歌仙 在原業平と伊勢物語
2026/03/02
三井記念美術館(日本橋)で「歌仙 在原業平と伊勢物語」。これは在原業平生誕1200年記念特別展として企画されたもので、三井記念美術館のサイトにおける本展の開催趣旨は次のとおりです。
平安時代前期に活躍した在原業平(825~880)は、天皇の孫で和歌に優れた貴公子として知られます。その「歌仙」として、また「恋多き歌人」としての人物像は、彼の和歌に加え、『伊勢物語』の主人公に仮託されることで拡散していきました。
2025年は、業平の生誕1200年にあたります。 これにちなみ、現在でも人気が高い業平と『伊勢物語』を題材に生み出された絵画・工芸・茶道具等の作品を集め、そのイメージの広がりの豊かさと、造形の魅力を探ります。
また、和歌の典拠の一つとされる『古今和歌集』や、近世における普及の一端を担った版本・絵入本などの典籍を通じて、『伊勢物語』の成立と普及の過程についても展示いたします。
在原業平生誕1200年記念ということでは、昨年12月に根津美術館で「伊勢物語 美術が映す王朝の恋とうた」を見ていますが、実はこの根津美術館の展覧会と今回の三井記念美術館の展覧会は共に監修者の河田昌之氏から根津美術館と当館での展覧会開催のオファーがあり、両館で協力して開催することとなり、それぞれの館で内容の異なる伊勢物語の展覧会を開催
することにしたものなのだそうです。つまり、これら二つの展覧会は兄弟関係にあるというわけです。

展示室1 ダイジェスト伊勢物語
まず冒頭に岩佐又兵衛の《三十六歌仙図額 在原業平像》(重文)を置いて、絵巻、色紙、かるた、合貝、茶道具などのさまざまな形態で『伊勢物語』の各段を追っていきます。この日展示されていたエピソードは「西の対」「関守」「芥川」「浅間の嶽」「八橋」「宇津の山」「隅田川」「武蔵野」「筒井筒」「若草の妹」「田刈らむ」「塩釜」「龍田川」で、展示ケース上にそれぞれの段のあらましが掲示されているので予備知識がなくてもそこに何が描かれているかがわかりますが、先に根津美術館の展覧会を見た人であれば、取り上げられている段(=人気の段)はほぼ共通なので、鑑賞がスムーズだろうと思います。
展示されていた作品の中では《伊勢物語絵巻 第四段「西の対」》(重文)の鋭角的な建物の表現がモダンで面白く、充実していた合貝の数々は『伊勢物語』の受容と伝承のかたちを示しているよう。また《金銀象嵌八橋図鍔》《笈形蒔絵香合》《九曜紋筒井筒蒔絵硯箱》といった工芸品の技の冴えを間近で見られるのも貴重(ルーペ持参を推奨)で、《伊勢物語芥川・武蔵野図扇面》には二つの段に共通するモチーフ(逃避行)を一つにまとめる才智を見てとれます。
なお、展示期間によって入替えがあり、「西の対」の絵巻は前期限りの展示です。
展示室2 伊賀耳付花入 銘業平
大きさも形も大胆で存在感のある伊賀焼の花入《銘業平》(桃山時代)は、古田織部の好みが反映されたものだそう。その伝来や銘の変更の経緯にも曰くがあり、この花入の存在自体がある種エスタブリッシュメントの世界を垣間見せてくれているようです。
展示室3 如庵「能の業平」
この美術館には茶室「如庵」写しの茶室ケースがありますが、その床の間に《武蔵野図》(オペラグラス持参を推奨)を掛けた上で、《能面 中将》(重文)や業平菱の長絹、初冠などの冠り物が展示されていました。在原業平にまつわる謡曲については、展示室7でも取り上げられることになります。
展示室4 絵画化された伊勢物語
この美術館で最大の展示室には見応えのある絵画作品の数々が展示されており、それらのうち次の二つの作品に限っては撮影が許可されていました。
ただし展示の目玉となるのはこれらではなく、18世紀の深江芦舟の手になる《蔦の細道図屏風》(重文)で、フライヤーの表面を飾っているのがそれ。「宇津の山」に基づき都への文を託した修行者を見送る「男」たちの姿を描いており、尾形光琳風のたらし込みでぼんやりと描かれる山に囲まれた主人公の背中になんとも言えない哀感が漂っています。なお、本来この話の季節は初夏ですが、「宇津の山」を歌に詠む際に紅葉した蔦を詠み込む中世以来の伝統を反映しており、赤い蔦の葉がよいアクセントになっています。この作品の展示は3月7日までです。
純粋に絵画としての美しさを味わうことができる作品としては、作者不明の《業平東下り図襖(富士見業平)》と上掲の《伊勢物語八橋・龍田川図屏風》が挙げられます。前者は金地の襖の右端に富士山を描き、その左に松原と共に馬上の業平とその一行を描く雄大な構図が目を惹きますが、業平が典型的な麻呂顔なのに対し従者たちが妙にリアルな顔立ちで、作品解説に付されているコメントもややクセ顔の従者たち
とユーモラス。一方、後者はその名の通り右に「八橋」、左に「龍田川」を見事なバランス感覚の中に精緻に描いて、遠くから眺めても近寄って見てもOK。さらに、人物を置かずに橋と杜若だけを描いてその省略の表現が大和絵というより現代日本画の感性を思わせる田中訥言《八橋図》(18-19世紀)や、縦構図の彼方にぼんやりと浮かぶ富士山にまるで吸い込まれていくような業平一行の後ろ姿が儚い尾形光琳《業平東下り図》(18世紀)が情趣深く、ここでずいぶん時間を使いました。
