芦刈

2021/06/30

銕仙会能楽研修所(南青山)で青山能。仕舞二番と共に能「芦刈」です。この曲の中でシテが舞う笠尽しの舞は仕舞「笠之段」として何度か観ているのですが、一曲を通して観るのはこれが初めて。と言うより、4月の「青葉乃会」で「笠之段」を観て、そうだ「芦刈」も観てみようと探してこの日の青山能に行き当たったという流れです。

ついでに書くと先日観た狂言「箕被」の中にも、妻と仲直りした男が「芦刈」の一節を謡い舞う場面があり、このところ「芦刈」づいていた感じ。

まずは仕舞二番。「誓願寺」は〈クセ〉、和泉式部の霊が誓願寺の縁起を語り弥陀の近いを讃える場面ですが、82歳の山本順之師の舞は年輪を感じさせる味わい深い柔らかなっもの。かたや「春日龍神」は、龍神が釈迦の事績を再現し明恵上人の渡天中止を聞き届けて去るキリの場面を北浪貴裕師が龍神が乗り移ったようなきりっとした面持ちで豪壮に舞いました。強烈無比な足拍子と飛返リが圧倒的!これを観ると久しぶりに「春日龍神」を観たくなってきます。

芦刈

古作「難波」を世阿弥が改作したものかと言われる曲、季節は春。ヒシギから〔次第〕が奏されるうちに、草花が華やかな総文様の紅入唐織着流に銘「子有通」の小面を掛けたツレ/左衛門ノ妻(観世淳夫師)、素袍出立のワキ/妻ノ従者(則久英志師)とワキツレ/供人が二人登場し、舞台上に四角に立って〈次第〉古き都の道なれや、難波の浦を尋ねん。ワキが朗々とよく通る声でツレを自分の主人の若子の御乳の人と紹介し、その里である摂津の日下をもう一度訪ねたいというツレに従って淀から舟に乗ったところだと説明すると、道行から〈着キゼリフ〉となります。道行の中に「有明」の語がありましたから、この川下りは早朝のことだったのでしょう。ここでツレとワキツレを脇座へ送ってワキは狂言座に控えていたアイ/里人(大藏基誠師)に声を掛け、日下左衛門の所在を尋ねましたが、アイは「もとはここにいたが零落して今はここにはいない」と答えました。この辺り、話がずいぶん飛ばされているようで、流儀によってはワキの〈名ノリ〉の中でツレの夫が日下左衛門であったこと、困窮して夫婦別れをした妻は都でさる人の若子の御乳の人になったこと、そのことで暮らしが安定した妻が夫を訪ねたいと思い旅立ったことが語られるそうです。

ともあれ、ワキから報告を受けたツレは嘆きつつシオリを見せましたが、それでも暫くはここに逗留することにします。そこでワキはツレを励ましてからアイに再び向かい、ツレに見せたいのでこの浦に何か面白いものはないかと尋ねたところ、アイが言うには浜市に芦を売る若い男がいるが色々に戯れごとを申して面白いので暫くお待ちなさいとのこと。これを聞いて喜んだワキが脇座の一同の列に戻ったところでアイが橋掛リの入口から揚幕に向かってシテに呼び掛け、しかる後に大小の裏に下がって横向きに座したところで〔一声〕。ややあって幕が上がり、黒い笠をかぶり鮮やかな緑の水衣に白大口、右肩には先端付近に直角に芦の葉を立て並べた棒(卑近ながら歯ブラシを連想……)を担いだシテ/日下左衛門(谷本健吾師)がゆっくり登場しました。一ノ松で謡い出したその重々しい声を聞きながら谷本健吾師が10年少し前に披いた「道成寺」を思い出しているうちに〈一セイ〉難波なる、見つとはいはじかかる身にと舞台に進んだシテは、地謡の呼応を聞いてから〔カケリ〕。その後にシテと地謡とが掛け合いながらシテの今の落ちぶれた境遇をひとしきり嘆いて見せましたが、シテの謡が見事にメロディアスで聞き惚れてしまいました。

