塾長の鑑賞記録

狐塚 / 角田川

2021/07/31

国立能楽堂で金春流能楽師・中村昌弘師の会。仕舞三番、狂言「狐塚」、能「角田川」という番組です。中村昌弘師の会はこれが第五回で、私が参加したのは第二回の「船弁慶」、第四回の「二人静」、そして今回の三度目です。

この会は本来なら一年前の2020年6月14日に上演されるはずでしたが、COVID-19の影響で一年余り延期してこの日の上演となりました。演目と出演者はほぼそのままスライドですが、仕舞「玉之段」は金剛流・宇高竜成師から宝生流・髙橋憲正師にスイッチ、また仕舞「遊行柳」も高橋忍師から金春安明師に変更されていました。

最初に金子直樹氏による解説から。昨夜の渋谷能も金子先生の解説付きでしたから、なんともお忙しいことです。主に「角田川」のあらすじについての話でしたので詳細は省きますが、亡き我が子が埋められた塚の前で唱える南無阿弥陀仏の部分を「能の謡の頂点」とまで表現していたことが印象に残りました。

ついで仕舞二番。中村昌弘師は本田布由樹の地謡での「生田」(他流では「生田敦盛」)で、激しい修羅の闘争が展開した後にやがて父子の別れの悲しみに包まれ鎮魂の静寂の内に終わるもの。キリの部分だけではありつつ、そこに完結したドラマを感じさせる仕舞でした。一方、髙橋憲正師は和久荘太郎師の地謡で「玉之段」。「海士」のクライマックスとなる宝珠獲得の場面で、我が子のために死を覚悟して龍宮に入ったものの、龍神たちに追いつかれて胸乳の下を掻き切り珠を押し込める写実的な型が美しく流れるように続きます。この仕舞もまた、悲壮なまでの母性の強さに感銘を受けたのでした。

狐塚

「狐塚」は2015年に野村万蔵師の太郎冠者で観ていますが、今日は若手狂言師のホープ・野村太一郎師が太郎冠者です。

舞台進行は万蔵師と同じ和泉流のことなので、ここでは筋書きは追いません。太一郎師のはきはきした語り口は聞いていて楽しく、主から猪しし・猿が出ると聞かされて思わずのけぞる姿やその後の生煮えの返事に笑ってしまいました。それでも田に着いて稲穂が実るさまを見渡したときの嬉しそうな様子には日本人の米を大切に思う心がにじみ出て、観ているこちらも嬉しくなってきます。鳴子の紐を巻き結びで脇柱に手際良く結びつけた太郎冠者はさらに、床几に掛かり鳴子を鳴らして鳥を追う場面の一人語りを面白く聞かせ、一方、あたりが暗くなってから疑心暗鬼の虜になるところでは人間の心の闇も垣間見せて、この曲の予想外の深みを感じさせました。

野村太一郎師はまだ31歳。野村萬師の孫で故・五世野村万之丞師(万蔵師の兄・八世万蔵追贈)の子ですが、いきさつ不明ながら今は野村萬斎師に師事しているとのこと。もっともっと舞台を重ね、芸を磨いて、今後半世紀の狂言界を支える狂言師になってほしいものです。


休憩をはさんで、金春安明師による仕舞「遊行柳」。常の如く地謡四人を従えてのゆったりとした舞・謡は、もともと朽木柳の老精の曲ではありますが、やはり独自の境地という感じがします……。

角田川

観世元雅作「角田川」(他流では「隅田川」)は、例外的に悲劇で終わる狂女物。この曲を初めて観たのは2009年の坂井音重師(観世流)で、その後、友枝昭世師(喜多流)で二回(2010年 / 2012年)、つい最近亡くなった浅見真州師(観世流)で二回(2012年 / 2013年)観ていますが、金春流は初見です。そこで、昨年5月に開催されていた「角田川」の事前講座の資料などを復習してからこの日に臨みました。

囃子方と地謡が位置についてから運び込まれた濃緑色の塚の作リ物は高さ150cmくらい、てっぺんに葉を茂らせ、さらに枝垂れた柳の葉も加わって丁寧な作りに見えます。しみじみと響く名ノリ笛、素袍上下出立で橋掛リを歩んできたワキ・渡守(野口能弘師)は常座で名乗って地謡前へ。続いて次第の囃子と共にワキツレ・旅人(御厨誠吾師)が登場し、次第末も東の旅衣、日もはるばるの心かな。さらにワキツレは都での商いがうまくいったので東国に帰るところだと述べて道行、隅田川に着いたところで舟に乗せてほしいと船頭に頼み、これを了承した船頭は後からぞろぞろやってくる中にいる女物狂を待つことにします。

