女郎花

2022/11/30

銕仙会能楽研修所(南青山)で青山能。仕舞二番と共に能「女郎花」。「女郎花」の読みは「おみなえし」ではなく「おみなめし」です。

仕舞は「錦木クセ」(西村高夫師)と「井筒」(浅見慈一師)。

まず「錦木」は、男の亡霊が在りし日の報われぬ恋の日々を再現する場面。悲痛なまでの恋慕の情が伝わりましたが、まずもって西村高夫師が第一声を発した瞬間から舞台上の空気がはっきりと変わる魔法に惹き込まれます。

ついで「井筒」は筒井筒の歌から有常の娘の霊が井筒の底に業平の面影を見、やがて夜明けと共に消えていく場面。ススキを払って井筒を覗き込み、そこに業平の姿を認めて「見れば懐かしや……」とつぶやくとき、浅見慈一師の直面にかすかに感極まる表情が浮かびました。元来、面を掛ける能では表情の演技はなく、むしろ「シオっている面の下でアカンベーをするくらい、離見を守る」という話も聞いたことがありますが、この日のこの表情は素直に深い感動を与えてくれました。

女郎花

この曲を通して観るのは初めてですが仕舞では観ており、そのときの観世淳夫師の好演には感銘を受けたことを覚えています。四番目物で作者は不明ながら、男女の亡霊が出る点で共通する「通小町」「船橋」「錦木」と共に古い時代のものと考えられ、田楽の亀阿弥作の同名曲を世阿弥が改作したものかとも言われています。ちなみに、舞台となっている石清水八幡宮は貞観年間(9世紀)に大安寺僧の行教が宇佐神宮から勧請した神社で、それ以前から男山の山上にあった石清水寺改め護国寺と一体の宮寺形式。都の裏鬼門を守護する神社として尊崇され、源義家が八幡太郎義家を名乗ったのも当社で元服したことに由来するそうです。

名ノリ笛と共に登場したワキ/旅僧(舘田善博師)は、常座で九州松浦潟から都に上る僧であると名乗ると、松浦から筑紫潟を経て都へ向かう道行を謡いましたが、その朗々とした美声にどっぷり聞き惚れているうちに旅僧は摂津国山崎に到着し、男山山上の石清水八幡宮を見やって我が国の宇佐の宮と御一体なので参詣することにします。麓の野辺には女郎花が今を盛りと咲き乱れ、その光景に興趣を覚えたワキが手土産に花一本を手折らんと謡う背後で幕が上がり、女郎花に近づく態でワキが脇柱へ向かうと前シテ/尉(谷本健吾師)からなう其花な折り給ひそと声が掛かりました。

笑尉(出目満志作)面に尉髪から水衣・熨斗目に至るまで明るい茶系で気品のある姿のシテの声は老人らしくゆったりと、そしてビブラート(ナビキ)を効かせながら、それでいて芯の強さを感じさせるよく通るもの。野辺の花守だというシテに対してワキは、出家した身なので仏に手向と思って許してほしいと頼みましたが、舞台へ進んできたシテは古歌折り取らば手ぶさに穢る立てながら 三世の仏に花奉る(僧正遍昭)を引用して、手向けとあらばなおさら花を折らないようにと戒めました。しかしその僧正遍昭が名にめでて折れるばかりぞ女郎花と詠んでいるではないかとワキが反論すれば、シテはその歌の下の句我落ちにきと人に語るなを取り上げ、女郎花を折った(女郎と契った)ことを後ろめたく思うがゆえに自分が落ちた(堕落した)ことを隠しているのだから、その喩えを引くのは誤りだと諭します。これを聞いて自分も花の色香に惑ったことを恥じたワキがもと来し道に行き過ぐるとシテに背を向けたところ、シテはワキが当地にまつわる古歌女郎花憂しと見つゝぞ行き過ぐる 男山にし立てりと思へばを引用したことをよしとし、花を手折ることを許しましょうと手を差し伸べました。

歌問答を終えたところで雰囲気を変え、ワキがまだ八幡宮に参っていないと明かすと、シテは自分も山を登るところなので道案内をしようとワキを招き、シテは脇正あたりからまっすぐ、ワキは脇座から斜めに正面方向を共に見やってワキの讃嘆の台詞聞きしに越えて尊く有難かりける霊地かなを引き出した後、二人同吟で和光の塵もにごり江の、河水にうかぶ鱗は、実にも生けるを放つかと深き誓もあらたにて、恵ぞ繁き男山、栄行く道の有難さよと謡いました。シテとワキとの同吟というのはあまり聞かないように思ったため興味深く聴いていたところ、ワキがちょっと合わせ損ねた様子。具体的には恵ぞ繁き男山を飛ばしてと入りかけましたが、この一節は流儀によりシテだけが謡うことがあるようです。ともあれ二人は着座してまず旅所を拝み、八幡宮のありがたさをこれでもかと讃える地謡を聞きながら舞台上で流れるように位置を変えつつ中正面から正面へと視線を送って、遂に八幡宮に至ってワキが再び手をついて伏し拝むと、シテは常座からこれこそ石清水八幡宮にて御座候へ。よくよく御拝み候へ

