泣尼 / 鵺
2025/11/26
銕仙会能楽研修所(南青山)でのこの日の青山能は、仕舞「頼政」、狂言「泣尼」、能「鵺」の組み合わせです。

光さん人気は相変わらず健在、この日の青山能には「完売御礼」の札が付されていました。
頼政
まず舞台に掛けられたのは小早川修師による仕舞「頼政」(地頭は馬野正基師)で、この日の能「鵺」が源頼政にまつわる話であることからの選曲です。舞われる場面は後場から、以仁王と共に挙兵した源三位頼政が南都を目指す途中、宇治の平等院で平家軍に追いつかれ、以仁王を逃すべくここで合戦に及んだ後に自害するまでです。
寺と宇治との間にて
から始まり、床几に掛けた頼政の目に映る戦況が小早川師と地謡とによって力強く語られ、そこに張り詰めた足拍子が重なって戦場の雄叫びや宇治川の荒々しい波音が聞こえてくるようでしたが、ついに立ち上がってここを最期
と自らも太刀を振るった後、頼みの我が子二人の討死を知って自害を決意したところで一転して舞台上が沈静化。芝の上に扇を敷いた体で角に安座すると辞世の歌埋れ木の花咲く事もなかりしに 身のなる果はあはれなりけり
を詠い、最後に正中に戻って左手の扇で顔を隠しながら失せにけり
と膝をついて終曲です。
一見するとこの曲の頼政は滅びの美学を体現しているようですが、執心に苛まれて僧の前に姿を現しているのですから綺麗事では終わらない苦悩の内にあり続けてきたと見た方がよいのでしょう。ともあれ、目の前で展開した10分強の濃密なドラマには終始圧倒され続けました。
泣尼
この曲は一昨年、善竹大二郎師のシテと善竹十郎師・大藏教義師のアドで観ています。今回演じるのは山本東次郎家の則秀・則重・則孝師ですが、同じ大蔵流ですので舞台進行の様子は一昨年の記事に委ねます。
住持を演じる則秀師は最初のうちこそ父・則俊師譲りの芯の通った出家ぶりで、それだけに尼を雇うときの「早や泣くか」「泣きにくいところをよう泣いたものじゃ」と感嘆したような台詞が得も言われぬおかしみを醸し出します。かたや則重師による尼の造形は、善竹十郎師のそれに比べるとよりナチュラルな感じですが、膝を曲げ腰を落としシテの肩の高さくらいに背を縮めてひょこひょこと歩く姿は確かに老婆のそれ。しかも実は強欲なのに、肝心の説法が始まると泣くことを忘れてよそ見をしたり数珠を揉んだり扇ではたはたと自分を煽いだりとなんだかコントのような振る舞いを見せます。ついには船を漕ぎだして見所を笑わせてくれて、そのことによって説法をしている住持を動揺させてしまいます。これらに対して施主は徹頭徹尾生真面目でいかにも則孝師なのですが、そんな則孝師だけに尼が打ち合わせ通りに泣いてくれないことに動揺している住持の様子を怪訝な面持ちで振り返る姿が品の良い笑いを誘っていました。
最後は仕事をしなかったのにあつかましく布施の半分を要求する尼と、宗教者のくせに尼のせいですっかり感情を露わにする住持とがぶつかりあってカタスロトフィを迎えましたが、演者三人のバランスが絶妙で、とにかく屈託なく笑える狂言でした。
鵺
この曲は2022年に観世淳夫師のシテで観ています。今回演じる鵜澤光師も同じく銕仙会ですから、これも舞台進行はそのときの記事に委ねます。この日の布陣はと言うと、主後見は観世銕之丞師でその横には谷本健吾師、地頭は鵜澤久師で前列左には観世淳夫師。もしかすると「光さんはどういう鵺を演じるのか」という目線で舞台を見守っていたかもしれません。囃子方では小鼓の若い大倉伶士郎師の姿が目を引きますが、おや、後ろを固めているのは父上の源次郎師では?