再びのヒシギから一声の囃子となり、やがて幕から出てきたシテ・梅若丸の母(中村昌弘師)の姿は薄青の水衣女出立で肩を上げ、てっぺんの尖った笠の下にはおそらく曲見面、手には紙垂を結んだ狂い笹。一ノ松での謡い出しから舞台に進み笹を手に舞台を巡るカケリの勢いに、狂女の内面の高揚や緊張が強く窺えました。

名乗リ〜道行〜着キ台詞の中にも中正面方向をしみじみ見やる所作が入って、シテばかりか観ている方も遥々と旅をしてきた気分になってきます。そして隅田川にも着きにけりですが、ここでシテが笠を外しそのまま後見に下げさせたのでこちらはびっくり。これまで観てきた観世流では舟に乗るときに笠を取り、喜多流では笠をかぶったまま舟に乗って、その後に笠を用いた悲しみの表現があったりしたからですが、シテはこちらの動揺を気にせずワキと対話を始めました。舟に乗りたければ面白く狂ってみせよと迫るワキ、これに対し覚えぬことなのたまいそとやんわり返すと見せて都鳥問答を仕掛けるシテ。それでもワキをやりこめるところまではじわりとした語り口調でしたが、我が子の行方を探し求めて東国までやってきたことを思い出すと再び高揚し、笹を振って目付から都鳥に言問うかと思えば、橋掛リに走って遠かった旅路を思い起こし、ワキのもとに戻り笹を捨てて乗せさせたまえと手を合わせました。

ここからは隅田川を武蔵から下総へと渡る舟の中の情景となり、ワキツレの問いに答えて向こう岸の大念仏の由来を述べるワキの語リとなります。今日のワキ方は下掛宝生流なので国立能楽堂の字幕表示機に表示される詞章とはかなり異同がありましたが、言葉の端々に梅若丸をさらいここに捨てた人商人に対する憤りと梅若丸への同情が感じられるその語リには、見所を否応なしに感情移入させる力がありました。そして、ワキに背を向けワキツレより少し前(見所側)に斜めに膝を抱えて下居していたシテもまた、ここでちょうど一年前に行き倒れた子供が苦しい息の内に父の名を吉田の某と話したというくだりから、わずかに面を右に向けてワキの語リに聞きいる形になりました。「北白川」「吉田」そして「梅若丸」。語リの中に現れる無惨なキーワードの数々を聞かされたシテは我が子の死を悟り、面をゆっくり戻して静かに左手でシオリ。カケリの激情とは比べ物にならないほど控えめなこの一連の所作がむしろ強くこちらの胸に迫り、観ているうちに目頭が熱くなってしまいました。

下総側の岸に着き、自分も念仏に加わろうと言ってくれたワキツレを下ろしたワキは、まだ泣いているシテにも舟を降りるよう促しましたが、シテはここでワキに子が亡くなった日、子の年齢、父の名、そして子の名前をひとつひとつ確認してから、その子こそ我が子であることを明かしこれは夢かや、あら悲しやと崩れ落ちて両シオリ。これを聞いたワキは竿を捨ててシテの背に手を掛け、共に立って塚の前に並びました。ここでの今まではさりとも逢わんの頼みにこそ以下のシテの謡は始めは静かに淡々と謡われていましたが、徐々に悲しみが募りこの下にあるらめ。さりとては人々に至って咽ぶような口調となって地謡に謡を引き継ぎ、ワキを見てから塚に近づいてその前の土を掘り返そうとする形。この世の姿を母に見せさせたまえと願うも空しく、安座して両シオリとなります。やがて正面に向き直ったシテの面は泣き顔に見え、月を見上げる形になって面が上を向いてもその印象は変わりませんでした。

泣き伏すシテを励まし、その首に鉦の紐を掛けて撞木を手に持たせるワキ。立ち上がったシテは合掌するワキと共に念仏を唱え、鉦を打ち鳴らします。地謡の南無阿弥陀仏の名号、ひっそりと入る大小の鼓、シテが打つ鉦の音が重なって舞台上がしみじみとした弔いの空間となると、やがて南無阿弥陀仏の中に子方(中村優人くん・小学二年生)の声が混じり出し(一連早く謡い出してかけてしまったかも)、そこに笛の音が優しく重なりました。これに驚き喜んだシテがワキに尋ねると、ワキも塚から聞こえたと請け合ってくれて、シテは今のはわが子の声なりけるぞ、今一声こそ聞かまほしけれと声を上ずらせます。しかし結末を知っている者からすれば、このシテの謡はこの曲の中で最も悲しい言葉かも知れません。

