東山魁夷と日本の夏

2024/08/14

山種美術館(広尾)で開催中の「特別展 没後25年記念 東山魁夷と日本の夏」を見てきました。実際に足を運ぶまでは「今さら東山魁夷?」と思わなくもなかったのですが、蓋を開けてみれば新しい出会いや気づきがあって有意義な半日でした。

暦の上では既に秋でもむしむしと暑い空気の中、恵比寿駅からとぼとぼとアスファルトの上を歩いて山種美術館。この暑さでは館内はすいているだろうと思っていたら当てが外れ、お盆休みのせいなのか、東山魁夷のネームバリューのせいなのかはわかりませんが、この美術館では今までに経験したことがないほどの盛況です。

東山魁夷と日本の四季

何はともあれ地階の展示会場に降りてみるとまずイントロダクション的に掲げられていたのが春の志賀高原に取材した《月出づ》(1965年)でした。手前の若緑色の白樺の斜面と奥の濃群緑青の樅の斜面が交差し、その彼方に白い月が昇るこの清澄な絵は、鑑賞者の心をのっけから掴みます。この作品を皮切りに、この展覧会では山種美術館が所蔵する東山魁夷作品を全点公開します。

冬の蔵王の樹氷林を描いた《白い嶺》(1964年)もすてき。前景と遠景の雪をかぶった樹林の描写に優しさを感じますが、それらを押し包む厳冬の冷たい空気の重みも見逃せません。

そしてこれらに続いて並べられていたのが、川端康成の「京都は今描いといていただかないとなくなります、京都のあるうちに描いておいてください」という言葉に触発されて描いたという「京洛四季」シリーズです。この「京洛四季」とは、1969年に刊行された画集のタイトルであると共に京都を描いた一連の絵のテーマを示す言葉でもあるようで、ここに展示されていた四点のうち《春静》《年暮る》は1968年に描かれたものであるのに対し《緑潤う》(下の写真)は1976年、《秋彩》は1986年です。

これら四点はもちろんこれまでそれぞれに何度も見てきているのですが、あらためてこうして四点揃えて見てみると印象が違います。《緑潤う》《年暮る》の二点は単品で見てそれぞれに好ましい印象を持っていたのですが、これらにはさまれた《秋彩》も今まで記憶の中にあった同作品とは異なり、比較的大きな画面の中で紫・黄・赤の三色が穏やかに響き合う様子が得も言われぬ風情でした。

これらの後に東山魁夷の師である川合玉堂(《早乙女》がほのぼの)と結城素明、岳父・川崎小虎、同期生である加藤栄三と山田申吾(《宙》の草原に寝そべり魚眼で空に浮かぶ雲を見上げる構図に惚れ惚れ)の作品を並べてから、いくつかのスケッチ、小下図を前に置いてこの展示の白眉となるのが、1970年に描かれた幅9mの大作《満ち来る潮》です。

皇居新宮殿に納められた障壁画《朝明けの潮》と同趣の絵を描いて広く見られるようにしてほしい、という山崎種二の求めに応じて描かれたこの作品は、穏やかな海景を描く皇居の作品とは異なり満ち潮の中での岩と波とのせめぎ合いを主題としており、緑青と群青の海の上に金・プラチナの箔や砂子が光や砕ける波を示して、装飾的でありつつ迫力に満ちたものです。なお岩の配置は、京都の寺院の枯山水の庭から着想されているのだとか。

日本の夏

東山魁夷作品の紹介を終えた後に「日本の夏」と題して当館のコレクションを中心とする展示が続きましたが、川端龍子《鳴門》や石田武《四季奥入瀬 瑠璃》といった見慣れた作品だけでなく新たな出会いがあって、実り多い鑑賞ができました。以下に印象的だった作品のいくつかを鑑賞順で紹介すると……。

林潤一《緑韻》(1981年)
南方の密林らしき場所に分け入って棕櫚とハイビスカスとを鋭い輪郭線と穏やかな色彩とで描く、不思議な魅力を湛えた作品。
並木秀俊《華火》(2023年)
焦げたように黒い桐板の上に截金と彩色を施して夏の夜空を彩る打上花火を鮮やかに描く。空の高いところから月が静かに見下ろしている構図に心惹かれます。
池田輝方《夕立》(1916年)
風俗画の系譜だが、これも大きい。突然の夕立に神社の境内で雨宿りする男女の姿を練達の筆致(見ようによっては通俗すれすれ)で描き、その表情や目線から隠されたドラマが見えてくるよう。
京都絵美《ゆめうつつ》(2016年)
「Seed 山種美術館 日本画アワード 2016」大賞作品。ぼんやりとぼかし模様を描く暗い背景の手前に横たわる若く美しい女性のワンピースの模様のくっきりした白が夜空の星を思わせ、そのモダンな表現が一連の展示の中で異彩を放つ。とても魅力的な作品ですが、これは「夏」と関係あるのかな?確かに昔から「夏は夜」とは言うけれど……。

他にも横山大観、奥村土牛、高山辰雄、小林古径、上村松園ほかの優品をはじめとして心動かされた作品は枚挙に暇がありませんが、キリがないのでこのへんで。それにしても、山種美術館で葛飾北斎の《富嶽三十六景 凱風快晴》(いわゆる「赤富士」)を見ようとは思ってもいませんでした。

  • ▲表面:東山魁夷《満ち来る潮》
  • ▲裏面(左上→右下):東山魁夷《満ち来る潮》《春静》《緑潤う》《秋彩》《年暮る》 / 上村松園《蛍》 / 横山大観《夏の海》

鑑賞を終えた後、例によって美術館の1階にある「Cafe椿」でこの日の展示にちなんだ和菓子と抹茶のセットをいただきました。青山・菊家が作った和菓子の名前と絵画の対比は、次の通りです。

潮風 横山大観《夏の海》
涼やか 奥村土牛《水蓮》
あげ潮 東山魁夷《満ち来る潮》
さなえ 川合玉堂《早乙女》
御所車 小林古径《蛍》

できることなら全部食べてみたいところですが、ここはぐっと我慢して「あげ潮」を注文しました。

魁夷が描いた力強い波涛と巌をモティーフにしました。たっぷりとしたつぶあんの食感もお楽しみいただけます。

という解説そのままに、いつもここでいただく練り切りやこしあんの菓子とは異なる食感に少し驚きましたが、絵に描かれていた荒々しい海景を見事に再現した一品でした。