の懐かしやと左袖を返し見入ってから大小前に下がってシオリを見せると、〔破ノ舞〕に移って松の手前、階きざはしとの間の狭い空間をすり抜けて短く舞い終えました。そして松に吹き来る狂おしい風(大きく両手で二回の招キ扇)、須磨の高波も激しい音を立てる一夜、妄執のために僧の夢に姿を見せた私の跡を弔ってほしいとシテが膝を突いて合掌して見せると、波音を示す足拍子を残してツレとシテとが霊が消えていくように素早く橋掛リを下がっていき、残されたワキが常座に出て留拍子を踏むと共に返しなく(一度だけ)松風ばかりや残るらんと末尾高く謡われて終曲となりました。

久しぶりに観た「松風」でしたが、これまでの二度の機会以上に劇的な舞台に感銘を受けました。前半の清けき月の光の下でのしみじみとした情趣、ワキとの問答に続くシテとツレとの連吟の一体感と物着からの物狂いの激情、そして最後は松風吹く中に立ち尽くす旅僧が抱く無常感までも織り込んで、1時間50分ほどの上演時間をまったく長く感じさせませんでした。この展開はKing Crimsonの「Starless」を連想させるなあと突拍子もないことを後で考えましたが、そこには八人の地謡と練達の囃子方による緩急・強弱のダイナミズムも寄与していたことはもちろんです。ちなみに副地頭を勤めていた粟谷明生師はご自身のアカウントでのFacebookへの投稿の中で「出演者全員が、かなりサラリと軽い位で、謡い舞い囃子しました」と書いておられましたが、あれでサラリなのか……。

ところで今回この曲を観ているうちに疑問を抱いたのは、物着によって行平と一体化したシテ/松風が憑かれたように松に駆け寄ってツレ/村雨の静止を受けたときに放った愚かの人の言ひ事や、あの松こそは行平よの意味です。村雨に諌められても松風は執心の虜のままに松蔭に行平の幻を見続けているのか、それとも行平その人ではないことはわかった上で「待つ(松)とし聞かば」という行平の言葉をよすがに思慕の情に折合いをつけようとしているのか。プログラムの中にはこの狂気ともいえる錯覚は、村雨の制止によって覚醒し、松風は自らの恋の絶望的状況をはっきりと思い知らされる(金子直樹氏)とする解説ともはや妹・村雨のたしなめる声も聞こえぬ激しい情の中で松風は舞い続ける(村瀬和子氏)という解釈とが並存していましたが、ここは次に「松風」を観るときの留意点にしようと思います。

配役

狂言大蔵流 箕被 シテ/男 大藏彌右衛門
アド/妻 大藏彌太郎
喜多流 松風 シテ/松風 狩野了一
ツレ/村雨 内田成信
ワキ/旅僧 森常好
アイ/須磨の浦人 大藏基誠
杉市和
小鼓 観世新九郎
大鼓 亀井広忠
主後見 中村邦生
地頭 出雲康雅

あらすじ

箕被

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松風

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