塚に向かって南無阿弥陀仏とシテが名号を唱えると、塚の中からも南無阿弥陀仏。そして塚の後ろから地謡側に出てきた子方が脇柱の近くから振り返って母の姿を見やると、地謡があれは我が子か、母にてましますか。しかし撞木を取り落としたシテが我が子の手を取ろうと両手を広げて駆け寄っても子方はその手をすり抜け塚の後ろに消えてしまいます。シテがシオリを見せながら空しく塚の前に戻ると今度は塚の脇正面側から子方が現れ、目付に立ちました。今度こそ抱きしめようと駆け寄るものの両手は空を切り、シテはそこに膝をついて項垂れるばかり。これを最後に子方の姿は消え、夜明けの明るさの中でシテは我が子と見えた塚の上の草を撫でて塚の前に座しシオリ。たゆたう川の流れのように緩やかなテンポで浅茅が原の茫々と寂しい情景を描写する地謡を背に、シテが立ち尽くすさまを見せて終曲となりました。


冒頭に記したように中村昌弘師の会を拝見するのはこれが三度目でしたが、これまでにも増して素晴らしい会でした。仕舞にも狂言にもそれぞれに意味と見応えがあり、そしてもちろん「角田川」も見事。船中のシテのシオリにもらい泣きをしそうになったことは上述した通りですが、最後にシテが子方をとらえようとしてかなわず膝をついてしまったときに不覚にも再び目頭が熱くなってしまいました。しかし終曲後に見所を見回してみるとほかにもハンカチを取り出している観客がいましたから、中村昌弘師の術中にはまったのは私だけではなかったようです。

しかし『能暦』に5月に掲載されたインタビューの中で、中村昌弘師は次のように語っていました。

「角田川」は悲しい物語ではありますが、「どうやって泣かせるか」というのは違うと思っています。最近、金春流でも「角田川」は上演が多いのですが、3月に本田光洋先生の「角田川」で本田芳樹さんを筆頭に若手で地謡を勤めさせていただいたのは、とても勉強になりました。光洋先生からは「祝言のように明るく謡え」と言われていました。先生が仰るには「これでこの旅が終わったということ。ジメジメではなくカラっと謡ってほしい」と。

こうしてみると「術中にはまった」というのは、ちょっと違ったかも知れません。またこれでこの旅が終わったということという説明から、終曲に際しシテはどういう心持ちで立ち尽くしているのだろうか?とも考えさせられました。

終演後、JR千駄ヶ谷駅前の喫茶店で例によって旧友A女史と語らい合いましたが、お互いの近況報告と共に開陳しあったこの日の演能に関するあれやこれやの感想の中での共通見解は、次の通りでした。

  • 高橋忍先生率いる地謡(しかも八人=フルコーラス!)がステキだった。
  • 後ろ向きの状態で語る場面でもシテの声がよく通って聞こえるのはいかなるからくりであろうか?
  • ただ、後ろ向きの状態でシオリをされると正面席からでは何が行われているのかわからんなぁ。
  • 一年の延期にも関わらず(育ち盛りの年齢のはずの)坊ちゃんが塚の中に入れて良かった。

配役

仕舞 「生田キリ シテ 中村昌弘
地謡 本田布由樹
「玉之段」 シテ 髙橋憲正(昨年の予定は宇高竜成師)
地謡 和久荘太郎(昨年の予定は宇高徳成師)
狂言 「狐塚」 シテ・太郎冠者 野村太一郎
アド・主 深田博治
小アド・次郎冠者 高野和憲
仕舞 「遊行柳」 シテ 金春安明(昨年の予定は高橋忍師)
地頭 金春憲和
「角田川」 シテ・梅若丸の母 中村昌弘
子方・梅若丸 中村優人
ワキ・渡守 野口能弘
ワキツレ・旅人 御厨誠吾
栗林祐輔
小鼓 田邊恭資
大鼓 柿原崇志
主後見 本田光洋
地頭 高橋忍

あらすじ

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