シテとワキとの行き詰まる対話に終始する歌問答と、大らかな動きを伴って見る者にも男山を登っているかのように感じさせる参詣の場面との対比の鮮やかさを面白く見終えたところで、日が暮れたことが語られてシテが別れを告げ帰ろうとすると、ワキはその背に向かい女郎花と男山の謂れを尋ねました。今さらそれを聞くのかとシテは呆れた様子でしたが、山の麓にある男塚と女塚へとワキを案内し、正面方向を見やってこれが男塚、脇正面方向を見やってあれが女塚と示すと、これは夫婦を埋めた塚で女郎花に関する謂れがあると説明します。さらにワキの問いに答えて女は都の人、男は当地の小野頼風だと語ったシテは、それ以上の説明を行わずどうか頼風を弔ってほしいとだけ地謡に願わせて、更けゆく月の木陰に夢のように消えてしまいました。

送リ笛に送られてシテが中入した後にアイ/男山麓ノ者(善竹大二郎師)が舞台に進んでワキを見咎め、そのワキの求めに応じて男塚と女塚、女郎花の謂れをよく通る声で詳しく語ってくれましたが、これによればその仔細は次の通り。

  • 昔この所に小野頼風という人がいたが、訴訟のため長く在京の折、さる女と契り必ず行く末までも相変わるまじと約束した。
  • やがて頼風は八幡へ戻ったが多忙に紛れて女を訪れることもなかったので、都の女は頼風の元を訪ねてきたものの、頼風は山上に参詣中で留守だったため屋敷の者から荒らかに対応され、頼風に偽られたものと口惜しく思って放生川に身を投げて死んでしまった。
  • 頼風もほどなく身を投げたため、女を突き込めた側へ並べて塚に葬った。これが男塚であり、一方女郎花とは、身を投げたとき女が山吹色の衣を召されていたが、その色が草となり生い出たので女郎花(おみな・めし)と言ってこの野辺の名草となった。

ここでは「おみなめし」の読みの由来が明確に説明されている一方、女の死を知ったときのシテの心の動き(後を追うほどの嘆き)は説明されていませんが、これは後シテが自分の口から語ることになります。

この説明を受けて尉が頼風の霊であると確信したワキが弔いを始めたところ、出端の囃子となってツレ/頼風ノ妻(安藤貴康師)と後シテ/小野頼風が登場しました。ツレは小面(銘「閏月」)に秋草文様の紅入唐織着流、シテは若男面で風折烏帽子・黒垂、濃いめの青地に金の刷毛目文を置いた狩衣の下には浅葱色の大口。ツレの声を聞いてシテはなつかしやと昔を偲びますが、ツレの方はよそよそしく恨みを捨てていない様子に見えます。ワキに向かって合掌する夫婦の亡霊を目の当たりにしてワキが読経の力に感じいるうちに、ツレとシテは先にアイが説明した顛末を語り分けましたが、ツレが放生川に身を投げた姿を正先に下居することで示してから脇座に移った後、シテは驚いて女の遺体と対面したことを正先を見込む形で見せ、泣く泣く死骸を取り上げてとシテ目線のツレ謡を聞きつつシオリながら常座に戻りました。さらに妻を埋めた塚から女郎花が生えてきたのを見て頼風心に思ふやう、さては我が妻の女郎花になりけるよと妻を懐かしむものの、自分が近づくと離れ、離れると元に戻る花の様子を語るシテの謡も表情も悲痛。『古今和歌集』の序に紀貫之が書いた男山の昔を思つて女郎花の一時をくねるを地謡に引用させシオリを見せてからの短い〈クセ〉の中で、シテは妻の哀れさを感じ無慙やな我故に、よしなき水の泡と消えて徒らなる身となるも、ひとへに我が科ぞかしと聞いているこちらが胸を突かれるほどに深い悔悟を吐露し、続いて正先に出て足拍子を踏むと膝を突き面を伏せつつ続いて此川に身を投げて。ここから素早く常座に戻ったシテは右袖で胸を覆い脇正面の方向に自分が埋められた男山を見やってから跡弔ひてたび給へとワキに向かいます。