常座で後ろを向いたシテが笠を外して後見に渡し、正面に向き直るとその直面には10年の経過がもたらしたさらなる精悍さが窺えましたが、そこでワキがシテに声を掛けました。これに応えたシテがひとしきりの言葉の最後によしとて召され候へと語ったのを聞いたワキが「よし」と「あし(芦)」は同じなのか?と問うたところ、たとえば薄も穂が出れば尾花と言うし、難波の芦も伊勢では浜荻というとシテが答えて、ここで地謡に詞章を委ねつつ自らは舞台を小さく回ると左手の芦を伸ばして右手の扇で刈り取る様子を示し、これをワキに召されよ(買って下さい)と差し出してから芦を後見に渡しました。

次にワキが「御津の浜はどこか?」と尋ねたのに対しシテが忝くも御津の浜の御在所はあれにて候と答えたためワキが「忝くも」という言葉を不思議がったところから今度は仁徳天皇の大宮があったというこの難波の歴史を紐解く問答となって、常座から中正面の方角を眺めていたシテがと注意喚起。ワキも御津の浜を遠く眺める風情となってシテのあれ御覧ぜよ御津の浜に、網子調ふる網船の、えいやえいやと寄せ来るぞやから仕舞でおなじみの「笠之段」になりました。まずは上古の昔からの浜の営みを描写する詞章が地謡によって謡われ、この間に舞台を巡ったシテは地謡前に立つワキに近づき左手でワキの腕をとるような仕草を見せて見えたる有様あれ御覧ぜよや人々。おぼろ舟、沖の鴎磯千鳥、海士の小舟などと海景が次々に展開した後にシテ雨に着るからは後見から渡された笠を掲げて舞い巡りながら地謡と掛け合い、梅の花笠、月の笠、乙女の衣笠、袖笠ひぢ笠と笠尽しの謡と共にさまざまに笠を使い、さらに地謡のあなたへざらり、こなたへざらりに合わせて足拍子を響かせると、風のあげたる古簾と角で笠を高く掲げる形を見せてから常座に安座します。

ここでツレが芦を自分のところへ持ってこさせるようワキに命じ、このことを聞いたシテは後見から受け取った芦をワキに渡そうとしましたが、ワキからいや唯直に参らせ候へと言われます。笠之段のときとは打って変わって舞台上を静寂と緊張感が支配する中、シテは芦を笠に載せて捧げ持つようにし、中腰の姿勢で常座から角を経て脇座へしずしずと進み、ツレの前に下居してそろそろと目を上げツレの顔を見ると、これもゆっくり芦を笠から滑り落としたと思った途端に一目散に橋掛リへ下り揚幕の前まで戻って座しました(ここも流儀によっては曲の冒頭またはシテの出の前に舞台上に設られた藁屋に隠れる演出が採用されるそう)。

思わぬ展開に驚くワキに、涙を見せていたツレは今の芦売人こそわらはが古人であると明かし(この間にツレの前に落ちている芦は地謡の一人が回収します)、ワキたちが連れ戻そうとしては恥じるであろうからと自ら立って一ノ松まで進むと、膝を突いて如何に古人、わらはこそこれまで参りて候へと切々と呼び掛けました。我が身を恥じるシテとその心を解こうとするツレが、じっくりと歌い交わす歌は次の二首。

シテ君なくてあしかりけりと思ふにぞ いとど難波の浦は住みうき

ツレあしからじよからんとてぞ別れにし 何か難波の浦は住みうき

「芦刈り」と「悪しかり」を掛けながら別れたことを悔やむ夫の言葉を打ち消し励ますような妻の言葉に、シテは心を開き小屋の戸を押しあけて出て、我が身を眺め恥じらいながらもツレと共に舞台へ戻ります。

シテが手にしていた笠は舞台に入るときに後見に手渡され、同時にここで大小裏に控えていたアイは狂言座へ。事の次第を喜び着替えを促すワキの言葉にシテが後見座へ移動して物着にかかると、アイが大小前までやってきて安座しワキとユーモラスな会話を交わし始めました。まず、シテを一行に引き合わせた自分の手柄をさりげなくアピールしつつ自分も都へ召し連れてほしいと図々しく要求しましたが、これはワキが快諾。一方、ワキから歌物語を求められたアイは物の名もところによりて変わりけり 難波のアジは伊勢のハマグリ。ワキとシテとの最初の会話を下敷きにしたパロディーになっていますが、いやいやそうじゃないだろう、難波の芦は伊勢の浜荻だろうと真面目にツッコミを入れたワキは、着替えが終わったらここへおいで下さいとシテに伝えてほしいとアイに依頼し、これを受けてアイは立ち上がりましたが、このとき後見座では烏帽子の紐を締めている最中で少しハラハラ。しかし、アイがシテへの呼び掛けを終えて狂言座へ向かうのと同時に物着が終了し、灰色地に白い鳥(鷺?)の文様を載せた掛直垂と侍烏帽子を身に着けたシテが立ち上がりました。

