第9回日経日本画大賞展

2024/05/28

台風の接近に伴う前哨の雨が地面を濡らす中、上野の森美術館(上野)で「第9回日経日本画大賞展」を見てきました。

「日経日本画大賞展」は2002年の第1回から2015年の第6回まで見続けた後、2018年の第7回と2021年の第8回を見逃していたので、実に9年ぶりということになります。率直に言えば「日経日本画大賞展」の特徴である大画面志向・前衛志向に少し見疲れた面もあって足が遠のいてもいたのですが、これとは方向性を異にする「Seed 山種美術館 日本画アワード」を今年2月に見たことの裏返しで、久しぶりに見る者の度量の大きさを試されるような「日経……」の混沌(?)の空間に身を置いてみようと思ったというわけです。

大賞受賞作品は、フライヤーにも掲載されている次の作品です。

▲村山春菜《コンクリート城 ランドマップ「地球(ほし)クズ集め」、「コンクリート城とコンクリートの民」》

この長いタイトルは、もともと別の機会に発表された《地球(ほし)クズ集め》(左)と《コンクリート城とコンクリートの民》(右)とを組み合わせて《コンクリート城 ランドマップ》としたという経緯に基づくものです。図録の解説によれば、ここに俯瞰的視点で描かれているのは大阪のコンクリート製造会社の工場(右絵左寄りの直方体の建物に「UBE」のロゴ)。都市・工場の景観を描いているにしては描線が直線的ではなくヘタウマ的に波打っているのが不思議ですが、これは画家があえて利き手ではない左手で書いていることによる効果だそうで、確かにこうして書かれてみると工場が生き物のように見えますし、画家の主観が率直に反映されているようにも感じられます。そして工場の建物群(コンクリート城)の中にたくさんのミキサー車や従業員たち(コンクリートの民)が細かく描き込まれているのがこの絵を動きのある温かいものにしていますが、さらに直方体の建物から右下に伸びている青い線(たぶんベルトコンベア)が途中から銀色のメタリックに変わっており、会場でこの絵を見るとそこが周囲の様々な色彩を反射して虹色に輝いて見えるのが夢のように綺麗でした。

以下、自分がこれはいいなと思ったものをピックアップして紹介すると……。

▲池上真紀《来迎》

私のイチ推しは、文化財修理から日本画に転じたという経歴の持ち主である画家の手になるこの《来迎》です。一見したところでは何が描かれているのかわからないのですが、画面下方でそこだけしっかりした輪郭線で描き込まれた宙を舞う散華にまず視線を引きつけられます。さらに《来迎》というタイトルもヒントにして視線を画面の奥に向けると、そこに静かに結跏趺坐して印を結ぶ阿弥陀如来の姿が浮かび上がり、その姿を密やかに覆って垂れ下がる光の帯と溶け合う様子に得も言われぬ厳かさが感じられます。

降り注ぐ光の帯と見えたものの中には藤の花房らしきものが金泥で細密に描かれ、散華も輪郭線の中のグラデーションが美しく、この作品は本展覧会で見た作品群の中で最も品格を感じさせるものであったと思います。

▲野地美樹子《生きる》

巨大な老木の姿を暗い背景の前に白々と、しかもリアルに描いたこの作品からは、すっかり葉を落としたその姿にもかかわらず、この老木がここに至るまでの生涯の重みと、いずれ訪れる最後の時までなお懸命に生き続けようとする意思が伝わってきます。

これも実際に会場で見ないとわからないことですが、実は背景は一様に暗いわけではなく、老木の背後にうっすらと曙光のような朱色があって、そこに希望のようなものを感じることができました。また、この巨木は銀杏なのですが、会場で見たときに真っ先に思い出したのは2020年に軍刀利神社で見た奥の院の桂の巨木でした。この絵にそこはかとなく神聖なものを感じたのは、そうした記憶が呼び覚まされたからだったかもしれません。

▲永沢碧衣《山景を纏う者》

秋田県に生まれ育ち、マタギのコミュニティの一員として自らも狩猟に加わりながら制作を続けているという画家が描いたのは、山霧の冷気(霊気)の中に蠢く熊たちの群れ。狩る対象であると共に崇める対象でもある熊たちへの、マタギならではの視線が見てとれます。

そして《山景を纏う者》というタイトルの通りそれぞれの熊の身体は森林に覆われており、たとえば左端の熊を見ると、標高が上がるにつれて針葉樹林から広葉樹林へと移り変わる中に通じる一筋の道の行き着く先に鳥居と共に赤い屋根を持つ社が描かれています。

▲木島孝文《A.R.#997 "Veronica" 花と獣、犬、犬》

上記三作とは趣きを異にしますが、横8メートルものこの大作は会場内で異彩を放ち、しばらくその前に釘付けになってしまいました。これだけでも十分な質量感で見る者を圧倒するのに、画家の構想によれば《A.R.#99x "Veronica"》シリーズは全9作が連結されることで一つの作品となる予定だそうで、完成すれば全長100mを超える壮大な世界が生まれることになります。

日本画特有の画材を使いながら鉄ベラで削り出す特殊な技法で描かれたモチーフ群を見ると、唐草や十六弁の花の合間に01のデジタル符号、中央の抱き合う白い人物とその周囲を取り囲む狼たち(威嚇しているのか守護しているのか?)。これらの抽象化されたフォルムはマヤの浮彫を思わせるものがあり、かつて古典期メソアメリカの遺跡や美術を見て回った経験がある自分にとってはとりわけ興味深く親しみのもてる絵でした。

▲木下千春《陀羅尼》

「これはいいなと思ったもの」の最後に取り上げるこの作品は、右から泳いできた魚の群が左で渦を巻きながら奥へと泳いでいく海の中の様子をこの上もなく美しく描いたものです。この作品もまた四点一続きの「夜行絵図」の最後の場面で、《A.R.#99x "Veronica"》のように全長100mと言われると身構えてしまいますが、このサイズ(1.5mx2mくらい?)ならぜひ四点揃ったところを見てみたいものです。

緻密に描かれた魚やクラゲ、カニの姿も優美ですが、ことに目を引かれたのはマーブル調の墨流し紋でした。図録の解説によればこれはバットに流れた墨の、作為の及ばない自然の造形を写し取った薄紙の一層を貼り重ねたもののよう。しかしこの絵をただのファンタジーにしていないのは画面の右側に生々しく垂れている絵の具の数滴で、これに気づいたときには現実に引き戻されたようでちょっとしたショックを受けました。

他にも、たとえば田中武《咲き乱れる情報》がもたらす色彩の喜び(伝統的な「梅」とモザイク模様との組合せも面白い)や、

木村了子《波濤競艇図屏風-天上極楽モンキーターン!》(必死の形相で先行する弁財天を追う阿修羅たちがイケメン)や小柳景義《鬼ヶ島》(桃太郎の世界を細密に描いてついついルーペで覗き込んでしまう)のユーモアなども楽しかったのですが、

好みかどうかということを超越して、この渡辺知聡《春のひととき》は一見、駅前の公園の穏やかな情景を描いているように見えていながら、右端の女性には色彩がなく左上の車椅子とそれを押す人物に至っては横断歩道が透けて見える存在感のなさに、言いようのない不安を覚えたということを書き留めておきます。