頼風の亡霊が痛切な思いを吐露しながら過去を振り返るここまでの後シテは、その貴人らしき出立のままに謡の声に張りがあり、所作も滑らかで前場の老体と鮮やかな対比をなしていましたが、続く〔カケリ〕からキリに続く迫力に満ちたスピーディーな型の連続には圧倒されました。強烈な足拍子を轟かせたシテは舞台を廻り、常座で小さく二回転。キリの詞章が描く邪淫の悪鬼の責め苦は、剣の山の上に恋しい人の姿を見てうれしやと登ると剣は身を通し磐石は骨を砕くという恐ろしいもので、その描写そのままに剣に見立てた扇を振るい、宙に浮かんで飛ビ返リ。繰り返される足拍子や膝行、常座と目付の間を行き来する姿に永遠に続く苦悶を示しいかなる罪のなれる果ぞやと嘆いたシテは、それでも女郎花も極楽の蓮も共に花なのだから蓮の台に浮かぶことができるよう罪を浮めてたび給へと合掌した後、常座で左袖を返し留拍子を踏みました。

終演後の小講座は鵜澤光師が担当する予定でしたが、この日は都合により欠席(地謡代役は観世淳夫師)となったので、ピンチヒッターとして清水寛二師が講師を勤めました。あの穏やかな語り口で解説された内容をいくつか拾うと、次のようです。

  • 今日の仕舞二番と能は、いずれも恋の話であった。
  • 「女郎花」は石清水八幡宮が舞台だが、男山の麓にあって魚鳥を放つ放生会が行われる放生川に身を投げなければならなかったところに男女の切実な思いが込められる。
  • 「通小町」の百日でも大変だが「錦木」は千日、どれだけつらかったことか。能のルーツには今に通じる申楽の能以外に田楽の能・延年の能があり、「錦木」もその類曲の「船橋」も田楽由来でもっと鬼っぽかったのを世阿弥が現在見るように洗練させたもの。世阿弥作の「井筒」に至ってはさらに洗練され、複式夢幻能の完成形になっている。
  • 江戸時代の権力の中枢にあった武士たちも、能を通じて人の優しさや悲しさを学び心の糧としたはず。現代の為政者にもぜひ能を観てもらいたい。
  • 千年前の物語である「女郎花」の男女も、こうして時々能にかかれば現世に出てきてまた会えたり救われたりするのかもしれない。我々にも日々つらいこともあるけれど、克服してまいりましょう。

前場の緊迫した歌問答と厳粛な八幡参詣、後場の悲痛な懐旧とカケリ以降の高揚といった具合に場面ごとの特色がはっきりした構成を持ち、古い曲であるとされるにも関わらずその作劇術が面白いこの曲を谷本健吾師による盤石の演技と舘田善博師の美声とで堪能できた75分間でしたが、清水寛二師の解説を聞き終えてからあらためて振り返ってみると、割り切れないところも感じられました。女の入水とこれに続く頼風の死をもたらしたすれ違い(誤解)は最後まで解消されてはおらず、ツレはシテに対する恨みを解いていないと見える一方で、シテはツレを恋しく思いながら地獄の責め苦に苛まれ続けるというのは随分と切ない話です。最後にシテはワキに成仏を願って合掌しましたが、遂に救済を受けられたとは書かれておらず、物語の結末としては開いたまま。それではこうして時々能にかかっても、シテの苦患が繰り返されるばかりではないのか?などと思ったところでした。

配役

仕舞 錦木クセ 西村高夫
井筒 浅見慈一
女郎花 前シテ/尉 谷本健吾
後シテ/小野頼風
ツレ/頼風ノ妻 安藤貴康
ワキ/旅僧 舘田善博
アイ/男山麓ノ者 善竹大二郎
一噌隆之
小鼓 大山容子
大鼓 佃良太郎
太鼓 梶谷英樹
主後見 鵜澤久
地頭 柴田稔

あらすじ

女郎花

女郎花の咲き乱れる男山。同地を訪れた旅の僧が花を一輪手折ろうとすると、花守の老人が見咎める。しかし会話の中で、老人は僧を風流人として認め特別に手折ることを許す。山上の石清水社へ参詣しての別れ際、この山の女郎花の由来を尋ねる僧を老人は山麓の古墓へ連れて行く。墓の主は小野頼風とその妻だと明かすと、老人は姿を消してしまう。その夜、僧が弔っていると、小野頼風とその妻の霊が現れる。ふとした誤解から夫の心変わりを疑って命を絶った妻。その墓から咲き出たのが女郎花であった。近づけば自分を避けるように靡くこの花の様子に悲嘆した頼風は、妻の後を追って自らも川に身を投げていた。この生前の業により死後もなお妄執に苦しみ続けていた頼風は、そんな因果の物語を明かしつつ救済を願う。