橋掛リの上を滑るように入ってきた前シテは、黒頭に漆黒の水衣、着付も暗い色で手に竿を持ち、面は怒りの表情を浮かべる筋男。小柄な姿から発せられる鵜澤光師ならではの切迫感がこめられた謡によって、舞台上に名状しがたい空気が漂います。そして旅僧に対し鵺の亡心だと名乗った後に繰り広げられる自らの死の場面の回想では、力強さを増した地謡と囃子方を背景にまず頼政になって黒雲をきっと見上げると扇を弓に見立てて素早く矢を放ち、ついで猪早太になって落ちてきた鵺を太刀に見立てた扇で刺し貫きます。そして扇を松明として鵺の姿を見おろして、ここまでのきびきびとした型の連続が終わったところで時制を現在に戻すと、正中に下居して再び竿を手にします。そして無念を漂わせながら舟に乗って消えていく途上、橋掛リの上(cf. 淳夫師のときは常座)で竿を捨てて、幕の内へ消えていきました。
ついで太鼓が入ることで雰囲気が一変した舞台に登場した後シテは、赤頭に法被・半切、面は牙飛出。手に扇を持ち、背に打杖を挿しています。そして僧の読経に感謝して再び自らが退治される場面を再現しましたが、ここでは橋掛リまでを使い強い足拍子と共に前場よりさらに大きな型の連続をこなして見所の目を釘付けにしました。ついに討たれた鵺が常座にがっくり安座した後、シテは扇を腰に挿し打杖を取り出して頼政の姿となると、この功により帝から剣を賜るに際し藤原頼長が詠んだ上の句ほととぎす名をも雲居に上ぐるかな
に対し下の句弓張月のいるにまかせて
を返して賞賛され、打杖を用いて剣をめでたく拝領する姿を描きます。しかしここからシテが再び鵺に戻ると舞台上は一転して寒々しい空気に包まれ、うつぼ舟に押し込められた自分が淀川に流されるさまを悲痛な流レ足で示すと、橋掛リまで出て幕前に打杖を捨て、扇を手にして舞台に戻り、さらに舞台狭しと廻った末に飛ビ帰リからさっと左袖を被いて、最後は常座に立ち左袖を巻いて留拍子を踏みました。
このように、前場においても後場においても膨大な運動量での型の連続があり、しかも鵺が自らを退治した者の姿を演じて勝者(頼政)の姿を輝かしく見せるほどに、クライマックスで闇の中に消えてゆく鵺の姿が深みを増すのですが、鵜澤光師はこれらを澱みなく演じて鵺の悲哀を際立たせました。また、栄誉に包まれた頼政に四半世紀の後に訪れる悲劇を描く仕舞「頼政」を冒頭に置くことで、この日の公演は運命の大きな円環を描いていたようでもありました。
青山能恒例の終演後の小講座は、観世銕之丞師と共にこの日の後見を勤めていた谷本健吾師が講師。解説のポイントを箇条書き(順不同)にすると次のようでした。
- 狂言「泣尼」は追善として演じられることが多い曲。今月は山本則俊師の三回忌にあたるので、則重・則秀のお二人はそのつもりで勤めるという話をされていた。
- 能では鏡ノ間から出るときまず右を向いてから正面に向き直って橋掛リに進む(右ウケ)こととされているが、「鵺」の前シテではそうはしない。これは舟に乗っているという体だからで、「江口」「竹生島」ほかの同様の設定の曲も同じ。
- 中入のときに今日の前シテは橋掛リの途中で竿を捨てた。普通はシテが竿を幕の内まで持って帰るが、途中で捨てる演出意図は、我が身を舟の流されるままに身を任せてたゆたうというもの。
- 鵺の鳴き声はトラツグミのようだと描写されているが、実際にトラツグミの声をYouTubeで聞いてみたところ、ヒーともキーともつかない金属音のような声だった。この声が鬱蒼とした森の中で響いたらぞっとするかもしれない。
- 修羅物では仕方話で複数の登場人物を演じ分けることが多いが、この「鵺」ほど鵺から見た頼政、頼政から見た鵺を明確に型で示す曲はない。自分は「鵺」を演じたことがないのだが、若いうちに演っておけばよかったと思った。
配役
| 仕舞観世流 | 頼政 | : | 小早川修 | |
| 狂言大蔵流 | 泣尼 | シテ/住持 | : | 山本則秀 |
| アド/施主 | : | 山本則孝 | ||
| アド/尼 | : | 山本則重 | ||
| 能観世流 | 鵺 | 前シテ/舟人 | : | 鵜澤光 |
| 後シテ/鵺 | ||||
| ワキ/旅僧 | : | 村瀬慧 | ||
| アイ/里人 | : | 山本凜太郎 | ||
| 笛 | : | 藤田貴寛 | ||
| 小鼓 | : | 大倉伶士郎 | ||
| 大鼓 | : | 佃良太郎 | ||
| 太鼓 | : | 澤田晃良 | ||
| 主後見 | : | 観世銕之丞 | ||
| 地頭 | : | 鵜澤久 | ||