地謡によるそれたかき山ふかき海、妹背恋路の跡ながら以下〈クリ・サシ〉と進んで〈クセ〉は上ゲ端に津の国の、難波の春は夢なれやを挟みつつ前半は難波津にさくやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花と仁徳天皇の治世の繁栄を願って詠まれた歌を詠み込み和歌の徳を讃え、後半でありし契に帰ることができたことを寿ぐと、ワキがめでたう一さし御舞ひ候へと促してシテの〔男舞〕。袖露をとって正中に立ったシテは、ハイテンポな囃子にドライブされて袖をひらめかせ強靭な足拍子を轟かせながら祝宴のめでたさを前面に出して舞い続けます。この期に及んでなおも披露されるアスリート並の運動量に圧倒されているうちにキリとなって、ツレは先に橋掛リを下がっていき、最後にシテが常座で帰る事こそ嬉しけれと留拍子を踏みました。

舞台上がいったん無になった後に安藤貴康師が登場して、「芦刈」についての簡単な解説がなされました。

実は予習の段階で、この曲が『大和物語』第148段を元にしていること(ちなみに第147段は「求塚」、第149段は「井筒」のうち沖つ白波(『伊勢物語』からの引用らしい)、第150段は「采女」に通じます)、そして『大和物語』では、妻は夫と合意の上で別れて都に上り屋敷勤めをするうちに主人の北の方が亡くなったので後妻に迎えられ、それでも前夫が忘れられずお参りに行くと称し許しを得て難波に下ったところ、みすぼらしい身なりで芦を売る前夫に出会うことができたものの、前夫は恥じて身を隠してしまい「君なくて」の歌を書いて妻に返したので、これを見た妻は泣き崩れてしまった……という悲劇に終わっていたことを知っていました。

安藤貴康師もそのことに触れた上で、世阿弥がこの説話をハッピーエンドに変えたのは和歌の徳を讃えたかったからではなかったか、と説明していました。なるほど。

ともあれ、久しぶりに拝見した谷本健吾師のシテによる「芦刈」は、夫婦の情愛を題材としつつも堅牢に構築された構造物のようで、1時間半弱の上演時間中どの瞬間をとっても緩みがなく、観る側にとっても濃密な時間を過ごすことができました。

配役

仕舞 誓願寺クセ 山本順之
春日龍神 北浪貴裕
芦刈 シテ/日下左衛門 谷本健吾
ツレ/左衛門ノ妻 観世淳夫
ワキ/妻ノ従者 則久英志
ワキツレ/供人 御厨誠吾
ワキツレ/供人 野口能弘
アイ/里人 大藏基誠
八反田智子
小鼓 飯冨孔明
大鼓 亀井洋佑
主後見 浅見慈一
地頭 馬野正基

あらすじ

芦刈

貧困ゆえに夫婦別れることとなった摂津国日下左衛門と妻。妻は都の貴人の家に奉公し生活も安定したので、夫を尋ねて難波浦へ里帰りするが、一方の左衛門は里では行方知らずの身となっていた。左衛門の消息が分からない妻と従者はしばらく里に逗留し、里人の勧めでさまざまな物が売られている難波浦の市へ行くと、面白く芦を売る男に出会う。男は所によって呼び名が変わる芦について述べ、さらに従者が御津の浜について尋ねると、仁徳天皇が難波浦に宮造りをした謂れを語り、笠を手に難波の春の景色を謡い舞う。実はこの男こそ左衛門で、妻に気が付くと我が身を恥じて身を隠してしまう。妻が近づき声を掛けると、互いにやむなく別れた心の内を和歌に詠んで心を通わせる。左衛門はめでたきことにひとさし舞って、夫婦円満に難波浦を後にする。