しかし、それで終わらないところがさすがの業平で、まるで子供が描くマンガのような中村芳中《業平図》にはずっこけそうになり、伝俵屋宗達《伊勢物語色紙 第58段「田刈らむ」》に描かれる女たちの屈託ない笑顔とたくましい二の腕に頬が緩み、そして釈迦入滅図を模した《業平涅槃図》(18世紀)のパロディ精神(横たわる在原業平の周りでその死を悼む人々が全部女性、動物たちも雌ばかり)を楽しみました。
なお、このコーナーに琳派の画家の作品が多いことは当初意外に思えましたが、帰宅してから読んだ図録中の論考は、平安時代から続く『伊勢物語』愛好の歴史の中でも江戸時代になってからの美術分野での普及が目覚ましいこと、さらに物語そのものの描写から物語中のモチーフを図様として展開することに尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一らが果たした役割を強調していました。
展示室5 歌仙在原業平と伊勢物語
歌人としての業平に注目した上で『伊勢物語』の成立過程における『古今和歌集』との相互関係、すなわち業平自身が編んだ短い歌物語(原初の『伊勢物語』)が『古今和歌集』にそのままの形で(文章部分は詞書として)取り入れられ、その後、逆に『古今和歌集』や『拾遺和歌集』の歌をもとに『伊勢物語』が増補されていった可能性に言及し、その上で近世の嵯峨本が『伊勢物語』の受容層を広げたことを指摘する展示。いわばこの展覧会の中で最もアカデミックなパートですが、この展示室に入ったところで館内放送があり、閉館まで残り30分とのこと。展示室4で時間を使いすぎてしまったことを後悔しながら、それでも《藤原定家筆歌切(古今和歌集序抜粋)》(鎌倉時代)はじめ各種墨蹟に見入りました。
歴史的価値という点では同じく鎌倉時代の《拾遺抄(『伊勢物語』に通じる部分を展示)》(重文)や平安時代にまで遡る伝源俊頼《古筆手鑑「高㮤」71(表71)業平集断簡》が貴重ですし、江戸時代初期の「猪熊事件」に連座したことで有名な烏丸光広の筆になる《古今和歌集 上・下》も興味深いものですが、純粋に美しさという点で見入ったのは江戸時代の葛岡宣慶《白描絵入古今和歌集》でした。余白を生かしつつ連綿と、それでいて細密に並ぶ文字は、その配列の妙だけでも芸術の域に達しています。他にも見応えのある書風の作品の数々が並んでいましたが、一つ一つに見入る時間の余裕がありません。惜しいことをしました。
それにしても、最後の作品が「おかし男、ほうかぶりして……」で始まるパロディ《仁勢物語》で、解説曰く逐語的レベルの”ニセモノ”ガタリ
というのを見ると、在原業平の受容の仕方の多様性(?)に驚かされます。
展示室6 伊勢物語の名所
ごく小さな展示コーナーであるここには『伊勢物語』にまつわる名所の位置を地図上にプロットした一覧図と各所の写真を置き、中でも八橋に注目して《瀧殿八ツ橋共絵図(大工頭中井家関係資料のうち)》(重文)が展示されています。この八橋は、大名庭園や御所の庭園にも導入される人気のモチーフだったことが図録のコラムに紹介されていました。また、名所の写真の中に神戸の布引の滝を見つけて懐かしさを覚えたのは、私の趣味の一つである登山が神戸の六甲山からスタートしており、その最初の山行は新幹線の新神戸駅の下をくぐって布引の滝を見てから山道に入るものだったからです。
展示室7 伊勢物語の意匠化と芸能化
なんとか時間内にここまで辿り着きました。『伊勢物語』の各段の象徴的なモチーフ(留守模様)を蒔絵・螺鈿で表した硯箱で美の極致を堪能し、『伊勢物語』に題材をとった香木、茶碗、着物を見て回って、最後に『伊勢物語』にまつわる光悦謡本「杜若」「隅田川」「雲林院」「井筒」「小塩」と赤い地色に金色の流水紋のコントラストが強烈な《紅繻子地観世水扇面散模様縫箔》、そして能面《中将(鼻まがり)》《小面(花)》《孫次郎(ヲモカゲ)》(いずれも重文)をありがたく拝見してから、図録を購入すべくミュージアムショップに駆け込みました。
最後は駆け足になってしまいましたが、それでも根津美術館での展示と双璧をなす充実した展示で『伊勢物語』に再び触れることができて、実にハッピーです。ただ、両方の展示を比較すると、根津美術館での鑑賞では『伊勢物語』の物語世界に没入していく感じがあったのに対し、今回の鑑賞では一歩離れたところから『伊勢物語』の広がりを俯瞰する感じがしました。これは展示の構成の違いによるものなのか、根津美術館での鑑賞を通じて知識を培ったことの影響なのかわかっていないのですが、いずれにしても、根津美術館の「伊勢物語 美術が映す王朝の恋とうた」に足を運んだ人であれば、この「歌仙 在原業平と伊勢物語」も必見であるとは間違いなく言えると思います。
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